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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
129/212

第93話

 自分で言うのもなんだけど。


「俺って、働き者だよなぁ」


 舅殿と別れた後、俺は第二医務室へ向かっていた。

「2日間全く寝ずにお仕事……ま、一週間くらい平気だけどねぇ」

 この青の大陸に来て。

 カイユのつがいになって……青の竜騎士団に入ってから、赤の竜騎士だった頃の3倍は働いてる気がするな。

「<赤>の頭やってた時より忙しい……ま、いいけどねぇ」

 今、俺が歩いているのは青の竜帝の城……西棟二階にある第二医務室へと続く渡り廊下だ。

 石作りではなく硬い木板が敷かれ、それは光沢のある黒い色をしていた。

 黒檀ではないということは俺にも分かるが、この珍しい木材が何かは全く見当がつかなかった。

 左右の壁に等間隔につけられた嵌め殺しの窓は、アーチ型で縦に細長く、床から天井近くまであった。

 そこに映る自分の姿に、ふと足を止めた。

 詰襟の青い騎士服。

 腰には細身の剣。

 赤の大陸に居た時は深紅の騎士服を着て、剣ではなく刀を持っていた。

 髪も、腰に届くほど長かった。

「……父さん。俺、髪を前みたいに伸ばす気はねぇんだ。ごめんな」

 俺の父親は、この赤い髪が大好きだと言ってくれた。

 だから、伸ばしていた。

 父さんが嬉しそうに俺の髪を、背でまとめて一つに……三つ編みにするもんだから、髪を切れなかった。

「……」

 髪に触れると、蘇る。

 幼い日が、脳裏に浮かぶ。

 幼生の頃を思い出す。

「母さん……」

 <色持ち>に生まれた俺を、母親は過保護に扱った。

 小さな俺を長く伸ばした真っ赤な髪で包んで頭部に仕舞い込み、幼生の俺を1日中離さなかった。

 その頃の俺にとって『世界』とは、母親の真紅の髪の中だった。

「……はは、これも遺伝って言うのねぇ?」

 ガラスに映る俺の髪の中から、ここにはいないジリギエの緑の瞳がこちらを見ているような気がした。

「心配するな。大丈夫だよ、ジリギエ」

 大丈夫だと口にしているクセに、心の奥では何かが燻る。

 目の前の窓ガラスを叩き割りたい衝動を奥歯で噛み砕き、俺は医務室へと向かう足を早めた。

 

 


 客人専用の第二医務室で、顔色が冴えないセイフォンの皇太子を拾い……伴って、俺は陛下の執務室へ向かっていた。

「……ダルフェ殿、私は……」

 うわ、陰気臭っ!

 そう思っても、許されるだろう。

 憂いを帯びた端整な顔に胸がキュンッなんてしたら、俺は寿命が来る前にそんな自分に絶望しショック死する。

「あのね、俺に何か言う必要はないでしょう? 俺はあんたの部下でも友でもない、知り合い以下の間柄だ」

 黙って後ろを歩いていたダルド殿下からかけられた言葉に足を止め、振り返ってその陰気臭い顔を見下ろしながら言った。

 竜族である俺の方が、当然ながら背が高い。

 皇太子がちびなんじゃなく、人間としては普通なんだが……この身長差では、どうしても見下ろす形になってしまう。

「俺にはあんたを救うことも、その重荷(・・)から開放することも出来ない」

 俺を瞬きもせず見つめていた青い瞳が、ゆっくりとふせられた。

「……申し訳ない」

 その端整な顔に、影が増す。

 この王子様は、王族のくせに素直な所がなんともむず痒いっつーか……俺としては、ちょっと苦手だな。

「いや、謝る必要もねぇし」

 俺が着たら地味としか言えないだろう落ち着いた色のチュニックも、この坊ちゃんが着ていると地味ということはなく、逆にその生まれ育ちの良さを強く感じさせた。

 この皇太子君は。

 『王子様』としちゃ、なかなかなんだが……将来王となる皇太子としては、どうなんだろうか?

 まぁ、俺には関係ねぇけどね。

「殿下、あんたは()にでも祈ればいいさ。神に祈る……人間はそれが得意(・・)だろう?」

 竜族は神には祈らない。

 祈るのは……。

「だけどね、殿下」

 見下ろす俺の目には。

 握られた拳が見えた。

 甲に骨が浮かぶほど強く握られたそれは、予想に反して震えてはいなかった。

「あんたを救うのは、あんた自身しかいないと俺は思うぜ?」

 震えを許さぬその矜持が、憐れだと思った。


 


