立場危うし
最期の雷
第一章 旅立つ海に思うこと
第三話 立場危うし
「で?協力するって事で、良いんだよな?何か言いたそうだったが、結局、頷いたんだ。そう理解するぞ?」
泣き止んで、簡単に化粧を直し、身嗜みを調えた女にそう切り出した。
多少、塗りが濃くなったのは目を瞑る。まあ俺が悪い。
(当たり前だ)
「お、お前が、無理矢理頷かせたんだろう…。取り敢えず、何か事情も有るらしいし、仲間の為にも協力はする。しかし、状況は少し厳しい」
「ああ、さっき言い渋ってた件か?吊るさないでやるから、とりあえず言ってみろ。大体、トラウマの話しを聞いてから、俺からは言ってなかっただろ」
言っとかないと、コイツは何時までも拘りそうだから仕方無い。
「はっ?じゃあ!あの話しをしてから吊るす気が無かったという事か!?」
「そうだよ!わざわざ、言ってやる気も無かったが、話しが進まんから言ってやった。ただし!エジソンと仲間の件はいまだに有効だからな!」
「意外と優しいんだな…吊るさないと約束してくれただけ有難い」
エジソンと仲間は私が守ってみせる──と続け意気込む女。なんだか解らんが、やる気がみなぎって来たらしい。
後、優しいとかヤメロ、寒気がする。
「あーはいはい、お前の決意は解ったから、はよ言え」
「ああ、何処からだったか…」
「間違ってバカを助けて、裁判沙汰になった後だ」
「いや間違いでは無いだろ…。まあ、良い、お前はそういう人間なのだろう。お前、うちの傭兵団の団長は知っているか?」
あ?コイツ、ちょっと優しくされたからって調子乗って無いか?
(…優しくしろよ?)
ちっ、まあ良い、今は情報だ。
「ああ、海運女帝エルメダ・セルネリアだろ?確か、かなり気っ風の良い人だって聴いたぞ?」
つーか、エルメダから入んのかよ…。底辺クズ野郎の話しに、なんでエルメダの名前が出るんだよ。どうにも嫌な予感がする。
「やはり知っているか。そうだ、団長は気っ風の良い人だ、何せ私を匿う事も、信用の置ける相手からの願いと言うだけで、二つ返事で受け入れてくれた人だ」
「あぁ?オメーこの船の船員じゃなくて、エルメダに匿われてんのか?」
「ああ、歳の離れた妹の様に、良くして貰らっている。普段はエジソンで、仕事をさせて貰っているがな」
ふーん──と、何でもない風に相槌を打ちながら、考える。
なんで、そんなのが案内係やってんだよ。地雷か?
万が一、罷り間違ってコイツを殺っちまったら大変な事になるぞ。
(出来もしないクセによくもまあ…。精々、泣き付かれぬように、優しくしてやるんじゃな。くくくっ)
みかりんが黒笑いしてる!みかりん…渡世の闇に染まっちまって…俺は悲しいぞ。
(ぬっ…お前程では無いぞ…お前こそ昔はいつもニコニコと可愛かったのに…)
よし、流そう!昔は可愛かったモードは駄目だ。
(…ちっ)
「で?そのエルメダがどうしたんだよ?」
「団長が、裁判の後に行われた幹部会で言ったんだ。『過ぎた事は仕方無いさ。そもそも、女を泣かしてスイーパーなんてやろう、ってクズを船に乗せるのが悪いんだ。今後は乗せないようにしな!』とな?」
「……」
は?
(正にお前の事だな…)
上が決めたって…トップじゃねえか!
