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24 追憶ノ一 鉄扇子キョーコ

神楽坂(かぐらざか)家は古式舞踊の名門である。

その名声は広く世間に知れ渡り、その名籍が腐敗と混沌に根差した町、豪翼町に存在すると知れてなお、色褪せることはなかった。


神楽坂前久(かぐらざか さきひさ)が自身の舞いを完成させるために血と暴力を望んだのは決して己の内なる衝動や人間性からではなかった。

神楽坂家に代々伝えられてきた舞踊の道は元来、神前に捧げる儀式としての意味合いを色濃く持ち、その本質は人身御供という因習の代替なのである。


前久に限らず先代も、先々代も舞踊と同じように武伎の道をも極めていった。

心身ともに鍛えられ、磨きあげられた先に前久が辿り着いた舞踊の完成形は、犯罪を是とする豪翼町において代替ではなく実際に人身御供を行うことであった。


神楽坂の舞踊は血を求め、吸った血の量に比例して輝きを増した。

そんな折りに前久に一人娘が産まれた。


恭子と名付けられたその娘に前久が自身の全てを伝えようとしたことは想像に難くない。前久にとって自分が辿り着いた舞いの形こそが古式を超えた新古式ともいうべき流派の興りであるからだ。

前久は神楽坂の古式舞踊にとって中興の祖とならんとした。

そして恭子に己が全てを叩き込まんとすればするほどその指導は苛烈を極めていった。


産まれた時から神楽坂家の次期当主となる事を決定づけられた恭子にとって"情愛"といった感情は無縁のものであった。


恭子は父の激しい折檻を受ける度、それが父が自分に向ける愛の形であるのだと信じた。暴力だけが唯一、父と娘の絆であった。

恭子はただ父の想いを実現するための人形となっていった。

そして、自身その事に迷いを持つことは一度もなかった。


ある朝、恭子は神楽坂家の外の世界があることを知った。

まだブラウン管のテレビが映す、"ダンス"という古式とは全く違う舞踊に恭子の心は瞬く間に惹き付けられた。

時に神楽坂恭子13歳。

自我が芽生えるには充分な年頃である。


録画したビデオテープを父に見せた。

娘が始めて父に示した好奇心だった。満面の笑みで"ダンスをやりたい"とねだる恭子を父は黙って打ち続けた。


それは父の愛の形。

想いは伝わった。

恭子はそう思った。


しかし、父が恭子にダンスを踊る許可を与える日はいつまで待っても訪れなかった。


多感な年頃の恭子がその現状に耐えられたのは13歳になって始めて父が恭子を学校に通わせたことが大きな要因であった。思えばダンスを認めない代わりに父が示したせめてもの情けであったのかもしれない。

それでも純粋に恭子は学校生活を楽しんだ。


学校ではテレビで見たままのダンスを誰に見せても咎められることはなかった。

それどころか同世代の女の子たちは恭子のダンスに魅せられ、喝采を送った。

自分は特別なんだ。

他者に肯定されたことのない恭子にとってそれは始めて勝ち得た自己の存在価値だった。


学内で目立つ存在となった恭子は当然、派閥争いに巻き込まれる事となった。豪翼町とは血と暴力だけが物を言う世界である。それは子供の社会であっても代わりはなかった。

だが古式の修練と共に父から武伎を仕込まれた恭子にとって同世代の人間が仕掛けてくる権力闘争など文字通り子どもの戯れに過ぎなかった。


ダンスだけではない。

闘争においても恭子は皆の羨望の的となった。暴力を持って敵対者を退ける度に巻き起こる歓声。

幼き日より培われた価値観が正しかった事をこの時、恭子は始めて実感した。

暴力こそ愛。

暴力だけが人と人とを繋ぐ絆なのだと。


神楽坂恭子は学内の女王となった。

誰もが自分にひざまづく。

誰もが自分を恐れる。


恭子はもはや古式も父親も必要とはしなくなっていた。

中学を卒業すると同時に恭子は父に家を出ることを告げた。

これからは"ダンスを極めるために生きる"

