表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
136/212

第100話

 --母さんの所に帰っていらっしゃい、ダルフェ。


「……」

<赤の竜帝>の使っていた伝鏡も他のものと同じように専用の布で覆い、俺は伝鏡の間の扉へと足を向けた。

「赤の大陸に戻るべきか? でも、今は姫さんを探すのを優先してぇしなぁ。どうすっかな~」

 各大陸の竜族が姫さんを探すとして。

 小柄で黒髪の人間の娘なんか、無数に存在する。

 あの子は人目をひく飛び抜けた美しい容姿でもないし、顔の作りにこれといった特徴も無い。

 絵姿すらないあの子を探す手がかりは、金の目だけだ。

 旦那と同じ、あの黄金の瞳だけ……。

 竜族だって旦那に会ったことがあるって奴の方が少ない。

 本物を見た事の無い奴等に旦那と同じ目玉って言ってもなぁ~。

「う~ん。あっちに戻って、俺が赤の竜騎士団の指揮とったほうが効率いいか?」

 赤の大陸での捜査には、姫さんをよく知る俺が……そうすっと、黄と黒の大陸にも姫さんを知ってる青の竜騎士を派遣したいところだが。

「舅殿が導師関係で動いてる……この状態で、青の竜騎士を手薄にすべきじゃないねぇ。ただでさえ人数少ないんだから、無理だなぁ」

 伝鏡の間の扉を閉め、背を預けた。

 寄りかかると、溜め息が出た。

 吐き出したのは息だけではなく。

「……母親にあんな顔させるなんて、俺もまだまだ餓鬼ってことだねぇ」

 自己嫌悪が情け無い声音とともに、俺の口からこぼれる。

 つがいと出会い、夫になって。

 子を得て、父親になったのに。

 大切なもの全てを守る力が、強い心が俺には足りない。

 俺はまだ、こんな(・・・)なのかよっ!

「…………畜生ッ」

 背に当たる固い感触が、妙に居心地が良くて。

 俺はしばらく、動けなかった。

 



 

 青の麗人が髪を掻き毟りながら、こちらへと渡り廊下を駆けてきた。

 アーチ型の天井を支える列柱の間に等間隔に置かれた陶器の植木鉢には青い絵付けがされ、八重咲きの白い花が華やかに咲誇っている。

 その美しい花々すら霞んでしまう、天上の美貌の城主。

 その後ろを早足で追うカイユの眉が釣り上がっていたのは、見なかったことにした。

「陛下、どうかしましたかぁ?」

 カイユの視線が俺に突き刺さるのを感じつつ、興奮で頬を染めた陛下に声をかけた。

「ダルフェ、大変だ!」

 陛下は俺の胸倉を掴み、左右に振りながら言った。

「ヴェルがいねぇんだ!」

 この青の竜帝は俺よりずっと背が低……いや、これは禁句だな。

 竜族の雄にしては小柄で体も細いが、竜帝のできそこないの俺なんかより強い個体だ。

 その気になれば俺を殺せるそのパワーで、俺をぶんぶんと激しく振った。

「ゴミ箱にじじいがっ! ヴェルがっ! 生ゴミがぁあああっ!!」

 ゴミ箱と生ゴミ。

 あのままゴミ箱を使ってたんですか……温室でカイユがゴミ箱に旦那を無造作に突っ込むのを見て、文句言ってたクセにねぇ……陛下、カイユには強く出れないからなぁ。

「まさかっ……俺の部屋に置いといたから、塵収集担当が間違って生ゴミ処理場に!? だから普通の水色ゴミ箱なんて、使うべきじゃなかったんだ! 俺様の『青』に塗装した特注品を使えば、こんなことにはっ!!」

