第83話
オフラン君とパスハリス君が、温室に大きなテーブルを運び込んだ。
厚い天板の縁には百合のような花が彫られていた。
大きな長方形で……5メートル位あるそれを、彼等は2人で軽々と持って庭から現れた。
先に温室に来て待機していたヒンデリンさんが温室の扉とその両隣のガラスを外しておき、そこからテーブルを温室へと入れて中央に設置した。
ヒンデリンさんは数ミリ単位で場所を指示していた。
その細かさ、几帳面さにパスハリス君は不満気に頬を膨らませ、オフラン君は忙しなく何度も瞬きをしながらテーブルの脚の位置を確認していた。
温室の隅の方でハクちゃんを抱っこしながらその様子を眺める私に、パスハリス君は言った。
「ねぇ、奥方様。すんごい面白い日になりそうじゃない? 僕、わくわくしちゃうっ……痛っ!? いてててっ~、なにすんのさっヒン!」
「……」
パスハリス君の薄いブルーの瞳が、ヒンデデリンさんを睨んだ。
ヒンデリンさんがパスハリス君の右ほっぺを、無言でつまみあげていた。
「面白がるな、パス。私達は本部で待機だ。……失礼致します、ヴェルヴァイド様、奥方様」
「あ、ありがとうございましたっ」
ぼーっと3人のやり取りを見ていた私は、あわてて頭を下げた。
ハクちゃんは彼等の方を見もしなかった。
金の目を瞑り、まるでお人形さんのように静かだった。
ヒンデリンさん達が帰って数分後。
いつものアオザイ風の衣装に着替えたカイユさんが戻ってきた。
その手には、金魚鉢のようなガラスのポット。
「カイユ、それは?」
「とっても珍しい花茶なんです。味だけじゃなく、湯で花が開くさまも楽しめるんですよ?」
乾燥した花の蕾は薄い桃色をしていて、とっても綺麗だった。
「羽虫皇太子が帰ったら、お昼を食べてゆっくりお茶にいたしましょうね」
「は、はい。カイユ」
羽虫皇太子。
うん、そこはスルーしておきましょう。
「あら? このテーブル……ヒン達が持ってきたんですか!? 無駄に大きくて邪魔ですね。邪魔だから半分に折っちゃおうかしら」
ひえ~っ。
うん、そこもスルーしちゃいましょう!
午前11時。
私はハクちゃんを抱き、椅子に座ったままで彼等を迎えた。
席を立つな・頭を下げるなと竜帝さんに言われていたので、座ったままでいた。
ダルド殿下はやっぱりイケメン君だった。
整いすぎて逆にひいてしまう残念美貌のハクちゃんとは対照的な、誰もが好印象を持つような端整なお顔。
品の良いベージュの膝丈チュニック。
ベルト……帯とかサッシュっていうのかな?
光沢のある灰青色のサッシュには、紫・金・赤の3種類の飾り紐が絶妙なバランスで合わされていた。
足元はダークブラウンのショートブーツ。
これには足首部分に鋼色のファーがあしらわれていた。
さすが本物の王子様。
文句なしに格好良い。
私と眼が合うとダルド殿下の口が数秒間、1センチ程開いた。
そして。
ぎゅっと、噛みしめるように閉じられた。
あ。
もしかして。
私の眼に、驚いたの?
そっか。
黒い目が金色になっちゃってたら、誰だって驚くよね。
此処にはカラーコンタクトなんて無いんだし。
その後。
彼の視線は前を歩く竜帝さんの背中を、瞬きもせず見つめていた。
私の目を、顔を見なかった。
ダルド殿下から数歩下がって歩くミー・メイちゃんは、相変わらず外国のお人形さんのように愛らしかった。
俯いていても、その顔はとっても可愛い。
美少女なぶん、今日の衣装はちょっと残念だった。
てるてる坊主のようなぞろ~っとした地味な灰色の長衣より、ふりふりワンピとかを着て欲しい。
セイフォンの離宮で会うときは、可愛いワンピースを着ていることが多かった。
この地味なてるてる坊主コスチュームが王宮術士である彼女の正装らしいから、仕方ないのだけれど。
彼女の視線は温室の床から離れなかった。
今日の彼女は意識して、私を見ないようにしている感じだった。
セシーさんはいなかった。
この場に、彼女は来れない。
ハクちゃんの、<監視者>の<処分>対象者じゃないから。
はるばるセイフォンから来てくれた2人の前を歩くのは、青い髪を高い位置でしっかりと結った竜帝さん。
濃い……というより深いという表現の方があっているかな?
