25 決戦
踏み込んで頭上から放った一撃は確かにキョーコの身体を真二つに切り裂くはずだった。
そのイメージを持って撃ち込んだ渾身の一撃だった。
だがそれは今、キョーコの眼前で阻まれ、刀身は厚い鉄扇の上を滑り落ちた。
再び距離を開ける。
横薙ぎの一振り。
今度は胴を両断するつもりだった。
後方で倒れる女たちのように腰から切り離された上体が血を噴き上げて地面に落ちる。
そのイメージもやはり鉄扇に阻まれてキョーコには届かなかった。
キョーコのほうが距離を開けた。
後ろへ飛び退き様に鉄扇を開き、アカネの腹部を一閃する。
アカネも後ろへ下がった。
わずかに触れた鉄扇の先端がブレザーを切り裂いた。
「やだもぉ。いきなり全力?もっと楽しみましょうよ。ようやく会えたんだから」
軽口を叩く余裕。
でもその顔から笑顔はすぐに消えるはずだ。アタシを前にして笑ってることなんて出来やしない。
「全力?アタシはまだまだ本気じゃないけど」
「その割りには息切れしてるわよ」
「アンタを探すのにずいぶんと回り道をしたのよ。そろそろ疲れたわ。でもやっと本題を切り出せる。タイチはどこ?」
「焦らないでよ、アカネちゃん。タイチくんならこのクラブの中にいる。今は私とあなただけの時間でしょ?」
「"ちゃん"付けしないで。ムカツク」
「つれないなぁ、私はずっとあなたに会いたかったのに」
「そう、それは悪かったわね。あいにくアタシにそんな趣味はないわ」
喋りながら右手のループタイをほどいて巻き直した。
血と汗を吸って少しだけぬめるタイでしっかりと指を締め付けると左手を柄尻に添えて刀を正眼に構える。
切っ先と目線の延長線上にキョーコの首筋を置いた。
真っ直ぐに斬り捨てる。
真っ直ぐに斬り払う。
長い時間はかけない。
そんな暇は与えてやらない。
振りかぶった。
大上段へと刀を持ち上げ、駆ける。
頭上へ。
一撃した。
眼前を掠める鉄扇。
速い。
だが予想通りだった。
鉄扇をなぞって反らされた刃を立て直し、足元を払うように一閃する。
しかし下段へ放った攻撃もキョーコの予測の上を行くことはなかった。
繰り出された刃をひらりと飛び越えるとキョーコはアカネの首筋へ鉄扇を向けた。
とっさに刀を引き上げる。
重い一撃を受け止めると刀身から腕全体へと痺れが伝播した。
膝を着き、崩れそうになる体勢を何とか支えると再び撃ちかかる。
袈裟懸け。
逆袈裟。
唐竹。
あらゆる方向から打ち込む剣撃のそのいずれもが厚い鉄扇の上を流れてゆく。
鉄壁の守りだった。
正面からの突破は無理か。
攻略の糸口さえ掴めないままアカネの息はすでに切れ始めていた。
ここまで連戦続き。
体力的にも限界は近づいている。
キョーコの顔にはまだ余裕の笑みが貼り付いている。
気に喰わない。
悠然とした態度の裏には確かな実力があるというわけか。
アカネは認識を改めると刀を握り直す。
キョーコの戦闘は徹底的な受け身の姿勢から始まる。
わずか10センチ程度の鉄扇が何者をも阻む絶対の防御圏を築き上げている。
脇差しにも満たない長さの獲物で太刀を事も無げに捌くキョーコの驚異的なまでの身体能力。
いったいどっちが化け物よ。
仕切り直しを図ってアカネは間合いを外した。距離を開ければ短い鉄扇しか持たないキョーコが自分から仕掛けることはできないはずだ。
切っ先をキョーコへ向ける。
突きの姿勢を取った。
一点突破。
あの頑なな防御を打ち破るには渾身の一撃を刀に込めなくてはならない。
玉砕覚悟の最後の一撃。
これでキョーコの首を獲る。
右足を引いた。
わずかに上体を沈める。
飛び出そうとした瞬間、キョーコが動いた。懐に手を差し入れると何かを投擲した。
沈めていた身体を持ち上げる。
投げられた物がアカネの太ももを捉える刹那、紙一重でそれを斬り払った。
髪止めのかんざし。
視線を上げる。
目の前にキョーコが迫っていた。
鉄扇がきらめいた。
太刀を引き上げる。
間に合わない。
鉄扇がアカネの胸元を裂いた。
鮮血がミラーボールの光で乱反射する宙空を鮮やかに彩った。
距離を空ける。
傷口に手をやった。
思いの外深い。
鉄扇子。
その異名に油断したか。
完全に虚をつかれた。
依然、変わらぬキョーコの笑みを見つめるとアカネの口元も笑いの形に歪んだ。
まさかアタシがここまで追い込まれるなんて。
ここまで冷静さを欠くなんて。
人質を取られ、町中を駆け回り、相手の本拠へと誘われ、すべてがキョーコの思惑通りに進んでいる。
術中に嵌まるとは正に今、この状況を指す言葉なのだろう。
だが最後に笑うのはアタシだ。
アンタが笑ってられるのはここまでだ。
アタシを敵に回した。
その時点でもう鉄扇子キョーコの命運は尽きているのだから。
再び突きの姿勢を取った。
迷わず撃ち抜く。
油断はない。
正真正銘、最後の一撃。
もうこれ以上は戦闘を継続する体力も残っていない。
身体を沈めた。
右足を引いて駆け出す。
キョーコがかんざしを取り出すのが見えた。
投擲。
風を切る音が聞こえる。
かまうことはない。
推し進んだ。
かんざしがアカネの胸元に突き立った。
肋骨の間。
骨の隙間に滑り込んだそれはアカネの内蔵を傷つけることなく綺麗に皮膚の内へと収まった。
正面突破が好をそうした。
運はアタシに向いている。
刀の切っ先がキョーコの首筋を確かに捉えた。
キョーコが目を見開く。
鉄扇を持ち上げた。
その表情に余裕はなかった。
全身の体重を先端に込めた。
刃は鉄扇を上滑りすることなく深々と突き立つと、キョーコの小さな喉仏の奥までを貫いて止まった。
「か…かはっ…」
霧状の血液がキョーコの口から溢れて消えた。
鉄扇を取り落とすとキョーコが両腕をアカネの背中に回してしがみついた。
「サイコー、サイコーよ、アカネちゃん…本当に…サイコーのパーティだった…」
キョーコがくずおれた時、その表情には確かな笑みが浮かんでいた。
結局、死のその瞬間まで鉄扇子キョーコの顔から微笑みが消えることはなかった。
アカネは胸元からかんざしを引き抜くと倒れたキョーコの身体の上へ置いた。
胸に痛みが走った。
それがかんざしを抜いた反動なのか、それともほんのわずかによぎった感傷なのか、真意はわからない。
だがアカネはそれ以上、動かなくなったキョーコに一瞥をくれることはなく、クラブの奥へと歩を進めていった。