そう言った時もやはり父は恭子を激しく打ったのだった。


"恩知らず" "恥知らず"


父の浴びせる罵声は決別の言葉なのだと恭子は思った。

父からも卒業しなければならない。


15歳の春。

神楽坂恭子は父・前久を殺した。

神楽坂家に伝わる儀礼用の鉄扇・月読(ツクヨミ)を持ち出した恭子は父と立ち会い、首を獲った。

桜がそよそよと舞い散る美しい夜だった。


高校に進学した恭子を待っていたのは激しい闘争の日々だった。

劉傑学園。

血の雨が降りしきる豪翼町の最前線。

そこで生き残るためには恭子もまた血の雨を降らせるしかなかった。

恭子は誰にも負けなかった。

けれども誰も恭子を認めなかった。

中学とは違う。

ここに自分の居場所はない。


家も学校も捨てた恭子がすがる場所は夜の街だけだった。

繁華街の夜は薄汚れた大人たちの欲望で満ちていた。

恭子の若いからだと美貌は男たちの視線を集めた。

恭子の始めての相手は豪翼町には似つかわしくないビジネススーツのよく似合う細身の男だった。

慣れない酒に酔った恭子を男は手際よく介抱し、ふたりだけになると狭い路地で行為に及んだ。

何て事はなかった。

すでに恭子の中でまともな感性は死んでいた。

男は事を終えると恭子の掌に一万円札を数枚握らせて路地を後にした。


自分には商品価値があるのだ。

また誰もが自分を求める日々が戻ってきたのだ。

手の中の一万円札は再び恭子に強い自己肯定感をもたらした。


恭子は身体を売って日銭を稼ぎ、空いている時間は全てダンスの修練に費やした。


そんな時、出会ったのがストリートで絶大な人気を誇るダンスグループ、アイアンメイデンだった。

自身を総長と呼ばせるリーダー・レイカのダンスはこれまで古式の型から抜け出せなかった恭子のダンス感を根本から覆すような独創性に満ちていた。

レイカもまた古式の優雅さを纏った恭子の動きのひとつひとつに目を見開いた。

ふたりが共鳴するのは当然だった。


恭子は今まで稼いだ資金を使ってアイアンメイデンのイベントを何度となく行った。アイアンメイデン御用達のクラブ、ELIZABETHはいつだって盛況だった。目立つところには敵も多い。

恭子がイベントを主催するようになってからELIZABETHにはみかじめを要求する暴力団の来訪が後を絶たなくなった。

無論、恭子の敵ではない。

だが抗争は絶えず、恭子は連日のように夜の街に血の雨を降らせ続けた。


鉄扇を振りかざす恭子をいつしか誰もが鉄扇子と呼ぶようになった。


鉄扇子キョーコの名は豪翼町一帯に鳴り響いた。


キョーコとレイカは最高のパートナーだった。二人なら何でもできる。二人なら誰にも負けない。

次第に私生活でも二人はパートナーとなっていった。

レイカは女性しか愛せないいわゆるレズビアンで、彼女の手解きでキョーコも女性の手による喜びを覚えていった。


暴力(あい)もダンスも全てがキョーコの手元には揃っていた。

幸福な日々だった。


田所弓彦がELIZABETHを訪れたのはそんな頃だった。

豪翼町の支配者とすら呼ばれるその男はどこか妖艶で言い知れぬ色香を放っていた。彼は欲望と暴力の町を支配下に置きながらも他の連中とは違って物静かだった。イベントの最中も騒ぎ立てることはせず、安い酒をあおるとチップを置いて店を出た。