「……くくっ……ぶはぁっ!」

「陛下、落ち着いてください。ダルフェ、笑ってないでなんとかしてちょうだい」

 思わず噴出した俺から陛下をはがし、カイユは陛下の乱れた髪を手櫛で整えながら言った。

 俺は自分の制服の襟を緩めながら、愛する妻の要望に答えるべく腹の内部がよじれそうになるほどこみ上げてくる笑いを全力で押し戻した。

 うん、いいねぇ。

 この陛下、本当に面白くて好きだ。

「あのね、陛下ぁ……生ゴミとして回収されたなんて、そんなわけねぇでしょうが。手足と頭がくっついて、姫さん探しに行ったんじゃないんすかぁ?」

 <青の竜帝>としてじゃなく、旦那の事が絡んでくると小さな子供のようで……その愚かさが、逆に愛らしくさえ感じてしまう。

「おちびを探しに!? じじいは自分で転移先が分からねぇって言ったんだろう!? 当てずっぽうで探すってのか!? しかも一人で!? 俺達と協力して効率よくやろうってっ考え、じじいの頭ん中にねぇのかよ!?」

「あると思います?」

 わざとそう訊いた俺の問いには、当然の答えが返された。

「思わねぇ!」

「でしょう。ねぇ、ハニー。君の意見は?」

 カイユは水色の瞳で俺と陛下を交互に見て、ため息をつきながら言った。

「はぁ……なぜ分からないのかしら? ヴェルヴァイド様は南棟にいらっしゃるはずよ」

「え? なんでだよ、カイユ?」

「は? どうしてハニーはそう思うんだ?」

 なぜそう言い切れるのか分からず、俺と陛下は顔を見合わせた。

 そんな俺達に苦笑しつつ、カイユは答えた。

「私は竜族の雌で、妻で母親だからよ」

「……そっか」

 妙に説得力のある言葉に、俺は思わずうなずき。

 陛下は首をかしげた。

「そういうもんなのか?」

 困惑したような顔で訊く陛下に、カイユはきっぱりはっきり言った。

「そういうものです。さぁ、行きましょう」

 南棟へと躊躇いゼロで歩き出したカイユの後を、陛下と俺は3歩離れてついていった。

 俺と並んで歩く陛下の瞳の中で、前を歩くカイユの銀髪が輝いていた。

 視線に気づいた陛下が、俺を見上げて微笑んだ。

「カイユって、すげぇよな。あのな、ダルフェ。カイユとつがいになるのは自分だって、餓鬼の頃は思ってたんだ。今思うと、うぬぼれっていうか勘違い野郎だったつーか……はは、やっぱ俺様なんかじゃカイユは駄目だ……ダルフェがカイユのつがいで良かった。本当に、良かった」

