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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
132/212

第96話

 ダルフェが開けた扉から、勢いよくこちらへと突進し。

「<監視者>様!」

<青>が各国要人との会談に使っているいくつかの部屋のうち、最も色彩豊かな内装のそこで。

 メリルーシェの第二皇女は、その細い腕で我を捕獲した。



「貴方様がわたくしを、こうして出迎えてくださるなんて! あぁ、夢のようですわっ」

 我の胸部に顔を押し付け、皇女は擦るように動かした。

「…………」

 出迎え?

 そのようなつもりは全く無いのだが。

「……嬉しい……わたくし、とても嬉しいっ……」

 皇女が嬉しいかろうと、我には関係が無い。

「あぁ、わたくしの愛しいお方……こうして貴方様に再び触れることができるなど、思ってもいなかった……わたくしは、わたくしはっ」

 途切れた声と、溢れる涙。

 我を抱く腕に、さらに力が加わる。

「貴方様に妻がいようと、他に愛する者がいようとわたくしの想いは変わりませぬっ」

 この皇女は、他の女達と少々違う。

「わたくしは初めて御会いした日より、貴方様を……この世で最も貴方様を愛しているのは、このわたくしですわ……」

 自分の思うままに我に触れ、愛を告げる。

 欲しがらぬ我に、自分の全てを叩きつけてくる。

「<監視者>様……」

 我を見上げる潤んだ瞳より。

 微かに震える艶やかな唇より。

 乳白色の衣装から、せり上がるようにその存在を主張する乳房より。

「………………」

 我が気になったのは。

 高く結い上げた髪を飾る、大粒の真珠で作られた花。

 この真珠のように。

 我のかけらでも髪飾りが作れそうだな。

「…………………………」

 りこの黒髪を、我のかけらが飾る様を想像していたら。

「なににやけてんですかっ! もしや、あんたも陛下同様巨乳好きなんですかっ!?」

 我から皇女を剥がし、<竜騎士>の言動に目を見開く皇女の肩を軽く押し、用意されていた椅子に座らせるとダルフェは言った。

「ハニーに旦那の貞操(?)を死守しろって言われてるんです。俺の目が黒いうちは他の女と乳繰り合うのは許可できませんっ! ま、俺が死んだらジリが見張りますがねぇ……ったく、一応あんただって竜族なんですから、つがいだけにしときなさい!」

「ダルフェよ、お前の目は緑だ。黒くないので、つまりは『許可』しているということか? だが、我はりこの乳以外興味が無いので許可は要らぬぞ?」

「は?」 

 ダルフェの口の端が、ひくひくと動いた。

 それは、カイユによく似ていた。

 夫婦とは。

 似るものなのだな。

  

 

   


 りこに会わせる前に、我がこれと会う必要がある。

 我がりこと共に南棟にてこれを迎えなかったのは、<青>が強く主張し提案した結果であって、我の意思で此処に居たとは言い難い。

「皇女よ」

 <青>は皇女が魔薬(ハイドラッガー)を使ったかどうか、徹底的に調べると言っておったが。

 我に、これの頭を見ろとは言わなかった。 

 頼みもせず、願わず。

 <青>は……ランズゲルグには。

 我を使おう(・・・)という考えが、あれの脳内には全く無いのだ。

「出せ」

 ランズゲルグの頭の中を見ずとも、それが分かる。

 何故、分かるのか。

 何故、我はランズゲルグの提案に従ったのか。

 海綿疑惑のあるランズゲルグの脳の思考回路より、我にはそちらのほうが分からない。

 我としても、不思議ではある。

 が、不快ではないので良いのだ。

「出せ」

「え? あのっ……?」

 立ち上がり、皇女は我へと数歩寄った。

 皇女の座っていた椅子が我の視界に入り、その脚の彫刻が複雑な球根形の細工を施した珍しい物だと気づいた。

「旦那、それじゃ分かりません。せめて『出せ』じゃなく『見せろ』って言えばいいでしょうに。あのね、皇女様。あんたが持ってきた異界の品を見せろって、この人は言ってるんですよ」

