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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
108/212

第81話

*本文中に性的表現(R15)が含まれています。苦手な方はご注意下さい。

 カイユさん達がお仕事から帰ってきた。

 夕陽でオレンジ色に染まった温室で、ナマリーナにご飯をあげる準備をしている時だった。

 ハクちゃんはベンチに座って、私とカイユさんのやりとりを眺めていた。

 彼は何も。

 何も言わなかった。

 陶器のような白い肌も、真珠色の長い髪も夕陽色になっていた。

 縦長の瞳孔の黒さが際だち、黄金の眼には夕陽の赤みが加わっていた。

 何も言わず。

 私達を見ていた。

 

 青い騎士服を着たカイユさんの腰には刀……朱色の綺麗な鞘だった。

 カイユさんは、それに私の視線が向けられているのに気がついていた。


 ーあの皇太子が帝都にいる間は帯剣をお許しください、トリィ様。


 刀や剣。

 今まで、テレビや映画でしか見たことがなかった。

 この世界に来て本物を見た……見せられた。

 カイユさんはそれを察してくれたみたいで、私の前ではセイフォンでも帝都でもそういったものは一切持っていなかった。

 ダルフェさんに誘われてオフラン君達の練習を見に行ったことがあったけれど、興味より怖い気持ちの方が強かった。

 

 -今の私は……母様は、刀を放せないの。ごめんなさい……不安にさせてごめんね、私の可愛いお姫様。


 寂しげな笑みを浮かべて、お土産だと言って私に象牙細工の髪留めをくれた。

 八重の花が彫られた綺麗な髪留めだった。

 柄杓とバケツを持って立っていた私の髪に、それをつけてくれたカイユさんの手は白い手袋をしていた。

 ダルフェさんはダルド殿下の警護担当になったので、彼が滞在中はここには顔を出せないとカイユさんが言った。

 柄杓とバケツを持ったまま、私はカイユさんを見送った。

 軍服のような<青い竜騎士>の制服の背に流れる銀色の髪は長くまっすぐで。

 刃物のように、煌いていた。

 私が見送ったのは<母様>じゃなく、カイユさん……<青の竜騎士・カイユ>だった。

 ご飯がお預けになり焦れたナマリーナが立てた水音は、激しい雨が温室の天井に打ち付ける時の音とよく似ていた。

 雨は降っていない。

 今日の夕陽は塔から見たら、とっても綺麗だったと思う。

 明日はきっと、快晴だ。


 