なんで、女泣かせた底辺クズの処遇一つを、団員総数25万から成る大傭兵団のトップが言及すんだよ…。おかしいだろ…。
この船の傭兵達は、柚子姉の叫びを聴いている。言い逃れは出来ない。
もう流石に、みかりんと巫山戯る余裕は無い。
悪いがみかりん、少し黙っててくれ。
(うむ…)
「それに…疑わしきは罰せず、だったからな。今日まで、それで乗船拒否した事が無い。今回が幹部会後、初の事例なんだ。流石に見逃せないだろ?」
更に駄目押しが入った。
だが、諦める訳にはいかない。
「いやおい…だろ?じゃねーよ。お前、エジソンと仲間守るんだろ?つーかほっとけよ!何でそんな事、気にすんだ!気っ風が良いなら!小さい事気にすんなよ!」
ダメ元で食い下がる。
コイツに言っても始まらないのは、解ってる。解ってるが…言わずに居られない。
「いやっ、そうなんだが、状況的に詰んでいる。それにこれは、団長の気っ風の良さと、その気概が有ればこその話しなんだ。元々、団員の間でも、似たような事案に不満の声が上がっていてな。団長の後押しが貰えたと、みんな張り切っている。お前だって、そんな風に言っているが、解ってるんだろう?わざわざ、うちの船を選んで乗った、と言っていたじゃないか」
女は俺の気勢を削ぐように、眉をハの字に、申し訳無さそうな目で俺を見ながら、宥めるを様に言いやがった。
なに…勝手に諦めてんだよ。
しかし、そんな目をする理由も解る。
「ああ、解ってるよ。解ってたよ。でも、ちゃんと聴かないで、納得したく無いから食い下がったんだ。良いよ言って、言いたいんだろ?」
「解るか!?お前は何となく事情通らしかったが、やはり解ってくれるのか!?」
身を乗り出すな…。そんなに嬉しいのか。
真面目そうな目をしながら頬が緩んでやがる。
こっちの気も知らずに嬉しそうにしやがって。
この態度で解る。
「では、言わせて貰おう」
女はそう言うや、ベンチから勢い込んで立ち上がり、『セイレーンの涙』特有の姿勢──直立で右拳を胸の中央に置き、水平に構えた姿勢──を取る。
『解るか』と言われたが…俺はまだ何も言って無い。
まあ、言いたくてしょうがないんだろう。
不味い、洒落じゃ済まねぇ。俺の立場は予想以上に酷い事になっている。
「コホン…我等!『セイレーンの涙』は人類の最先鋒としての気概を以て、海を往く!先駆けたる我等が揺らげば人類の未来が揺らぐ!故に!我等が船にクズを乗せる道理無し!」
女の態度に、危機感を抱く俺の前。浮ついた感じだった女は、弛んだ頬を咳払いと共に引き締め、彼等の決まり文句を高らかに唱えた。
最悪だ。
エメラダの名前に感じた嫌な予感は、見事に的中していた。
きっと運命の神様は俺の事が嫌いなんだ。
巫山戯んなよ…。なんでこうなる。
別れと共に踏み出した一歩目を、どうして、こんな形で踏み外すんだ。
ままならねぇ思いを持て余して、情けなくも自分可愛さに、恋人達を泣かしたのは事実だ。
それでも二人は、涙で目元を濡らしながらも、見送ってくれたというのに。
その涙に見合うだけの事を、何一つしないまま、他所のクズのツケを回されて、当事者でも無い出しゃばりに、お得意の決まり文句で拒絶の意思を宣言された…。
なんなんだこれは。
二人に恨まれ、糾弾されるなら良い。それだけ想ってくれていたのだと、幾らでも頭を下げるし、どんな言葉だって受け止める。
だが…こんな勝手な理屈で、第三者から物言いをつけられてたまるか。
たかだか調子に乗った乗客一人守れずに、怪我を負わせたのは、居合わせた傭兵共が弱かったからだ。
