小話 ~赤いひと~
「おい、ヴェル!」
姫さんがシスリア嬢のところでお勉強中に、陛下が温室にやってきた。
その美貌に見慣れた俺でも思わず見惚れてしまうような笑みで、陛下は言った。
「じじい。俺様、名案があるんだ!」
「……」
旦那は『お宝』を白い手で握ったままベンチに座り、陛下を見ようともしなかった。
旦那ぁ~っ、陛下がこんな顔すんのはあんたにだけって分かってないっすね?
う~ん、クロムウェルにも見せてやりたいなぁ。
あいつは心底、陛下に惚れている。
減るもんじゃなし、冥土の土産に一回くらい寝てやりゃいいのに。
男の相手は嫌だって陛下の気持ちも分かるが……俺にとってはしょせん他人事だしな。
「こっちむけ、無視すんな! 返事しろじじいっ!!」
陛下は旦那につかつかと歩み寄り、青い爪を持つ両手で白い頭を無理やり自分へと向けさせた。
こういうとこ、陛下はすげぇ。
母さんも竜帝だが……陛下と旦那のような感じじゃねぇもんなぁ~。
「ったく、じじはこれだから困るぜ。聞こえてんだろう? いい歳どころか世界最高齢の大人として、返事くらいしろよ」
「……」
乱暴なそれにも、旦那が怒る気配はない。
「あ。そうだヴェル! こないだもおちびにそのっ、え~っと……無理させただろう!? 朝っぱらから何やってんだよ……シスリアの授業に遅れてもヴェルは気になんねぇだろうが、普通は……おちびは気にするんだぜ?」
姫さんのことをだされると、旦那は視線を陛下へと向けた。
「……その件は我も反省し、後日自ら反省部屋に入った」
あのねぇ陛下。
旦那は蜜月期の雄竜なんだぜ?
それを考えれば姫さんへの旦那の接し方は、蜜月期を経験した俺からみりゃ満点以上の評価なんだがなぁ。
陛下は蜜月期の雄を頭で知識として知っていても、本当の意味ではまだ理解していない。
そのうちつがいが現れれば、旦那の理性の強さに土下座するんだろうな……。
「反省部屋? なんだ、それ? ダルフェ、それって城の何処の事だよ?」
結い上げた真っ青な髪が、俺へと振り向く動きにあわせてさらりと流れた。
俺の名を呼んだ唇は紅を塗らずとも艶やかで、形の良い白い歯がその隙間からのぞき……不必要な色気を無自覚に撒き散らす若き竜帝の問いに、俺は笑顔で答えた。
「鍋っすよ、鍋」
人間は<監視者>を恐れるが、竜族は<ヴェルヴァイド>に人間のように過大な恐れを抱かない。
俺達は知っているから、知っていたから。
<ヴェルヴァイド>が『怒る』ということが出来ないことを。
俺達のような『心』を持てない存在であるということを。
俺、餓鬼ん時に「おじさん」とか「お馬鹿なの?」とか他にもいろいろ言ったが、一度だって旦那は怒らなかった。
ま、姫さんとつがいになった旦那は怒るどころか……恐ろしい事に、微笑むなんて高等テクニックまで使うようになったけどなぁ。
この人、姫さんがいねぇと今でも感情が動きにくいっつーか……。
「鍋? ……そういや、セイフォンでおちびが鍋にじじいを寝かせてたな。ふ~ん、煮炊き以外にも幅広く鍋を使うんだな。かぼちゃで魔除けを作ったり、家族を豆責めにしたり夫の形をしたチョコを食ったり、異界の文化っていろいろと面白いなダルフェ」
「そ~ですねぇ。面白いですね」
俺は陛下の勘違いを訂正せず、全て肯定してさしあげた。
なぜなら。
そのほうが面白いから。
「あのな、ヴェル。ヴェルはその変なふ……じゃなく、パジャマが上手く着れないんだろう?」
「……お前には関係なかろう」
あ。
陛下、変な服って言いそうになったな。
姫さんのいないとこでそんなこと言ったら、また仕置きされちまうますって(汗)!
