湖のある山荘
一週間が過ぎた。
ヤヨイにとって、この一週間は耐えがたい時間だった。どれほど涙を流したかしれない。
あの日から……。
毎日のように警察署に呼び出され、長い時間きびしい取り調べを受けた。さらには父親の文月博士が、メイの死を知ったショックで倒れてしまった。
なお悲しいのはガンタンの死である。しかもそれは事故でなく、ガンタン自ら車ごと谷底に飛びこんだという。
しかし……。
どうしてもメイの死を受け入れることができなかった。
そして、やっと自由になれた今日。
――もしかしたらメイだけでも。
ヤヨイはかすかな希望をいだき、そのことを自分の目で確かめようと山荘に向かっていた。
神無山へ向かう途中。
ふもとのスーパーに立ち寄り、ヤヨイはメイの好物を買いこんだ。生きていて欲しい、その思いがそうさせたのである。
山荘に着くなり、ヤヨイはハッとして車を飛び降りた。
わずかだが玄関のドアが開いている。
――もしかして?
玄関へと走り中をのぞくと、食堂のテーブルのそばでメイが横たわっていた。
「メイ!」
メイにかけ寄って抱き上げる。
メイの体は冷たく、目は固く閉じられていた。強くゆすってみるも、なんの反応も示してくれない。
「ねえ、どうしてなの。どうしてメイまで死ななきゃいけないの?」
しばらくの間……。
メイを抱きしめたまま、ヤヨイはその場で泣き続けていた。
どれほど泣いたであろうか。ふと、傷だらけになったテーブルの脚が目に入った。
――よほどおなかがすいてたのね。こんなものまでかじっちゃって。
ヤヨイは思い出した。
ガンタンのかくれ家で、冷蔵庫をからにする勢いで食べる、メイの姿を……。
と、そのとき。
背後で床を踏む靴音がする。
――えっ?
振り向いたヤヨイは、そのまま凍りついたように立ちすくんでしまった。
「警部さん……」
「悪いがあとをつけさせてもらいました。あなたがなにかを隠している、ずっとそうにらんでいたものですからね。恐竜が車に乗っているのは、部下のだれもが見ておりません。ガンタンがどこかに隠した、そうしことも考えられますので」
キサラギ警部が歩み寄ってくる。
「やはり、わたしの思ったとおりでした。でもまさか、こんなところにいたとはね」
「メイ、死んでるんです。ここに来るのが遅かったんです」
「ええ、わかってますよ。あなたがここに入ったときから、ずっと拝見しておりましたので」
「お願いです、この子を連れていかないで。連れていくなら、わたしだけにしてください。悪いのは、みんなわたしなんですもの」
キサラギ警部からかばうように、ヤヨイはメイを強く抱きしめた。
「ヤヨイさん、あなたがなにをしたと?」
「わたし、ガンタンさんたちに協力しました」
「それはおどされたからでは? 取り調べでは、そういうことになっていますがね」
「わたし、警察でウソを……」
「おかしいな。ゲシロウたちも、自分たちがあなたをおどしたんだと、そう話してるんですよ」
キサラギ警部が首をかしげてみせる。
「あの二人、わたしをかばってるんです。それにこの子を作らなきゃ、ガンタンさんだって」
「たとえそうであっても、わたしにはもう関係のないことですよ」
「関係ないって?」
「わたし、警察をやめたものですから」
「えっ、いつ?」
「ついさっきですよ」
キサラギ警部はヤヨイに背を向けると、外の景色に目を向け言葉を続けた。
「ヤヨイさん、何事も隠れてやるときは、ドアぐらい閉めるもんです。あんなに泣いているのを見せられたら、刑事をやめたくもなりますよ」
キサラギ警部が笑いながら振り返る。
「じつはですね、ガンタンが死んだときから迷っていたんですよ。刑事でいることがホトホトいやになりましてね。でも、ふんぎりがつきましたよ。泣いているあなたを見ましてね」
キサラギ警部はそう言ってから、神妙な顔つきで視線をメイに向けた。
「それで死んでしまった恐竜は、これからどうされるんですか。やはり研究のために解剖を?」
「とんでもありません、解剖だなんて。メイはここで静かに眠らせてやります。だってガンタンさん、この子を自然の中で自由にさせてやりたいって。ですからこの山荘の庭に……」
「ではわたしにも、そのお手伝いをさせていただけませんか?」
キサラギ警部はヤヨイに、メイのお墓を作ることを申し出たのだった。
ヤヨイは陽当たりのよい場所を選んだ。
そこから青々とした湖面と緑の森が見渡せる。
キサラギ警部がスコップを使って、陽の光が注ぐ庭の一画を掘り始めた。
「ゲシロウさんとトウジさん、ガンタンさんが死んだことを知ってるんでしょうか?」
「もちろんです。あの二人、大泣きしていましたよ」
「とっても仲が良かったから。それでゲシロウさんたち、これからどうなるんでしょう?」
「アイツらならじきに出てこれますよ。盗みの片棒をかついだだけですからね」
「安心しましたわ」
「ですがね、あれだけの事件を起こしたんです。この町には、さすがに残れんでしょうな」
「そうですか……」
ヤヨイはひどくつらかった。
自分たちの身勝手な研究に、関係のない二人を巻きこんだのだ。
「それにしても人騒がせな恐竜でしたね」
「みんな、父やわたしが悪いんですわ。恐竜なんて作らなきゃ、こんなことには」
「今となってはすべて終わったことです。さあ、できましたよ」
キサラギ警部がお墓の完成を告げた。
穴の底に、ヤヨイはそっとメイを横たえた。キサラギ警部がメイに土をかぶせていく。
土の下に消えてゆく、メイ。
「メイ、さようなら」
ヤヨイは別れを告げた。
メイが土の下に隠れて見えなくなった。
最後の土がかけられ、穴が地面と同じ高さに埋めもどされる。
ヤヨイはひざまずいて手を合わせた。メイは二度と帰らないのだと、じっと手を合わせていた。
その間に……。
キサラギ警部は丸い石を探してきて、埋めもどしたばかりの新しい土の上に置いた。それからひざまずいて手を合わせた。
陽の光がメイのお墓を抱くようにつつむ。
「ありがとうございます、警部さん。メイも、きっと喜んでいると思いますわ」
ヤヨイは頭を下げてから、スーパーで買ってきた食べ物を取り出した。
お墓の前に、メロン、せんべい、ハムといったものが並んだ。メイの好物ばかりだ。
「では、わたしはこれで」
キサラギ警部が立ち上がる。
「警察をやめて、これからどうなさるんですか?」
「田舎に帰ってのんびりしますよ。それではヤヨイさん、お元気で」
キサラギ警部は軽く手を振り、足早に山荘から遠ざかってゆく。
そのうしろ姿に向かって、
「お元気でー」
ヤヨイは手を振った。
振り返ったキサラギ警部の目がほほえんでいる。
それはもう、刑事の目ではなかった。