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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
128/212

第92話

「ま、おちびのことは置いといて。おい、セシー。これの……車椅子の代金は、どこに請求したらいいんだ? それは黒の大陸で青の大陸(こっち)輸出用に作った試作品で、まだすっげぇ高いんだ。あっちで普及してるのは機械化が進んでて、そのままじゃ規制にひっかかって輸入できな……え~っと、<黒>からの納入証明書がここら辺に……」

 竜帝さんは翼をぱたぱたと動かし、本や書類が積み重なった机の上に移動した。

 そこを漁るようにがさがさと書類の山を崩し、一枚の紙を取り出した。

「ほら、見てみろ。<黒>の爺さんの直筆サインだ。性格の悪さが滲み出てるだろ!?」

 くすんだ朱色をした本の上にちょこんと座って、車椅子に座ったセシーさんに向かってひらひらとそれを振った。

「ふふっ、相変わらず達筆ですわね。そんなに高価な物でしたの、これ。そうですわねぇ……請求書は成り上がりの盗賊国家、ホークエのガスティエン坊ちゃん宛てでお願いします。この足のお礼もしたいので、私が自分で届けますわ」

 ふっくらした唇に指先を添えて言うセシーさんに、竜帝さんは尾をゆらゆらと左右に揺らしながら言った。

「ガスティエン王子にお前が届ける、か……ほどほどで頼む。入金を確認する前に死なれると困るからな」

「殺しはしません。個人的にお仕置きをしてさしあげるだけですわ。……トリィ様」

「は、はいっ」

 2人の少々バイオレンスな会話にどきどきしていた私に、セシーさんが言った。

「ミー・メイの……あの子の話を、聞いてやっていただけますか?」

「はい、もちろんです。竜帝さん、ミー・メイちゃんとはお庭で話しをしてもいいですか? 今日は日差しが暖かくて、気持ちがいいから」

 ミー・メイちゃんは私と2人きりで話をしたいようだった。

 ここではちょっと……竜帝さんとセシーさんに席を外してくださいなんて、言い難いし。

「ん~……別にいいけどよ。ここから見える範囲にしてくれ。おちびなんかあったら、俺様がじじいにぼこられちまうんだからな……ま、慣れてるけどよ」

 竜帝さんは四本の指を器用に使い、喋りながら手に持っていた紙を折り始めた。

 あっという間に、紙飛行機が出来上がった。

 それって、大事な納入証明書なんじゃ……。

「セシー。おちびと会ってる時はミー・メイには一切の術式の使用を禁止する。もしそれを破ったら、俺様があいつを処罰する。あのミー・メイが、おちびに何かするはずはないけどな……もし、おちびに何かあったら、セイフォンはとんでもない災厄に見舞われることになる。俺様……四竜帝といえど<監視者>が報復行動に出たら、止められない」

 <青の竜帝>として言う声は抑揚がなく平坦で、もしそうなった場合の事態の深刻さを強く感じさせた。

 でも、続いたセシーさんの声はどこか楽しげだった。

「あら? 陛下のお考えは少々甘いのでは? ふふふっ……私はセイフォンそのものが地上から消えると思いますわ。それにあの方がなさるなら災厄ではなく、『天災』が正しいのではなくて?」

「天災、か。そうだな……そうかもしれないな」

 紙飛行機を左手に持った青い小竜は、セシーさんの言葉に目を細めた。

 それは満足気でもあり……悲しそうでもあった。

 どちらなのか、私には分からなかった。

 もしかしたら、その両方なのかもしれない。

「天災は誰にも防げず、止められない。我々はただそれが過ぎ行くのを地に伏して願うだけ……。さぁ、トリィ様。先に庭でお散歩でもして待っていらして。すぐにミー・メイを追わせますわ」

「はい。ありがとうございます」

 天災。

 その言葉にハクの……この世界での<ヴェルヴァイド>の存在の重みを、あらためて知った気がした。

  

