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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
137/212

第101話

*流血・残酷な表現が文中にありますので、苦手な方はご注意ください。

 ――ハクちゃん、ハクちゃ……ハク、ハクッ!!


 身体の中で、強く激しく血液が駆け出して。

 まるで心臓が身体から剥きだしになってしまったかのように、激しい鼓動が傷つけられた手から全身に広がった。


 ――ハクッ、ハクッ! ハク!!


 どんなに叫んでも、声にはならなくて。

 でも、そうせずにはいられない。

 私の手の甲には、信じ難い異物感。

 刺された刃物が貫通する感覚など、知りたくなかった。

 痛みと、それを上回る恐怖が私をがんじがらめに縛って動けない。

 声が出ないと分かっていても、ハクの名を叫ばずにはいられなかった。

 彼の名を口にしないと、自分を保っていられなくなりそうだった。

 ここにいないハクに、心の中で必死にしがみつく。

 そうしていないと、そうしないと私は……。

 怖い。

 怖い!

 この人は、この人達は。

 笑いながら他人を傷つけることができる。

「ほら、ちゃんと見とけよ? 手のひら中央に刃先が出ただろう?」


 ――っ!!


 地面に押し付けられていた右手は、手首を掴み直されて無理やり向きを変えられた。

 増した痛みと、次は何をされるのかという不安と恐怖でうまく息が出来ない。

「一気に抜くぞ。……さて、この雌は治癒にどれくらいかかるか…………ん? 思っていたより、早いな」

 視線を、手に感じる。

 2人の濃い茶色の瞳は、血だらけの私の手を見下ろして……。

 布の透き間から僅かに覗く濃い茶色の目は、私を<人間>ではなく<竜族>として観察している。  

「うわっ、傷が塞がってくぜ!? ぱっと見は普通の女だけど、やっぱ大蜥蜴の雌なんだなぁ」

 驚きを隠さぬその言葉に、私は自分の手を見た。

 まるでそこだけ時間の流れが違うかのような速度で、まだ乾かぬ血の下で傷が……消えていく。

 傷が治るのと同時進行で痛みが和らぎ、皮膚が軽い火傷をした時のような感覚だけが残った。

 やっぱり、私の身体は以前と違う。

 ハクは何も言わないけれど、私の身体はどうしちゃったの!?

 この傷の治りを目にしたら、この人達は私を普通の人間とは絶対に思わない……竜族と勘違いして、当然。

 口が利けるようになって私が人間だと主張しても、きっと信じてはもらえないだろう。

「竜族の血肉が古くから秘薬として取引されるのは、この能力のせいだ」

 言いながら自分の黒い帯を片手で器用に解き、血のついた刃物でそれを20㎝ほど切った。

 それで刃先についた血液を拭き取って、背の高い人に返した。

 帯は長く、端を少々切ったくらいでは使用するのに全く問題無いようだった。

 そして帯を手早く締め直し、言った。

「まぁ、効果のほどは定かじゃないが。それでも買いたって、目の色変える阿呆な金持ちは多い」

「なるほどねぇ~。う~ん、でも血肉売るために飼うってのは、やっぱり無しだな。俺、餓鬼ん時から蛇とか蜥蜴とか嫌いなんだよ。よっしゃ、来月の競りに出すか!」

 返されたそれを鞘へと仕舞い、空を見上げながら言う彼の言葉に私は耳を疑った。

 競り?

 競り!?

 それって、私は売られるってこと!?

「私にも半分寄越せよ? 独り占めしようとしたら……どうなるか、分かっているな?」  

「わ、分かってるって! この雌、顔は地味だけど伝説の<監視者>みたいな黄金色の目玉だし、人間の女に飽きたモノ好きな客には受けるかもな。娯楽用(・・・)だけじゃなく、血肉にも金になる価値があるってんだから、すげー高値になるな!」

 興奮気味で高くなった声とは対照的な冷めた声で、右手に私の血を吸った布を持ったままその人は答えた。

「<監視者>が伝説? とことん無知だな」

 <監視者>。

 ハク、ハクのことだ!