深い青色をしたアオザイ風伝統衣装・レカサを着た竜帝さんは、本日も女神様~っと拝みたくなる美しさ。
今の彼は、ハクちゃんと少々過激などつき漫才みたいなじゃれあいをしている表情豊かな<ランズゲルグ>ではなく、無表情に近い……<青の竜帝>の‘顔‘だった。
ちょっと、似ている。
ハクちゃんに。
ハクちゃんは一番若い竜帝の大陸、つまり一番若い四竜帝の側で過ごす。
ハクちゃん自身が幼い四竜帝のお世話をしなくても、育てなくても。
四竜帝の皆さんは<監視者>であるハクちゃんに、やっぱり育てられているんじゃないのかな?
女神様を見ていると、彼の中に。
ハクちゃんが。
ううん、<ヴェルヴァイド>が。
確かに‘いる‘のを感じる。
ねぇ、ハク。
女神様……貴方をじじいと呼ぶ青の竜帝さんも、イドイドって呼ぶ黄の竜帝さんも。
きっと他の竜帝さん達も。
貴方のことがとても、とても好きなんだと思う。
<四竜帝>と<ヴェルヴァイド>。
まるで。
<四竜帝>という存在は。
貴方の……。
「…………」
なんか。
ほんのちょっと。
ほんのちょっとだけ。
寂しいと感じたのは、貴方には内緒。
最後に入ってきたのはダルフェさん。
軍服のような騎士の制服を着た彼が後ろ手で扉を閉め、その前に立った。
いまさらだけど。
彼の、彼等<青の竜騎士>の制服の色は竜帝さん……<青の竜帝>の髪と瞳の色なんだと思った。
こちらを向いて立っている彼は私の視線に気づくと、にこりと笑って右手を顔の高さまで挙げた。
ひらひらと私に振ったその手は、白い手袋をしていた。
私の側に立つカイユさんを見て、端整な顔がにっこり微笑んで……目じりが下がった。
カイユさんが騎士服から私服に着替えてきたことに、その意味に。
彼は気がついてくれたんだと思う。
ダルフェさんは鮮やかな緑の瞳を細めたままを、視線を庭に向けた。
何を見てるのか気になって、私もつられるように外を見た。
暦の上では春になったとはいえ、緑の芽吹きにはもうちょっと時間がかかりそうな木々。
雲が全く見当たらない今日の空は、1人だけ腰掛けた私の後ろに立っているカイユさんの瞳と同じ色だった。
冬の空。
お母さんが亡くなったのは今日のように良く晴れた冬の日のことだったと、私の髪を結いながらカイユさんが言っていた。
椅子が用意されているのに、誰も座らなくて。
私一人が座っているこの状況は、想像以上に居心地が悪かった。
人数分の椅子は単なる‘お飾り‘。
直ぐ退室する。
長居はしない。
それを示すため……ハクちゃんへの配慮らしい。
前もって女神様が「慣れろ」って言ったけれど、やっぱり…うう~、慣れそうにありません。
「お、お久しぶりです。ダルド殿下、ミー・メイちゃん」
「トリィ殿。お元気そうでなによりです」
ダルド殿下の表情は硬かった。
ミー・メイちゃんは俯きっぱなし。
テーブルを挟んでるから5メートル以上距離をとって立ってる殿下達と会話って、そうとう微妙だった。
私はセイフォンでの待遇、援助のお礼とかを言いたかったんだけど口にしなかった。
ダルド殿下が来る30分位前に竜帝さんが部屋に来て、すべきで無い事の他に言うべき事・言う必要の無い事を私に教えてくれてた。
女神様は私が謙った態度をとったら、ハクちゃんがどう思うか・感じるかを忘れるなと言った。
挨拶の時に頭を下げるのが謙った態度と言われても、日本人の私としては挨拶とセットといいますか……無意識にやってしまいそうでちょっと不安。
私に抱っこされっぱなしのハクちゃんだけど、今のところ不満は全く無いみたいだった。
どちらかというとさっきから妙にご機嫌で、尻尾をゆらんゆらんと楽しげに動かしていた。
「りこ」
きゅっと握ってまん丸になった両手が、私の左右の肘をぽんぽんと軽く叩いた。
私は膝に座ったハクちゃんを、無意識に抱え込むようにして抱きしめていた。
「あ……ごめんなさい。苦しかった?」
「いや。我はりこの‘ぎゅっ‘が好きなので問題無い。もっと‘ぎゅぎゅっ‘とされたいぐらいなのだ」
私を見上げる金の眼が、くるんと回った。
このお目々の感じは……うん、良い感じだと思う。
セイフォンではダルド殿下のお手紙を問答無用で破いたり、その嫌いっぷりはそれはそれは凄かったから……今日は大丈夫だよね、きっと。
良かった~。
「さて。どのように<処分>する?」
うわっ!?
