小話 ~爪・前編~
「お風呂から出たら、今夜は爪のお手入れをしようかな~」
寝台に腰掛けたりこが、両手を眺めながら言った。
我はりこの‘お膝‘に座って、りこの手を見上げた。
「これからは、もっと短く仕上げて……。うん、そうしよう!」
爪。
今よりさらに、短くするのか。
セイフォンではもっと長く仕上げておったと記憶しているのだが。
「爪を伸ばし色をつけ、飾る女は多い。りこはせぬのか?」
黄の大陸にあるリーチセルの貴族の中には、宝石や羽毛をつける輩もいたな。
「うん」
即答か。
「りこは今後も伸ばさぬのか?」
「……うん。だって」
りこの視線が泳いだ。
「だって、ハクちゃんの身体に傷が……痛かったでしょう? ごめんなさい」
「傷? ……ああ、あれか」
なるほど。
我の為か。
我の為に、爪の手入れを……。
「……む?」
つまり。
爪の手入れとは。
「!?」
「どうしたの!? やだ、ハクちゃんったら、お口がパッカ~ンッて開いちゃってるよ!?」
な、なんと!
あのりこがっ。
めったに人型の我にちゅうしてくれぬ‘恥ずかしがり屋さん‘のりこが!
(りこは‘恥ずかしがり屋さん‘なのでちゅう頻度が竜体>人型なのだろうと、ダルフェが言っておった)
‘爪のお手入れ‘。
こ……これは、りこが我との交尾の準備をしておるということなのではないかっ~!?
「口……ああ、すまぬ」
外れた顎を、我は自分で治した。
ダルフェの本に書いてあった。
妻が‘恥ずかしがり屋さん‘の場合。
性交をいたしたいと女から申し出るのは少々難しく、いたしたい時はさまざまなサインを出す。
奥ゆかしく可愛らしいそれを見逃すべからずと、赤字で書いてあった。
りこに会うまで。
我は勝手に盛る女しか知らなかった。
経験不足の我には、あの一文は少々難解だったが……。
うむ、こういうことなのだな。
「りこ」
つまり。
りこは我と。
今夜、いたしたいのだな!
それは良いことだな、とても良いことだ。
「りこになら」
しかし。
嬉しいが。
だが。
「皮膚を裂かれようと、肉を抉られようと。我はいっこうにかまわんぞ?」
むしろ、望むところなのだ。
「ふふっ、気を使って言ってくれたの? そういうところ、優しいよね……ありがとう、ハクちゃん」
「……む?」
気を使う?
そのような高度な事は、我にはまだ難しいのだ。
本心なのだが、通じなかったのか。
「りこ……いや、我はっ……」
言いかけ、止めた。
消え入るような小さな声で、りこがこう言ったので。
「ハクちゃん。私、きちんと爪のお手入れをするから……いっぱいぎゅってしてもいい?」
言えなくなった。
「うむ。いっぱい‘ぎゅっ‘をしてくれ。我の骨が折れるほど、ぎゅっとするがいい」
竜体の我を抱きしめるりこの顔は、アダの実のように赤く。
思わず齧りつきたいほどのに、美味そうだった。
齧るわけにはいかんので。
舌を伸ばして舐めた。
舌に伝わる体温が。
我の冷たい身体をあたためる。
りこ。
りこよ。
この感情は。
なんというべきか。
我のために爪を丹念に手入れしてくれるのは、嬉しい。
とても、とても嬉しい。
が。
嬉しいのに、何故か少々残念なのだ。
うむ。
『残念』だな。
なんということだ!
この我に『嬉しい』と『残念』の合わせ技とは。
「……ふっ」
我のりこは、やはり凄いのだ。
「きゃっ!? ハクちゃん、急に人型にならないでよっ。お、重いっ。ちょっと、どいてよっ」
「り、りこ!?」
我はりこの細腕に突き飛ばされ、寝台から落ちた。
「ご、ごめんなさいハクちゃん! 大丈夫!?」
「……だ、大事無い」
この我を床に這わせるとはっ!
我のりこは、やはりとても凄いのだ。