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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
127/212

第91話

「あの方を、愛していたのです」



 ハクの。

 ヴェルヴァイドの過去を。

 彼のいないここで聞く、私は卑怯?

 だって。

 知りたい。

 どうしようもなく、あの人を愛してるから。 



「先代魔女はサーテメルンという小さな国の巫女でした。彼女は受け継いだ魔女の記憶を知識として最大限に利用し、巫女王……統治者となりました」

 車椅子に座るセシーさんの視線を感じていたけれど。

 私は顔をあげることが出来なかった。

 彼女の綺麗な紅茶色の瞳を、しっかりと見ることが出来なかった。

「……その人が」

 なぜ出来ないのか。

 分かってるだけに……そんな自分が嫌だった。

 これは。

 焼きもちなんて、可愛い感情じゃない。

 もっと深くて暗い、底の見えない独占欲。

 顔も上げられない弱虫のクセに。

 それでも聞いてしまう私は、ずるい。

「恋人、やっぱりいたんですね……。うん、それが普通ですよね」

 言ってから、後悔した。

 ハクの恋人。

 頭の中に浮かんだそれが音となって、自分の耳に入り込んだから。

 ハクの……ヴェルヴァイドの恋人。

 それは聞きたくない、言葉。

 でも、知りたい言葉。

 『恋人』という言葉は『夫』という言葉よりなぜか。

 身体の奥に、甘い響きを持つのだと知った。

「セシー。誤解されるような言い方はよせ。あのな、おちび。ヴェルには世間で言うような『恋人』なんかいたことねぇよ。そもそもあの腐れじじいの頭の中には、恋人とっていう枠が無かったっつーか……肉体かんけ……じゃなくって、え~っと、つまりだなっその、あの、あああああい……愛人? いや、そうじゃなくて、いわゆるヒモ? ヒモ、うん、じじいはヒモだっ!」

 竜帝さんは青い目を天井に向け、左右に忙しなく動かしながら言った。

 言いながら小さな手をぎゅっと握り、自分の膝をぽこぽこ叩いていた。

 そのなんとも言えぬ愛嬌のある姿に、古い床板のようにみしみしと音を立てていた私の心が落ち着きを取り戻す。

「あのじじいは、魔女とは絶対にしない。本人がそう言ってんだぜ? 嘘をつくなんて高尚なこと、基本的にはヴェルにできねぇし……だから周りがもめるっつーか、被害を受けるっつーか」 

「じゃあ、先代の魔女だった巫女王っていう人は……」

 私がセシーさんに顔を向けると、華やかで妖艶な美貌には苦笑が。

「ええ、お察しの通りです。彼女は<監視者>の寵を得ようとあらゆる手を尽くしましたが、一度としてヴェルヴァイド様は彼女とは関係を持ちませんでした。……サーテメルンでは<監視者>と交われば不老や長寿を得られるという、他国ではすっかり廃れた古い言い伝えが残っていたんです。それが彼女を苦しめ、追い詰めることになりました」

 その笑みに滲むのは、隠しようも無い……哀しみ。

 窓から差し込む陽をうけて、柔らかな金の髪が艶を増して輝く。

 輝きが増すほどに哀しみの色は濃く、切なさを感じさせるものへと変化した。

「……不老と長寿?」

「そんなのは迷信だ。じじいとやって不老長寿になれるなら、おちびはとっくになってる。だからヴェルが……ま、この問題は俺様が今此処でどうこう言うべきじゃねぇな」

 竜帝さんは尻尾をゆらゆらと揺らしながら言った。

「はぁああ~……ったく。ダルフェの奴、でしゃばりやがって……」

 天井に向けられてた目をつぶり、大きな溜め息をついた。

 つぶやくような小さい声には乱暴な口調なのに力が無く、心底困ったような……あれ?

 今、ダルフェさんって言ったよね?

「竜帝さん、ダル……」

「トリィ様」

「え?」

 竜帝さんにダルフェさんのことを尋ねようとした私は、セシーさんの突然の行動によってそれを中断することになった。

 セシーさんの右手が私の髪をそっと掴んだから。

「セシーさん?」

 彼女は車椅子から立ち上がっていた。

 右腕が私へと伸ばされ、濃紺のドレスの袖を飾る銀の透かし細工のブレスレッドが煌めく。

 その冴えた輝きは、ミーメイちゃんに向けられたカイユさんの刀を私に思い出させた。

 「不老長寿を得たいがため、<竜宮>へと忍んでくる者達が……女も男も多くいました。ですが女で拒まれたのは、魔女である巫女王だけ……」

 <監視者>と交わると不老長寿になれるという迷信。

 不老長寿を得たいがため、<竜宮>へと忍んでくる人達がいて。

 その女性達を、ハクは。

 その女性達は……ハクと?

