出会い
深夜の郊外、裏通りの街路灯がにぶい光を路上に投げかけている。
そこへ……。
全身黒ずくめの男が音もなく現れた。
男は超一流の泥棒、ガンタン。同じ世界で仕事をする者は怪盗ガンタンと呼んでいる。
ガンタンは高い塀の前に立った。木立のすきまから今夜の標的、オーガスト研究所の屋根が見える。
この研究所、なにかしら人を寄せつけないものものしさがある。こうしたものほど、中にはごちそうがあるとしたもの。以前から、ねらいをつけていたのである。
さっそく木の枝めがけ、カギ爪のついた細いロープを投げた。
カギ爪が一発で枝にかかる。
ガンタンはロープを伝い、かるがると塀を乗り越えたのだった。
正面玄関の上部に防犯装置が見えた。
センサーが目に見えない赤外線を放ち、四方八方にニラミをきかせている。この光の糸にわずかでもひっかかれば、すぐさま警備会社のガードマンがかけつけるようになっているのだ。
――うかつに近づけねえな。
木立に身を隠し建物の裏手にまわったところで、職員専用のものなのか小さな裏口が見えた。
運よく防犯装置はない。
木立から出たガンタンは、周囲に注意を払いながら忍び寄ると、愛用のバッグから小道具の金具を取り出し、いとも簡単にドアの錠をはずした。
ドアを開けた薄暗い廊下は、非常灯のわずかな明かりだけ。両側には部屋が奥の方まで並んでいた。
ガンタンは中に忍びこんだ。
耳をすませるに物音ひとつせず、人のいる気配はまったく感じられない。忍び足で廊下を進み、最初の部屋の前に立った。
ドアにカギはついてなかった。少しだけドアを引き開け、小型ライトで部屋の中を照らす。
そこにはテーブルとイスが整然と並んでいた。
どうやら会議室ようだ。
カギのない部屋は、たいしたものはないとしたものである。お目当ては金庫だ。
ガンタンはカギのついた部屋を探し、さらに奥へと進んだ。
ところが……。
どの部屋もカギはついていなかった。
念のために中をのぞいてみたが、実験室や研究室のような部屋ばかりで、ひと目でそこに金庫のないことがわかった。
廊下は途中で交差し右や左に折れる。
ガンタンは自分の位置を確認しながら、それからもカギのついた部屋を探し続けた。
そこは廊下も奥まった場所。
ドアのスキ間から明かりがかすかにもれていた。さらに、ドアにはカギがついていた。
――もしや人が……。
ドアに耳を押し当てるに、物音はしない。ドアノブもまわらない。
部屋の中に人がいない証拠だ。
なんなく錠をはずしてドアをわずかに引くと、部屋の明かりが廊下にもれ出た。
ガンタンは半身になって中をのぞき見た。
部屋の中央、真四角なテーブルの上に、計器のついた機器と水槽に似たガラスケースがある。
――おっと、あぶねえ。
とっさに足を止めた。
天井に監視カメラが取り付けられてあったのだ。
――これがあるってことは。
期待が一気にふくらむ。
この部屋には、盗まれてはこまるものが保管されてあるのだ。ましてや、それが金目のものなら……。
カメラの目は部屋の中央に向いている。それをさけるよう、壁を背にして部屋の奥へと進み入った。
壁ぎわには、保管庫、パソコン、プリンターなどが並んでいた。ざっと見るかぎり、金目のものはなさそうである。
とりあえず保管庫に行く。
トビラはたやすく開くも、中には本や書類が積まれているだけだった。
――あてがはずれちまったな。
ガンタンはそうそうと部屋を出た。
ドアにカギをかけ、入る前の状態にもどす。
なにやらむずかしい研究をしているところだと、うすうすわかってはいた。しかし、こうまで金目のものがないとは……。
――しょうがねえ、引き上げるとするか。
ガンタンが舌打ちをしたときだった。
「オッカアー」
ふいに背後で声がする。
――うわっ!