それを、元々不満が溜まっていたからと、自分達の矜持にしている言葉を故事付け、事の原因を他者に求め、他人の事情も省みずズケズケと物を言う。
調子に乗ってんじゃねぇよ…。
弱いなら鍛えろ、間に合わねぇなら人員を増やせ。自分達の不足のツケを人に押し付けんな。
だが、こうも思う。
流石は『セイレーンの涙』だと。
決まり文句の中にある、『人類の最先鋒』の文言は伊達じゃない。コイツ等は本当にそういう傭兵団なんだ。そうで在ればこそ、下らねえ人間に足を取られるのを嫌う人種が多く居る。
怒りを抑えろ…俺は、コイツ等を頼りに、この船に乗り込んだんだ。この上、更に拗れるのは不味い。あの決まり文は句伊達じゃない。何も考えずに敵に回して良い相手じゃない。コイツ等が何者か思い出せ。
かつて、傭兵連合樹立前、高位変異性魔力の拡散により、海に魔物が発生し始めたばかりの頃。
既に、生態系の回復が絶望的であると判断した地球連邦政府は、それを政争の道具にしようとした。
簡単に言えば、政敵──国際企業連合会と、一部、旧国家級自治領──への抑止力として、制海権を牛耳る事を目論んだ訳だ。
そのプランの一つとして、当時──天道財閥による魔法技術体系の開示により始まった、魔法科学躍進期、最初期──その時点で、魔力兵器、魔力兵装の実戦投入、及び、運用ノウハウを確立するに至った有望な傭兵団を、政府に帰属する戦力として、抱き込む計画があったらしい。
それに際し、連邦政府手動により、各傭兵団の幹部達を集めて、開かれた立食パーティーの会場。
そこで…当時、十代後半という若さで団長を務めたエルメダが、会場全体に聞こえる大音声で、言い放ったのが先の言葉だ。
以後、エルメダ率いる『セイレーンの涙』は、、それに同調した十六の傭兵団を傘下に納め、吸収。世界最大規模の傭兵団となった。
結果、政府の目論見はこれを発端にして崩れた。
エルメダ自身は、それ以来、先の言葉を公に言い放った事は無い。
しかし、その言葉に違わぬ実績を積み重ね、精力的に傭兵団を運営していった。
その姿に心酔した部下達は、いつしかその言葉を、傭兵団の矜持とし、その矜持にかけて行動する時の合言葉とした。
つまり、いま俺の目の前で唱えられた決まり文句は、『セイレーンの涙』に所属する人間に取り、傭兵団の矜持と気概を示す言葉で在ると同時に、不退転の決意を示す言葉だ。
コイツ等はその言葉に違わず、世界中の海で魔物を相手取り、血を流して来た奴等だ。
その戦果と重要性は世界中の人間が知っている。
だからと言って、理不尽を感じるなと言うのは無理があるが、間違っても正面からやり合って良い相手じゃない。
怒りを抑えろ。ただ…運が悪かっただけだ。コイツ等を頼りに来たんだ。頼らなきゃならないのは、俺が足りないからだ…。今は飲み下せ。
怒りと無力感に苛まれながら女を見た。なんか可笑しな動きをしている。少し、気を紛らわしたい所だが…コイツを見て和めるかは微妙だ。
女は、決まり文句を言い終わった今、初めて言った…、とか言って、なんだか感動に打ち震えている。
何とも嬉しそうなのがムカつくが、…『人類の最先鋒』の下っ端なんだ。事情が解っていれば、この程度は可愛いと言えなくも無い。
事情と言うのは…この決まり文句、一時期、一部の団員達がそこら中で連発していたらしい。
彼等は外部から海兵と呼ばれ、煙たがられた。苦情が殺到してもそれは変わらず、そんな中、ある事件が起きた。
その事件の解決の後、団員一同エルメダから、『矜持や気概は内に秘めてこそだ!それを、賢しらに言って回る時間が有るんなら、一匹でも多く魔物を狩りなっ!そうする事でしか、報いる事も示す事も出来やしないんだよ!増長してんじゃない!』との、お叱りを受けたという。