 会話にハクのことが出てきたので、私は地面に倒れこんだまま顔だけあげて2人を交互に見た。

「<監視者>は伝説なんかじゃない、<監視者>ってのは確かにいるんだ。絶世の美女で有名だったドラーデビュンデベルグ帝国の皇帝が死んだのは、術式に失敗して異界の生物をこっちに持ってきちまって<監視者>に処分されたんだ。知らないのか?」 

 私が見ていること、聞いていることに気づいているはずなのに。

 それを全く気にする様子はなく、彼等は会話を続けた。

「そんな遠い国の事なんか、知らねぇよ。ふ~ん、そうなのか……。でも俺達には<監視者>なんて得体の知れない物騒な奴、関係無いだろう? 異界からやばいモン持ってきたりしねぇもん。あ、俺は蜥蜴嫌いだから、その女に触りたくない。あんたに頼んでいい?」

「……ったく、仕方ないな」

 背の低い人……私の手に刃物を突き刺した人が、私の胴に左手を回して持ち上げた。

 彼はまるで荷物のように私を脇に抱えると、右手に持っていた布を地面へと投げた。

 そこは、私の手から流れ出た血で色が変わっていた場所で……。

 私を抱えたまま、彼は右手で顔を覆っていたターバンのようなベージュの布を外した。

 露になった顔は日に焼けた肌、はっきりとした二重の目。

 口元は白髪の混じった黒い髭が囲み、目元にはまるで傷跡のような深い皺。

 50代後半から60代……くらいかもしれない。

 髪は全て剃られ、両耳には乳白色をした雫形の大きな耳飾。

 その耳飾を片方取り、投げ捨てた布へ勢いよく叩き付けた。

 耳飾は音をたてて割れ、中から真っ黒で粘度のある液体が流れ出た。

「くっ、くっせー! あんた何してんだよ!?」

 鼻をつく異臭が広がって、私も鼻と口を手で覆った。

 塩素系の匂いと石油の匂いがごちゃ混ぜになったような、強烈な匂いだった。

「これか? この雌の血臭を消したんだ。竜の雄ってのは、つがいの体液に敏感だ。ちゃんと処理しておかないとまずい。血臭を辿ってこられたら困る……今の私(・・・)では、つがいを奪われて怒り狂った雄には勝てない」

 頭部からはずした布で抱えている私の身体と自分の身体を結びながら言う彼に、戸惑うような……少し警戒するように、もう一人の人が言う。

「あんた……なんだってそんなに竜族に詳しいんだよ? 術士って、皆そうなのか!?」

 術士。

 この人、術士なの!?

 どうしよう!

 私、また転移でどこかに連れて行かれちゃうの!?

「……いや、そういうわけじゃないさ。私は以前、竜族と揉めて痛い目にあったんでな。……なぁ、アリシャリ。お前は今後、竜族を【商品】として扱う気があるか? 人間より金になるぞ?」

「え? 俺? 俺は伯父貴んとこで働いてるから今は人間専門だけどよ~、金は欲しいなぁ。伯父貴の商売敵が昔、帝都から竜族の餓鬼1匹浚ったんだ。そしたらそいつ等すんげぇ~ひでぇ目にあったんだってさ! だから伯父貴は、竜族と関わらない主義みてぇ……でも、この雌は売って金に換えたい。俺、もう伯父貴からは独立して商売してぇんだよ。だから金が、資金が欲しいんだ」

 私には術士の人が、わざとお金の事を前面に出して話題をすり替えたような気がしたけれど。

 この人……アリシャリと呼ばれた人には、自分で口にした疑問よりお金の話の方が重要のようだった。

「大丈夫さ。伯父貴殿にばれないように、この雌を売ればいい。私が協力してやる。……しかし、竜族の餓鬼を竜帝のお膝元である帝都から浚うなんて、<赤の竜帝>の両頬をひっぱたいて唾吐きかけたようなもんだ。それはひでぇ目(・・・・)に合わされるだろうな」  

