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22 泥濘

目が覚めたとき、そこは昨日までと同じように暗く狭い、何もない部屋の中だった。


腕を動かそうとする。

鋭い刺が手首に食い込んで血が流れる。

後ろ手に縛られているのも変わらない。


状況は何も変わってはいない。

まだ何も起こっていない。

何もされていない。

俺は正常だ。


タイチはとりとめもなく様々な事を考えてはすぐに頭の中で打ち消した。


どれだけの時間が経ったのか。

すでに数日は経過しているという気がする。わずかに食事と水が与えられる他は外界との繋がりは完全に隔絶された密室。配給に来る男は動けないタイチを見て満足そうに笑い、面白半分に暴力をふるって去っていく。


その痛みでさえ今やたったひとつの他者とのつながりなのだと思える。

少しずつ、だが確実にタイチは衰弱し、その判断力は衰えていった。


朦朧とした意識が見せる幻へ次第にタイチの心は引き込まれていった。


白い棺。

半開きのそれは黒々とした闇をたたえ、タイチを強く惹き付ける。

でも何故だろう。

この闇に飲まれたらもう帰ってこれないという気がする。


"父さん…"


呼びながらタイチは棺に近づく。


棺が開いた。

タイチによく似た壮年の男が棺には収まっていた。


"父さん…"


もう一度、呼ぶ。


男が眼を開いた。


"太一"


男が言った。

ひどくかすれた声だった。


何故だろう、懐かしさと共に不安が込み上げる。


男の首筋から赤いものが溢れだした。

それは男のスーツを濡らして真っ白な地面を染めていく。


"太一"


男が呼ぶ。


"タスケテ…"



自身があげた叫び声でタイチの意識は覚醒する。

もう嫌だ。

もう勘弁してくれ。

ここにいると気が狂いそうだ。


終わりが欲しい。

楽にしてくれるものが欲しい。

人との繋がりが欲しい。

誰か話し相手になって欲しい。

解放して欲しい。

許して欲しい。

痛みを与えて欲しい。

分かち合って欲しい。


助けて欲しい。


「汚い顔。見る影もないわ、タイチ君。そうやって汚れてあなたは私たちの側に堕ちていくのよ」


女が目の前に立っていた。

鉄扇子キョーコ。

何をするでもなくここへタイチを監禁し続けている元凶。

薄ら笑いが憎らしい。

もうタイチには正常な思考は出来なくなりつつあった。

こいつにすがって助けを求めるしかないのかもしれなかった。


「何だよ、また殴るのか?飽きもせずに何度も何度も。いい加減にしてくれよ」


キョーコはいやらしい手つきで鉄扇を弄んでいた。

それが今すぐにでも自分の脇腹や首筋や股間に滑り込んでくるのではないかと考えるとタイチの身体は固くこわばった。

緊張が筋肉に伝わって身動きひとつ取れない。


繰り返される折檻にもはや抗うだけの気力は残されていない。


「そういうのも楽しいけどそろそろあなたに構ってる時間はなくなってきたのよ。暇潰しはおしまい。これもあなたのおかげだけどね」


何の話だろうか。

タイチにはわからない。

でもキョーコは楽しそうだ。

この女が楽しそうということはろくな話ではない事だけは確かだ。


どうか自分には関係のない事であって欲しい。これ以上の苦痛には耐えられない。どうしてこんな目に遭わなくてはならないのだろうか。

俺はただただ平穏に毎日を過ごせればそれで構わないと思っていただけなのに。

それ以外は何も望んでなどいなかったのに。


「私にとって最高のお楽しみの時間が迫ってるわ。あなたをどうするかはそれが終わったら考えてあげる。悪いようにはしないわ。たくさん稼がせてあげる。この町ではお金持ちだけが自分の意思を通せるのよ。だからあなたもいーっぱいお金を稼げるようにしてあげるわ」


密室の扉が開いた。

大音響のクラブミュージックが飛び込んでくる。

まだここがあのElizabethの中なのだとタイチは認識する。


静かに眼を閉じた。

睡魔はすぐにタイチの身に降りてきた。

そのまま意識を預けた。

音楽は遠ざかっていった。



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