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6 図書委員長(2)

結局、いざなわれるままに茶室で数時間を過ごし、精神も身体も疲れきった段になってようやくタイチは鴻上家を後にした。


あたりにはすっかり闇が立ち込めていた。だが犯罪都市・豪翼町の1日はむしろここからが本番といえる時間にさしかかるところだ。


街の喧騒は狂騒へと擦り変わる。

阿鼻と叫喚。

血風が死の臭いを運ぶ。


恐ろしくはなかった。

これが豪翼町の普通の姿なのだから。

今日も街は平常運転だ。

何の不思議もありはしない。


「ただいま」


賃貸の錆び付いたドアを開けるとカレーの香ばしい薫りが鼻を刺激する。


「遅くなるなら連絡しろっての、バカ息子」


エプロン姿のままの母が玄関に向かってお玉を投げつける。


「悪かったよ、調理器具を凶器にするなって」


「あんたこそ独り身の若い母親を寂しく待たせんじゃないよ」


桐原貴子(きりはらたかこ) 36歳。

父親が死んでからは女手ひとつでタイチを育ててきた。

どこに行くわけでもないのにメイクはばっちり。年々少しずつ増え始めてきた小皺も目立たない。


「ねえねえ、早く食べなよー。お風呂のが先?」


若くして独りになったんだから男でもつくればいいのにその気配はない。

代わりに息子に甘えた声を出すのはどうにかならないものか。


うんざりしつつもプロ顔負けの手料理には舌鼓を打たずにいられない。

隠し味何使ってんだろ。


この料理を仕事にしたほうがよっぽど儲かりそうなものだが母にはその気はないらしい。


"私の料理のスパイスは愛情なんだから。見ず知らずの人間相手にこの味は出せないのよ"