「だよな~。餓鬼浚った3日後に竜族の雄が一人で乗り込んできて、その村の奴等全員殺されたんだってさ。全部殺しちまうなんて、もったいねぇよな~。女と子供は確実に売れて、いい金になるのによ」

 帯に重なるように二重に結ばれた革紐から下がる真鋳の飾りを、左手でいじりながらそう言った。

 その内容に、私はぎゅっと手を握った。

「見せしめの為の皆殺しだな。……その雄は<赤の竜騎士>だ。普通の竜族はこっちが拍子抜けするほど大人しくてお人好しだか、竜騎士は違う。あいつ等は獣……狂犬だ」

 吐き捨てるように言うその術士の言葉には、剥き出しの嫌悪。

 竜騎士が多くの人間を……それを嘘だと思うことが、私にはできない。

 カイユさんは、私に言ったもの。


 ==私のこの手は、多くの人間を殺した手なんです。


 竜騎士は……必要なら人間を傷つけるし、命も奪うのだと私は教えられた。


 ==人間共は私を凶悪無慈悲な雌竜と恐れ、嫌悪します。それは私にとって最高の賛美。私は望んで刀を取り、喜びのなかで殺戮を行うのです。私は……カイユはそういう‘生き物‘なのです。


 それでも、私は。

 カイユさんを怖れることなど、嫌いになることなど出来ない。

 今の私が怖れるのは、嫌悪するのは。

 子供を奪う返しに来た竜族に殺されてしまった人達を『もったいない』と言う、この人の心。

 この人は、人が殺されたこと自体はなんとも思っていない。

 この人にとっては竜族だけじゃなく、人間も商品であって……。

 もし、誤解が解けて私が竜族じゃなく人間だと分っても。

「おい、先に帰って馬を持って来てくれ。私はこれから嫁を貰う若いお前とは体力が違うんだ。この荷物を持つのはいいが、皆の所まで歩くのは無理だ」

「しょうがね~なぁ、わかったよ。じゃあ、また後でな!」

 彼は、彼等は私を助けない。

 同じように、競りに出して売るだけ。

「ああ、早めに頼む」

 竜族だろうと、人間だろうと……。

 

  ――…………。


 私はこの世界のことが知りたくて、本を読んだ。

 竜帝さんが用意してくれた本には他の大陸の気候や風土、美しい自然や綺麗な町並みが描かれていた。

 丁寧に描かれ彩色された挿絵を見ながら、これからのハクとの暮らしに想いをはせた。

 <青の大陸>から他の大陸に移るのは確かに不安だったけれど、ハクやカイユさん達と<黒の大陸>に移動する道中を『旅行』として楽しみだと……楽しもうと考えていた、思っていた。


 ――私……私は……。


 握りこんだ真っ赤に染まった右の手は、乾いた血液が皮膚を……毛穴を押さえ込むような嫌な感触がした。






 ゆっくりと。

 ゆっくりと、彼は歩いていた。

 あれから一言も話さず、私を脇に抱きかかえたまま歩いていた。

 静かだった。

 革のサンダルが地面を踏んで進む音と、乾いた風が駆けぬける音。

 その静けさが、私に考える冷静さを与えてくれた。

 2人から1人になったけれど、私の胴に回されたこの手を振りほどいて逃げるのは無理だと感じていた。

 1人でも逃がさない自信があるから、だからこの術士の人は背の高い人を先に行かせた。

 それに、もし逃げられたとしても。

 見える範囲に建物も町も……誰もいない、人工物が何も無い。

 誰かに助けを求めることも、これでは出来ない。

 太陽がなければ東西南北すら分からない私じゃ、陽が完全に落ちたら……ここで逃げられても遭難するに決まっている。

 競りにって言ってたから、殺される可能性は低い……よね? 

 竜族だと思われている私は、人間より『お金』になるらしい。

 彼等にとって生かしておく『価値』がある。

 逃げ出す機会が、きっと……絶対にある。

 ハクだって、私を探してくれてるに決まってるもの!