「それは気位の高い彼女にとって、耐え難い苦痛となり……ヴェルヴァイド様に恋焦がれた彼女はその欲念のまま、自分と容姿の似た女を<竜宮>に集めたのです」

 ハクは。

 巫女王以外は……。

 拒まれたのは、先代魔女だけ。

「目鼻の形……顔の作り、髪や目の色や声。自分と一つでも共通点がある女達を、国中から集めました」

 理由は、魔女だから。

 彼女は恋焦がれ、拒まれ……似た女性を?

 それって。

 それって、つまり。

「セシーさ……」

「ふふっ。巫女王はその女達と過ごすヴェルヴァイド様を、日々眺めていたんです」

「……眺め?」

 セシーさんの言葉が。

「ええ、すぐ傍で……手を伸ばせば触れられるほど近くで。彼女は飽くことはなく、それを繰りかえしました」

 耳から入って、私の胸の中をゆっくりと這い回る。

「彼女は非常に激しい性格でした。嫉妬心を抑えられず、やがて身代わりにした女を殺害し始めました。身代わりにしては殺し……そうせずにはいれぬほど、一人の男としてあの方を愛していたのです」

「……身代わり……殺し……そんなこと、そんなっ」

 額にかかる金の髪を長い指で払った後、その指先は胸元を飾る宝石へと移った。

 優しく撫でるように指先を青い石の曲面を滑らせる仕草は、思わず目を逸らすほど……優雅で妖しい。

「貴女は愚かな女と先代を軽蔑されますか? それとも哀れみますか? ……トリィ様は先代が狂うほどに欲したあの方を得られた。その貴女は、彼女をどう思われるのでしょうか……」

「わた……し? 私は……」

 巫女王。

 先代の魔女。

 彼女は自分と似た女性といるハクを見て。

 その女性を『自分』にして……自分ではない『自分』に嫉妬して、殺してしまうほど愛していたの?

「っ、なんだよそれ!? 人間は同族をそんなくだらない理由で簡単に殺すんだ! なんでなんだよ!?俺様には理解できねぇよっ!」

 吐き捨てるように言う竜帝さんと違って。

 私は。

 私には。

「私は……」

 その人の気持ちが。

「……ハクはその人を止めなかったの?」

 分かる。

 分かる、気がする。

 以前の私だったら理解できない、その強い想い。

 今の私には。

 ハクと出会った私には……。

「たくさんの女性が犠牲になってるって、ハクは気がつかなかったの?」

 巫女王を責める資格が、私には無い。

 私、あの時。

 竜帝さんの薬草園で。

 世界を見捨てて、ハクを選んだ。

 カイユさんのこともダルフェさんのことも、竜帝さんのことも。

 この世界の人達全てを、見捨てた。

 私には、ハクだけでいいと……。

「さぁ、どうでしょうか? 知っていたとしても、気になさるような方ではありませんから。トリィ様、貴女の思っている以上にあの方は……あの御方はっ」

「セシーさん? きゃっ!」

「セシー!?」

 私の髪を掴んだ手に力が加わり、強い力で引っ張られた。

 セシーさんはそのまま私を引きずり上げ、息がかかるほど顔を寄せて言った。


「あぁ、あの御方は何故っ! 何故お前のような者を選ばれたのか!?」


 セシーさんの紅茶色の瞳が見開かれ、瞬きもせず私を凝視した。


「わた……くしが、こんなにも……こんなにもぉおおおおお、巫女王であるわたくしがぁああああっ! こんなにも愛してっ……なのに、なのにぃいいいいい!! 異界の邪人などに渡すものかぁあああああっ!!」 