 ---四竜帝といえど<監視者>が報復行動に出たら、止められない


 竜帝さんは、そう言った。

 報復行動。

 つまり、私の……私のせい。

 言外に。

 竜帝さんは私に、釘をさしたんだと思う。

 軽はずみに、不用意に。

 ハクに助けを求めるな、と。 

「……じゃあ、私はあのガゼボの近くでミー・メイちゃんを待ってますね」

 1年中綺麗な緑色のままの芝生に覆われた庭に建てられている、白いガゼボを指差した。

 八角形の屋根を持つ可愛らしいガゼボには備え付けのベンチがあり、お話しするには良い場所だと思った。

 あそこなら、ここからでもよく見える。

「トリィ様、先程の話なのですが……私は過去の記憶を持っていたに過ぎないのです。記憶を持っていた分、あの方には良い印象など皆無でしたわ」

「セシーさん……」

 車椅子を上手に操り、セシーさんは竜帝さんへと寄って行き……。

「私はこの青の陛下のように、たおやかな美しい男が好きなんです。ヴェルヴァイド様にはまったく欲情出来ません。うふふっ……ねぇ陛下、私はいつでも大歓迎ですわよ?」

 言いながら、青い竜の右手をぐいっと掴んで自分へと引き寄せた。

「あ? 乳がでかくても、俺様もじじいと同じくお前は無理だっ。うわっ! 乳で窒息させる気か!?」

 セシーさんは両腕で囲うようにして、竜帝さんを豊かな胸の谷間に押し付けるようにして抱きしめていた。

「ち、ち……乳!?」

 ああ、久々に聞きましたその単語!

「こら、おちび! なんだよ、その目はっ!?」

 竜帝さんがお口をぱかっと開けて、乳という単語に過敏に反応してしまった私を見た。

「だ、だって! 女神様な竜帝さんが乳なんて……でかい乳なんて言うからですっ!」

 でかくない乳の持ち主である私は、力を込めて言い返した。

「は? 女神? おい、俺様だって雄なんだぞ! でかい乳が好きで何が悪い!? 身体の好みに女顔だってのは、関係ないだろうがっ!」

「かかかっ、身体の好み~っ!?」

 竜帝さん、もしや巨乳が好きなのですか!?

 そ、そんな……あの美しい女神様が巨乳をどうにかしてる姿なんて、想像できないっ!

 女神様な竜帝さんに胸がある姿のほうが、すんなり想像できます!

「ったく、まな板セシーがこうなるなんて。女ってすげーなぁ」

 竜帝さんは柔らかな膨らみに顎を乗せ、青い爪で自分のこめかみをぐりぐりしながら言った。

「陛下。6歳の時と比べないでください……」

 セシーさんは竜帝さんから片手を離し、車椅子の横に付けられている小さな革鞄を開けた。

 そこから何かを取り出し、私へと差し出した。

「これ、ヴェルヴァイド様の忘れ物ですわ。トリィ様からヴェルヴァイド様にお渡しくださいませ」

 それは。

 薄いピンク色の可愛らしい封筒だった。

「ハクの忘れ物? ありがとうございます……」

 受け取った封筒には、宛名は記入されていない。

 封もされてなかった。

「トリィ様、私の質問にも答えていただけます?」

 ハクちゃんの忘れ物だという封筒を見ていた私に、セシーさんが言った。

 少しだけ、硬い声だった。

「セシーさん?」


「貴女は、幸せですか?」


 問いは、簡潔。

 でも、深い。

「<魔女>として私が持つ記憶では、あの方に関わった女性達は……伴侶(つがい)になったからといって、幸せになれる保証は無く……むしろ……。私はこの先の、トリィ様の事が……」