「陛下……俺は」

 吸い込まれるような深い青の瞳に映る俺の顔は。  

「俺、赤の大陸に戻ります」

 陛下の柔らかな微笑みとは対照的に。

「うん……そうか。<赤>によろしくな」

 不出来な人形のような、硬い表情をしていた。

「はい、<青の竜帝>陛下」

 青い瞳の持ち主は俺のこの顔を目にしているのに、気づいているのに。

 その微笑みは変わらない。

 俺はそれに感謝し心の中で膝を折り、頭を垂れた。




 俺と陛下の先を歩くカイユは折れた骨組みと瓦礫が散乱する温室を足早に通り、居間へと繋がる扉を開けた。

 扉を開けたカイユはそのまま奥へと、足を進める。

 カイユは池に引っかかっている変わり果てた皇女を一度も見なかったが、陛下はその前で足を止めた。

「……メリルーシェの第二皇女がおちびと同じ名前だって、ダルフェは知ってたか?」

 陛下は池の縁にひっかかっているそれを、壊れ物を扱うかのように両手でそっと持ち上げると床へと置いた。

「知ってましたよ。まぁ、知ったのは昨夜ですけど。魔薬の件で調べた時に知ったんです。旦那は知りませんでしたよ。あの人らしいっちゃ、らしいですけどね」

「そうか。……あとで支店のバイロイトから、メリルーシェの王に連絡をいれさせる。遺体を国に帰してやらなきゃな」

 娘の死を知ったメリルーシェの王がどう出るか。

 皇女の死の理由と原因を、どこまで明かすか。

「……そうですね」

 まぁ、支店長のバイロイトが間に入るなら、うまくやるだろう。

 あっちにはセレスティスも……舅殿は王子様面してやることが過激だが、頭は切れる。

 あの2人だけじゃなく、さらにクロムウェルもいるんだしな。

 全て任せて大丈夫だろう。

「……あれ? カイユ、どうしたんだ? ヴェル、いねぇのか?」

 室内に入ると、開かれた寝室の扉の前にカイユが立っていた。

「ハニー?」

「……」

 陛下と俺の声に振り向いたカイユは、主である陛下にその場所を譲るように無言で数歩下がった。

 陛下はそんなカイユの様子に微かに目を細め、寝室へと足を踏み入れ……3歩半で止まった。


「なっ……なんだよ、これ……」


 つぶやくように言った陛下の靴先は、柔らかな波に埋もれていた。

 その波をつくっているのは、思いがけないものだった。

 床一面に散乱した布切れが、陛下の足の進入を拒んでいた。


「陛下、これ……服ですよね?」


 陛下は姫さんのためにあらゆる色の服を用意した。 

 どんな色や素材があの子の好みか分からかった陛下は、必要以上に多くのものを揃えて‘じじいのつがい’を迎え入れた。


「ああ、おちびの服だ。納品のさいにはこの俺が、ひとつひとつ確認したからな」

「じゃあ、これは……服だった(・・・)ってことですね」


 衣装室にしまわれているはずのそれらで、室内が鮮やかに彩られていた。

 引き裂かれ、千切られて。

 布切れに成り果てて。 

 細切れになった色達が床一面に重なり合う異様な光景は、声にならない絶叫を俺の脳へと叩きつけてくる。 

 無音のそれは、狂気の匂い。


「じ……じじい?」


 そこだけ切り取られた異空間のような、大きな寝台。

 全く乱れのない寝具の上に、うずくまるは小さな白い竜。

 旦那は小さな両手で赤い格子模様の布を握りしめ、それに顔を埋めていた。

 押しつけるように。

 すがるように。

 微動だにせず。

 その布……姫さんが旦那に贈ったそれは、あの子がこの世界に落とされた時に身に着けていた異界の衣類。

 その衣類を使って、姫さんは旦那に贈り物をした。

 旦那は少々色褪せた生地で作られたそれを『宝物』だと言い大切に、大切にしていたのを俺は知っている。


「ヴェ……ヴェルッ……」


 陛下はその場に、すとんと座り込んでしまった。

 その背を流れる長い髪が色の洪水の中に、青を加えた。

 どんなに多くの色があろうとも。

 陛下の青はなにものにも染まらず混ざらず、そこにある。


「……だ……んな……」

 

 消えたつがいの残した香りを、気配を、想いを求め。

 無力な赤ん坊のように……尾で自分の身体を守るかのように丸くなり、『世界』を拒むその姿。

 自分の傍らにつがいの居ない世界、その現実を拒否しているのかのような。

 そこに居るのは最強の竜ではなく……。

 その姿を、これ以上見ていられなくて。

 見てはいけない気がして。

 俺は、目を閉じた。

「……陛下、私達は外でお待ちしています。行くわよ、ダルフェ」

 カイユは深々と一礼し、俺の左腕を掴んで退室を促した。

 俺の腕を掴むその手が、指が。

 肉だけでなく心にも食い込んで。

 俺を、支えてくれた。


   




「あんた、こんな小娘に“輪止”をするのかよ?」

 聞いたことが無い声に、起こされた。

 目を開けようとしたら強い眩暈と強烈な吐き気を感じて、ぎゅっと目を閉じた。

 この感じ……知ってる、覚えてる。

 お城に不法侵入したっていう術士にさらわれそうになって、無理やり転移を……転移?

 転移……まさか、あの皇女様が!? 