「ひっ!?」

 狂気としか言いようの無いその目と言葉に、私は驚きとそれ以上に恐れを感じて身体が石のようになってしまった。

「お前もあの下賎な女達のように、わたくしのこの手でっ! くびり殺してやるぅうううっ!!」

 セシーさんは両手で私の頭を髪ごと掴み、そのまま床へ投げ捨てた。

 絨毯の柔らかな感触を頬に感じると同時に、わき腹に抉るような痛みが走る。

 セシーさんは私のわき腹を右足で踏み、そこをさらに捻じるようにしながら……。

「っ!? セシーさんやっ、やめっ!」 

 血走った目。

 違う生物が彼女の白い肌の下で這いずり回ってるかのように、妖艶な美貌を凄惨なものに変えながら青筋が蠢く。

 それはセシーさんの顔中に広がり、首や胸元までも覆い始めた。

 その異様な姿を間近で見て、身体の芯から恐怖心が一気に湧き上がる。

「い、いやぁっ! ハッ……んんっ!?」

 脳と口が同時に動いた私の顔を、小さな青い竜が全身で包み込む。  

「やめろっ、おちびっ! ヴェルを呼ぶな、セシーが殺されちまう!」

「!!」

 竜帝さんに言われ、ハクを呼ぼうとしていた自分に気がつき、そんな自分を止めるために歯を噛み締めた。

 呼んだら駄目!

 駄目!!

 竜帝さんがいてくれるんだから、絶対大丈夫っ!

 カイユさんと約束してくれたものっ。

 ハクを、あの人を呼んじゃ駄目っ!

 薬草園を何も無い『せかい』に変えた。

 子供が欲しいと泣き喚いた私に、世界中の男の人を殺すと言った。

 寂しがりやで泣き虫で真っ白なあの人を、私が<魔王>にしてしまう。

 だから。

 駄目。

 私があの人を呼ぶのは、今じゃない。

 私は。

 居間でロマンス小説を真面目な顔して読みながら、私が呼ぶのを待っててくれるあの人の。

 呼べば直ぐに迎えに来てくれて、「我のりこ」って言ってくれるあの人の腕の中に。

 笑顔で、帰るんだから。


「<青の竜帝>を舐めやがってっ! 《失せろ、亡霊!!》」


 部屋の中の空気が一箇所に圧縮されるような、この部屋自体が押し潰されるような有り得ない感覚に、私は目を開けていられなくてぎゅっと瞑った。

 同時にどすんという鈍い音と、振動。

「ったく、あの女(・・・)が出てくるなんて……。おちび、どこか痛むか?」

 私を気遣う穏やかな声音に合せるように、凝縮した空間がふわりとやわらぐ。

「い……いえ」

 答えながら、ゆっくりと眼を開けた。

 脇腹の痛みは身体の中に散るようにして徐々に薄まって……痛みというより痒みのようになっていた。

 私はハクと結婚してから、確かに傷の治りが早くなっている。

 彼と関係を持てば不老長寿になれるというのは、迷信だって竜帝さんは言ったけれど。

 私のこの身体は……。

「無理すんなよ?」

 私の頭部を抱き込むようにしていた竜帝さんの鱗は、ハクと違ってほんのり温かかった。

 それは優しい温度。

 触れ合ったところから、突然の事に息苦しいほど心臓が激しく胸を打ち続ける私を、じんわりと温めて……癒してくれるような気がした。

「だ……だ、だいじょ……ぶ、大丈夫です」

 海の青に包まれて見たのは、ソファーに横たわる藍色のドレスの……。

「セ……セシーさん?」

 結っていた髪が解けて広がり。

 まるで金のヴェールのように、彼女の顔を私の視線から隠していた。

「竜帝さん、セシーさんがっ!」

「武人の身体は普通の人間より頑丈だから、大丈夫だ」

 あ。 

 武人……そうだった。

 セシーさんはセイフォンで、壁にめり込んだのになんともなかった。

「ほら、ゆっくり立てよ?」

「え、あ……」   

 竜帝さんは私の手をとり、飛びながら引き上げて立たせてくれた。

 ハクと同じ小さな手は、躊躇無く私の手を甲の上からぎゅっと掴んだ。

 ハクは、しない……できない。

 自分の鋭い爪を気にして、どうしても‘にぎにぎ’してしまう彼にはできない。

「……ありがとう、竜帝さん」

 真珠色の小さな竜が、両手をぎゅっとにぎりこんで‘にぎにぎ’しながら私を見上げる姿が脳裏に浮かんだ。

 会いたい。

 早く、ハクに会いたいと思った。

「俺がいながら、こんな目に合せてすまなかった。……え~っと、じじいには内緒だからな? あ、俺がお前に触ったのもだぞ!?」

「は、はい!」

「よし! おい、セシー!」

 私の手を離し、飛び立った竜帝さんはソファーに倒れこんでいるセシーさんの顔に小さな両手を添え、ぐっと上向かせた。

 その動きに、彼女の髪が左右に揺れた。

 現れたその顔に先程の異様さは見当たらない。

「聞こえてるよな? いいか、その[想い]は単なる記憶であり単なる記録だ。巫女王は死んだ。あいつ(・・・)に引きずられるな! お前はお前! セシー・ミリ・グウィデスだっ!」