 続いた言葉は、私を案じるものだった。

 彼女らしくなく口ごもる様子から、魔女の記憶がセシーさんに告げる過去があまり良いものではないのだと想像できた。

 先代魔女のことだけでなく、魔女以外にもハクと関わった人達がいて。

 その人達は……。

「セシーさん」

 意識せず、自然と。

「私、幸せです」

 笑顔で、言えた。

 あの人のことを想いながら、『幸せ』という言葉を口にしたら。

 心の中に、愛しい気持ちが満ち溢れてくる。 

「ハクが……あの人が私の幸せだと思っています」

 私が笑えるのは、ハクが居てくれるから。

 ハクの居る世界に、生きているから。

 もし、元の世界に帰ったら。

 あの人の居ない世界では、私はもう……きっと、笑えない。 

「そうですか。……今の貴女には、その金の瞳がよくお似合いですわ」

「ありがとうございます、セシーさん」

 ハクと同じこの目を。

 ハクがくれたこの色を。

 似合うって言ってもらえて、本当に嬉しかった。

 彼との結婚を、セシーさんなりに祝福してくれたことがその言葉から伝わってきた。

「おい、おちび。ここから行け」

 セシーさんの胸から脱出した竜帝さんが、テラスへのガラス戸を開けてくれた。

 締め切っていた室内に、温度の違う空気がふわりと流れ込んでくる。

「はい。竜帝さん、ありがとう」

 私はそこから庭へと降り、白いガゼボへと歩いた。

 数歩歩いて振り返ると、ソファーの背もたれにちょこんと座ってこちらを見ている青い瞳と視線が合った。

 小さく頷く彼に、私も同じ動作を返した。

 慣れないドレスの裾を踏まないように注意して歩きながら、空を見上げた。

 見上げた空には、今ではすっかり見慣れた飛行物体。

 青みがかった銀色の竜が、お城の上空を旋回するように飛んでいた。

 大きな翼に長い尾……陽に輝く鱗。

 その美しさに見蕩れていると、その銀色の竜はどんどん高度を上げていき、白い雲の向こうへ消えた。





「トリィ様」

 後ろからかけられた声に振り向くと。

 こわばった表情を浮かべる紫の瞳の美少女がいた。

「ミー・メイちゃん」

 彼女の衣装は温室で会った時と同じだった。

 てるてる坊主のような、地味な灰色の長衣。

 セイフォンの王宮術士である彼女の正装。

「ミー・メイちゃん。2人で話したいってことは、ハ……<監視者>に聞かれたくない話なんでしょう? そこのガゼボにベンチがあるから、座って……ミー・メイちゃん?」

 私はミー・メイちゃんをガゼボへと誘ったけれど、彼女は首を左右に動かした。

「私が竜帝陛下より与えられた時間は、そう長くはありません。申し訳ございませんが、このままで……トリィ様、私はトリィ様にお聞きしたいことがありました」

 ミー・メイちゃんは胸の上で左手で右手を握り、目を閉じてから大きく息を吸い込んだ。

 ぐっと何かを飲み込むように咽喉を鳴らし、ゆっくりと目を開けて視線を私へと向けた。

 その瞳には、強さがあった。

「トリィ様は本心では、<監視者>から逃れたいとお思いなのではありませんか?」

 思ってもみなかった言葉に、私は驚きと戸惑いを感じて紫の瞳を見返した。

 私の表情から嘘と真実を見極めようとしている必死さが、瞬きすら惜しげに私を見つめる彼女から伝わってくる。

「思わない、逃れたいなんて……あの人と結婚したって、私は温室で言ったでしょう?」

 そう答えた私を見るミー・メイちゃんの顔付が変化した。

 悲しげな……哀れみさえ含んだその眼差し。

「トリィ様が感じられている感情は、異界から落とされた恐怖心や孤独感による……保身のために生まれたまやかしの愛情のように、私には感じられます。でなければ、あのような恐ろしい者の妻になど……」

「……保身のための、まやかしの愛情? そんなこと、そんな……」

 彼女の言葉は私の心臓を内側から掴み上げ、きりきりと締め上げた。

 この痛みは、ハクへの想いを否定されたからなのか、それとも……。

 言葉に詰まった私にかまわず、ミー・メイちゃんは語気を強めて続けた。

「セイフォンからトリィ様が去られた後、私は<監視者>に関する文献を読み漁りました。研究者にも直接会い、話を聞き……<監視者>は時代によっては魔物の王や邪神といった禍々しく、悪しき存在であり、<ヴェルヴァイド>という通り名を持つ恐ろしい存在であることを知りました」

 魔物の王……邪神?

 ハクちゃんが!?

 ハクちゃんは、ハクは。

 あの人はパスタをフォークでうまく巻けなくて、しょんぼりしちゃうような人なのよ? 

 ご機嫌だと長いしっぽがゆらゆら揺れるのよ?

 素直でまっすぐな、とっても可愛い人。

 確かに、怖い面もあるけれど……。

 ねぇ、ミー・メイちゃん。

 この世界の人達は、知らなかったの?