 セイフォンの皇太子を陛下の元に連行……じゃなく、御案内した俺は。

「陛下、ダルド殿下をお連れ……げっ!?」

 開けたドアを、閉めたくなった。

 正面の窓から見える庭。

 目に入ってきた庭のそれ(・・)が、出した足を後退させた。

「じゃ、失礼します! 俺はジリを迎えに行こ……」

 背後に居る皇太子君を置き去りにしてとんずらしようとした俺を、青い竜が目ざとく見つけて制止した。

「あ!? てめぇ、こらぁああ! 逃げんなダルフェエエエエ~!!」

 ぱたぱたと青い翼を小刻みに動かして怒鳴った青の竜帝陛下の右手には、白い手袋が握られていた。

「……陛下、それは?」

 陛下は手袋をしない。

 刃物が好きな俺の母と違い、刀を持たないこの竜帝は自分の爪を使う。

 爪を伸ばすたびに手袋を駄目にするなんてこと、金にうるさいこの坊ちゃんはしないからだ。

 大陸トップクラスの金持ちのはずなんだが……竜族のためには湯水のように金を使うクセに、自分のこととなると倹約家で質素を好む。

「……これは、これはだな! 落っこちてたっていうか、落ちてきたっつーかっ」

 言いながら、陛下の視線が一瞬庭へ……ああ、なんか嫌な予感がするんですけど。

「正直に言いなさいな、陛下」

「じじいが……ヴェルがここに落としたんだと思う」

「……そうでしょうねぇ」

 予感じゃなくて、確定だな。




 庭へと続くガラス戸の前に横一列に整列し、俺達はある人物を見ていた。

 緩やかに波打つ真珠色の長い髪が、漆黒の外套の背に流れ落ちていた。

 氷点下の美貌に、黄金の瞳。

「……旦那」

 <ヴェルヴァイド>が、そこに居た。

 ダルド殿下も王宮術士の娘も、車椅子に座る魔女閣下も。

 誰もが無言で、庭に立つ存在に魅入る。

 それは人外の美しさに引き寄せられるなんて生ぬるいモノじゃなく、誰もが魂の奥の奥に隠し持っている闇が咽喉から這い上がって、白き麗人へと這いずっていくような……。

「あんた方、いったい何をしたんすか?」

「っ!?」

 俺の問いに反応したのは、灰色の外套をまとった少女だった。

 ふ~ん、なるほどねぇ。

 そっか、この子か。

「ダルフェ、じじいは……大丈夫だと思うか?」

 はっきり言って、俺はこの場に居たくないし見たくない。

 だが、俺の袖を握る小さな青い手を振り払うことも出来ない。

 それは、この小さな竜が青の竜帝だからではなく。

 俺個人として。

 この人を気に入ってるからだろう。

「大丈夫っすよ。……多分、ね。姫さんが一緒のようですからねぇ……まぁ、ここでセイフォンご一行様皆殺しってこたぁないですよ」  

 ここからは姫さんの姿が見えない。

 旦那が外套の中に……こちらの視線から意識して隠しているとしか思えなかった。

 一瞬で転移して南棟に戻れる旦那があそこに居る、留まっている理由……それを想像すると、ぞっとした。

「あの御方は……まさか……陛下、あの御方は……」

「はぁっ……」

 呟きのような問いに返されたのは、青い竜の溜め息と悪態。

「なんのために俺がセイフォンで記憶を……ったく、自己中俺様クソじじいめっ! ぐわぁああ~、むかつくぅうううう!!」

 尾を激しく上下に動かし、小さな手で自分の頭をがつんがつんと連打するかなり情けない状態の青の竜帝の姿に目を向けることなく、皇太子の眼は庭の一点から動かない。

「あれは……黒い髪の女性は、トリィ殿……あのように触れているということは……あれが<監視者>の人型?」

  セイフォンの皇太子が言葉を詰まらせ、何かに押されたかのように後ろへと背がそり、足が数歩下がる。

 それは。

 黄金の眼が、こちらを流し見たからだ。

「…………うわっ!? 旦那、怖ぇ~」

 旦那はすぐにその視線を戻し。

 身をかがめ、囲い込むように抱いていた腕をずらし……黒い髪を指先で梳いた。

 ほんの少し、姫さんの顔が露になる。

 そして。

 顔を寄せ、唇を重ねた。

 それはすぐに、離れたここからでも分るほど深いものへと……。

 人間である皇太子達より視力のいい俺と陛下には、皇太子達以上に見えちゃってるわけで。

「あ~あ、なんでここでそうきますかねぇ」

 元から青い陛下が青ざめてるかどうかなんて、はっきり言って分からない。

 まあ、どっちかっていうと、陛下は赤くなってんじゃないのかねぇ。

 他の連中は……見る間でもない。

 旦那。

 確信犯っすね。

 あんたは、ちゃんと分かってる。

 自分の人型がここにいるセイフォンの人間達に、こいつらそれぞれに与えるその意味を。

 この3人は、考えるだろう。

 <監視者>がわざわざ人型で現れた意味と、理由を。

 答えには辿りつけないのに、考える。

