20 捜索(3)
劉傑学園体育倉庫内備品置き場。
通称・開かずの間。
アイアンメイデン幹部の居座る最後の居城。
ここで終わりだ。
もういい加減疲れたわ。
渡された小さな鍵に若干の不安を覚えながらアカネは扉の前に立った。
分厚い鉄の扉には小振りの南京錠が細い鎖に繋がれた状態で下げられていた。
開かずの間?
たばかられたか。
アカネは背中から刀を抜くと鎖に向かって一閃した。
細い鎖が音を立てて床に切れ落ち、同時に小さな南京錠がするりと鎖を滑った。
頑丈そうな扉に両手をかけると勢いよく開け放す。
暗かった体育館の中に木漏れ日が射し込んで少しだけ目が眩んだ。
こんな簡単に辿り着けるなんて。
何が開かずの間よ。
時間返してよね。
光の奥に一人掛けの大きなソファがある。逆行でよく見えないが、すらりと伸びた足を見せつけるように組んで女が座っている。
ソファを取り囲むようにお馴染みのジャケット連中が居並び背筋を伸ばした。
「待ってたわよ。遅かったわね」
まさかキョーコ本人だろうか。
アカネは身構えると刀に手を掛けた。
女も立ち上がると腰のベルトからムチを取り出して床をぴしゃりと打ち、目の前に構えた。
「九条茜!ここまで来たことは誉めてやろう!だがここまでよ!アイアンメイデンNo.3 ローズウィップ・エミリが相手になるわ!」
ストレートの茶髪を靡かせて女が名乗りを上げる。
何よ、キョーコじゃないなら用はないわ。とりあえず黙らせよう。
アカネは鞘に入ったままの刀を背中から降ろすと地を蹴って一気に間合いを詰めた。
エミリの前で上体を沈める。
視線を落としたエミリの下顎に向かって刀を打ち上げた。
バランスを崩した体がよろめいてエミリは再びソファに尻餅を着く。
遠心力をつけて上半身を半回転させるとエミリの左頬に鞘を叩き込んだ。
頬骨の砕ける感触が刀身を通して腕に伝わった。
床に崩れそうになるエミリの胸ぐらを掴むと体を引き起こして壁に押し付けた。
「御託はいいわ。キョーコはどこ?この質問、もう飽きたわ。さっさと教える」
「誰が教えるか。私はNo.3なのよ。なめないで頂戴!」
エミリは全身に力を込めると両腕を前に出してアカネを突き飛ばした。
鼻から溢れだした血が床を叩く。
アカネは少しだけ距離を開けると刀を構え直した。
エミリが合図を出す。
ソファを囲んでいた女たちが動き出した。アカネを囲もうと左右に広がりながら円を作っていく。
左に跳んだ。
ひとりの足を払って転倒させるとこめかみに向かって鞘の先端を叩き入れた。
先手必勝。
相手に有利な形は作らせない。
この程度の連中なら何人いたって変わらない。
背後からエミリが鞭をしならせて襲いかかって来る。
打ち出された鞭を刀身に絡め取って受けると刀を放して間合いの内側に滑り込む。
そのままエミリの顎へ強烈なヘッドバッドを一撃した。
壁にぶつかって床へくずおれたエミリの下顎はいびつな形に歪み、口の隙間からは苦しそうな呼吸の音が聞こえていた。
しまった。
口を割らせるつもりが割ってしまった。
これじゃ喋ることもできないじゃない。
だらしなく口を開けたまま既に意識のないエミリを横目にアカネはため息をついた。
ケータイを取り出して時間を確認する。
午後7時。
いい加減眠い。
これだけ動いて今のところは収穫ゼロ。
本当にキョーコに近づいているのかしら。そろそろ疑問に感じ始める頃合いだった。
アカネは背中を伸ばして肩を鳴らすとソファに腰かけた。
「他の幹部が来るまでしばらく待たせてもらうわ」
眼を閉じて2秒。
アカネの意識はもう現実を遠く離れて眠りへと落ちていった。
着替えを終えるともう一度だけ鏡に全身を映してみる。
よし、バッチリ。
下ろし立てのスカイブルーのワンピースが夏らしさを演出している。
ヘアアイロンも完璧に決まって、長い髪はゆるやかなウエーブを描いて輪郭線をほどよく隠してくれていた。
いつも着ている黒いジャケットをハンガーにかけると最後の確認に鏡の前でくるりと一周した。
うん、パーティに行くのに何の不都合もない。
今日はとっておきの日だ。