「必要で無いと思う根拠は? ……意識がもどったようだ。寝ていただけか、のん気な女だ」

 両腕で体を支え上半身をあげると、私を見下ろす人達がいた。

 2人。

 男の人だ。

 知らない、この人達を私は知らない。

 皇女様に転移させられたとして、此処はどこ?

 周囲を見ると、どこかで見たことのあるような景色……中央アジアや中近東を連想させる乾いた大地。

 私を見下ろす2人は、ベージュの布で頭部を覆っていた。

 布の透き間から僅かに覗く目は、2人とも濃い茶色。

 長袖の貫頭衣に、腰には黒い布の帯。

 帯に重なるように二重に結ばれた真鋳の飾りがついた革紐には、半月を思わせる曲線を持つ小ぶりな剣。

 咽喉が痛むような熱を持った乾いた空気と、硬い土。

 ついた手にあたる小石……砂じゃないから、砂漠じゃないよね?

 とにかく、この人達に訊いて……あれ? 

 声が……出ない?

「へぇ、変わった目をしてるな。人間の女に輪止なんて高い拘束具を使うのもったいねぇじゃん、拾ってくつもりなら縄で手枷でもすりゃ十分だろ?」

 吐き気が治まると、言葉がはっきり聞き取れた。

 好意的でないどころか、拘束具や縄、手枷なんて物騒な単語に心臓がどくんどくんと暴れだす。

「私から見ても人間に見える……見た目は。だがね、この娘の着ている衣装は特別なものだ。輪止は保険さ」

 輪止?

 あっ……なに、これ?

 私、首に何かつけられてる。

 ダメだ、首だから目で確認できない。

 恐る恐る触ってみると、硬い革と金属の止め具の感触。

 これ……犬の首輪に似てるかもしれない。

 やだ、これなんなの?

 この人達、なんで私にこんなモノをっ!?

「あ、服? ……まぁ、確かにえらく高そうだ。それにこのネックレスって、真珠じゃねぇか!? 人間に見えるって、どういう意味だよ? 角が生えてるわけでもねぇしよ。なぁなぁ、こいつの服とネックレス、街で換金しようぜ!」

「換金? 本当に無知な男だな。これは既婚の竜族の雌がよく着るモノで、肌の露出を最小限に抑えているんだ。竜族の雄は妻の肌を他人に見られるのを、とても嫌がるからな」

「は? 竜族~!? このちんまい女がか? どう見たって人間だぜ、竜族の雌ってでかいんだろう?」

 頭上で交わされる会話に、心臓の音が頭の中でどんどん大きくなってくる。

 女神さまが用意してくれたドレスの奥で、足が震えて立ち上がれない。

「人間だってそれぞれ身長差がある。同じように竜族だって、個体差があるのさ。それにこの目をよく見ろ、確かに金色の目の人間も稀にいるが、この娘の色は人間の持つものじゃない」

 声を出せないなんて……ハクちゃんを呼べない!

 どうしよう!?

 きっと、この首輪のせいで声が出ないんだ。

「ふ~ん、そうなんだ。俺は竜族を見たことねぇし、あいつらとは商売の付き合いもねぇから知らなかった」

 この人達……背の低い人のほうが、竜族に詳しいみたい。

 でも、私のこの目がハクと……<監視者>と同じだってことは、知らないんだ。

 ハクの瞳を、この人は知らない。

「だろうな。低俗で無知なお前のような闇市の商人が竜族に関わることなんて、普通は一生無い」

「……ったく、嫌な奴だな」

 どうしよう、どうしよう!?

 頭の中で姿を思い浮かべて呼んでも、ハクから返事が無い。

 彼には私の“声”が聞こえていない。

 ああ、ダメ……念話は私の能力じゃなく、ハクちゃんの能力だもの。

 彼が竜体でいてくれて、なおかつ“意識”を向けてくれないと届かない。

 それか……考えたくないけれど。

 彼の念話が届かないほど、私は遠くに来てしまったの?