「まるで……<白金の悪魔>……あの方は……」 

 <監視者>に生きろ(・・・)と言われた皇太子。

 この男は逃げ道を塞がれ、唯一楽になる術を奪われた。

 舅殿が……セレスティスがその筋(・・・)に<監視者>の意思をうまく流すことで、この皇太子を暗殺する者もじきにいなくなるだろう。

 もう誰も、この皇太子を殺さない……殺せない。

 こいつは生かされる(・・・・・)のだから。

 王宮術士の少女は姫さんに『いつか手紙が送れる』という希望を与え、あの子の持つ家族への罪悪感を……罪の意識を軽減させるため、存在そのものを旦那に利用されている。

 誰も口にはしないが、誰もが異界に手紙を送るなんて『無理』だと感じているし、本人も本心では必ず出来るなんて、おめでたい考えは無いはずだ。

 そして、記録と記憶を持つ魔女であるこの女は……。

 魔女閣下は車椅子を器用に操り、皇太子の傍へと寄って硬く握られた右手へと触れた。

「ダルド殿下、セイフォンへ帰りましょう。ここで私達がすべき事は、出来ることはもう何も無いのです」

「セシー……」

 ふ~ん、この魔女は俺が考えてた以上に賢い女だねぇ。

 でもねぇ、残念。

 あんたは今までの魔女達から継いだの記憶のせいで、その賢さがいろいろ邪魔をしているんだよ。

 閣下は考えすぎだ。

 この旦那の行動は、単純明快。

 あれは簡単に言えば、ちょっとした嫌がらせみたいなもんだ。

 だが、こいつらにはそれが分からない。

 ……まぁ、姫さんの様子次第で方針をころっと変えて、この連中を消しちまうつもりだったんだろうが。

「なるほどねぇ。まぁ、仕方ないっつーか……」

 舅殿の言うように、旦那がこの皇太子を嫌う理由は嫉妬心だ。

 姫さんが皇太子に恋愛感情を持つことはない。

 でも、姫さんの頭の中からこの皇太子の存在が消えることは無い。

 姫さんが内に隠し、押し殺した皇太子への……他の男への強い感情。

 だから、旦那は言った。


 ---我がこの世で最も嫌いなモノは、お前だ


 嫌い、か。

 そりゃそうだ。

 

 ---万が一にでも、奇跡が起きて孕んだならば


 あの人は。

 黒の爺さんにはっきり言った。

 

 ---我のりこに入り込んだ異物(・・)を引きずり出し、この手で引き裂いてやろう


 自分の子さえ、異物と言い切った旦那だ。

 つがいに対しての独占欲と執着心はどこまでも深く……暗く、激しい。 

「……閣下の仰る通りっすよ、殿下。陛下、籠の準備は終わってます。いつでも出れます。一応、護衛としてヒンデリンをセイフォンまで同行させます。あいつでいいですか?」

 俺の言葉に陛下はうなずき、青い翼を動かして皇太子へと寄った。

「適任だ。さすが、手際が良いな。ダルド、お前達はもう発った方がいい」

 青い爪を持つ手を、皇太子の両頬に添えて言った。

「ダルド、俺様はお前を助けて(・・・)やれない……すまない」

 皇太子の額に、こつんと自分の額を合わせて。

 陛下は言った。

「元気でな」

「義父上……青の竜帝陛下」

 誕生日にハニーを使者に使うほど、陛下はこの人間を可愛がっていた。

 特別扱いしていた。

「さよなら、ダルド」

 陛下は額を離し、とがった口先をそこへ軽く触れさせた。   

 この皇太子が幼い時、陛下は数年間手元に置いた。

 何故、セイフォンの皇太子を<青の竜帝>が……気にならないわけじゃないが、自分から訊く気にもなれない。

 訊いて、知って、何が変わる?

「俺が発着所までご案内しますよ、ダルド殿下」

 今、この皇太子を映す陛下の青い瞳を見たら。

 知りたくないとすら、思ってしまった。

「……ダルフェ」

「ん? なんすか、陛下」

「……いろいろ、ありがとう」

 そう言われて、思わず。

「いえ。俺は陛下が好きですから、いいんですよ」

 素直に答えてしまった俺に。

「え? 好きって……その、え~っと、すまんっ!」

「? すまんって、なにを……」

「俺様、じじいと同じく雄とは交尾無理だ! すまんっ、ダルフェ!!」

「はっ!?」

 陛下は短い腕を自分の胸部にぴたっとくっつけ、翼で身体を包むようにして俺から距離をとった。

 同時に一斉に俺を見たセイフォンの連中の視線が、なんとも痛い。

 皇太子の驚愕。

 王宮術士の困惑。

 魔女閣下の好奇。

 それぞれの視線が、俺に突き刺さった。

「…………」

 痛いというか。

 なんか、この種類の痛みもこれはこれで悪くないと思ってしまった俺は。

 変態なんかじゃなく、前向きだってことにしておこう!

  

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