良くな~いっ!
大丈夫じゃな~いっ!!
「ハクちゃん、<処分>は無しって言ったでしょう?」
あぁ、なんていうか……デジャブ?
セイフォンでもこんな会話をした気がするよぉ~。
しかもハクちゃんったら、皆に聞こえる方の念話で言ってるし。
あ。
これ、わざとだ。
「ふむ、そうだったな。<処分>は無し……りこが我にそう望むなら」
わざと。
ハクちゃんは意識してダルド殿下に、私達の会話を聞かせてる。
この場にいる全員に、聞かせてる……言ってるんだ。
「ならば、りこの望みは何なのだ?」
私の望み?
私の……。
「わた……私は、家族に無事を知らせたいの。だから手紙を送る術式を……」
生きていることを、無事だということ。
そしてハクと結婚したことを……愛しい人といることを選んだのだと、知って欲しい。
ハクとは離れらない、離れたくない。
「ダルド殿下。さっき、私の眼に驚かれてましたよね? 私、この人と結婚したんです。この人の妻になったんです。この眼は……その証なんです」
この世界で、この人の側で生きていきたい。
「私、この世界で生きていく……生きていきたいと心から思っているんです。ミー・メイちゃん、あらためてお願いします。異界の家族に手紙を送る術式を、1日も早く完成させてください」
私はここでハクを……『幸せ』を見つけたのだと、もう会えない大切な人達に知っていて欲しい。
「ダルド殿下はこれからもミー・メイちゃんに、協力と援助をお願いします。術式の研究には時間だけじゃなく、費用もかかるものだとクロムウェルさん……竜帝さんの契約術士の方が、教えてくれました」
ちなみに。
クロムウェルさんは異界に関する術式に、全く手を出さない主義なのだと言っていた。
正しくは主義というより‘合わない‘らしい。
術士さんというのはそれぞれ得意分野……‘合う‘ものがあり、ミー・メイちゃんのように『空間』関係が秀でてる人はとっても珍しい。
(彼女は転移が得意という貴重な術士)
ハクちゃんは合わないどころか‘駄目‘レベル。
転移が……『空間』関係に強いハクちゃんが、なぜ‘駄目‘なのかは「知らん」の一言で終わってしまった。
ハクちゃんは何でも出来る、万能な人じゃない。
出来ないことがあって当たり前だと思うので、私もそれ以上は訊かなかった。
「トリィ殿」
視線を私にしっかりと合わせたダルド殿下の声が、温室に響いた。
よく通る声で、彼は言った。
「貴女は私達を、私を許す必要はないのです。どうか死をお望みになって下さい。ご安心ください、私が亡き後もセイフォンはミー・メイへ術式開発援助を続けるとお約束します」
死を望むっ!?
何言ってるの、この人っ!
死んで責任をとってなんて、一度も考えたことなんかないっ!
確かに夢であなた達を責めて、罵った。
「ちがっ……!」
でも、死んで欲しいなんてっ……そうじゃないのっ、違う、違うの!!
私の望みは……っ!
「わ、わたっ……しは、そんなことはっ! ハク!?」
私の腕の中から、白い竜が消えて。
ダルド殿下の目の前の空間に浮かんでいた。
「黙れ」
ダルド殿下の額に、ハクちゃんの右の中指が。
真珠色の爪が。
「いつ我のりこがお前等を、お前を『許す』と言った?」
刃物のような切っ先が。
「思い上がるな、履き違えるな」
柔らかな茶の髪を、数本散らした。
「術士ミー・メイ。お前は我が妻の望みを叶えるため、術式の練成に励め。我等はこの大陸を去るゆえ、定期的に<青>の監査を受けろ」
ダルド殿下の身体は微動だにしなかった。
「我はお前等を<処分>せぬ」
動かないんじゃなくて、動けない……?
「我はお前等を殺さぬ」
ハクちゃんの翼が広がり、ダルド殿下の表情が私には全く見えない。
ダルド殿下の左隣に立っているミー・メイちゃんは私の視線に気がつくと、ゆっくりと顔をあげた。
彼女の唇はプールで遊びすぎた子供のように紫で、小刻みに震えていた。
潤んだ大きな瞳が、私を見た。
何か言いたげに口が微かに動いたけれど……声が出ないようだった。
ハクちゃんとの距離が近く、怖がってるのかもしれない。
あんなに怖がるなんて……ハクちゃんに、こっちへ戻ってきてもらおうかな?