「ははっ、お前ほどじゃないさ。輪止をしてるから竜体になって暴れることも出来ない。声も出ないから、つがいの雄を呼ぶこともできやしない。既婚の雌が帝都から遠く離れたここで1匹でうろうろしてるなんて、有り得ない。何か問題が起きてつがいの雄とはぐれただけだろう。近くに雄がいるはずだ、『声』を使って雄を呼ばれちゃやばい。竜族は基本的には大人しい種族だが、雄はつがいのこととなると途端に凶暴になるからな」

 ハクは絶対に、私を探してくれている。

 きっと、とても心配している。

「おいおい、トラブルはごめんだぜ? これを探している雄がいるかもしれないんだろう? なら、こいつは此処にそのまま捨てておきゃいいじゃないか。あ! それか帝都に連れて行って赤の竜帝に引き渡せば、謝礼金がたんまり貰えるんじゃねぇか!?」

 え?

 今、赤の竜帝って言ったよね!?

 赤の……じゃあ此処は、赤の大陸なの!?

「何を言っている。もったいないだろう? 竜族にどれだけ価値があるか知らないのか? その筋の人種にこのまま売ってもいいし、飼って血肉を卸してもいい。さて、この大蜥蜴の雌はいくら稼がせてくれるやら」

 う、売る!?

 飼って血肉って……この人達から逃げなきゃ駄目!

 この人達、怖い。

 竜族をまるで動物のように考えてる、『人』だと思っていない!

「竜族か人間か、簡単に判別する方法を知っているか? 知らないだろう? せっかくだから教えてやるよ」

「何する気だよ?」

 震えて立ち上がれない足を握った手で叩き、動けと命令しても地面をするようにつま先が小石を蹴るだけ。

 この人達は、私を赤の竜帝さんとは絶対に会わせてくれない!

 逃げなきゃ駄目。

 なんとかして自力で逃げなきゃなのに、焦れば焦るほど足は言うことを聞いてくれない。

「簡単だ。竜族は人間とは治癒速度が違う、これも個体差があるらしいが…………それ、貸してくれ」

 足を叩いていた右腕を強く掴まれ、袖をまくられた。

 背が高く、がっちりとした体格の人が腰に差していた剣を抜き、私の側に膝をついた男の人に手渡した。

 

 ---やっ、なに!? まさか……ハク、ハクッ、ハク!


 もっと大きな声で、強い気持ちを持てば声に音が戻ってくるかもしれないと、もう一度叫んだ。 

 これ以上無いほど大きな声を出したはずなのに、私の声には音が無い。


 ---ハク、ハク!!


 ハクは名前を呼べば、いつだってすぐ来てくれた。

 だから、安心していた。

 この世界で、私が独り(・・)になることは無いのだと。

 ハクがいてくれるから、ハクがいるから。


 ヴェルヴァイドは、<監視者>は。

 この世界の人の畏怖の対象。

 彼の報復行動を怖れ、私を肉体的に傷つける人などいない、できないのだと……。


 安心していた。

 慢心していた。


「そんなに口開けたって、無理だよ。輪止してるから、声が出るはずねぇし。へぇ~、竜族も泣けるんだな、はははっ! 大蜥蜴のクセに、人間様みたいに泣いてやがるぜっ」

 地面へと押し付けられた手に、弧を描く刃が近づく。

 それは私の手の甲に……。


 ---う、うそ! や……やめてっ、やめてっ……やめてぇえええ!!


 目の前起こっていることを現実だと思いたくなくて、ぎゅっと目を瞑った。

 さっき見てしまった銀の刃と、肌に触れる切っ先の感触から逃げ出すように、白い姿へと頭の中で必死に手を伸ばす。

 怖いという言葉も、助けを求める言葉を思う余裕も無く。


 ---ハクちゃっ……ハク、ハクッ、ハクッ!!


 頭の中にはあの人の名だけ、あの人だけ。 

 閉じた目蓋に浮かぶあの人は、小さな身体を丸めて泣いていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