第99話
「<青>っ! あんたの所為よ! あんたが無能だからよ!! さっさと死んで代替わりしちゃえ、馬鹿、馬鹿! キィイイイイッ~!」
<黄の竜帝>が陛下に投げつけたティーカップの砕ける音に、<黒の竜帝>が閉じていた目を開けた。
黄色い竜はこちらの脳細胞を破壊しそうな超音波じみた声をヒステリックにあげ、身に着けていた花柄の洋服を黄色い爪で音をたてて引き裂いた。
「落ち着かんか、黄よ。自ら衣服を乱すなど、女子として……まぁ、言うだけ無駄か」
黒曜石のようだった爺さんの鱗は艶を失い、まるで炭のようなものへと変化していた。
死期が近いんだろうに、こんな事態になったらのんびり死に仕度している暇も無くなっちまうなぁ。
「そうね、無駄だわ」
億劫そうに目蓋をゆっくりとあげた<黒の竜帝>とは逆に、<赤の竜帝>は緋色のクッションに寄りかかり、その真紅の目を閉じた。
「過ぎたことを責めるより、今はすべきことがある……。<四竜帝>としてそれが分かっていても、私達は貴方に怒りと失望を感じ、あの人がここに居ないことを悲しまずにはいられないのよ、<青>」
当然ながら、<黄の竜帝>が投げたカップは陛下へは届かない。
遠く離れた竜帝達は、美しい<青の竜帝>に傷一つけることは出来ない。
だが陛下の表情にあるのは、隠し様の無い苦痛。
大陸間通話を可能にする巨大な3枚の伝鏡がそびえ立つ室内の中央に立つ青い麗人は、事実だけを簡潔に報告し。
「……」
その後は、四竜帝達の感情を隠さぬ視線を正面から受け止め立ち尽くすだけ。
若き<青の竜帝>を強く責めているのは、竜帝達の言葉ではなく。
きっと、自分自身なのだろう。
「だいたいねっ、こんな大変なことになってるのにお風呂入ってからくるなんて、あんたどういう神経してんのよ!? イドイドはどろべちゃな溶液で、あんたはつるすべな温泉……キィイイイイッツ! ムカツク、ムカツク、ムカツクゥウウウウ~!!」
カイユが伝鏡の間に四竜帝を呼び出し、俺が伝鏡の調整作業を終わらせ全ての準備を終えてしばらくしてから現れた陛下は“綺麗”だった。
血塗れだった青い竜は風呂に入り汚れを洗い流し、身支度を整えて四竜帝の待つ伝鏡の間に現れた。
それがヒステリックな<黄の竜帝>を、さらにヒートアップさせた原因の一つだろう。
---間に合わんな……すぐに風呂へ行け。お前は“綺麗”でなくてはならぬのだ。
あの場に居て旦那の言葉を聞いていた俺は、この世にある『青』の持つ美の頂点に座すかのような美しさに納得し、満足した。
そうだ。
この若き<青の竜帝>は“綺麗”でいなくてはならない。
どんなに辛く、苦しくとも。
陛下は“ヴェル”の望んだように、“綺麗”であり続けるだろう。
「キィイイイイッ~! 黙ってないで、なにか言いなさいよ<青>!」
短い足を踏み鳴らし、黄色い竜が喚く。
「<青>、私は一分一秒が惜しい身だ。お前の考えを述べよ」
自分の額を爪でこつこつと叩き、黒い竜は陛下に言葉を求めた。
「躊躇いも遠慮も無用よ、<青>。答えられぬならば、そのような者は不要。<黄>の言うように代替わりなさい。ダルフェ、そうなったら貴方が次代が四竜帝として使えるようになるまで青の一族を守りなさい。<色持ち>であるお前には拒否権は無く、これは決定事項よ」
扉の前でカイユと並び立つ俺へと投げられた<赤の竜帝>の言葉に、カイユは眉一つ動かさなかった。
その水色の瞳は、主である<青の竜帝>からそれることは無かった。
「赤の竜帝陛下、俺の所有権は四竜帝から<ヴェルヴァイド>に移ったはず。……あんた等四竜帝には俺に指図する権利なんかねぇってこと、わかってるんすか?」
わざと笑顔で答えた俺に、<赤の竜帝>は尾先で床を3回打ち付けた。
その様はなぜか楽しげで、叱咤されると考えていた俺はかなり驚き。
少し、困った。
「おちびの転移先はヴェルにも分からなかった。青の大陸か他の大陸か……ヴェルが負荷を引き受けたとしても、状況はこれ以上ないほど悪い……でも、なんとしても探し出さないと」
陛下の声は硬く、低かった。
転移の負荷を旦那が全て引き受けたから、姫さんが無事?
