チョウのタマゴ
かたやオーガスト研究所。
今しがたパトカーが一台、正門から入ってきて正面玄関前で止まった。
車から降りる刑事たちを、数人の白衣を着た男たちが出迎える。その中に、白髪まじりの髪を無造作に伸ばした者がいた。
所長の文月博士である。
この文月博士、動物の遺伝子研究では名の知れた科学者。なかでも恐竜の研究にかけては、この博士の右に出る者はいなかった。
「朝早くから申しわけない。ワシは文月といって、ここの所長をしておる」
「キサラギと申します。博士、さっそくですが現場を見せていただけませんか?」
眼光の鋭い男が前に進み出た。今回の事件の指揮をとるキサラギ警部である。
「ああ、ついてきたまえ」
博士は刑事たちを引き連れ、さっそく事件のあった部屋へと案内した。
いくつもの部屋の前を通り過ぎ、建物の奥まった場所にある部屋の前で足を止める。
「ここはタマゴのふ化室だ。夜中のうちに、この部屋から消えたんだよ」
博士はドアを引き開け、背後の刑事たちを中に招き入れた。
部屋には白衣の若い女がひとりいて、一瞬おどろいた顔をしたが、それでもすぐに刑事たちに向かって頭を下げた。
博士が紹介する。
「ワシの娘で、ここではワシの助手をしておる」
「ヤヨイと申します」
「事件の指揮をとることになったキサラギです。それでさっそくですが、タマゴというのは?」
「あの中だ」
博士の視線の先――中央のテーブルに、計器のついたガラスケースが置かれてあった。
キサラギ警部がさっそく中をのぞき見る。
「なるほど……」
そこには割れたタマゴのカラがあり、大きさはニワトリのタマゴの数倍ほどもあった。
「この中身が行方不明になったんですね」
「生まれてすぐに、行方がわからんようになってしまったんだ」
「恐竜とお聞きしましたが?」
「ああ、なんなら証拠を。ヤヨイ、あれを見せてあげなさい」
「どうぞ、こちらへ」
ヤヨイは壁際に置かれたパソコンの前に座った。
そのヤヨイのまわりに刑事たちも集まる。
ヤヨイがマウスを操作すると、パソコンの画面にガラスケースのタマゴが映し出される。
タマゴは小刻みにゆれていた。
「あっ、ヒビができています」
刑事の一人が声をあげた。
それからまもなくして、タマゴの割れ目から黒っぽい手が出てきた。
それには指があり爪もある。
「あとちょっとだよ」
博士の言葉どおり……。
手が動くにともない割れ目は広がっていき、やがてそこから突き出すように顔が現れた。図鑑で見る恐竜そのものである。
「どうだね、信じてもらえたかな」
「たしかに。ところで、この恐竜のタマゴ、いったいどこで?」
キサラギ警部はテーブルにもどると、あらためてガラスケースの中をのぞきこんだ。
「なに、それはダチョウのタマゴだよ」
「そうでしたか」
「ダチョウのタマゴを使って、我々は恐竜の研究をしておるんだ」
「ですが、博士。ダチョウのタマゴから、どうしてあのような恐竜が?」
「鳥は恐竜の子孫だ。そのことは君たちも知ってるんじゃないかな」
「はい、聞いたことはありますが」
「恐竜の子孫ということは、それに近い遺伝子を持っていることになるだろ。ダチョウを使うのは、恐竜に見合うタマゴの大きさからだよ」
「それにしても……」
「納得がいかないようだな」
「それだけで、どうして恐竜になるのかと?」
「それはだな、タマゴが親鳥の体内にあるうちに、人の手を加えてやるからだ」
「遺伝子操作ですね」
「よくわかったな」
「それくらいはなんとなく」
「で、重要なのは進化の遺伝子だ。つまり進化の過程にあるものを恐竜の段階でストップさせ、そのまま恐竜として成長させるんだよ」
「すごいですね。それでダチョウを恐竜に変えてしまうとは」
「だがな、それだけでは恐竜にはならんのだよ」
「では、ほかにも?」
「恐竜として成長させるには、それに関連する重要な遺伝子が必要なんだ。ワシも長年、そこに苦労してきたんだがね」
「関連する遺伝子と言いますと?」