何といっても月に1度のキョーコ主催のダンスパーティなのだから。
右腕に視線を向けると痛々しい包帯が嫌でも存在を主張している。
これだけがパーティにふさわしくない。
九条茜。
考えれば考えるほどに腸が煮えくり返る。
こんなナリじゃ男たちは自分に近寄ってくることはないだろう。
この歳でヤクザな人生を歩むことはもう決定づけられたようなものだ。
許せない。
絶対に。
マリアは鞄にバタフライナイフを忍ばせると"開かずの間"へと足を向けた。
午後8時。
パーティのスタートまであと2時間程。
エミリと少し時間を潰してから行けば調度いいはずだった。
そうそのはずだったのだ。
違和感は扉の前に立った時からすぐにわかった。
扉を閉ざしていた南京錠と鎖が斬れ落ちている。
何者かが侵入した痕跡。
鎖をつまみ上げた。
鋭利な刃物によって切断された断面。
まさか。
考えるまでもない。
侵入者はひとりしかいない。
扉を開け放つと中は案の定、床に伏せたまま呻き声を上げているアイアンメイデンのメンバーたちで埋めつくされていた。奥の壁に倒れているのはエミリだった。顎を砕かれているのか顔の下半分は原形を止めていない。
中央のソファで寝息を立てている赤い髪の女はマリアの存在に気づいている様子すらない。
どこまでも人をバカにしやがって。
何しに来たのかは問うまでもないだろう。あのボンクラのためにここまでやることには正直驚きだったが、もとから何を考えているのかはわからないヤツだった。
マリアは鞄からナイフを取ると折り畳んである刃を引き出した。
今なら殺れる。
左手でぎこちなくナイフを構えると眠っている九条に向かって猛進する。
胸元をめがけて腕を突き出す。
閉じられた眼が開いた。
視界に靴底が映りこんだ。
次の瞬間にはマリアは天井を見つめていた。
起き上がろうと上体を持ち上げた瞬間、胸元に革靴がめり込んで再び地面に引き戻される。
したたかに頭を打ち付けると逆さまに九条の顔が見えた。
「あら、あなた前にも会ったことあるわね」
マリアのワンピースを下から上まで眺めて九条がとぼけたように口を開いた。
「ちっ、今日こそコイツの借りを返せるかと思ったがな、運がねえ…」
右腕の位置を九条に見えるように変えた。
少しだけ九条の視線が動いたのがわかった。
目元の筋肉が引き締まる。
ようやく気がついたといった面持ち。
「あー、あんた確か」
確認するようにマリアに向かって指を差し出す。
「ダイソーエイデンのマシラ!」
「誰だよ、そいつは!アイアンメイデンのマリアだ!」
ナイフを引っ付かんで飛び起きるとがむしゃらに腕を前に振り回した。
当たれ。
当たれ。
無様に空を切るだけの刃が虚しい。
もはやまともにナイフを扱うことすらマリアには出来なくなっていた。
九条の右足が正確にマリアの手首を打ち上げるとナイフは宙を舞って床に落ちた。
ジャックナイフ・マリアはもうおしまいだった。うなだれると九条の姿は眼前に迫っていた。
頭と頭がぶつかる。
脳が揺れた。
意識が揺らいだ。
けっきょく歯が立たなかったな。
そのまま身を任せるようにマリアは背中から地へ倒れた。
目が覚めた時、マリアの身体はソファの上にあった。
どれだけ時間が経ったのか、室内の気温は先程より少し上がっているように思えた。喉が渇く。
周囲の状況は全く変わってはいない。
変わったのはマリアの状態だけだった。
ソファに縛り付けられて身動きひとつ取れない。
窮屈で息苦しい。
荒々しく巻かれた鎖が肌に食い込んで不快だった。
「おはよう。やっとお目覚めね」
無表情の九条茜は相変わらず無感情に告げた。
「キョーコはどこにいるの?アンタなら知ってるわよね」
「素直に言うと思ってるのかよ。めでたいヤツだな」
「いいえ、思ってないわ。でもアタシもいい加減悠長に事を進めてる訳にも行かなくなってきたのよ。だからてっとり早い方法を使わせてもらうことにした」
九条は倒れている女のジャケットに手を差し入れるとスタンガンを引っ張り出してスイッチを入れた。
