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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
134/212

第98話

*流血表現あります。苦手な方はご注意を!

   

「私はっ……私はまた(・・)、守れなかったっ!!」


 胸を裂かれるようなその叫びに、俺はハニーを抱く腕にさらに力を込めた。

「カイユッ! 落ち着くんだっ、大丈夫だから! 旦那がいるんだから、大丈夫に決まってる!」

 大丈夫と言いながら。

 何がどう大丈夫なんだか、言ってる自分も分かっていない。

 今の俺の頭を占めるのはカイユのことだけで、姫さんのことなど考える余裕など無い。

 カイユは、カイユが俺の全てなのだから。

 これ以上心に負担がかかったら、カイユは……完全に壊れ、狂ってしまった竜騎士は生かしておくには危険すぎる。

 自我を失い獣に堕ちた竜騎士は、『飼い主』である竜帝が始末するのが決まりだ。

 そんなこと、させるものか!

「なんで? なんでこんなこと……になったのよ!? 母様だけじゃなく、あの子まで私から奪うの!? ねぇ、ダルフェ……テオ、テオ。あなただって私とジリギエを置いて、逝ってしまうんでしょう!?」

 混乱した激情に押し出され、普段は口にしない秘めた想いが震える唇から吐き出された。

「ア、アリーリアッ……」

「ねぇ、ダルフェ……テオ、テオ。お願い、置いていかないで……独りにしないで。側にいて」

 俺には答えるべき言葉が、言うべき言葉が見つからない。

 たとえその場しのぎの嘘だとしても、ずっと側にいると言えない自分に吐き気がした。

 見開いたままの水色の瞳が痛々しくて、こんな自分が情けなくて。

 俺はすがる思いでカイユの頬に、自分のそれを触れ合わせた。

「……愛してる、愛してるよアリーリア。俺は誰よりも、君を愛している……だから、だからっ……」

 触れ合う肌はあたかかく、俺はその体温にカイユが生きていることを改めて実感し、腕の中の愛しい人が無事だったことに感謝した。

 姫さんが殺され……なにかがあったその場にいて、生き残れたなんて。

 生き残れた、なんて。

 生きてる、なんて。

 世界が、残ってるなんて。

「……あ」 

 あの子を失ったら旦那は……何故だ?

 なんで俺達は生きてるんだ!?

 俺のカイユは生きていて、世界も変わらずここにある。

 それは、つまり。

「カイユ、大丈夫(・・・)だ」

 つまり。

「姫さんは、生きている」

 て、ことだ。

「きっと、大丈夫さ。すぐに旦那が、姫さんを抱いて現れるって!」

「ダルフェ……」

 俺は足で瓦礫を掃い、カイユを座らせた。

 立ち上がろうとするカイユの肩に手を置き、言い聞かせるように言った。

「腕を治すのが先だ。旦那が姫さんと戻って来た時、その腕を見たらあの子は泣くよ?」

 俺の言葉にカイユが徐々に落ち着きを取り戻していくのが、触れた身体と俺を真っ直ぐに見つめる瞳から伝わってきた。

「ハニー、君が思ってる以上に旦那は強い……無意味に強すぎて気の毒になるほど、強いんだ。その旦那が姫さんを守れないなんてことはないさ」

 餓鬼の時から<ヴェルヴァイド>を見てきた俺は、カイユの知らない旦那を知っている。

 あの人は確かにちょっと……だいぶだが、自分の強さを分かっている。

 その旦那が同席していて姫さんが死ぬなんて、有り得ない。

 そうだ、有り得ないんだ。

 あっちゃ、いけないんだよ!

 俺達(・・)の<ヴェルヴァイド>は世界最強でなきゃ駄目なんだ!!