とは母の弁。


「あんたさあ、最近夜中まで勉強してんじゃん。私知ってんのよー」


カレーをつつくタイチをにやにや見つめながら母が言う。

誤解がある気もするが世間一般の"勉強しなさい"から比べたら母親から貰う言葉としては上出来だろう。


「惣一郎さんも喜ぶわねー。息子の頑張ってるトコ知ったら。今度ちゃんと神棚に飾るから良い答案持ち帰りなよー」


「わかってる」


亡くなった父の名前を久しぶりに聞いた気がする。普段はあまり考えないようにしているからだ。

父は10年前に死んだ。

タイチはまだ6歳で当時の記憶はあまりない。泣き腫らした母の顔だけが鮮明にまぶたの裏に焼き付いている。


何事にもさばさばと割り切って取り組む母の泣き顔を見たのはその時が最初で最後。


豪翼町で人が死ぬなんてありふれた話で何の特別な想いももはや感じない。


記憶の彼方の父の思い出だけが少しだけ頭の内側をちくりと刺した気がした。



1週間が過ぎた。

アカネは依然として登校してくることはない。ノートの記述は増える一方だが急かす相手がいなくては張り合いもない。


すっかり学校もタイチ自身もアカネが転入してくる以前の状態へと戻りつつあった。アイアンメイデンを見かけることも減った。


平和と言っていいのか。

時計の針を戻したかのような日常にタイチは少し退屈をおぼえた。



「ペンが進んでいないようだがどうしたのかね」


「鴻上先輩」


「久しぶりだね、ポリスマン」


この1週間授業後はいつも図書室で過ごしていたにも関わらず鴻上の姿を見たのは今日が始めてだった。

この人は本当に図書委員としての務めとやらを果たしているのだろうか、疑問だ。


「いや、少し考え事を」


「スウィートガールのことかね?」


「違いますよっ!」


図星だ。

声が上ずった。


「まあいつになったら戻ってくるんだろうなとは思ってますけど」


タイチは口を濁した。

今更ながら連絡先くらい聞いておけば良かったかなと後悔する。


アカネの圧倒的な力は嫌というほど見せつけられてきたが万が一ということだって有り得る。

今頃どこかで死んでいたりしないだろうか。そう考えると明日からは寝覚めが悪くなりそうだ。


「何だ、てっきり一緒だとばかり思っていたよ。スウィートガールならさっきそこで見かけたが」


「は?」


「赤髪で刀を背負った少女。聞いたままの姿だ。間違いなかろう」


「はぁ」


気の抜けた返事しか返せない。

人違い、ということはないだろう。

あんな目立つ娘が2人も3人もいて話題にならないはずがない。


「噂をすればだな」


鴻上がカウンターを指し示した。


特徴的な赤い髪。

背中には少女の身体の半分ほどを覆い隠す不自然に目立つ太刀。

着崩した制服に眠そうな眼差し。


どこからどうみても九条茜だった。


少女はカウンターの委員へ分厚い本を3冊差し出した。


「これを借りていくわ」


「あ、すみません。貸し出しはひとり1冊でお願いします」


「聞こえなかったの?これを借りていく」


指し示した手の先には変わらず3冊の本。


「いや、あの」


「3冊、借りていくわ」


明らかに戸惑い始めた委員の頬には大きなガーゼとテーピングが見える。

先日の委員だ。恐らく間宮さんだろう。

いつもいつもかわいそうに。


「ほう、ゾンビの研究本かね。それならばこれがオススメだ。これにしたまえ」


いつの間にかアカネの隣へ立っていた鴻上が2冊を取り上げた。


いぶかし気な目線を投げかけながらもアカネは残った1冊を手に取ると裏表紙をめくってカードを確認した。


「貸し出しカード、誰も名前は書いてないみたいだけど」


「その3冊なら所有しているのだよ。借りるまでもない」


尚もアカネの顔は不満そうである。

半開きの眼と無表情が鴻上を見上げている。いましばらくの沈黙。

体感時間にして2分というところか、アカネはようやく口を開いた。


「わかったわ。これを借りることにする」


「よろしい。良い判断だ。ルールは守らねばな」


鴻上は歯を見せ、タイチは胸を撫で下ろす。


いったい何だこのやり取りは。


「だいたい貸出し1冊って少なすぎよ。改善なさい」


「この学校ならこれで充分なんですよ。それに借りたら返さない連中ばかりですし」


間宮が苦笑する。


「ここにある本の大半は我が鴻上家の寄贈だよ、ゾンビガール。君が手にしているその本もね」


いつの間にか呼び名がゾンビガールに変わっているのは置いておくとして何で俺の周りにはこう変人ばかりが集まってくるのだろうか。

タイチはため息をついた。


「あら、タイチ。久しぶりね。いたなら声くらいかけなさいよ。ぼーっと突っ立って気持ち悪いわね」


「いや、君こそこんなところで何してんのさ。授業もうとっくに終わってるし」


「アタシ、気づいたのよ。ここのほうがうるさい教室よりよく眠れるってことに。しばらくここに登校するわ。アンタは毎日ここまでノートを届けること」



ああ、そうですか。

何のために休んでたのかコイツ忘れてんじゃないだろうな。

もうどうでもよくなってきたが。


「アカネさん、どうせなら図書委員やりなよ。それならここにいる理由にもなるしさ。鴻上先輩も付いてるし学校に来るのも安全になる」


「嫌よ。そんな面倒くさいこと。何でアタシが委員会なんかやらなくちゃいけないのよ。アンタが代わりに入りなさいな」


ある程度予想はしていたがやはり素直に委員会に入ってはくれないらしい。

それどころか押し付けたような印象まで持たれている。


ここのところ大人しくしているアイアンメイデンだっていつまたやってくるか知れたものではないのだ。

ここはタイチも妥協する気はなかった。



「君のためを思って言ってるんじゃないか。まともに登校できなきゃ勉強も何もないんだから」


「やだ。アタシは帰って寝たいのよ」


子どもかと思う理屈だった。

考えてみれば"うるさい"って理由だけで学内最大派閥を敵に回すような娘なのだ。今さら理屈をうんぬんするほうがどうかしている。


「まあ、そう言うな。ポリスマンの想いも尊重したまえよ。委員の仕事は週1度だけだ。何もなければそこのカウンターで眠っていてもいいわけだし、そこまで大変な仕事というわけでもない。どうかね?」


援護の言葉をかけてくれるのはありがたいがろくに委員長としての仕事をしてなさそうな鴻上が言うのもどうかと思う。


「そんなことよりこの1週間でわかったことがある。やっぱりこの街は変よ。フツーじゃない」


何を今さら。

いちばんフツーじゃないのはお前だ。

またおかしな事を言い出すのだろうか。

もう勘弁してくれ。

タイチの焦燥は募る。


「タイチ、あんたが言ってたこの街の支配者ってヤツに興味が出たわ。会わせなさい」


「無茶言わないでよ。たかが高校生が会える相手じゃないって」



ほら見ろ。

いつもアカネが口を開けばまともな言葉が出たためしはない。

田所に会う?

それが何を意味するのかわからないほどアカネも馬鹿じゃないはずだ。

もっともその方法が無いのだから全ては杞憂に過ぎないが。


「無いわけでもないぞ、会う方法」


鴻上だった。

今度はアカネに助け船。

いちばん読めないのはこの人だ。

いったい何を言い出すのかと思えば。


「君たちにこれを差し上げよう」


鴻上は財布から1枚のチケットを抜き出すとタイチに手渡した。


何で俺に?

疑問よりも先に目線は文字を追っていた。


"田所DSCプレゼンツ豪翼総合格闘祭 "


「何ですか、これ?」


「田所が地元のVIP相手に主催している娯楽さ。そいつは招待券だよ、2人までなら入れる。なにせ我が鴻上家は名門中の名門だからね」


それであの豪邸というわけか。

妙に得心がいった。

得意満面の鴻上の微笑みが憎々しい。


「ここに行けば田所に会えるってわけ?」


「直接ではないがね。運が良ければ顔くらい出すだろう」


「そう。じゃあ決まりね」


アカネはタイチの手からチケットをひったくると借りた本をかばんに押し込み帰り支度を始めた。


「ちょうど今日の日付ね。いくわよタイチ」



「え?俺も?」


「何アホ面してんのよ。当たり前でしょ。だれがアタシをここまで連れてくのよ」


豪翼文化芸術会館。

血と暴力の街に最もふさわしくないであろう場所。


そこで行われる支配者の催す祭典。


あまりにも危険すぎる。

少なくともタイチが今まで生き方の方針としてきた"波風をたてず、目立たず平穏無事"


この方針と相容れないことだけは間違いがなかった。


「早くなさい」


変わらずの無表情はタイチを鋭くとらえる。


断れねえ。

気づくと頷いている自分がいた。


そうだった。

この娘が転校してきたその日、自分の平穏は崩れ去ったのだ。

改めてそれを思った。


観念して荷物をまとめる。


「気を付けたまえよ。地獄を見ることになる」


鴻上がふたりの背中にかけた言葉がいつまでも耳に残った。



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