 壁に寄りかかるようにして立っていたダルフェが、皇女に歩み寄った。

 毛足の長い緋色の絨毯の上を、黒革の長靴が移動する。

「……ふ~ん、シュノンセルとは違うタイプの美人だねぇ。まぁ、あの女帝とあんたじゃ格が違うけど」

 竜騎士専用のそれは戦闘用に作られたものであり、通常のモノより数倍硬く重い。

 使い様によっては武器にもなる、特殊な品物だ。

 だが、ダルフェが身につけると黒い猫のようにしなやかで軽く見えた。

 蜥蜴蝶を素材にした詰襟の青い制服の腰には、細身の剣。

 それに添えられた手には白い手袋。

「……シュノンセルとは、どなた?」

 皇女はダルフェを見上げ、問うた。

 硬い声だった。

「<赤の大陸>にいた、旦那の女だよ。あんたと違って優秀な(・・・)術士でね、<監視者>に殺されることが出来た(・・・・・・・・・・)んだ」

「そうですか……つまりその方は、自らの意思で異界の生物をこちらへ落とし、処分対象となられたのですわね? 確かに優秀(・・)ですわ」

 我はシュノンセルを<処分>した。

 我がこの手で殺したのに、それはシュノンセルの『自殺』だったのだとブランジェーヌは言っていた。

 息子を足蹴にしながら、シュノンセルは我の情人だったと言っていたな……。

 <赤>も<青>も、情人やら愛人という呼称に何故拘るのだろう。

 あれもこれも、女は女。

 我と交わっただけの女という生き物であり、以下でも以上でも無いのだ。

「俺が見てきた“お手付き”の女達の中じゃ、見た目も中身もシュノンセルがやっぱり一番っすねぇ~。 ったく、なんであんな簡単に殺しちまうかねぇ……あんな良い女、もったいない」

 皇女を見下ろし、口の端をあげて言うダルフェに皇女の眉が微かに動く。

 それ以上変化は無く、それだけだった。 

 傅かれることに慣れた皇女だが、ダルフェの態度や言葉に不満を露にするほど愚かではないようだった。

 メリルーシェの第二皇女であることは、竜騎士にとっては頭を垂れる理由にならぬことを理解しているのだろう。

 皇女は乳白色の衣装の布の間……腰のドレープ部分に右手を差込み、白い絹布に包まれたものを取り出した。

 手の平に収まるほどの大きさのそれを包みから出し、両手に乗せ我に差し出した。

「わたくし、<つがいの君>にこの異界の品をお見せし、もしご希望ならば差し上げたいと考えております」

「ふ~ん、それをうちの(・・・)姫さんにくれるの? 金属製の玩具か?」

 軽い口調とは反対に、緑の瞳には鋭さが増す。

 ダルフェは皇女を観察し、魔薬の痕跡を探っているのだろう。

「さあ? これが何であるか異界の方ならご存知でしょうから、ぜひお聞きしたいと思っていますの」

「異界の物は宝石類なんかより貴重で高価だから、手放さない人間が多いんだけどねぇ。ま、こんなんで<監視者>とこうして会えるんだったら、安いモンか」

 この皇女を、ダルフェはわざと刺激している。

 感情を昂ぶらせ、術式で攻撃されることを望んでいる。

「あんた、分かってたんだろう? お人好しの<青の竜帝>なら、姫さんに会わせる前にあんたと旦那が話す時間を作るって。だからスキッテルの店で旦那じゃなく姫さんに……皇女様の計算通りに進んで、満足だろう?」

 それが最も簡単な魔薬使用者判別方法だからな。

 ダルフェは警戒し、剣から手を離さない。

 我を守る為などではなく、自分の身を守るためだ。

「……<つがいの君>は異界の御方。故郷の品は、多少なりとお心を慰めることができるかと……<監視者>様、貴方様の奥方様とわたくしは良き友人になれると思います。力ある者が后を複数持つ事は当然です。今後は妾妃の一人として、わたくしをお側に置いてくださいませぬか?」

 妾妃?

 妾妃など、我には不要だ。

「…………異界の品か」

 我はこの第二皇女に興味が無い。

 金属で出来たこの異界の品物にも、興味は無い。

 これとりこを会わせることも、異界の品をりこに見せることも反対する気が無い。

「我のりこは」

 我が興味があるのは。

 異界の品を手に取ったりこがどのような表情をし、感情を抱くかということだ。

 以前、<青>が異界の玩具をりこへと持ってきた時。

 我はそれを、この手で壊した。

 りこは、我を責めなかった。

「喜ぶ、だろう」

 我に与えられたのは。

 不注意を罵る言葉ではなく、刃物も通さぬ硬い鱗に覆われた手指を案じるモノだった。

 それは罪悪感では無く、快感を我に与えた。 

 何度でも、味わいたいほどの悦楽。


「り……りこ?」


 だから。


「りこ? ……ひぐぅっ!?」


 我は右手で掴んだ皇女の首を、すぐに放した。

 痕が出来るやも知れぬが折らなかったので、我ながら上出来だ。

「その名は夫である我だけのものだ」

 同じ過ちを犯した豚教主は挽き肉した我だが、この皇女は挽き肉にはしない。 

「二度は無い」

 座り込んだ皇女の前に膝を着き。

 緊張ゆえか、汗ばんだ額に張り付いた前髪に触れた。

 指先が触れると、青ざめた顔が一瞬のうちに変化した。

「<監視者>様、わたくしは……貴方様を……」

 熱いほどに、あたたかい皇女の肌。

 肌を重ねた時は感じなかった、気づかなかった温度……体温。

 我から触れたのは、初めてだからか?