「そいつは企業秘密だ。研究には莫大な金をつぎこんでおる。それにライバルもいるからな」
「企業秘密じゃ、聞くわけにはいかないですね」
「苦労を重ねたそのことも、最近になってやっと成功したんだが……」
「夜間に生まれ、そして行方不明に?」
キサラギ警部が博士の言葉を継ぐ。
「誕生の時期が予想より早くてな。そうとわかっておれば、夜間もそばについておったんだが」
「盗まれたのではないかと聞きましたが、逃げ出したということは?」
「ワシもはじめはそう思った。だがな、盗まれた可能性も考えられるんだ。それで念のために、こうして君たち警察に届けたんだよ」
「なぜ、盗まれたとお考えに?」
「この部屋だけは特別に、夜間はかならずカギをかけておったのでな」
「では今朝も、この部屋にはカギがかかっていた。そうなんですね」
「そう、ずっと密室だったんだ」
「なるほど、たしかにそれは妙ですね。で、外部から何者かが侵入した痕跡は?」
部屋の中をグルリと見まわしてから、キサラギ警部はやっと刑事らしい質問をした。
「それがまったくないんだよ」
「その道のプロなら痕跡は残しませんので。これから先は、わたしたちにおまかせください」
さっそくキサラギ警部は、捜査用の白い手袋をポケットから取り出した。
さて、ガンタンのかくれ家。
ガンタンはコーヒーを飲みながら、のんびりテレビのワイドショーをみていた。その足元では、メイがスヤスヤと寝息をたてている。
「やっ、こいつは!」
声をあげ、おもわず身を乗り出した。夕べ盗みに入った研究所が映し出されたからだ。
『次は行方不明の恐竜の子ですが……』
司会者が話を進める。
ガンタンの目は、テレビの画面に釘づけになっていた。
『それでは現場の……』
司会者がレポーターの名前を呼ぶ。
画面がスタジオから現場に移り、マイクを持ったレポーターがアップで映し出された。
『今、オーガスト研究所の前にいます』
正門を背後にして、レポーターが早口でしゃべり始める。
『行方不明の恐竜の子ですが、その後についてお知らせいたします。この付近は現在も、多くの捜査員によって捜索が続けられています。しかしながら依然として、恐竜の子が発見されたという情報は入っておりません』
ここでレポーターに、司会者から声だけの合いの手が入った。
『その恐竜、危険ということは?』
『生まれたばかりですので、その点については心配ないと聞いております」
『安心しました。それで、恐竜の誕生場面の映像があるそうですね』
『はい。その録画、つい先ほど公開されたところであります』
『さっそくですが、視聴者の皆様にお見せしたいんですが』
『承知しました』
画面からレポーターが消え、かわってガラスケースの置かれたテーブルを、真上からとらえた映像が映し出された。
場面は、タマゴが割れる瞬間から始まっていた。
誕生のようすが刻々と映し出されてゆく。
恐竜の子はタマゴから出ると、ガラスケースの淵を乗り越え、それからすぐにカメラの射程内から消えてしまった。
ここでテレビ画面は、ふたたびマイクをにぎったレポーターを映し出した。
『研究所の話によると、生まれた恐竜はこのあと消えてしまったそうです。何者かに連れ去られた可能性が高いとして、警察は今も捜査を進めておりますが、恐竜が建物の外に逃げ出したのではないか、そうした考えも捨てておりません』
『盗まれた可能性の方が高いんですね』
司会者の声が入る。
『はい。関係者の話によりますと、恐竜にはかなりの価値があるそうです。ですから、それを知っている者の犯行、そうも考えられるわけです』
『どれほどの価値があるのでしょうか?』
『研究所は、発見した者には三千万円の懸賞金を出すと、つい先ほど発表しました』
『それはすごいですね』
『すでに懸賞金目当てに、研究所の周辺にはぞくぞくと人が集まっています。ではこれで、スタジオにマイクをお返しします』
カメラの前からレポーターが走り去っていく。もちろん恐竜を探しにであった。