「でも、ダルフェ。あの女はトリィ様をっ……ヴェルヴァイド様っ!?」

 池の手前の瓦礫の山が、派手な音を立てて崩れた。

 温室の天井に使われていた強化ガラスが床に叩きつけられ、耳の奥が切り裂かれるような叫びをあげる。

「……背中重そうっすね、旦那」

 旦那の背には、天に向かって5枚の羽が生えていた。



 漆黒のレカサを貫く、透明なガラスの羽。

 まるで人間共の好む天使という架空の存在のようだった。

 だが、この旦那を見て天使と思う人間はいないだろう。

「……」

 どうみたって、その逆の存在だ。

 冷たいガラスの翼が羽ばたくのは闇がふさわしく、誘うのは楽園ではなく地の底にある煉獄。

「…………邪魔だな」

 赤く染まり身体に張り付いた髪をうざったそうにはらってから、旦那はその背に突き刺さったガラスを無造作に左手で引き抜き、投げ捨て始めた。

 同じ動作を5回。

 その都度、磨きこんだ刃のようなガラスの破片……破片というにはでかすぎるそれが床に落とされると同時に、天から落ちた星のように煌めきながら、砕け散った。

 赤く染まった星々が、地上に広がり陽に輝くさまは美しく……表情の無い見慣れた美貌を目にし、困惑と不安が湧き上がる。

 旦那の目の前で。

 姫さんはメリルーシェの皇女に何かされたはずなのに。

 怒り狂って、半狂乱だっておかしくないのに。

「旦那? ……っ!?」

 そこにはあるはずの怒りも、憎しみの色も何も無く。

 黄金をくりぬいてはめ込んだような、無機質な冷たさ。

 温度の感じられない凍てついた金の瞳は、俺を見ない。

 その瞳が見ているものは自分の右手。

「なんでそんなもん、持ってるんですか!」

 その右手が掴んでいるのは……。 

「なんで皇女なんだよ!? 姫さんはどこです!?」

 俺がそれを皇女だと判断したのは。

 その干物が見覚えのあるドレスと、旦那が掴んだ痕が残る首をカバーするために俺が急遽用意した装飾品を身に着けていたからだ。

 ミイラというより干物と言ったほうがいいその物体は、魔薬により能力以上の……限界を越えた術式を使った術士の行き着く姿。

「やっぱり、皇女は魔薬を……畜生っ! 甘ちゃんな陛下の言うことなんざ無視して、さっさと殺しちまえば良かったんだ!!」

 赤の竜騎士時代に見たものと同じだった。

 髪は硫黄色に変色し、縮れて頭皮に張り付き。

 肌は魚の燻製のような色に変わり、骨に食い込む。

 半開きの口からは枯れ枝のような舌が垂れ、瞳は干し葡萄のようにしぼんでいた。

これ(・・)は、転移を使ったのだ」

「なっ! じゃあ、姫さんはっ」

 俺は理解した。

 何故、カイユが姫さんは殺されたのだと言ったのか。 

「なんてこった……」

 転移は術式の中で最も高度であり、特殊なものだ。

 リスクも桁外れに高い。

 旦那が『藻』認定したレベルの皇女が姫さんを……人間を転移した場合、それは……。

 肉体が少々いかれちまっても、姫さんには強い再生能力がある。

 だが。

 心臓が潰れていたり、頭が落ちていれば当然死んでいる。

 カイユは……カイユは旦那が手を抜いて転移させた時の俺の状態(・・)を見ている。

 だから殺されたと言ったんだ。

 魔薬を使ったとはいえ、藻レベルの術士に転移させられた姫さんが無事でいるはずがないと……俺は<色持ち>だったうえ、処置が早く適切だったから助かった。

 すぐに溶液を準備できるのは、竜帝の関連施設でもごく一部だ。

 姫さんは目玉の色も変わってしまったし、普通とは言い難い身体にされちまってるみたいだが一応人間で……。

 旦那の手前、口には出せねぇけど絶望的だ。

「……干し肉では、脳も使い物にならぬ」

 皇女だったモノを、旦那は無造作に後方へと放り投げた。

 姫さんの気に入りの池の縁に、それはボロ雑巾のように引っかかった。

 豪華なドレスと宝飾品が、浮き出た骨に引っかかるようにして皇女だったモノを生前以上に飾り立てていた。

「使い物って……それって、転移先が探れなかったってことっすね?」

 俺はカイユを背にかばうようにして、旦那と向き合った。

 旦那に感じた困惑と不安が膨張し、破裂しそうなほど膨れ上がってきた。

 増した困惑と不安は、目を逸らしたいモノへと変化を始めている。

 それは『恐怖』。

 この場から逃げ出す気力も一瞬で喰らい尽くしてしまうほどの……。 

 割れたガラスの壁は鋭利な刃物のように先を尖らせ、外から吹き込む風を切り込む。

 その風に、真珠色に赤を纏わせた髪を舞わせた旦那が。

「…………」

 膝を着いた。

 地に吸い込まれるかのように、両膝を着いた。

「旦那?」

 瞬き一つしない黄金に瞳。

 彫刻されたように、動かない表情。 

「……旦那、どうしたんです?」

 俺の問いに、口は動かず。

 動いたのは、旦那の手。

 左手を色素の薄い唇にあて、旦那は動きを止めた。

「だん……ヴェルヴァイド?」

 

