4 鋼鉄処女(2)
川沿いの道を歩くアカネの足取りは軽い。
もごもごと口を動かすと棒付きキャンディーを(正確には棒だけだが)道端に吐き捨てる。
道路にゴミ捨てんなよな。
タイチは先が少し曲がった棒を拾うと学ランのポケットにしまった。
芝生を蹴りながらアカネは歩く。
歩く度にさくらんぼが揺れる。
赤い髪が風になびく。
風に吹かれて枯れ草が舞う。
枯れ草がタイチの顔に当たってはぜた。
「アカネさん」
鼻唄。
童謡だろうか。
揺れるさくらんぼ。
風に舞う枯れ草。
「アカネさん!」
振り返る少女。
虚ろな目がタイチを捉えていた。
「何よ」
その声に少し気圧される自分がいた。
今日1日できっと学校中にアカネの名は知れわたったことだろう。
それほどまでに鮮烈なデビュー戦だった。どのような意味においてもこれから彼女を見る目は変わってくるに違いない。
そしてこの劉傑学園において、この豪翼町においてそれが良いことだとはタイチには思えない。
「明日からはしばらく学校に来ない方がいいよ」
「何それ」
「今日1日で君は目立ちすぎたんだよ。昨日も言ったけれどこの学校で生きていくためにはあまり目立つことはしないほうがいい」
アカネはその警告を鼻で笑い飛ばすと言う。
「昨日も言ったけれどおせっかい。アタシはアタシの生きたいように生きるの。寝たいときには寝るし、うるさい奴は斬り捨てる。それだけよ」
「怖いものしらずだな」
タイチの中で抑えていたものが溢れだした。
「君は物を知らなさすぎるって言ってるんだよ!この学校を、この町を、知らなさすぎる!君がさっき腕を切り落とした女は学内最大の派閥アイアンメイデンの幹部なんだぞ!アイアンメイデンだけは、あいつらだけは絶対敵に回しちゃダメなんだ!」
「関係ないわ。何度も言わせないで。アタシはアタシの好きに生きるだけよ」
「それが物を知らないってことなんだよ。いくら君が強くたってあいつらには敵わない。なぜならアイアンメイデンのトップはこの町の支配者の愛人なんだから」
「支配者?」
どうやらアカネには一度しっかりとこの豪翼町について話しておく必要がありそうだった。このままでは彼女はどんどん余計なことに首を突っ込みそうだ。
見ているこっちがひやひやする。
自由にやるのは構わない。
だがアカネの振る舞いはただの命知らずだ。世間知らずだ。
そうやって死んでいく人間を何人もタイチは見てきた。
気分がいいもんじゃない。
もう俺はそんなものは見たくはない。
「今、この豪翼町を支配しているのはひとりの男だ。田所DSC所長・田所弓彦。ここでは彼こそがルール。いわばこの町は彼の箱庭なのさ。圧倒的な資金力と暴力。だれも田所には逆らえない」
「なるほどね。で、DSCってのは何よ? 」
「デイサービスセンターの略」
「デイサービスセンター?」
「日帰りで簡単にだれでも利用することが出来る高齢者介護施設だよ」
「んなこと聞いてんじゃないのよ。何よ、そののどかな名前は」
「知らないよ。田所の会社なんだから」
「何かずいぶんいいヤツそうな気がしてきたんだけれど」
「職員は約30人。みんな介護師の資格を持ってる。残業は当たり前、給料も少ないけれど利用者からの評判は上々」
「いい職員ね」
「給料が少ない代わりに毎年の社員旅行では海外に必ず行くとか」
「いい会社ね。ってか、アンタどんだけ田所の会社に詳しいのよ。企業スパイでもやってたわけ?」
「これが一般的な田所DSCのパブリックイメージさ。俺たちはこれを中学の頃に授業で叩き込まれた」
「変な町ねぇ」
事実そうなのだから仕方がない。
つまるところ今の豪翼町は田所に私物化されており、我々もその私物のひとつにすぎないということが問題なのだ。
生きるも死ぬも彼の気分次第。
だからこそこの町の人間は二通りに別れるのだ。圧倒的なまでの力を手にし誰にも何も言わせないか、タイチのように波風を立てず人目にも止まらず日々をやり過ごしていくか。
「とにかく君はしばらく学校には来ないこと。アイアンメイデンなんか相手にしてたらいつ田所DSCに目をつけられてもおかしくないんだから 」
「ご忠告どうも。それよりアンタ今日こそまともなノート作りなさいよ」
「ん、ああ」
「じゃまた明日」
「また明日」
手を振りアカネを見送りながらタイチは思った。
全然何も伝わってないじゃないか。
何を聞いてたんだ、あの娘は。
もう駄目だ。
もう関わらないようにしよう。
明日、ノートを渡したらそれが最後だ。
これ以上、アカネに関わっていたら自分のほうが良からぬ連中に絡まれることになりかねない。
そんなことになったらこれまでの苦労が台無しだ。俺は死ぬ。
せっかく人畜無害なヤツと見られているというのに。
ここまでどれだけのお金を無駄にばらまいてきたか彼女にはわかってないのだから。