「ハクちゃっ……」
「ミー・メイ、セイフォン・シーガス・ダルド」
ハクちゃんがそう言うと。
ミー・メイちゃんの震えが止まった。
紫の瞳を見開き、私とハクちゃんを交互に見た。
「ミー・メイ。お前は術式が仕上がったら、その後は生きるも死ぬも自由だ。セイフォン・シーガス・ダルド」
動きを止めた翼が、私からダルド殿下の表情を完全に隠していた。
「お前は生きるのだ。セイフォン・シーガス・ダルド」
私からは、ダルド殿下の顔が見えない。
「覚えておけ。セイフォンの皇太子」
見えるのは、ハクの白い翼を広げた後姿だけ。
「我がこの世で最も嫌いなモノは、お前だ」
え?
「ハクちゃ……ん、今……」
今、さらっとすごいこと言わなかった?
「旦那、そこまでにしてくださいな」
ダルフェさんが白い手袋をした左手で軽くハクちゃんの胸を押し、ダルド殿下から距離をとり2人の間に入った。
「これ以上はこの坊ちゃ……殿下が持ちません」
竜族であるダルフェさんはダルド殿下より背が高く、体格も良い。
彼を庇うように立ち、ダルフェさんはハクちゃんから……私からダルド殿下を隠した。
「ったく、大人気無いですよ?」
「ダルド、ダルド!? ……じじいっ、こいつに何しやがった」
ハクちゃんにくってかかった竜帝さんの顔には、さっきまで消していた表情があった。
これは言いがかりだと思う。
ハクちゃんはダルド殿下にお得意のしっぽびんた等の暴力行為はしていない。
私からは見えなかったけど、断言でき……あ、前髪を爪で切ちゃってた!
「騒ぐな<青>」
ハクちゃんはテーブルにちょこんと座って、短い足をぶらぶらさせながら言った。
「我は何もしとらん。何も、な」
あれ?
むむむ……。
あの態度、なんかちょっとあやしいなぁ~。
女神様はテーブルに座ったハクちゃんの顔を覗き込み、言った。
「この糞じじいっ、すっとぼけやがって! ……うぎゃぁああ、いってぇええ~~!!」
額を両手で押さえ、上半身を活きのいい車海老のように曲げて悶絶した。
どうやらハクちゃんは、女神様の麗しいおでこにでこピンをしたようだった。
音、しなかったのにあの痛がりかたって……。
恐るべき、ハクちゃんのでこピン。
涙目の女神様に、ダルフェさんが溜め息をつきつつ言った。
「ちょい待ち、です陛下。じゃれてる場合じゃないっすよ?」
「じゃれてねぇっ! 俺様はいま、このじじいに虐待されてたんだっ!」
「陛下、顔、顔! <青の竜帝>じゃなく餓鬼に戻ってますよ? ……ん!?」
ダルフェさんは<赤の竜帝>さんの鱗と同じ真っ赤な髪を持つ頭を、ぼりぼりとかいた。
「うへぇ、クッキーのカスかよ。ぎゃあっ!? 食いかけの飴玉までっ……ジリの奴、人の頭で菓子食いやがって」
クッキー……そういえばジリ君って、ダルフェさんの頭部をマイルームにしてるかも。
こないだはダルフェさんの髪の中に、庭で見つけた松ぼっくりをしまってたし。
「まったく。陛下は旦那がいると、途端にお子様になっちまうねぇ~。困ったもんだ……術士のお嬢ちゃん、見なかったことにしてね? でないとお兄さん、セイフォンにいるあんたの父上様を解体しちゃうからねぇ~……くくっ」
ひいいぃ~!
ダルフェさんったら、そんなきつい冗談……冗談だよね!?
「はっ……はいっ!」
「よし。良いお返事だ」
にっこりと笑うダルフェさんに、黒い尻尾が見えた気がした。
「で、どうします陛下。ほら、見てみなさいな。舅殿、笑顔満開でご登場ですよ?」
ダルフェさんは背にはダルド殿下を、顔は庭に向けていた。
緑の瞳と青い瞳。
2人の視線の先にはセレスティスさんがいた。
セレスティスさんはダルフェさんの視線に気がついたらしく、笑顔のまま右手を振った。
それを見たダルフェさんの手が、答えるかのように動いた。
「ちっ……ダルフェ、頼めるか?」
でもそれは、セレスティスさんに振りかえされるためではなく。
「お優しい<青の竜帝>陛下に舅殿を‘上手に‘半殺しにしろってのは、少々酷ですからねぇ」
「……すまない、ダルフェ」
白い手袋をしたダルフェさんの右手は、剣の柄に添えられていた。