 セシーさんの肩が、その声に反応したかのようにびくりとはねた。

「あ……」

 ゆくりと目蓋が動き、紅茶色の瞳が青を映して。

 何度も瞬きをしながら、自分を覗き込むようにしている青い竜を見た。

「りゅ……竜帝陛下?」

 戸惑うような、不思議そうな表情。

 でも、その声はしっかりとしていた。

「私……いま……なにを? わたっ……あぁ! なんということをっ!」

 セシーさんの顔から手を離した竜帝さんは身を起こした彼女から離れ、私とセシーさんの中間に移動した。

 翼を動かしながら、頭を抱えてうずくまってしまったセシーさんへと視線を向けていた。

「前に、俺は言ったよな? 辛くなったら、耐えられなくなったら……お前が望むなら、<青の竜帝>がお前をその重荷から開放してやると」

 <青の竜帝>の声に。

「陛下……」

 セシーさんは。

 すがるような瞳で。

「私もあの時、言いましたでしょう? 逃げるのは性に合いません、と」

 震える声で、答えた。

 でもその言葉には、強い意志。

 竜帝さんはセシーさんの答えを聞き。

「そうか。……小さい時は天井の染みが怖いって、べそかくような臆病な娘だったのに。お前も大人になっちまったんだなぁ」

 懐かしむように、青い目を細めた。 

「陛下。もし私が魔女達(・・・)を食い尽くされたら、その時はよろしくお願い致します」

「ああ、任せとけ」

 任せとけと言いながら、それを竜帝さんは望んでいないのだと感じた。

 左右に揺れている尾が。

 彼の本心を表すかのように下向きで、動きが緩慢だったから。

「ありがとうございます、陛下。……トリィ様」

 セシーさんは姿勢を低く這うようにして、ソファーから降りてた。

 私の正面の床へとよろめきながら移動し、膝を着いた。

「トリィ様、私が未熟ゆえこのようなことに……如何様にも罰してくださいますよう、お願い申し上げます」

 魔女は記憶を継ぐ。

「罰するなんて……足が悪化してしまいます。ソファーか車椅子に座ってください」

「ですがトリィ様、私はっ」

「じゃあ、一つだけ質問に答えてくれますか?」

 それは。

 それはなんて、残酷な事なのだろう。 


「好きなんですか?」

「え?」

「おちび?」


 記憶が移るってことは、想いも引き継ぐの?

 そうだとしたら。


「セシーさんも、ハクが……ヴェルヴァイドを愛しているの?」


 ハクを。

 セシーさんも、ハクを。

「あの人を、愛し……」

「まさかっ! 有り得ません!」

 間髪入れず否定の言葉がかえってきた。

 そのすばやい反応と強い口調が、私の考えが間違っていたことを教えてくれた。


「私、そこまでもの好きではありませんもの」


 セシーさんは。

 心底嫌そうに、そう言った。


「えっ?」


 も。 

 もの好き?

 それって。

 もしかして、私のことですか!?

 私が口に出して言うより先に。

「セシー、それは違うぞ。お前は例外だ。竜族の雌には全くもてないヴェルだけど、人間の女はけっこう寄って来るからな。だからおちびは、もの好きな女なんかじゃない。じじいの選んだ嫁に、失礼なことを言うな」

「……竜帝さん」

 私は感激してしまった。

 竜帝さんが、こんな風に私を……嬉しいです!

「いいか、セシー。こいつはなぁ~」 

 ぱたぱた飛びながら、ぽっこりお腹を突き出して。

 腰に手を当て、うんうんと頷きながら。

 なぜか得意げに、青いおちび竜が言った。

「こいつは、真性鱗フェチ女だ!」

「は? 鱗?」

「う~ん……はっきり言うと、変態か? 異世界産の新種の変態? う~ん、おちびはどう思う?」

 サファイヤのような美しい瞳がクルンと回った。

「なあ、どう思う?」

 その澄んだ瞳には、悪意の『あ』の字も存在しない。

「………」

 竜帝さん。

 私に訊かないでください。

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