もっとも説明したところでそれを理解してくれるような娘にも見えないのだが。
タイチの憂鬱は続く。
いや憂鬱なだけならいい。
血に濡れた教室の光景がフラッシュバックする。
明日もあそこに帰るのだろうか。
先を行くアカネの姿はもう小さくなってほとんど見えなかった。
九条茜が劉傑学園の門をくぐって3日目の朝が来た。
学内の様相が様変わりしたと言うこともなく、いまだ転入生の存在は極一部を除けば知られてはいないのかもしれなかった。
これでアカネ本人がタイチの忠告に従ってくれてさえいれば平穏は約束されていたはずだった。少なくとも今のところは。
隣で気持ち良さそうに寝ている横顔を見ているとどうにも不安を掻き立てられる。
この娘はどうしてこんなにも平然としていられるのだろうか。
のんきだとかそんなものではないと言う気がする。
彼女にとっては全てが取るに足らないことなのではないだろうか。
ひょっとすると通う学校が劉傑学園であろうとどこであろうとアカネには大した違いはないのかもしれない。
タイチはすっかりノートを叩き返すことも忘れて考えこんでしまっていた。
関わりたくないはずなのに。
放っておくには危うすぎる何かをこの娘は持っていた。
タイチの不安をよそに昼休憩を迎える頃になっても学内に目だった動きは無かった。下校まであと2時間と少し。
どうか何もありませんように。
「わ、わかったよ。わかったから危ねえもん振り回すなって。午後の授業前には終わらせろよ」
教室の外で言い争う声がしていた。
担任の沼田の焦った顔が見える。
ひきつった笑みの裏には隠された恐怖の色があらわれていた。
誰と話しているのか。
沼田が話している相手の顔は扉に遮られてよく見えない。
横開きの扉を勢いよく蹴破ると揃いのジャケットを着込んだ女たちが大挙して押し寄せた。
正面の女は右腕を肩から包帯で吊るしている。
ジャックナイフ・マリア。
嫌な予感は当たるものだ。
「探したぜえ、赤毛。昨日の借りはたっぷり返させてもらうぜ」
マリアが武骨なナイフを構えると後ろの女たちも一斉に武器を構えた。
「うるさいわねえ」
目を擦りながら机から上体を起こすと腫れぼったいまぶたをぱちくり言わせてアカネは正面に向き直った。
口から垂れるよだれを手の甲で拭うと眉を細める。
アイアンメイデンのジャケットを認めたクラスメートたちは少しづつ距離を取るように教室の後方へと散っていった。
「ねえ、タイチ」
「な、何だよこんな時に」
「あいつら誰?何昼間からカリカリしてんの?カルシウム足りてないのかしら」
「アイアンメイデンだよ!昨日、君が腕を切り落とした!いい加減にしろ!」
まったく何て女だ。
付き合いきれん。
このままでは命がいくつあっても足りない。
この3日で一体自分の寿命はどのくらい縮んだのだろうとタイチは割りと本気で考え始めた。
「なめてんじゃねえぞ、赤毛ェ。あたしらなんて眼中にねえってことかい?五体満足で帰れるとでも思ってんのか、てめえ!」
まずい。
巻き込まれる。
早くここから逃げよう。
クラスメート達と一緒にここから離れよう。タイチが踵を帰そうとした正にその瞬間だった。
「おい、ボンクラ。てめえも道連れだぜ。逃がさねえ」
牽制の言葉がマリアから飛んだ。
何で俺まで一緒にされてんだよ。
嫌だ。俺は無関係だ。
そう叫ぼうかとも思ったが時はすでに遅し。
光陰矢のごとし。
思い立ったが吉日。
タイミングを逃したらもう逃げ場なんてどこにもない。
「行くわよ、タイチ。正面を切り抜ける」
アカネが敵中に向かって駆け出していた。
「ちょっと、アカネさん!」
思わず叫んだ。
気が付くと体は勝手にアカネを追って動いていた。もういい。もうどうにでもなれ。タイチはジャケットの女の一人にタックルをかますとアカネに続いて教室を出た。
「逃がすな!ぶっ殺せ!」
マリアの声が後ろから聞こえた。
もう後戻りできない。
学校を出るまでタイチは走り続けた。
追いすがるアイアンメイデンを事も無げに捌きアカネはどんどん先へ進んでいく。
校門をくぐるとアカネは急に足を緩めて駆けるのを止めた。
「ど、どうしたの?」
悔しいけれども息が上がっている。
とてもじゃないがアカネには敵う気がしない。
「こんなもんでいいでしょ」
指で示されたアカネの後ろ、すなわちタイチの後ろには折り重なるように倒れたアイアンメイデン達の姿があった。
まさか走りながらやったのか。
ますますもって九条茜がわからない。
まったくでたらめすぎる。
その強さといい、無謀さといい常識の範囲を越えている。
「アンタの言う通りだったわね」
アカネは溜め息をつくと再び眠そうに目を擦った。
「しばらく学校は休むわ。アンタ、適当な理由考えて先生に言っといて」
退屈そうにあくびをひとつ。
そうですか、そうですか。
何でも言うこと聞きますよお嬢様。




