メイの遺伝子
研究所の記者会見のさまを、食堂のテレビでみていたガンタン。
「焼肉ステーキ、それに恐竜寿司だと。まったく血も涙もねえヤツらだ」
吐き捨てるようにつぶやき、それから行くあてもなく通りに出た。
広がる青空に、ちっぽけな白い雲がひとつポツンと浮かんでいる。それは遠くに見える神無山に向かって流れていた。
――あんな鉄のオリに入れられちまって。メイ、待ってろよ。かならず助け出してやるからな。
ガンタンは心に固く誓ったのであった。
そのころのこと。
文月博士とヤヨイの二人はおもわず顔を見合わせていた。目をさました恐竜の子が人の言葉らしきものを発したのだ。
「お父さん、ねえ聞いた? 今この子、おっかあてしゃべらなかった?」
ヤヨイはオリの前にしゃがみこんで、確かめるように恐竜の子の口元を見つめた。
「ああ、たしかにそう聞こえたが」
博士もオリの前に座りこむ。
そんな二人の前で……。
オッカアー。
それからも数度、恐竜の子はオッカアーと、人の言葉のようなものを発した。
「まちがいない、おっかあとしゃべっておる」
「でも、こんなことってあるかしら? 考えられないことだわ」
「いや、そうともかぎらんぞ。人の言葉を覚えてしゃべる、鳥の中にはそんなヤツがおるではないか。たぶん人の声のマネをしておるんだろう」
「オウムや九官鳥と同じね」
「ああ、そうだ」
「だったらこの恐竜の子も?」
「おそらくな。それにコイツは、もとはといえば鳥の遺伝子を持っておるからな」
「では、おっかあって?」
「おそらくエサをやってた者が、おもしろがって教えたんだろうな」
「ねえ、それって、その人を探す手がかりにならないかしら?」
「どういうことだ?」
「ほかにも教えてるかもしれないでしょ。名前、それに住んでいた所とか……」
「なるほどな。ヤヨイ、なんでもいいから話しかけてみろ」
「ええ、やってみる」
ヤヨイは恐竜の子に向かって、幼い子供に語りかけるように話した。
「こんにちわ、なにかしゃべってね?」
そんなヤヨイに対し、恐竜の子がゆっくり向きを変え、コクリとうなずく。
「えっ?」
ヤヨイはおもわず博士の顔を見た。
博士もおどろきを隠せないでいる。
「たまたまかもしれん。もう一度やってみろ」
ヤヨイはうなずいてから、恐竜の子の目を見ながらゆっくり話しかけた。
「話してること、わかるの?」
恐竜の子がまたしても首をたてに振る。
「じゃあ、おっかあって?」
「オイラノ、オッカアーダ」
うなずくことさえおどろきなのに、恐竜の子はヤヨイの問いかけに返事をした。
「こっちの言ってることがわかってるみたいよ。どういうことかしら?」
「たしかなことは言えんが、思い当たることはある」
博士は立ち上がり、動揺を隠すようにヤヨイに背を向けた。それから腕組みをすると、なにかを思い出すようにじっと押し黙った。
ヤヨイがそんな博士の背中に問う。
「ねえ、思い当たることって?」
「じつはだな。今回ためしに、高等生物の遺伝子を組みこんでみたんだ。たぶんそれでだろう」
「それにしても、たったひと月の間に言葉の意味を覚えるなんて」
「覚えたんじゃない、生まれもって備えていたんだろう。言葉を学習した脳細胞そのものをな」
「えっ? だったらお父さん、その高等生物っていうの、人のことなの?」
「ああ、ワシのものだ。ワシの遺伝子が、脳細胞の成長に影響したとしか思えん。ワシも子供のころ、母親のことをおっかあと呼んでおったからな」
博士はそこまで話すと、くずれ落ちるようにイスにもたれかけた。
「ねえ、どうして? 人の遺伝子を組みこむのはとても危険なことだって。それはお父さんがいつも言ってたことよ。脳は人間なのに、体は恐竜だなんて」
「オマエも知ってのとおり、脳細胞の再成長には高度に進化した遺伝子が必要だ。ところが長い間、どれもこれもうまくいかなかっただろう。だから今回、ワシのものでためしてみたんだ」
「だからって……そんなことするなんて、お父さんらしくないわ」
ヤヨイの目には、あふれそうなほど涙がたまっていた。
今にも泣き出さんばかりだ。
「まさかこんなことになるとはな」
博士は頭をガリガリとかきむしった。
白髪まじりの髪がクシャクシャになる。
オッカアー。
恐竜の子が力なく叫んだ。
澄んだ目は、だれかを探すかのように宙をさまよっている。
「ごめんなさいね」
ヤヨイはオリに手を当てうなだれていたが、思い立ったように博士に向き直った。
「この子、もう研究には使わないで。お父さん、お願いだから」
「そうだな。ここで静かに育て、成長するのを見守ってやろう。それで許されるとは思わんが、そうしてやるのがせめてもの罪ほろぼしだ」
博士はヤヨイの目を見た。そして、しっかりとうなずいてみせた。
博士の遺伝子が組みこまれたことにより、メイの知能は類人猿をはるかに超えていた。生まれた時点ですでに、人間の幼児ほどまでに発達していたのである。
こうして――。
恐竜の子メイは、体は恐竜で脳は人間という、両方の特性を持って誕生していたのだった。