飛び上がって振り向くと、廊下の暗がりに子猫のようなものがいた。
いつのまに、それもどこから現れたのか。それともこの暗さで、前からいたのに気づかなかっただけなのか。
――猫じゃねえみてえだが。
腰をおり、顔を近づけて見る。
それは二本足でちょこんと立っており、大きさは生まれたばかりの子猫ほどだった。
全身こげ茶色。大きな顔のわりには小さな手と太くて短い足。とんがってゴツゴツした背中の先に太い尾がついている。
――なんでえ、恐竜のオモチャじゃねえか。おどろかせやがって。
声の正体がわかってひとまず安心した。
だが、それもつかのま、恐竜のオモチャがふたたび声を発した。
「オッカアー」
口が動いていた。それに目も、わずかな光を反射させ輝いている。
――よくできてるな。
ガンタンは手を伸ばして頭を触ってみた。
恐竜のオモチャが、ガンタンの手に体をすり寄せてくる。その動きはなめらかで、あたかも生きているようである。
「まるで本物の恐竜じゃねえか」
「オイラ、キョウリュウジャ、ネエ!」
オモチャが返事を返してきた。
さすがのガンタンも、これには目を丸くしておどろいた。返事が答えになっているのだ。
「オマエ、話ができるんだな。ほんとによくできたロボットだぜ」
ついガンタンは、オモチャに向かって話しかけていたのだった。
「ロボットジャ、ネエ!」
「ロボットじゃねえだと?」
「ウン。オッカアノ、コダ」
「おっかあって、いってえなんだ?」
「オッカアダ!」
オモチャがガンタンの顔を指さす。
「なっ、なんだと。それじゃあ、オレがオマエのおっかあだって言うのか?」
「ウン、ソウダ」
「なんでオレが、オマエのおっかあなんだ。オマエを産んだ覚えはねえぞ。だいいち、オレは男だ」
ガンタンは、ついムキになって言い返していた。
このとき。
相手がオモチャだとすっかり忘れていた。それほどよくできているのだ。
「デモ、オイラノ、オッカアダ!」
小さな恐竜が声をあげて泣き始める。
「泣いてもムダだ。オレは、オマエのおっかあじゃねえんだよ」
ガンタンは冷たく言い捨てた。
この恐竜のオモチャ。
もしかしたら最新のロボット型の防犯装置かもしれない。体内のどこかに、カメラが内蔵されていることも考えられる。
――早いとこ、ずらかった方がよさそうだな。
恐竜のオモチャを足で押しのけ、ガンタンは出口に向かって暗い廊下をあともどった。
「オッカアー、マッテヨー」
恐竜が泣きながらあとを追っていく。そして小さな手でガンタンのズボンにしがみついた。
「こら、はなさんか!」
「イヤダ!」
「はなせ! はなせって」
ガンタンは足を振って、くっついている恐竜を振りほどこうとした。
「イヤダ! ツレテッテ!」
恐竜はズボンをしっかりつかんで、どうしても手をはなそうとしない。
そうこうしているうちに……。
恐竜の爪がひっかかって、ズボンのすそがベリベリと破れてしまった。
「おー、なんてこった」
「オッカア、ゴメンヨ。デモ、デモ……」
前にもまして、恐竜が大声で泣き始める。
「こら、静かにせんか!」
あわてて恐竜の口を手でふさいだガンタンであったが、つと首をひねっていた。
恐竜の口にぬくもりがあり、しかも触れた感じがやわらかい。
――なんで?
あらためてじっくり触ってみるに、背中は硬くゴツゴツしているものの、腹はやわらかくふっくらとしている。呼吸もしているし、体温もかすかにある。
――コイツ、金になるかもしれんな。
金にならなければ捨ててしまえばいい。そう思い直し、ここはひとまず連れて帰ることにした。
「わかった、わかった、連れてってやる。だから泣くのはよすんだ」
「ホントダネ」
恐竜はグシュグシュと鼻水をすすりあげ、ようやく泣きやんだ。
「しょうのねえヤツだな」
ガンタンは下心を隠し、いかにもしかたないといったふうに恐竜を抱きかかえたのだった。