 あの人が寂しがりやで泣き虫で。

 真冬のお日様のようにやわらかく、微笑むことが出来るんだって。  

「あのような得体の知れぬ、危険な者の伴侶になることを自ら望まれるなど……正気とは思えません。選択肢の無いこのような状況下では、偽りの心を本心だと思い込んでしまうのも……心を病まれるのも無理のないことです。辛い、認めたく現実から目を背けるようになって……微笑みながら、内側から壊れてしいく。祖母がそうでした……だから私に分かるんです」

 ミー・メイちゃんは喋りながら、満足気に何度もうなずいた。 

「ご安心ください、私が貴女をそこから救い出します。四竜帝すら敵わぬという<監視者>から逃れるには、異界にお帰りになれば良いのです」

「ミー・メイちゃん、あなたは何を言って……か、帰るっ!?」

 帰る?

 帰る!?

 元の世界に。

 ハクの居ない世界に、帰る?

「<監視者>は近いうちに黒の大陸に移るのだと、青の陛下にお聞きしました。これは好機です……大丈夫、秘密裏に進めます。ダルド殿下もきっと協力してくださいますから。手紙を送る術式の研究をしつつ、術の精度を高めてトリィ様を異界へ御帰しできるように……あぁ、そうよ! そうなのよ! トリィ様を居るべき世界に戻すことは、貴女だけでなくこの世界の為にも必要な事なんだわ!」

 ミー・メイちゃんの瞳は爛々と輝き。

 紫の瞳には情熱を越える狂喜の色。 

「……や……やめてっ!」

 ハクの居ない世界なんて!

 いや!

 そんなの、嫌!!

「好きなの!あの人が好きなの! この気持ちはまがいものなんかじゃ、嘘なんかじゃないっ!」

 この気持ちは、偽物なんかじゃない!

「彼が魔物の王や邪神だとしても! あの人がっ、ハクが好きなの!!」

 ハクの過去を知っても。

 この想いは強くなるばかりで。

 強く、強く……どこまでも堕ちていく。 

「<監視者>を、ヴェルヴァイドをっ」

 先代魔女の狂気の中に。

 未来の自分を重ねてしまうほど。

「あの人を、ハクを愛しているのっ! だから……だから、お願い!」

「トリィ様!?」

 私はミー・メイちゃんに頭を下げた。

 彼女が焦ったように何かを早口で言っていたけれど、かまわずに。

 身体を折り、深く深く……。

「お願いっ、お願いします! あの人の側にいさせてっ!」

 私がこの世界にいることは。

 間違ってるのかもしれない。


 ーーー居るべき世界に戻すことは、貴女だけでなくこの世界の為にも必要な事


 私。

 知っているし、ちゃんと分かってる。

 こんな私じゃハクにつり合わないって、自分が一番知っている。

 人間で、しかも異界人の私なんかがハクのつがいになったことは、この世界の人達にとって歓迎できないことだと分ってる。


 この世界に居るはずのなかった私。

 この世界に居るべきじゃない私。


「お願い……」


 芝生に膝を付いて、深く頭を下げた。

 胸にピンク色の封筒を抱きしめて。


「……お願いします」


 額に、見た目より硬い芝の感触。

 鼻に押し込まれるような、強い草の匂い。


「私を、あの人の傍に……」


 この世界に存在することを許して。

 ハクの『世界』に、いさせてください。


「この世界に、いさせて下さい」


 ミー・メイちゃんだけでなく、この世界の全ての人に。

 この世界に、許しを求めて。

 地に伏せて、この世界に請い願う。


 今の私には。

 こうすることしか出来なかった。






 ミー・メイちゃんには一人で竜帝さんの執務室に戻ってもらった。

 私の腕を掴み、引き上げるようにして立たせたミー・メイちゃんの顔は真っ赤だった。

 真っ赤な顔で、ぽろぽろ泣いていた。

 もう二度と言わないと。

 私を異界に帰す術式など研究しない、家族への手紙を向こうに送る術式だけを研究すると約束してくれた。

 彼女が竜帝さんの居る部屋に戻り、開けられていたガラス戸が閉められたのを確認したら全身から力が抜けて、その場にぺたりと座ってしまった。

 なぜ、ミー・メイちゃんは泣いたんだろう?

 なんで、あんなに泣いてたんだろう?


「…………ぁ」


 私が泣かせた?

 私のせい?

 私が悪い……私は、私は……私は『悪い存在』?