不思議な出会いだった。


田所との出会いと呼応するようにELIZABETHでの抗争が激化し始めた。

毎夜、店に現れては暴れまわる暴力団の男たちを切り伏せるのは容易い。

だが次第にアイアンメイデンはダンスグループという実態とはかけ離れた存在となっていったし、クラブでイベントが開催されることもなくなっていった。


そんな折だった。

レイカが何者かの手によって殺された。

激しい暴力に晒されたのだろう、美しかった顔は粉々に粉砕され、身体はいびつな方向にねじ曲がっていた。

モノになってしまったレイカを見たとき、キョーコの頬を一筋の涙が伝った。

感情の昂りを覚えた。

父を殺した時にも生じたことのない気持ちが沸き上がってくるのを感じた。

溢れる涙に戸惑った。

それは始めての感情だった。


キョーコは月読を握りしめると夜の町を練り歩いた。キョーコが歩いた後には折り重なるように死体が積み上げられた。


やがてELIZABETHに押し掛ける連中の背後に龍聖会という新興勢力が噛んでいることをキョーコは掴んだ。

龍聖会は武闘派で知られる広域指定暴力団・山城組の二次団体でキョーコのような一介の女子高生に手の出せる相手ではなかった。


キョーコは無力だった。

いくら強くても、誰に遅れを取ることがなかろうともこの町で自分の思う通りに生きるために決定的に足りないものがキョーコにはあった。


資金力である。

売春で作った金などたかが知れている。

小遣い稼ぎ程度にはなろうとも人を動かす力にはなりはしない。

龍聖会を追い詰めるにはもっと力が必要だった。

この町の頂点に立つほどの力が。


不可能とすら思える現実に打ちのめされたキョーコに出来ることはやはり血の雨を降らせることだけだった。

舞を舞うのと同じように、呼吸をすることと同じようにキョーコは敵対勢力を叩き潰してダンスフロアを血で染めた。


そのキョーコに鋭い眼差しを送っていた者がいた。

田所弓彦だった。

田所はキョーコの暴力衝動に己を重ねた。キョーコを欲した。

町の支配者にとってもはや畏怖されるだけの日常になど何の面白味もなかった。

嵐のような闘争をだけ田所は望んだ。

そしてキョーコの内に激しい闘争心を観た。


始めはただの興味本意だったのかもしれない。田所弓彦はキョーコに力を貸した。龍聖会を追い詰め、裏で糸を引いていた若頭、江草の情報をキョーコに流した。おもしろいほど思い通りにキョーコは動いた。

キョーコの暴力には情けや容赦と言ったものが一切無かった。

純然たる暴力。

そこに田所はいいしれぬ美しさを観た。


田所はキョーコよりも先に江草を捉えると死なない程度に痛め付けて拘束した。

生かすも殺すも自分の胸ひとつだった。

その上でキョーコを呼び出した。

江草を引き渡す条件はたったひとつだった。


今後は田所の元で働くこと。

身も心も田所に捧げること。

キョーコにとってそんなものは条件でも何でもなかった。


江草を斬らなくてはならない。

それを果たすことであの言い様のない感情の答えが見つかるかもしれない。


それだけがキョーコの胸中を支配した全てであった。


キョーコは条件を飲んだ。

江草が目の前に引き出されると月読を開いた。すでに血にまみれ、威勢のよさも何も感じられなくなった敗北者の身体に、それでも丁寧にメスを入れるようにキョーコは時間をかけて江草を裂いていった。


何の感慨もなかった。

結局、レイカが死んだ時に感じた感情の昂りを再び覚えることはなかった。

ただ何も感じる事はなくキョーコは目元に涙を浮かべて見せた。


もう還らない友への手向けのつもりだった。

とっくに死んでしまった自分の心へのけじめのつもりだった。


それからの鉄扇子キョーコは田所とその既得権益を守るための走狗(そうく)と化した。


支配者の愛人は町の女王だった。

自ら築き上げた売春のネットワークに違法薬物の売買を組み合わせて莫大な利益を上げた。


もはや実力でも資産でもキョーコに逆らえるも者は誰もいなかった。


そして残ったものは虚無だけだった。

だからこそキョーコは田所と同じように望むのだ。

嵐のような闘争を。

血で血を洗う闘争を。


それだけがキョーコを満たした。

それだけがキョーコに愛を感じさせた。


今、目の前に立ち塞がる少女はかつてない興奮をキョーコにもたらした。

彼女は自分に何を与えてくれるのだろうか。


かくて舞台は整い、幕は開いた。

言葉は尽くされた。

後に残ったのは闘争のみである。




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