そんなおめでたい考え、この場にいる誰1人持ってないさ。
「蜜月期中の雄竜がつがいを失えばどうなるか。未だつがいを得られぬお前でも、それくらいわかっているのだろう? 状況は悪いどころか絶望的と言うべきではないか?」
黒の爺さんの言葉に<赤>はうなずき、<黄>は超音波のような怪音を発し続けていた口を閉じた。
「大海に揺らぐ木っ端をどう探す? 砂漠に落ちた塩粒を見つける術はあるのか? ちっぽけで無力な異界人を探し出すなど、不可能だ。甦った<ヴェルヴァイド>によって世界は滅ぼされ、消え去るだろう。ふむ……種として人間などに負け、ぶざまに滅ぶよりはその方が良いのではないかな?」
「や……やだ、弱気な<黒>なんてらしくないよ。お願いだからそんな事言わないで! <黒>は頭良いってイドイドが言ってたんだから、あんたがなんか良い案考えてよ! 私には、どうしていいか分からないもん! なんで、なんであんな子のために世界がっ……なんでよ、イドイドォオ~! ううう……ううっ……ぶうえぇえええ~んっ!」
<黄の竜帝>は泣き出し、黄色の目玉から噴水のように勢いよく涙を溢れさせた。
「……これが四竜帝とは、なんと見苦しい」
軽蔑を隠さぬ<黒>を<赤>が諌めた。
「皆の前では泣けぬ<黄>です、見逃してやってください。この子がこうなのは我等とあの人の前でしか許されぬのですから……」
人格的、知能的に優れた優秀な者が四竜帝に選ばれるのではなく。
なりたいと望んだ者が四竜帝になるのでもない。
それは強制された、逃げることなど出来ない……許されない、生贄の道。
なりたくて、なったんじゃない。
そう口に出来たら、楽になれるのに。
「……俺は諦めない」
陛下の声に、他の四竜帝の視線が一点へと集まる。
「じじいは諦めてなかった、狂ってなかった。だから俺も諦めない」
世界の青が凝縮したような瞳が、灯りの無い伝鏡の間で星のように煌めく。
「じじいの“りこ”を見つけ出すんだ!竜族が、生き延びるために!!」
結果としては。
各大陸の竜族総出で姫さんを探すという、なんとも地味で気の遠くなるような……人間達に知られぬように、秘密裏に行動するということに決まった。
非効率的極まりないことだが、人間側にこの事態を知られることを避けるため探知能力のある術士を雇うこともできない。
陛下を「私の女王様!!」と崇め敬うクロムウェルなら情報の漏洩の可能性は無いが、奴には探査能力が無いので使えない。
もっとも術士を使う案だって、非現実的だ。
術士一人の探知可能範囲は個人差があるが、ある程度の範囲に限られる。
各大陸各国各都市に配置できるほど人数、世界中の術士を掻き集めたって足りない。
術士ってのは、希少な人種だからなぁ。
「はぁ~……お先真っ暗だねぇ」
旦那の様子を確認するため陛下がカイユを伴い退室し、黒の爺さんと黄の超音波娘はそれぞれの補佐官に指示を出すために戻った。
伝鏡の間に残ったのは、俺と……。
「ダルフェ」
<赤の竜帝>が俺を呼んだ。
「なんです? 赤の竜帝陛下」
俺は黒の爺さんが使っていた伝鏡に覆いをかけていた手を止めず、訊いた。
「カイユは大丈夫なの?」
黒の爺さん用の伝鏡の次は、黄の使っていた伝鏡を専用の布で覆った。
黄の伝鏡を旦那が割ったあの時、俺はこんな未来が待っているなんて思いもしなかった。
「ええ、今はまだ大丈夫です」
「貴方は大丈夫?」
真紅の瞳が、まっすぐに俺を見た。
色は全く違うのに、それはカイユの瞳と重なった。
ああ、これは。
「……どういう意味です?」
この眼は。
母親が、子を見る時の眼だ。
「相変わらず、強情ね。誰に似たのかしら?」
「あんたに決まってるでしょうが、母さん」
終末へと駆け出した『世界』を俺達は必死で追い駆け追い着き、その足を止めなくてはならない。
どんな汚い手を使っても、どんなに犠牲を払おうと。
「母さん……もしも姫さんが死んでたら、カイユは今度こそ駄目だよ」
「ダルフェ……」
俺達は分かってる。
救いたいと願うのは、『世界』の全てなんかじゃなく。
「……俺、あんた等の話聞きながら、考えてたんだ……旦那が嘆き狂って世界を失くしてくれたなら、世界を道連れにカイユと心中できるんだなって……カイユが俺だけのものになるかもしれないって」
それは抗いがたい、甘い誘惑。
「俺、心のどこかで姫さんが死んでくれてたらいいのにって……はははっ、俺ってやつは自分勝手で最低な野郎なんだよ」
手を、伸ばしていた。
伝鏡の向こうにいる近くて遠い存在に。
「母さんっ、俺はカイユを愛してる……誰よりも、何よりもっ! でも俺はっ……ジリや母さんや父さんだって愛してる! この想いだって嘘なんかじゃない! だから、母さん……お願いだ。もしもあの子が生きていたら、俺の竜珠をっ!!」
それは懺悔ではなく、懇願。
両膝を着き、冷たい伝鏡越しにぬくもりを求める。
震える俺の手に、赤い竜が小さな手を重ねる。
「ダルフェ。ダルフェ……私の可愛いダルフェ。貴方のためなら、母さんはなんだってしてあげる。あの人……ヴェルヴァイドだって、裏切れる」
それはとても小さい手なのに、俺の全てを包み込んでくれるような気がした。
「か……あさん?」
「赤の大陸に戻ってきなさい」
世界のためなんてお綺麗な大義なんかじゃなく。
「母さんの所に帰っていらっしゃい、ダルフェ」
愛しい人のためだけに、俺達は前へと突き進む。