有名な話で、どこから漏れたか、エルメダの肉声がそのままネット上に貼られていた。
現在では、その状況に直面した部隊の最上位者が、部下達を鼓舞し、相手を威圧する目的で唱える言葉になっている。
コイツが喜んでいるのも、仕方無い。
本来、コイツの様な、年若いペーペーが口に出来る言葉ではない。
『セイレーンの涙』では、下っ端はこの決まり文句を言いたくて、下積みを頑張るらしい。
それを思えば、まぁ微笑ましいと言えなくも無い。
しかし、初めて言ったとか喜んでるが、初めてにしては、完璧に言い切っていた。絶対、隠れて練習していたに違いない。みんなコイツみたいに隠れて練習しているんだろうか。正直、微妙だ。
後、『故に』より後は状況により、発言者当人のアドリブだ。
つまり、コイツは俺に、面と向かって高らかに『クズ』と言った訳だ。少なくとも俺はそう理解した。裁判沙汰を起こしたクズの事だと言っても聞いてやらん。絶対、虐めてやろう。
「はぁ…」
額に手を当て、天を仰ぎながらため息をつく。
気を紛らわせようと、可笑しな動きをしている女を見て、普段の自分が考えそうな事を思ってみたが…。駄目だ…。
怒りは飲み込めたと思う。無力感もどうにか堪えた。
でも、悔しくて堪らないし、先行きが不透明過ぎて、どうにも足下がグラつく様な軽い絶望感が拭えない。
当たり前だ。
俺は、『セイレーンの涙』の統率力と精神性に、ちょっとした尊敬の念さえ抱きつつ、彼等との間にコネクションを作りたくて、この船に乗り込んだんだ。
なのに今、真正面から、彼等の不退転の決意の元、彼等の精神性の支柱である、あの決まり文句を向けられる立場に立っている。
それも、何ともアホらしい理由で…。
今後の目標の為には、彼等とのコネが絶対に外せない。
それが無ければ、俺は恩人の一人を見捨てる事に成り兼ねない。
見捨てる以前に、全て終わってしまった後、事実だけを突き付けられる事になるかも知れない。
恩を返すどころか、その為に動く事さえ出来なかったなんて事は、とてもじゃないが耐えられない。
本当は、ため息だけではなく、泣きたいくらいだ…。
復讐云々はあっても、先ずは恩人の助けに成るべく、その為の足掛かりを得ようと、この船に乗った。
なのに、何もしない間に俺は、頼みの綱たる傭兵達の不退転の敵。
柚子姉と木実のせいじゃない。
俺の甘えが、この事態に繋がった。
成すべき覚悟を抱く事さえ、満足に出来なかったからだ。
足りない、本当に足りない、俺はいつも足りない物だらけだ。
(当然じゃ。お前はまだ若い。足りぬ物だらけじゃ…。されど、行こうと思ったのじゃろ?まだ、頼りの者と直接話しても居らぬというのに、打ち拉がれてどうする?あの者は、斯様な者達の犇めく先に居る者ぞ?この程度の事で一々揺らいでいる様で、届くと思うのかえ?)
届かねぇ、このままじゃ駄目だ…。
(ならば強く在れ。足りぬなら考えよ。決断し行動せよ。決断には覚悟がいる。腹を括れ。お前の目指す場所で結果を出す為に、お前が何処までやるのか…どれだけ血を流せるかは、お前の覚悟と決断次第じゃ。雷覇)
みかりんの言う通りだ。
と言うか、普段の俺ならこんなもんで凹むはずが無い。二人との別れは、なんだかんだ。相当にこたえているらしい。
二人はやはり、俺に取ってそれだけ大きな存在だったんだ。
(そうじゃ、今のお前は弱っている。自覚し己を保て、兄貴分二人の教えを忘れたか?)
『キツイ時程、口の端を引き上げろ。そうすりゃ笑った様に見える。漢は痩せ我慢だ』だったな。
(そうじゃ、お前は、その教えの本質を理解しておろ?)