「まあ、聞けって! 俺が竜体になってそれを着てみるから、じじいは見て真似ればいいだろう!? 似たような身体なんだしよ」
あぁ、なるほどねぇ~。
花鎖の祭りの時に知ったっけなぁ、旦那は模写が出来るって。
ま、応用がきかねぇみたいだから、あんま使えない能力だな。
ん?
能力じゃなくて、中途半端に良い記憶力か?
「我にお前の動作を真似ろと?」
「そうだ。こっちの方法の方が簡単だろう!? さっすが、俺様! 頭良い~っ」
陛下は喜色満面な体で、両手をぶんぶんと振り回した。
女神のような美しい容姿をしていながら、この人は未だに幼い子供のようだ。
<ヴェルヴァイド>の前では、竜帝でなく<ランズゲルグ>になっちまう。
「断る」
自分の思いつきを名案だと浮かれていた陛下を、冷め切った声が容赦無く。
善意も厚意も切り捨てる。
「お前を模写してぱじゃまを着れるようになろうと我は思わんし、思えん」
「でも、ヴェルッ……」
「それはずるというやつではないのか?」
短い足を折り正座をした旦那は、赤い格子模様のそれを両手を使って丁寧に畳んだ。
「第一、我はすでに自力で着ることが出来るようになっておるのだぞ?」
陛下の青い目が1.5倍になり、だらしなく半開きなのにそれが逆に色香を増してしまう口からは間抜けな声がこぼれた。
「へっ?!」
「で?」
先程以上に冷たい声が、温室を極寒の地へと変えていく。
「で、って何だよ?」
答える陛下の顔は、ふてくされた子供のようだった。
さっすが陛下、旦那の冷気に慣れ過ぎて危機感が持てないんだなぁ~。
気の毒っつーか、なんつーか……。
「で。先程お前はりこの我への愛の証であるこのぱじゃまを、なんと言おうとしたのだ?」
あらま。
旦那、意外と地獄耳!
「げっ!?」
「思考を読むまでも無いな。仕置き決定だ」
パジャマをベンチにそっと置いてから、白い竜は指の関節ををコキコキと……。
それを見た美し過ぎると評判の青の竜帝は、俺に向かって叫んだ。
「ダダダダッ、ダルフェ! 急いでおちびを連れて来いっ!!」
「こりないねぇ、陛下も……はいはい、了解っす!」
俺は姫さんを呼びに行くために、廊下へと飛び出した。
湧き上がる笑いを抑えきれず、にやけた顔のまま大理石の床を駆けた。
「ぶっ……ぶはははっ! 笑いすぎて腹痛っ!」
姫さんと居る時の<ハク>もいいけれど、陛下と居るときの<ヴェルヴァイド>もかなり面白いと思えるようなった。
この妙に可愛らしい性格をした<青の竜帝>がいるこの大陸を去るのがかなり残念だと、最近の俺は思ってしまう。
「ははっ! くくくっ……ったく、あの2人はなんつーか、妙にいい感じなんだよねぇ」
白い竜に甘える若き竜帝にふと餓鬼の頃の俺を重ねてしまうのは、この2人の姿をどこか懐かしく感じるのは。
天上の女神のように美しいのに照れ隠しのためか乱暴な口をきく、穏やかで優しい<青の竜帝>との別れの時が近いからだろうか?
「……はははっ……ぐっ!?」
何かが咽喉をせり上がる感覚に、咄嗟に口元を押さえた。
「…………っ」
咥内に満ちたそれは、指の間から床へと落ちた。
「……ちっ」
分かりきってるその色を確認する気にもなれず。
俺は足で踏みつけた。
「俺の予定より、早いな……」
俺は祈らない。
神など信じない。
望みを。
俺の願いを叶えるのに必要なのは、不確かでいんちきくさい神様なんかじゃなく。
「……まだ、大丈夫だ。俺は大丈夫だよな? カイユ……アリーリア……アリーリアッ」
必要なのは。
この俺自身だと、知っているから。