5 図書委員長
「というわけで九条さんは今日は欠席です」
"朝から体調不良"
昨日、大立ち回りを演じて途中下校したヤツの欠席理由としてこれ以上ないほどにうさんくさい。
「何が"というわけ"でだ。もうちょっとマシな嘘つけねーのか、桐原ァッ」
職員室まで出向いたタイチに沼田の容赦ないチョークが飛ぶ。
平穏無事を心がけてきたタイチにとっては始めての経験。
今でこそぼやきだけが取り柄の中年教師だが昔の沼田は豪翼町でも中々に名の通った人物だったらしい。
チョークの代わりにナイフを飛ばしていたという話もあるくらいで、もし自分がその頃の生徒だったら今日この場所で死んでいた事だろう。
なんというかこれはこれで運が良いというべきなのだろうか。
「おい、桐原。あの九条ってのはちょっとまともじゃねえ。深入りすっとお前まで死んじまうぞ。あんま関わんねえほうがいいかもな」
「ええ、肝に命じます」
"そもそもお前が世話しろとか言ったからこんな事になってるんだろうが"
思うことはあるものの口にはしない。
それこそ今度こそナイフを飛ばされでもしたら困る。
「死ぬなよー。今年はクラスの致死率ゼロで行くからなー」
職員室を後にしたタイチの背に向かってまだ沼田はぼやいている。
どうにも去年の沼田クラスは派閥争いに明け暮れて半数が死んでしまったらしい。いくら劉傑学園とはいえあんまり生徒が死にすぎるのも問題ということなのか。今年の沼田は口癖のように"死ぬな"
と口にする。
白々しくて嫌になる。
こんな町で生きるも死ぬもありはしない。厄介事には関わらないのが一番なのだ。
アカネが登校しなかったことにはひと安心したもののそれでいつも通りの日常が帰ってきたわけでもなかった。
ノートの作成?
いや、そんなどうでもいいことではない。(アカネの前では口が裂けても言えないセリフだが)
アカネの一騒動のおかげでアイアンメイデンが学内の警戒レベルをひとつ引き上げてしまっていることが問題なのだ。
今日は揃いのジャケットが肩を並べて廊下を練り歩く風景をよく目にする。
これでは当分、アカネの居場所は学校には戻ってこないだろう。
来たらすぐにでも殺されてしまう。
髪を黒染めさせてみるか。
それであの目立つ刀を置いてこさせれば完璧。誰がどう見ても九条茜とは思われない。
なんてことができれば苦労はしない。
そんなこと提案しようものなら笑えないことになるのはタイチのほうだ。
そもそもアカネの連絡先なんて知らないのだから前提からして成立しないのだが。
でもアイアンメイデンの巡回は悪いことばかりでもなかった。
あのおっかない連中が徒党を組んでうろつき回っているのだ。
今日の劉傑学園での揉め事は皆無。
みんな教室にひきこもって何と授業を聞いている。
教師にとってはこれ以上ないほど理想の環境だ。
もっともそれは恐怖による一時的な平和に過ぎないわけで、タイチにしてみれば対アイアンメイデンという構図で新たな火種が起きるほうが余計に血を見ることになりそうで鬱だ。
授業妨害がなければ学校は定時で終わる。いつもより少し早い終業にタイチはさっさと荷物をまとめると帰り支度に着く。ノートまとめなんて後だ。
何だか今日は嫌な予感がするのだ。
揃いのジャケットが余計にそんな気を起こさせる。
教室を出ると廊下を駆けて足早に踊り場へ。
さあ帰ろう、下駄箱に手を伸ばしたのと同時、タイチの腕にもうひとつの手が覆い被さった。
「待てよ。てめぇ昨日のガキだな。赤毛はどこだ?」
"ガキだなって年齢変わんねえだろ"
突っ込みは心の中だけ。
周りを見渡すとすっかりアイアンメイデンの革ジャンに取り囲まれている。
ホーリーシット。
神様どうか祝福を。
「あたしらに喧嘩売ってただですむと思ってるわけじゃねえよな。なめられっぱなしじゃ示しつかねえんだよ。マリアさんへの餞別だ。赤毛の代わりに腕置いてってもらうぜ」
物騒な光り物を女達は抜いた。
ざっと見渡して五人。
勘弁してくれ。
俺に相手できる数じゃないよ。
沼田の言う通りだった。
すっかり自分とアカネはセットで扱われている。
まずい、死んでしまう。
正面の女が腕を振り上げる。
瞬間、後方で風を切る音がした。
続く打撃音。
人が崩れ落ちる鈍い音。
「て、てめえは」
ぴっしりと撫で付けられたオールバックの髪型に銀縁の眼鏡。
神経質そうな眼差しにタイチより10センチばかり大きな身長。
劉傑学園の生徒には珍しく第一ボタンまで閉められた制服が彼の生真面目さを表していた。
手にした分厚い辞書は先ほどの殴打で汚れたのかまだ新しい血が少しついていた。
「図書委員長、鴻上図書之介。ガキ、命拾いしたな」
女達は囲みを解くともう何も言わずに校舎を後にした。
「あ、あの何かすみません。助けて頂いて。ありがとうございます」
鴻上は眼鏡をくっと人差し指で押し上げると笑顔を見せた。
「ふっ、構わんさ少年。先に迷惑をかけたのは私たち図書委員のほうだからね。今日はスウィートガールは欠席かい?」
あ、思ったより変な人だこの人。
真面目そうなのは外見だけ?