ああ…みかりん、有難うな。
思いながら無理矢理口の端を上げる。
俺は、いずれ全てを満たし『完全無欠の一人で何でも出来る系のパーペキ超人』になる。
しかし、今は無理だ。
今そうでない事は解りきっている。ならそれなりにやるしか無い。
まだ、あの人が死んだ訳でも、ましてや、この船を降ろされた訳でも無い。
少しプランが崩れただけだ。
期待薄だが、コイツの勘違いって線も、有るかも知れない。
思い直し、女に目を向けると、ひとしきり喜び終わったのか、こっちを見すえていた。
「ん?どうした?もう良いのか?」
俺がそう言うと、お人好しが戸惑った様に答えた。
「い、いや、感想を貰おうと思ったんだが…」
途端に力が抜けた。感想求めんなよ…。引き上げた口角がげんなりと下がりそうだ。
「いや、参った、解っちゃいたが、流石は『セイレーンの涙』だ」
でも、流石に突っ込みを入れる気分じゃ無い。
「そ、そうか…有り難う」
戸惑いつつ答える女。
「んあ?なんだよ?感想欲しかったんだろ?」
「いや…感想を貰おうと思ったんだが、お前を見たら、そういう状況じゃ無さそうだったから…な?」
それでこの表情な訳か…。何ともバツの悪そうな顔をしている。
「ん〜まあな。状況が思った以上に悪くてよ?ちょっと、どうやったら見逃して貰えるかなって」
俺は、見透かされるのが嫌で、笑顔を取り繕いながら適当な身振りを入れて視線を宙に移す。
「まだ、諦めないのか?というか、お前、大丈夫か?」
女は、あらぬ方向を向いた俺の顔を覗き込みながら、そう問いかけてくる。
全っ然っ大丈夫じゃねーよ。
「大丈夫、大丈夫、クレイブ艦長に許可貰おうと思ってたのが、お決まりの宣誓で敵認定受けた状態で海運女帝エメラダに許可して貰う事になっただけだ」
それだけだ…。
クレイブ艦長なら話しさえ出来れば、聞いて貰える当てはあったが、エメラダまで引き摺り出して、交渉して敵認定から、お目こぼしを貰い。コネクションを得る。
ただ…そのプランが思い浮かばない。
「お前…酷い顔してるぞ?自分で言ってて解ってるんだろ?もう詰んでるって」
巫山戯んな…。まだ何もしてねぇんだよ。
「まだ詰んでない。最悪、船内に二十日間潜伏して、クレイブ艦長と話しをする機会を捻り出すだけでも良い」
視線から逃れたくて、腕を組み目を瞑りながら答える。
「出来るとは思わないが、もしもそれをやり遂げたらどうなるか解ってるんだろ?」
…コイツなんでこんな食い下がるんだよ。
そんなに諦めさせたいのか?
ああ…俺がエジソンと船員を人質に取ってるからか。
「お前…そんな事したら、例えこの船で誰も傷つけなかったとしても、うちの傭兵団のマトになるんだぞ!どうしてそこまでするんだ!」
……コイツって、ホントなんなんだろうな?
「河童ね…」
「は…?カッパ?」
顔を上げ、目の前に回り込んでいた女を見やり、思わずそう漏らした。
こんな時だが、俺はガキの頃に聞いた昔話を思い出した。今はどうでも言い話しだ。
「いや、何でもねーよ。しっかしお前、お人好し過ぎるぞ?普通、お前の立場で俺の心配とかするか?」
もう、コイツはお人好しと呼ぼう。河童でも良いが見た目に合わん。
「したら悪いか!何か事情が有りそうだったから、聞いてやろうと思っただけだ」
その言葉に目を瞑り、暗くなった視界の中で、少し考えを巡らせた。
(……雷覇)
みかりん、解ってる。ここは…腹を割るべきだ。
閉じていた目を開き、お人好しを見れば、先程まで気遣わしげな目を向けていたその目は、強く俺を見据えていた。
「なぁ、お人好し…ここまでを思えば、非常に図々しい話しなんだが、聞いてくれるか?」
「良いから早く言え」
「俺には何人かの恩人がいてな。その内の一人が、いま窮地に在る。俺はその助けになりたい。アメリカに渡らなくてはならない理由は他に有るが。今でなきゃならないのは、その為だ。この船を選んで乗り込んだのは、お前達の協力を取り付ける為だ。現状、それが不可能に近い」