「ヴェル!」


 青い竜が、空から垂直に降り立った。

 温室の天井は見事なまでに消え、澄んだ空が広がっていた。

「うわっ!? 血だらけじゃねぇかっ! おちびはっ!? 皇女はどうし……じじい?」

「…………」

 床に立ち、翼をたたんだ陛下は膝をついたままの旦那を見上げ。

「おちびはどこだよ!? なにがあったんだよ、ヴェルッ!」

 返事をしない旦那に苛立つように、声を荒げて言った。

 真っ青な爪を持つ4本指の手が、旦那へと伸ばされると。

「……我から離れろ<青>。汚れる」

 だんまりだった旦那が、喋った。

 その言葉に、陛下の手が止まる。

「は? 汚れる?」

「間に合わんな……すぐに風呂へ行け。お前は“綺麗”でなくてはならぬのだ」

 黄金の目が。

 小さな青い竜を見ながら。

 ゆっくりと、伏せられた。


「え?」

 

 ゴトンと、鈍い音。

 真っ赤なカーテンが舞うように広がり、旦那と陛下を覆い尽くした。

  

「や……なんだよ、これ」


 血溜まりに落ちたそれに。


「…………ヴェッ……」


 短い足をもつれさせながら、陛下がそれへと歩み寄る。

 

「ヴェルーッ!!!」


 濡れた床に足を滑らせ、転んだ青い竜はそのまま床を這い。

 全身を使って、旦那の頭部を抱き抱えた。

「だ、んな……」

 旦那の頭を必死に抱える陛下の目の前には。

 いくつかに分れてしまった、旦那の身体。

 黒いレカサが血潮を吸い、重厚な艶を手に入れていた。

「……ヴェル、ヴェルッ!? どうして元に戻らないんだよぉ! ヴェルは死にたくても死ねねぇんじゃなかったのかよ!?」

 陛下は旦那の頭を元に戻そうと、床に伏せられた胴に……それがあるべき場所に、ぐいぐいと切断面を押し付けていた。

 俺は指先すら動かすことができず、ただそれを眺めていた。

「くっつけ! さっさとくっつけろって言ってんだよ、このクソじじい! 頼むからくっついてくれよっ……」

 そうだ。

 旦那はいつだって、何があったって『大丈夫』だと。

「なんでくっつかないんだよぉ……なんで心臓止まってんだよ? 死にたくても死ねないんじゃなかったのかよぉおおおおおお!! うわぁああああ! イヤだ、こんなのイヤだよっヴェル! ヴェルー!!」

 青い竜の絶叫が、俺の脳を揺さぶり砕く。

「う……そ、だ」

 俺は、俺達は思っていたんだ。

 <ヴェルヴァイド>は『永遠』なのだと。

 餓鬼の時に握ったその手の冷たさと、大きさを。

 今も、覚えている。

「だ、旦那」

 初めて会った時から、その真珠色の髪も黄金の瞳も変わらなくて。

 変わったのは自分の方で。

 目に見える『永遠』が、あんただったんだ。


 永遠。

 人間達は、それを『神』と呼ぶのだろうか?