「しばらくは学校に来ないほうがいいって俺のほうから言っておいたんです。今みたいなことになるといけないから」
「成程。巻き込んでしまってすまなかったね。話は間宮クンから聞かせてもらっている。どうもあのアイアンメイデンという輩は血の気が多くて困るよ。私は純粋に知識を求める者のために図書委員としての務めを果たしているに過ぎぬというのに」
どうやら鴻上は図書室での一件を巻き込まれたものだと勘違いしているらしい。
説明すると余計にややこしいことになりそうだ。誤解はそのままにしておこう。
間宮というのは恐らくあの日、当番をまかされていた委員のことだろう。
"委員長には言って聞かせる"と土下座していたのも無駄に終わったようだ。
頬まで切り裂かれたというのにかわいそうに。この人、絶対他人の言うことは聞かないタイプだぞ。
「さて、ポリスマン。巻き込まれついでと言っては何だが私の家に招かれてみないかね。君も今日のところはひとりで帰るのは危なかろう」
「え?あ、はい」
ポリスマン?
俺の事か?
もしかして鴻上は自分が警察関係の本ばかり図書室で借りていた事を知っているんだろうか。
というよりもこの人は本と人を結びつけて考える人なのか。
言われるがままに鴻上に連れられ校門まで来てしまったタイチは覚悟を決めて言った。
「ではお邪魔させて貰ってもいいでしょうか?自転車取りに行ってくるんで少し待っていてください」
「待ちたまえ。自転車は置いていくといい。これで行こう」
鴻上が指し示したのは職員用の駐車場に止められた真っ黒なロールス・ロイス ファントム。
「いや、鴻上先輩。仰られている意味が。さすがに先生の車を借りるというのはですね」
「何を言っているのだね、ポリスマン。これは私のだ」
嘘だろ。
いつも目立っていたこの高級車がこの人のものだなんて。
豪翼町で物を言うのは金と力。
鴻上図書之介。
ただの図書委員長じゃなさそうだ。
案の定というべきか何というべきかロールス・ロイスが辿り着いた先は途方もない豪邸だった。
土壁の塀が囲む大きな門をくぐるとその先に広がるのは古風な庭園。
ご丁寧に立派な池付き。
きっと色とりどりの鯉でも泳いでいるのだろう。池の奥に見えるししおどしが余計にその感を強める。
屋敷の屋根には年季の入った瓦が波を作っていた。
「茶室にでも通そうかね」
「い、いえ先輩の部屋に行きましょう!」
こんな屋敷で家人に出会うのも何だか気が引ける。身分の違いというやつを見せつけられているようだ。
「ではどうぞ。入りたまえ」
長い廊下の先、鴻上の部屋はうず高く本の積まれたまるきりコンパクトな図書館。書棚に目を通してみても学校にあるそれと遜色はない。
ニコラス・マッキンリー『主君論』
マクシミリアン・ヴェルギウス『独裁の社会学』
トーマス・ピクシー『新世界資本論』
名著から話題作までよりどりみどり。
「あの、書斎ではなく先輩の部屋に」
「何を言っているのだね、ポリスマン。ここは私の部屋だ」
やっぱり只者じゃねえよ、この人。
「それにしてもすごい部屋ですね」
見渡すばかりの蔵書量に目が眩む。
「なに、これでも倉庫にある資料に比べれば大したものではないさ。これを見たまえ」
鴻上が得意気に差し出したのは先ほどまで肌身離さず持ち歩いていた辞書だった。
『鴻辞苑』
表紙には金色の文字が光る。
「我が鴻上家は辞書の編纂を生業としているのだよ。だからこそ知識は広く求める必要がある。古今東西ありとあらゆる知識をね。この鴻辞苑こそ鴻上家の誇り。英知のかたまりなのだよ、ポリスマン」
得意気に語っているがそれを凶器として利用していたのをタイチは見逃していない。そもそも辞書の角はところどころ茶色い。今回に限らずこの人は頻繁に鴻上家の誇りを武器として使用しているらしい。
「まったくあの野蛮人たちには困ったものだよ。図書室をも下らん宴会の場にするつもりなのだからな。まあ私が委員長を務める限り奴らの好きにはさせんが」
おかしな話だが今現在、劉傑学園最大派閥アイアンメイデンの敵対勢力No.1は図書委員会である。
何の冗談かと思っていたがこの人を見ていれば何となく納得できる気もする。
だって絶対この人、他人の思い通りに動かなさそうだし。
「鴻上先輩はアイアンメイデンと戦っておられるんですよね?」
「奴らが闘争を望むのなら受けて立つだけだ」
若干ずれた解答だがまあ聞きたかった答え。
「あの、ぶしつけなんですけど図書委員会でしばらくアカネさんの事、見守ってやったりってできないでしょうか?」
あまり関わりたくないのは山々だがここまで来てアカネをほかっておくのも罰が悪くなっていた。できればちゃんと登校できるようにしてやりたい。
鴻上なら(多少変人とはいえ)アイアンメイデン相手でもアカネひとりくらい守ってやれるのではないだろうか。
彼女にとっては余計なお世話だろうとしても。
「アカネ?スウィートガールかい?それは無理だ」
「無理ってそんな」
期待は失望に変わる。
意外と世話焼きでもないらしい。
「私の務めは知識を求める者にその扉を開くことだ。闘争は本分ではない。スウィートガールの保護は風紀委員にでも頼みたまえよ」
「風紀委員なんてうちの学校には存在しませんっ」
当然だ。劉傑学園に秩序はない。
誰がない秩序を守ると言うのか。
たちの悪い冗談にもほどがある。
「スウィートガールは君にとってのスウィートエンジェルなのかね、ポリスマン?」
「ち、違いますっ。だれがあんな変なヤツ!」
「彼女は転校生だ。まだ委員には入っていなかったね」
鴻上はいたずらっぽく笑う。
「我が図書委員会は身内を守ることはやぶさかではないよ」
眼鏡を押し上げる鴻上の眼差しは何故か楽しそうだった。