 明日。

 私はダルド殿下に会う。

 彼に直接会うのは、あの日以来。

 あの時、ハクちゃんは<処分>……あの人を殺すつもりだった。

「ねぇ、ハクちゃん。私、明日……」

 ハクちゃんに、そんなことをさせたくない。

「……りこ、湯が沸いたぞ」

「え? あ、うん」

 私はキッチンでお湯を沸かしていた。

 茶葉をポットに入れ、カップを用意している間に1人分のお湯は音をたてるほど沸いていた。

 オレンジの香りがするこのお茶は、最近のお気に入り。

 銅製の小ぶりなやかんからは、勢いよく蒸気があがっていた。

 カップにお湯を注ぎ、温めててる間にポットへお湯を入れた。

 ガラス製のポットは茶葉が泳ぐ姿と、お湯が染まっていく様子が見える。

「綺麗……それにとっても良い香り」

 温めたカップにお茶をいれ、居間に持って行こうとしたら。

 私の背後に立っていたハクちゃんの、真珠色の爪に飾られた長い指がカップの取っ手に添えられた。

「‘お手伝い‘だ」

 あつあつのお茶がたっぷり入ったカップを口元に持っていき。

「この温度は、りこが教えてくれた‘ふーふー‘が必要だろう?」

 金の眼を細めて、そう言った。



 居間にはソファーが長方形のテーブルを囲んで、3つ置かれている。

 1人用が1つと、向かい合わせに3人用が2つ。

 身体のサイズが竜族は大きいから、ソファーも私の家のものとは規格が全く違う。

 1人用に私なら3人座れそうだし、どちらも深く座ると私では足が床に着かない。

 だからいつも手前に座っている。

「りこ。熱かったら遠慮無く言え。さらにふーふーしてやろう」

「ありがとう、ハクちゃん」

 いつもと同じように並んで座り、ハクちゃんが手渡してくれたカップに口をつけた。

 お茶を飲む私を覗き込むようにして、ハクちゃんが言った。

「りこ。今日は夕食を半分以上残したな」

「ごめんなさい。お昼、食べ過ぎたみたい。お腹がいっぱいだったから……」

 女神様が持ってきてくれた本日の定食は、コロッケだった。

 ハクちゃんの手みたいな、巨大コロッケが山盛りのサラダと一緒に3個。

 がんばって1個は食べた。

 それが限界。

 残り2個は女神様がぺろりと平らげてくれた。

 始めからそのつもりだったんだと、コロッケにソースをたっぷりかけながら笑っていた。

「ハクちゃん。明日ダルド殿下に会う時、貴方を抱っこしてていい?」

 一口だけ飲んで、カップをテーブルに置いた。  

「あのね、私。ちょっとだけ、怖いの」

 空いた手で、ハクちゃんの長い髪を手に取った。

 鼻先に持っていき、匂いを嗅いだ。

 良い香り。

 甘い、花の香り。

 私の大好きな、ハクの香り。

「怖い?」

 すっかり嗅ぎなれて。

 この香りがなくちゃ、なんだか落ち着かないくらい……。

 大好きな、ハクの匂い。

「皇太子がか? あれを恐れる必要などない。目障りなら、いますぐ<処分>してきてやろう」

 処分。

 それは、駄目。 

「違うの、違うのよ」

 絶対に、駄目。

 なんで『駄目』なのか。

 貴方は気がついてるのかもしれない。

「自分が、怖いの」

 私、あの人を恨んでる。

 術式を失敗したミー・メイちゃんじゃなく。

 あの人を、恨んでるの。


 夢の中で。

 彼を何度も罵った。


 私と同じ目に遭わせてと。

 彼から全部奪ってと。

 夢の中で、貴方に願った。


 復讐したいと、貴方に縋って泣き叫んだ。

 何度も。

 夢の中で。

 

「お願い、ハクちゃん。明日は貴方を抱っこさせて」


 憎しみを知った、この暗い想いを持つ胸を。

 愛しい貴方で、抑えてしまいたい。


「お願い、そうじゃないと私っ」


 私の想いを。

 貴方の綺麗な鱗で、覆い隠して。


 私の中の悪魔を。

 貴方への想いで、封じてしまいたい。


「我は」


 私の頬に、優しく触れる貴方の唇。

 私だけに与えられる、淡い微笑。

 魔王様の微笑みは。

 きっと、天使の微笑み以上に魅惑的。


「我は。りこの望むままに」


 白皙の美貌に見惚れている間に。

 膝にのせられ、引き寄せられた。

  

「ハクちゃん?」


 左耳を熱い舌で弄られ、食まれて。

 頭の中まで舐められてるかのような感覚に、震えが走る。


「ハ……っ、ぁ!」


 冷たい手が。

 当然のように。

 遠慮の欠片もなく。

 私の肌を這い。

 こんな時だけ器用な指先で、私の羞恥心すら散らしてしまう。


「だ、だめっ……だって私っ……ハクちゃんっ」 


 私だけを食む、その唇で。

 

「だめ? 我にりこの‘嘘‘は通じない」


 私を暴く、その指先で。

 

「今、すぐに。ここで」


 ここで……淹れたてのお茶が香る、この居間で?

 オレンジの。

 柑橘の香りは、あの人の顔を私の脳内に浮かべてしまうのに。

 

「貴女を、りこの身体も心も我で埋め尽くそう。それがりこの望みだろう?」


 大きな手が私の髪を梳き、カイユさんのお土産の髪留めを外した。


「ち、ちがっ……わ、私はお茶、を飲もう、とっ……おもっ」


 嘘吐き。

 私は嘘吐き。

 もうお茶なんてどうでもよくなってるのに。


「あの皇太子の事など、思い煩うな。我がりこの‘怖い‘をここから、この脳から押し出し消してやろう」


 嘘吐きで、卑怯な私をねじ伏せて。

 身体だけじゃなく、この暗い心も喰らい尽くして。


「ハ……クッ」


 貴方が、私を罰して。


「我は、貴女の望みのままに」


 温かなお茶よりも。

 熱い貴方で、私を満たして。


「ハ、ク……っん」


 竜体じゃなくても。

 念話が使えなくても。

 触れ合う場所から、繋がるそこから。

 私の想いは、貴方に届く。

  

「りこだけだ。我がこのよう触れるのは……我が欲しいのは、りこだけだ」


 貴方に触って欲しい。

 貴方に触れたい。


「りこ、我のりこ。他の男のことなど考えるな。我は拗ねて(・・・)しまい、ついセイフォンごと皇太子を消してしまうやもしれんぞ?」

「やっ、ちがっ……そんなんじゃないの、分かってるクセに……意地悪言わないでっ! も、もう喋ら、ないでっ」


 いつも思うんだけど。

 なんで?