 私は、私は、私は……。


「……ハク」


 頭の中は、ふわふわしてるのに。

 心臓の裏側がちくちく痛む。


「……来て、ハク」


 ハクを呼んだ。

 呼べば、貴方は来てくれるから。

 あの時みたいに、すぐに来てくれるから。



「りこ」



 声。

 それは深くて重くて、身体の奥の奥まで染み入るような……。

 陽が、暗くなった。

 日がかげったんじゃなくて。

「話は済んだようだな」

 ハクが立っていた。

 ハクが居る。

 居てくれる。

 それだけで、ぼやけていた私の意識がはっきりとしたものへ戻る。

「ハ……ク」

 見上げる私と。

 見下ろす貴方。

「……なぜ地に座っているのだ?」

 ちょっと首をかしげるその姿は、冷たい美貌とのギャップがあって微笑ましい。

「あ……え? あ、ううん! な、なんでもないの、その、ちょっと……そう、芝生の座り心地を確認してたのよ! 今度ここで、皆でピクニックしようかな~なんてっ」

「……」

 黄金の瞳が芝生を数秒間じ~っと見て、ゆっくりと瞬きを3回。

 我ながらなんて下手くそな誤魔化しかと思ったけれど、ハクはそれ以上何も言わなかった。

 ドレスを掃いながら立ち上がる私の様子を、無言で眺めていた。

「お迎えに来てくれてありがとう、ハクちゃん」

 ハクは白いレカサの上に、頬まである立襟の外套を羽織っていた。

 丈は彼の踝まで隠すほど長く、装飾の一切無い漆黒のそれを真珠色の長い髪が柔らかな曲線を描きながら流れていた。

「ハクちゃん、ハク。貴方に会いたかった……」

 ハクちゃんの胴に両手を回し、ぎゅっと力を込めた。

 贅肉なんかとは無縁の体は、服の上からでも分かるほど硬い。

 その硬さが、心地よかった。

「りこ?」

「……私、ちょっとだけ寒いの」 

 嘘。

 身体は寒くなんかない。

 心が、冷えたの。

「……りこ」

 こうすると。

 とっても、安心できる。

「前にも言ったと思うのだが」

 ハクちゃんを抱っこするのが、私は好き。

「我の体温では、暖はとれぬのだ」

 小さな竜のハクも、見上げるほど長身の人型のハクも。

 この私の腕の中に閉じ込めて、貴方を独占したい。

「私も前に言ったよ? 貴方に触れてると、私……身体も心もあたたかくなれるの」

 こうしていれば。

 誰も私達を引き離せないから。

「私にとってハクちゃんは、存在自体がお日様みたいに暖かいの。こうしてるとね、心がほんわかしてきて……」

 誰も。

 私から貴方を奪えないように。

「我がりこのお日様……太陽?」

 私を見下ろしていた金の瞳が、空を見上げた。

「我がりことこうしていると、内に感じるこの感覚がりこの言う‘ほんわか’なのか?」

 切れ長の目を眩しそうに細めて、ハクは言った。

「うん。そう、それが‘ほんわか’なの」

 こうして触れ合ってると、離れていた数十分が何時間……何年もの長い間だったような気がしてくる。

 離れてた時間を埋めるように、ハクの白いレカサに頬を押し付けた。

 香ってくるは、嗅ぎ慣れたハクの匂い。

「2人でいれば、いつも……ずっと。ほんわか、だね」

 貴方が、私の幸せ。

 ねぇ、ハクちゃん。

 私は貴方の幸せになれているのかな?

「そうだな。ほんわか、なのだ」

 そっと私の髪を撫でるその手の感触に……違和感。

 目で確認すると、彼の手には白い手袋。

「……ハクちゃんが手袋なんて、珍しいね」

「ああ、これか。必要になるかと思ったのだが」

 必要?

 今日は手袋するほど寒くないけど……なんで手袋したんだろう?

「りこも我もほんわか中であるので、今日はやめておく(・・・・・)。ふむ、りこに触れるのに、これは邪魔だ。要らぬ」

 ハクちゃんは色素の薄い唇に指先を添え、中指の先を前歯で噛んで手袋を取った。

 まずは左手、そして同じようにして右手も外して。

「あぁ~っ!?」

 横を向いて……竜帝さんの執務室の方に顔を向けて、口から手袋を離した。

「…こらっ、ぽいぽいしないの! ……え?」

 地面へと落ちたはずの手袋を、私は見失ってしまった。

 私の落下予測地点には、ハクちゃんが口から落とした白い手袋が無い。

 ……わざわざ、転移させたの?