「っ!何でそういう事を早く言わない!!」
俺の言葉が続くにつれ、お人好しは俺を強く見据えていた目を次第に大きく見開き、言い終わると同時に怒鳴った。
「悪いな。元々はクレイブ艦長にだけ話を通すつもりだったんだ」
「はぁ…他に何か言って無い事は無いだろうな?」
一つ大きく溜め息をつき、じっとりとした目で俺を見てくる。
仕方無いだろうが。大っぴらに話したい内容じゃねぇんだよ。
「後はそうだな、ああ…アレだ。俺はスイーパー志望じゃなくて、既にライセンス持ちだ。一年前に取ってから、まだ一度も仕事して無いけどよ」
「何で今まで黙ってたんだ…」
「いや言おうとしたら、食い気味に『よく聞くな』って返されたからさ。後でいいかと」
「良い理由があるか!で?まだあるんだろう?」
お人好しは呆れたような目で俺を見ている。
「いや、ねぇよ?」
「いいやある!恩人の状況や、他に、お前の潔白を証明出来そうな情報や物品は無いのか?あと、ライセンスカードはすぐに出せるんだろうな?」
「いや、オカンかよ。ライセンスは暫く使わないと思ってたから、この荷袋の中だ」
腕を組んだまま足下の荷物を指差す。
「ふん、少しは調子が出て来たじゃないか。とりあえずライセンスは艦長室に行くまでに、財布にでも移しておいてくれ。で、他は?」
…確かに、こいつと話すうちに少しばかり気が楽になっていた。
状況は何も好転して無いが、味方が出来て少し浮かれたか?一度、敵と断じた相手だが、正直、有難い。
「恩人については長くなるから後だ。物品は無いし、そもそも、女を泣かせたのは事実だ。潔白どころか、真っ黒だ。確認だが、俺の目標は、クズじゃない証明じゃなくて、ちょっと見所のあるクズだと印象付けて、お目こぼしを貰う事だぞ?」
「厶…そうか…というか、お前はクズなのか?」
「は?そこかよ?お前、さっきまでどんな目に合わされたか解ってないの?ムッチャ虐められてただろ?」
「いやだから、八つ当たりだったんだろ?」
は?いやいやいやいや…こいつドンだけお人好しなんだよ!
「いやお前、それは謝った時に辞めてるわ。後のは、お前が気に食わないから、やり込めてやろうと思っただけだよ。つーか散々脅されて、泣かされて、なんで俺がクズじゃないと思えたんだよ!?お前ちょっと頭、変だぞ?」
「気に食わないか…まあ、良い。お前は私に合わない人間なんだろう。容姿と人当たりが良いからと、あの役を貰って居るが、時たま、私を蛇蝎の如く嫌う客も居る。それに、お前がクズじゃないと思った理由はちゃんと有る。私の頭がオカシイみたいに言うな」
「んじゃ、なんでだよ?」
「私にも、いつか恩返しがしたい恩人が居る。そのために動こうとする者を、私はクズと呼ばない」
…ホンットお人好したな。ここまで来ると尊敬するわ。
「はぁ…あんがとよ。だが、俺の自己認識からして、俺はクズ人間だ。そういう相手をあんまヒョイヒョイ信用すんじゃねえ。お前、お人好しなのも大概にしとかないと酷い目に合うぞ……なんだよ?」
なんだかお人好しが、こっちをまじまじと見ていた。
「いや?お前こそ、私が気に食わないと言ったのに、心配する様な事を言うのだな、と思ってな?」
…意趣返しのつもりか?お人好しはしたり顔だ。
「はぁ…あのな?腹割った次いでに言うが、俺はお前の言う、合わない人間が、どういう奴か解るぞ?」
礼代わりだ。チョットしたヒントくらいくれてやるか。
「何!本当か!?教えてくれ!理由も解らず嫌われるのは、割と辛いんだ」
「ああ、ズバリ、自分の事が嫌いな奴や、自分が悪い人間だと認識している奴とその他、事情持ちの奴だ。そういう人間には、お前の態度が酷く感に触る。流石の海兵さんだ」
「はあっ?お前!この状況で良くも私にそんな事が言えたな!海兵はあんまりだろ!あれと一緒にするな!」
最初こそ大人しく聞いていたお人好しは、最後に付け足したタブーに、勢い込んで反応した。
こいつらの間じゃ、海兵という蔑称で呼ばれる事は、酷い侮蔑を受けたと感じられるのだろう。