 カイユさんだってダルフェさんだって、ジリ君や竜帝さんだって……。

 

 ――大丈夫! とにかく機会を見つけて逃げて……この大陸の竜族の人を探して赤の竜帝さんに連絡をとってもらえれば、ハクに私の居場所が伝わるもの。場所さえ分かれば、ハクがすぐに迎えに来てくれる!


 術士であるこの人から逃げられるか……それに、人間より個体数が少ない竜族に会える確率は、私が考えているより低いのかもしれない。  

 でも、それでも。

 大丈夫だと強く、強く思わなければ。

 二度と立ち上がれなくなりそうだった。 

 やがて空の色がオレンジの混じった淡いピンク色に変わり始め、此処へ来てからそれだけの時間が経ったことを私に教えてくれた。

「……以前の私なら。この先にある野営地まで転移可能な術士だった」

 低くなってきた太陽に向かって歩きながら、ずっと黙って歩いていた彼が口を開いた。 

「私は<赤の竜帝>の契約術士をしていたんだ」

 足を止め。

 前を見たまま。

 その声は小さいけれど、風の音しかないここでは十分だった。 

「だが、術式に不可欠な<基点>を竜騎士に……狂犬共を仕切ってたあいつ(・・・)に壊されて、今では術士としては底辺だ。<赤の竜帝>の契約術士にまでなった私が、辺境の奴隷商人などにはした金で雇われて……」

 この人が、<赤の竜帝>さんの契約術士だったの?

 だから竜族に詳しかったんだ……えっ……な、なにっ!?

 彼は顔は動かさず、茶色い目だけを動かし、私の顔から足先までゆっくりと見始めた。

 その視線は身体を“見る”とういよりも……。

 <青の竜帝>の『青』に包まれた私の身体ではなく、その下……皮膚のさらにその下の、私のを探られるような……まるで視線が体内を通り抜けるかのような、奇妙で不快な感覚。

「お前の竜珠の位置は……」

 竜珠……竜珠の位置?

 それって、まさか……。

 カイユさんのお母さん……ミルミラさんは、術士に竜珠を奪われ亡くなった。

 この人、まさか。

 竜珠を……この身体の中にあるハクの竜珠を奪うつもりなの!?

 あの時、カイユさんは言った。


 =母は生きたまま腹を裂かれ臓腑を荒らされ、竜珠を奪われました。


 生きたまま。

 奪われる。


 ――ハッ……っひ!?


 声が出ないのを忘れ、ハクの名を叫びそうになった私の髪が強い力で引っ張られた。

 同時に苛立ちと失望が濃く滲む声が、叩き付けられる。

「くそっ! 今の私の術力では、竜珠の在りかすら判らないっ!」

 私の顔を覗き込むようにして、深い皺を刻んだ顔が間近にせまる。

「私を見捨てた赤の陛下に、大事な大事な同族の竜珠を贈って差し上げたかったのにっ!」

 吐息のかかる距離で、黄ばんだ歯を剥き出しにして言う彼から私は顔をそむけた。

「……くくっ。竜珠を奪われ死ぬほうが、競りに出され人間に飼われるより幸せだと思うぞ?」

 幸せ?

 死ぬより飼われる事が?

 違う。

 違う、違う!

 その“幸せ”は違う!!

 あんたなんかに!

 あんたなんかに、私の“幸せ”を奪わせない!!

「うっ!?」

 黄ばんだ歯と煙草と漢方が混じったような口臭のする口を持つ顔を、ぎゅっと握った両手で思いっきり叩いた。

「この雌蜥蜴めっ!!」

 怒鳴り声と同時に、後頭部に強い衝撃。

「くそっ、意識が無くなると重くなるからしたくなかったってのに……もう歩くのは止めだ! ここでアリシャリと馬を待つ!」

 急に意識が下へ下へと吸い込まれるように、まるで柔らかなゼリーに飲み込まれていくかのように沈んでいく。

 私はそれに逆らわず、全てを委ねた。


 ――目が覚めたら、おはようってハクが言ってくれる。約束したんだもの……。


 私の“幸せ”は、私が決める。

 私の“幸せ”は、ハク。


 貴方が。 

 私の“幸せ”。

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