 私がいつも、ぽいぽいしちゃいけませんって言ってたからかな?

「りこに、なのだ」

「え?」

 真珠色の爪に飾られた左手の人差し指が、私の手にあるピンクの封筒をつついた。

「それ、だ」

「ハクちゃんの忘れ物だって、セシーさんがセイフォンから持ってきてくれたこれ……私へのお手紙だったの? わぁ、嬉しい……」

 両手で封筒を持ち直し、私への手紙だったことに感動していると。


「恋文だ」


 腕組みをして仁王立ちしている無意味に偉そうな態度のハクちゃんが、そう言った。

「こっ?」

 こ、恋文~っ!?

 恋文って、ラブレター!?

 生まれてこのかた、そんな甘酸っぱいモノ貰ったことも書いたこともないんですけどっ!

「あ、あ……ありがとう! 今ここで読んでもいい!?」

「良いぞ」

 セイフォンで、ハクちゃんはずっと竜体だった。

 小さな手で四本の指でペンを握って、一生懸命に文字を練習していた姿が浮かんでくる。

「…………あ」

 封のしていないピンクの小花模様の可愛らしい長方形の封筒の中には、同じ柄の便箋が1枚。

 そこには同じ言葉が、繰り返し書かれていた。

 隙間無く。

 縦横無尽に。

 文字が紙面を埋め尽くしていた。



 『好きだ』



 その言葉だけ。

 

「……ハクちゃ……ん、これ……」


 たくさん。

 たくさん、たくさん。


 ひしめき合い、重なり。

 溢れんばかりに、同じ言葉が。


 好きだ。

 それだけで。

 それだけが。

 ここに書かれた、全て。


「我はりこが好きだ。だから、好きだと書いたのだ」


 ああ、私。

 なんて幸せな女なんだろう。


「我はりこが大好きなので、この紙に書けるだけ書き込んだのだ」

「嬉しい、とっても嬉しい……ありがとう、ハク」

 手紙を胸に抱いてお礼を言う私の腰をハクの左腕が引き寄せ、2人の距離がまたゼロになった。

 見上げる私の頬を、大きな手が包み込む。

 ハクちゃんの右手の親指が私の唇を右から左へ、そっとなぞるように動いた。

「……冷たいな」

「そう? 外に居たからかな?」

 溢れそうになる涙は、ハクちゃんの恋文を胸に強く抱くことで抑えた。

 ハクは私の笑っている顔が好きだと、言ってくれたんだから。

 この気持ちに相応しいのは泣き顔じゃなく、笑顔。

「ふむ。こうすれば良いか」

 言いながら。

「え……んっ!?」

 私の唇に、舌を丁寧に這わせ始めた。

「ん、ちょっ、ハ……クちゃっ」

 唇の上をゆっくりと、滑るように動く熱く濡れた感触に。

 顔が火照り、指先までもがじんじんと……熱を持ち、疼く。


「肉は冷たい我だが」


 自分の持つ熱を。

 全て、残さず私に与えるように。

 あたたかさが染み込むように、丹念に。


「我の妻が言うには」 


 なぞるように。

 包み込むように。


「我も舌は温かいようだからな」


 離れることなく与えられる、舌の熱さに酔う。


「……ハク」

 

 ねぇ、ハクちゃん。 

 私が。

 もしも、貴方にこの世界を捨てて私の世界に来てって言ったら。

 貴方はきっと、躊躇い無くこの手を取ってくれるんでしょう?

 だから、言わない。

 だから、言えない。 

 

「……明日、スキッテルさんのお店に行ってもいい?」


 ハクのかけらで、スキッテルさんにアクセサリーを作ってもらっていた。

 出来上がったと連絡が入ったと、ここへ来る道中にカイユさんが教えてくれた。


「りことならば。何処へでも」


 差し出した手を、貴方はすぐに握り返してくれる。


「我は、行く」


 貴方の黄金の瞳は。

 私にとって。

 太陽以上に、眩しい。


「ありがとう、ハク」

    

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