何度か電源を入り切りして作動するのを確認すると今度は水道の蛇口をひねってバケツに水を溜め始めた。
「何よ、それは…」
「自白の強要ってやつ」
九条がマリアの側へ近づいてくる。
手を伸ばせば届きそうなほどの距離まで近づくとスタンガンを構えた。
「やめろよ…」
少しだけ声が震えた。
感情を読み取れない九条の眼。
その漆黒にどこまでも飲み込まれそうだった。
「キョーコはどこ?」
「そんなにボンクラを助けてえかよ」
脇腹にスタンガンが押し付けられた。
電流に身体が反応して背中を反らす。
口から涎が溢れた。
こいつ、ギリギリで意識を飛ばさない程度に電圧を弱めてやがる。
筋肉が弛緩してソファから滑り落ちそうになったが鎖が胸を圧迫してとどまった。半分、尻が浮いた体勢に不快感が強まる。
しばらくそのままでいると筋肉に力が戻り始めた。体にも心にも余裕が生まれそうになると再びスタンガンが脇腹の同じところに滑り込んだ。
今度は悲鳴が出た。
苦痛に足の指を丸めると何とか歯を食いしばって平静を保つ。
やがて痛みが遠のくと緊張がほどけて腕がだらりとソファをはみだして垂れた。
「まだ言わない気?」
九条の問いかけに唾を吐きかけて答える。マリアに残された最後の抵抗だった。
私はアイアンメイデンのNo.2だ。
斬り込み隊長。
ジャックナイフ。
誰もが私を恐れた。
キョーコをのぞいて私を屈服させられるヤツなんていないはずだった。
九条が電圧を調整するメモリを変更していた。
さっきよりも大きな火花が眼前で散っている。
マリアは唾を飲んだ。
隠しきれないほどに悪寒が募った。
脇腹に焼け付くような痛みが走った。
視界が黒く染め上がり暗転する。
完全に意識が飛ぶ前に顔にむかって冷水が浴びせかけられた。
もう思考する力は残っていなかった。
九条が目の前でちらつかせるスタンガンの先端がただただ恐ろしかった。
「キョーコはどこ?」
繰り返される質問に薄ら笑いを返した。
脇腹に流れる電流。
浴びせられる水。
びしょ濡れになりながらもマリアはそれでもキョーコの居場所を答えなかった。
言えば殺される。
鉄扇子キョーコとはそういう人間だった。
九条茜だって目的のためには手段を選ばない女だ。
マリアやその他のメンバーよりよほどキョーコに近い性質の持ち主。
だがそれすらキョーコと比べたらぬるかった。
キョーコにとって"暴力"とは目的ですらない。
存在意義。
彼女の全存在がそれによって規定されているのだった。
「意外と頑張るのね。少し感心したわ。でもね、諦めの悪さならアタシだって負ける気はないのよ。タイチは返してもらう。そのためにキョーコの居場所を教えてもらう。譲る気はないわ」
九条はマリアのスカートをたくしあげると下着の上から秘部へスタンガンの先端をあてがった。
「よせ!おい、てめぇ冗談じゃねえぞ!」
こいつ、なに考えてやがるんだ。
まさかこのまま電流を流す気なのか。
そんなことをされたら。
もう疲れきっていたはずの身体のどにこそんな力が残っていたのかマリアは必死に身をよじって鎖を外しにかかった。
足を振り回し九条を引き離そうともがく。
絶対にさせない。
それだけは。
「じたばたしないで。キョーコの居場所、言うの?言わないの?どっち?」
「だ、誰がい、言うか…」
震えた唇からは掠れた声しか出なかった。まだ虚勢を保てるだけマシだった。
九条は手首を少し動かすとスタンガンを下着の中に滑り込ませた。
ひやりとした電極の感触が直に伝わるともうマリアは平静ではいられなくなっていた。
「このままスイッチを入れたら使い物にならなくなるかもね」
九条が言った。
やはりそこに感情は感じ取れなかった。
「エリザベス…club Elizabeth。キョーコさんの店だ。今日はそこでイベントがある…だからキョーコさんも必ず現れる 」
局部に押し付けられたスタンガンがようやく離れた。
押し寄せる安堵の波にマリアは涙を流していた。
鎖が緩んで身体がソファを滑り落ちた。
それでも気にせずマリアは泣き続けた。
九条茜の姿はもう室内のどこにも見当たらなかった。