「まあ、落ち着けよ。教えてやっただけだろうよ。確かに海兵は言い過ぎだが、お前の印象は海兵(笑)くらいだぞ?返って質が悪いかも知れないがな」
ああ、コイツに海兵は勿体無い呼び方だ。
「か…海兵(笑)?何だそれは!質が悪いとはどう言う事だ!」
「だってお前、正義の味方する上に、その状況を楽しんじゃう奴だろ?昔、海兵って呼ばれたのは、お節介にも、何時でも何処でも、正義の味方を大真面目にやっちゃう奴等だったと考えれば、お前は海兵(笑)だ。海兵モドキでも良い」
そう、俺の認識では海兵はコイツの上位互換と呼べる連中だ。
「ぐ…少しテンションが上がるのは自分でも悪いと思っているが、海兵共を正義の味方と呼ぶのはどうかと思うぞ?」
お人好しは苦そうな顔で、微妙に拗ねたような声色で指摘して来る。
「いや、この認識で間違っていないはずだ。お前等の間で海兵がタブーで、連中が、増長慢のバカだという認識になっているのは、エメラダの手腕だな。そうやって、お前等を守ったんだ。時間が有る時に、『海兵事件』って調べて見ろよ」
「守っただと?海兵事件?あれはバカがそのツケを払った事件だろ?」
「お前が海兵をバカと言うな。良いから調べてみろ。今のままだと、そこがお前の行き着く場所だ。ハッキリ言って、相当やばいぞ?」
「…解った。時間が有る時にな。と言うか!恩人の情報は!?」
お人好しは、納得行かなそうな顔で了承した。まぁ…ヒントだし、こんなもんで充分だろう。後はコイツ次第だ。
今はもっと話しておくべき事が有る。
「…ああ、かなり面倒な立場に居る人でな。状況としては後一年以内に…と、誰か来たな」
言葉を途中で止め、気配の方向に振り返る。今度はガキじゃない。耳をすますと軽快な足音が聞こえてくる。
俺達は4,5番デッキ──貫通する吹き抜けになっている──のセレモニーホール中央に位置する、中央大階段の広い踊り場で話しをしていた。
どうも、セレモニーホール内に誰かが入って来たらしい。
「せーいちゃーん!いるー?」
女の声だ。せいちゃんとはお人好しの事か。
「いるぞー上の踊り場だぁー。ふむ…少し時間を掛け過ぎたか?同僚が探していたらしいな」
「いや、お前…無線は?」
あれ?何だっけななんか忘れてる様な…。
そうこうしている間に、声の主が階段を上がって来る。
「ん?ああ!連絡しておけば良かったな。悪かったなキアラ」
(ふむ、こやつもか)
みかりんの言う通り、こいつはお人好しの『お仲間』だ。どんだけ匿ってんだ?
キアラと言うらしい。ウェーブのかかったキメの細い金髪を、肩まで伸ばした女だ。
「せいちゃん無線も通じないから心配したよ?それで?密航者のクズの人はそっち?っ!」
「ん?通じない?おかしいな…」
こいつ、口悪るいな…。見た目の印象的にも、はねっ反りと呼ぼう。
つっても、いま喧嘩腰で反応して、拗らせる訳には行かないか。
「いやー、なんか凄い言われ様なんですけどー。出来ればこのお嬢さんにも協力して欲しいし、なんか言ってやってよ。せいちゃん?」
名前と言うか、愛称が判明した、お人好しを振り返り、そんな風に戯けて見せたのだが…固まっていた。手には無線機を握り締めている。
あっ、思い出した。取り敢えず謝ろう。
「あっ悪い、それさっき電源切っといた」
瞬間、お人好しは再起動した。
「お前かぁ!!一体いつ切った!いつから切れていたんだ!」
「あーいや、さっきベンチの所で揉み合って制圧した時」
「あの時か!どれだけ前だと思っているんだ!と言うか、お前がせいちゃんと呼ぶな!」
「いやだって名前知らないし、あっちの子がスッゴい言いようだったから、ちょっとフレンドリー気取ろうかと思ってよ?」
言って指差した先。はねっ返りは表情を消し…わなわなと震えていた。
表情は目元が前髪の陰になって解らない。
「ねぇ…せいちゃん…そいつに何されたの?揉み合ったって何?無線切られて気付けない様な事されたの?それに、何でそんなメイクしてるの?」
は?何か殺気出てね?