 意思を持って我がこの皇女に触れたのは、これが最初であり最後。

「ダルフェ。これの化粧を直し、髪を整えろ。これの首に装飾品を」

「俺は料理は出来ますが、化粧は無理っす。専門の者を呼んで、すぐに済ませます。ったく、一国の皇女が侍女の一人さえ連れこないなんてね……それと、首ね。装飾品……う~ん、ハニーのを借りるかなぁ」

 この皇女は、我の前に他の女を同行させたことは無い。

「皇女よ」

 皇女の管理するメリルーシェの<竜宮>で我が目にしたのは、男のみだった。

 どの国の<竜宮>も女ばかりだったことを思うと……。

 今まで気にしたことはなかったが。

 皇女が女より男が好きだからか?

 それとも、この皇女は自分以外の女が嫌いなのだろうか?

「我はお前が昨日のように(・・・・・・)、美しい女であることを望む」

 昨日のこれがどうであったかなど、我には記憶が無い。

 居たのは分かっていたが、見てはいないのでな。

「あぁ、貴方様がわたくしを美しいと……<監視者>様っ……」

 昨夜、りこはこれが『綺麗な皇女様』だと言った。

 <青>のもとから南棟に戻ると、りこは寝台にいた。

 夜着に包まれた膝を抱くように座っていた。


 ---おかえりなさい、ハクちゃん。

 ---りこ……風呂から出てしまったのか。

 ---ねぇ、ハクちゃん。メリルーシェの皇女様……綺麗な皇女様だったね。

 ---そうか? 

 ---うん、すごく綺麗な人だった……綺麗過ぎて張り合う気にもなれないから、明日はある意味気楽かなぁ~はははっ……はぁあああ。


 りこはカイユを綺麗だと言い、ランズゲルグも綺麗だと賞賛する。

 カイユもランズゲルグもりこの気に入りだ。

 りこは、綺麗なモノが好きだということ。

 ゆえに、我はりこの好む綺麗なモノを集め、りこの周りをお気に入りで埋め尽くす……この世界をりこにとって好ましい、価値あるものにするために。

 だが、我にはりこの好む綺麗が分からない。

 カイユとランズゲルグだけでなく、我までも綺麗だと言うりこの綺麗が分からない。

「皇女よ」

 我はりこから生まれ育った世界を奪い、家族を捨てさせた。

 我はりこにこれから生きる世界を与え、望む全てを得させたい。

 手に入れたそれらを、手放したくないと望む世界を。


 最高の檻を、貴女に。


「我のために、美しく……綺麗な皇女であれ」

「<監視者>様の……貴方様のために?」

 顔色が悪く、髪の乱れた女では困るのだ。

「そうだ。我を失望させるな」

 温室に咲く花のように、りこの目を愉しませるモノであれ。

「は、はいっ!」

 午前中のシスリアの書き取り試験で合格点まで12点足りなかったことで落ち込むりこの、よい気分転換になれるやもしれぬ。

「貴方様がわたくしを美しいと言ってくださるなんて……あぁ、夢のようです……妾妃になり老いた姿をお見せするよりも、美しいと思ってくださったわたくしを憶えていていただくほうが良い……えぇ、そのほうが、きっと……。ずっとお断りしていましたが、決心がつきました」

 我に向けられた皇女の笑みは。

 今までのものとは、何かが違った。

 それがなにかは、我には分からなかった。

 分かろうとする気力も起こらぬので、考えるのはやめた。

「貴方様の妾妃ではなく、わたくしは隣国に嫁ぐことにします」

 嫁ぐ?

 りこがこれを気に入ったならば、メリルーシェの王に貰おうと思っていたのだが。

 鯰の代わりにしようかと……。

「そうか、嫁ぐのか」

 鯰は老いても見目がたいして変わらぬが。

 これが老いたら……人間の女は、すぐ老いて死ぬ。

「最後に、お願いがございます」

 この皇女をりこの観賞用の愛玩動物としても、短期間しか使えぬし。

 よくよく考えてみれば、“ぬるぬるむちむち”でないこの皇女では、鯰の代わりにはならんしな。

「わたくしの名を、呼んで頂けませんか?」

 立ち上がろうとした我の左腕に、皇女の手が伸びて。

「出来ぬ」

 寸前で、止まった。

「な、何故ですか!? 抱いて欲しいと願ったわけではなく、ただ……ただ一度、わたくしの名を貴方様にっ……」


「我はお前の名を知らぬ」


「………う……う、そで……そんな……わたくしと貴方様は10年もっ……」

 見下ろした皇女の目は、淡い茶色をしていた。

 今日。

 今、それを。

 我は、初めて知った。

「わ、わ、わたくしの名はっ……」

「名のらずともよい」

 鯰の目玉は何色だったのだろう?

 皇女の名は知りたいとは思わぬが、あの鯰の目玉の色が何色かは知りたいとは思う。


「我にはお前自身もその名も、必要の無いモノなのだから」


 ナマリーナよ。

 皇女のことよりお前のことが、我は気になるのだ。



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