 なんでこんな状態でも、この人は普通に喋れるんだろう?


「ハク、お……願っ……明か……を、消し……てっ」


 私と同じ金の眼を持つ顔に、小刻みに震える両手をゆっくり伸ばしたら。

 ハクが大きな手を私の手に添えて、白く滑らかな頬にしっかりと導いてくれた。

 自分から引き寄せなくても、ハクの顔が真珠色の髪と一緒に私の元へと来てくれた。


「好……き」


 想いを込めて。

 深く……深く、口付けた。


 キスの仕方は。

 貴方が教えてくれた。


「……真っ暗に……して」


 私の心みたいに。

 暗く、暗く。


「我は貴女の望みのままに」


 でも、きっと大丈夫。


「それにな」


 貴方のくれた、この金の眼は。

 どんな暗闇だろうと。

 私の貴方を見失うことは無いのだから。


「我はこの通り‘抱っこ‘が大好きなので、明日の抱っこは大歓迎なのだ」


 抱っこ……抱っこ?

 ハクちゃん。

 確かに抱っこに近いですけど。

 これは‘抱っこ‘じゃないと思うよ?

 







「りこ、我のりこ」

 りこの望んだ闇の中。

 明かりを消し。

 月明かりさえ入らぬように、全てのカーテンを閉めた外より暗い室内で。

 我は寝入ったりこの顔に魅入った。

 寝室より術式で運んだ暖かな毛布にくるまれて、冷たい我の身体の上で安らかに眠るりこの顔はとても美しい。

 もっとも我の美の基準はりこなので、鼻水が垂れていようが泥まみれだろうが我の目には美しく感じるのだが。

 頬はほんのりと朱に染まり、額には微かに汗が残っていた。  

「……甘いな」

 りこの細く小さな身体に右腕を回し、左手で肩まで包んであった毛布をゆっくりと剥きながら額の汗を舐め取った。

「りこ」

 腕の中にいる愛しいモノを我は見た。

 我の片手で易く掴める細首に。

 我が愛しんだ胸元に。

 我が与えた刻印が、我が与えた再生能力によりゆっくりと消え行く様を眺める。

 至福と同時に寂しさも感じるこのひと時が、我は好きだ。

「……りこが唯一‘知っている‘人間の男か」

 柑橘の香りを嗅ぎ、あの男の匂いだと言ったことがあったな。

 皮を剥こうとして、実まで潰してしまった果汁にまみれた我の指を拭きながら。


 -ダルド殿下って、柑橘系の爽やかな香水を使ってるみたい。あの夜、貸してくれたマントから仄かに香ってたのが……忘れられないの。


 忘れられない?


 忘れられない……そうだろうとも。

 あの夜、りこは異界から落とされてしまったのだから。

 強烈な記憶とともに、香りは脳に深く刻み込まれる。

 そして、その香りは永きに渡り記憶と結びつく……消えることはないやもしれぬ。

 りこ自身にはどうしようもないことだ。

 

 我のものよりも先に、りこの脳が覚えたのはあやつの匂い。

 この我のりこに‘忘れられない‘と言わせた男。

「……あのイケメン王子は、どこまで我を苛立たせる気なのだ」

 柑橘の香りか。

「ふむ……」

 柑橘……蜜柑は、りこの好物の1つだな。 

「この我が、蜜柑にまで嫉妬せねばならぬ。……竜というのは、難儀な生き物だな」

 だが。

 竜をやめようとは思えない。

 <無>に戻りたいとは思わない。


 我はりこに会い、好きなものができた。

 我はりこに会い、嫌いなものもできた。


 この我が。

 世界一好きなものは、我のりこ。


 この我が。

 世界一嫌いなものは。


「……お前だ」


 我のりこの心に、消えぬ傷をつけた。


「セイフォン・デイ・シーガズ・ダルド」


 我のりこの心に、我より先に触れた。


「我がこの世で最も嫌いなものは、お前だ」


 明日。

 我の腕で眠るこの人は。


 りこは我に、何を望むのだろうか?

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