「え?ああ、ちょっとな?アハハハ」
「いや!?お前!もうちょっと良い誤魔化し方無いのかよ!」
お人好しが、そう誤魔化した瞬間、はねっ返りが無線機を取り出した。
「こちらキアラ…せいちゃんを発見しました…はい…状況を報告します…場所はセレモニーホール中央階段踊り場、無線機は男に電源を切られていた模様…」
「はっ?おいおい!」
「ちょ、キアラ?」
「はい…『アハハハ』笑いを確認、何か弱みを握られていると確信しました…はい、また…メイクが乗船前と違います。はい…何時もの泣いちゃった時の塗りです。状況から、密航者の男に手込めにされたか、相応の扱いを受けた物と確信…」
「うおいっ!」
(ぷっ…くく)
「てごっ!?お、おい!キアラ!?」
まて!これヤバい!絶対ヤバい!つーか何笑ってんの!?みかりん!
「つーかお人好し!早く止めろ!」
「いや、え?だが!え?」
(ぷくくくっす、すまぬ、ツボった…くく…正にドツボ…くふふ)
こいつら使えねー!!お人好し何テンパってんだよ!みかりん!黙れ!
「はい……最後に、せいちゃんの着衣に乱れを確認、胸元の隊証が有りません、明らかに暴行の後です。報告は以上。これより密航者の制圧に移ります」
その言葉に、二人して胸元に目をやってまじまじと見た。うむ…隊証が無い。かなり大きい。
「はっ!み、見るな!」
お人好しは俺の視線に気付き、胸元を隠す。こんな時ばかり対応が的確だ。
視線を戻せば、はねっ返りは、野太い雄叫びが幾つも聞こえる無線機を白スーツの胸元にしまい、ユラリと向き直る。
その目は血走り、大きく剥かれている。
いま俺の立場って、どうなってんだろうな…。
「…お兄さん…覚悟良いよね?なにか言い残した事ある?」
コイツ制圧する気ねえだろ?
「キアラまてっ」
「せいちゃん、どんな目に合ったのか知らないけど、仇は取ったげるから黙って見てて?」
やるしか無いか…。恐らく援軍が来る。
二人の喋りを見るに、友人関係。仕方ねぇ…協力関係もご破算か…。
成るべく、酷い目に合わせない様に加減しよう。
装備は魔力兵装仕様の大型ナイフ二つと、金属ブーツ。軽装な装いと本人のマナを見るに、風属術式戦士の白兵戦特化型。速さ勝負になる。風は獲物に由来しない攻撃範囲が厄介だが、使わせなければ問題ない。『固有能力』も風と見て間違いない。
「ああ、コイツの胸は形といい、大きさといい、なかなかだったな」
さっき見たままの事実を口にして煽る。92,2‐68,1、F70で中々ナマイキな形をしていた。
その影で、二人に悟られぬ様に緩やかに、そして急速に内気功を練り上げ、体幹から四肢へと巡らせ、戦闘体制を整える。
「お前は何を言って居るんだ!!」
「殺すっ!」
殺気を纏ったはねっ返りは、俺の言葉に腰に下げていた二本の大型ナイフを抜き放つ。コイツは84,3‐65,7、D65流石、『セイレーンの涙』は栄養状態が良いらしい。
俺は、精神体の気功回路に内気功を通し知覚範囲を広げ、船内の気配の動きを把握する。援軍到着まで…3分弱。
「この船でせいちゃんに手を出して、無事で済ますとか、あり得ないから!覚悟しろクズ野郎!」
援軍まで相手取れば徹底抗戦は避けられない。
リミットまでにはねっ返りを制圧し、援軍到着までに、状況を掌握する。
「良いからウダウダ言わずに掛かって来いよ。お前も、せいちゃんと同じ目に合いたいんだろ?アバズレ女」
さっさとかかってこい、時間がねぇんだよ。
「〜〜っ!発動!シルフィード!!」
はねっ返りが風属系加速魔法式の発動句を口にした。緑色の魔力光がその身を淡く覆う。
「ちっ」
おい、邪魔すんな。
はねっ返りが踏み出す直前、黒髪ロングの後ろ頭が、俺の前に飛び込んだ。
余計な事をするんじゃねぇ…。