 だから。

 陛下も俺も。

 この事態を認識できない、理解できない。 

「ヴェ……ヴェルヴァイド?」

 『大丈夫』じゃない<ヴェルヴァイド>なんて……。


「ぼさっと突っ立ってるなっ、この役立たずっ!」


 衝撃が、俺を襲った。

「ぐごぉっ!?」

 馴染んだ感覚に、揺らいでいた思考が強制的に戻される。

「ハ、ハニー!?」

「ダルフェ! のん気に床にめり込んでないで、さっさと立て!」

 好き好んでこの状態になったわけじゃなく、有無を言わさず強制的にっつーか……。

 俺の背に蹴りをいれたカイユは、次の標的へと容赦無く牙をむく。

「陛下、そのような情け無い顔をなさいますな! お立ちなさい!! つがいを奪われたまぬけな雄の首など、そこら辺に転がしておけばよいのです!」

 仁王立ちしたカイユの怒声に、陛下がびくりと尾を上下に動かした。

「カイッ……っ!」

 口を開いた陛下を睨みで黙らせ、カイユは自分のポケットに手をいれ伝鏡を取り出し……床に叩き付けた。

「ひびが入ってる、これじゃ使えない! ダルフェ、伝鏡!!」

「へ? あ、はい!」

 差し出された手に、俺は自分の伝鏡を出して手渡した。

 思わずひざまずいて伝鏡を差し出した俺を笑う奴は、ここにはいなかった。

 陛下は旦那の頭を抱いたままぺたりと座り込んでしまっているし、第二皇女は干物と成り果てて二度と笑うことなどできないのだから。

「プロンシェン、聞こえる? 特大サイズのゴミ箱を温室に持って来て! ニングブックは溶液を準備! 濃度!? 調整なんて必要無いっ、原液でいい!」

 団長の顔になったカイユが、待機中のプロンシェン達に指示を出す。

 ゴミ箱って……溶液ってことは、それにこの状態の旦那を入れて運ぶ気かよっ!?

「ゴミ箱!? おい、そりゃあんまりなんじゃっ……ごぶうっ!!」

 間髪入れず俺の頬を拳が襲う。

 ああ、これぞいつものハニーだ。

「術式を仕掛けた皇女を斬ろうとした私の腕を折って邪魔したのは、そこの生ゴミ……ヴェルヴァイド様よ!? ゴミ箱で充分よっ!」 

「なっ!? 旦那がカイユを!?」

「ええ、そうよ。……折れただけですんだのだから、手加減してくれたんでしょうけど」

 カイユは折れていた腕を付け根から回し、完全に治ったのを確認すると、俺の腰から剣を抜いた。

 抜き身の剣を手に、横たわる旦那へとカイユはその足を向ける。

「ふふっ……見事なまでに、ばらばらね」

 旦那の身体を水色の瞳で見下ろし、言った。

「私、これを見たのは2回目だわ」

 躊躇い無く旦那の右腕に刀を突き刺して、俺の顔に突き出す。

 切断面が、良く見えるように。

「見て。似ているでしょう?」

 そのカイユを陛下は床に座ったまま見上げていた。

 陛下の大事な『じじい』の一部をぞんざいに扱うカイユを見る目にあるのは怒りではなく、期待。

「ほら、切断面がぐちゃぐちゃで汚いでしょう? あら、覚えてないの?」

 カイユの言葉に、陛下も気づいたんだろう。

 なぜ、旦那が俺と同じように……俺以上にばらばら(・・・・)になっちまったのか。

「あのねぇ、自分じゃそんなの見れないだろう? それに俺が見てたのは……」

 転移は術式の中でも一番リスクが高い。

 探知能力以外並以下の術士じゃ、魔薬を使って転移が使えたって術の精度は低い。

 その分、負荷は数倍のもにになるはずだ。 

 旦那が皇女を討とうしたカイユを止めたのは、中途半端にしたらまずかったからだろう。

 その上で姫さんにいくはずだった負荷を全て、自分に転移させたのか!?

「そうね。あの時、貴方が見てたのは私だけだった」

「その通りさ、ハニー」

 カイユは皇女が姫さんを転移させたので、負荷で死んだと思った。

 だが、旦那の状態と過去の経験から判断したのか……なるほどな。

「カイユ。……竜帝は自分でつけた傷は治りが遅いんだ……身体の再生がうまく働かないっていうか……もしかして、だからヴェルもっ」

「そうです、陛下。ヴェルヴァイド様はトリィ様が受けるべき負荷を、全てご自分に転移なさったのでしょう」

 そう答えながら、カイユは笑った。

 艶やかな唇からのぞくのは、鋭い牙。

 額には空色の鱗が浮かび上がる。

 怒りのために、肉体が竜体へと傾いているのだろう。

「この世界のどこかで、トリィ様は生きている」 

 カイユは旦那の腕が刺さった剣を、床へと捨てた。

 それを合図に、青い竜が立ち上がる。

 血潮を踏みしめ、背筋を伸ばし。

 大事な大事な『じじい』をそっと床に置き。

「カイユ、電鏡の間に四竜帝全員を呼び出せ」

 <青の竜帝>として、<青の竜騎士>に命じた。

「はい、陛下」

 深々と一礼し、嬉々としてカイユは答えた。

 俺はそのカイユの姿に見惚れ、眩暈がした。

 あぁ、カイユ。

 俺のアリーリア。

 君は。

 世界最強の<ヴェルヴァイド>の血溜まり立つ君は、最高に気高く。

 牙を隠さぬその微笑みは、残酷なまでに美しい。


 

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