2 転校生(2)
「おぅおぅ、転校生ひっかけていい気なもんだな桐原チャン」
教室の外から声がした。
長い癖っ毛を金髪に染め、ヘラヘラと笑う口から覗いた犬歯には左だけ銀の詰め物が光っている。
腰のホルスターに折り畳まれた鎖鎌はまだ新しい血でべっとりと濡れていた。
笹垣。
劉傑学園でも1、2を争う札付きのワル。
喧嘩や恐喝なんてこいつのやってきた事にくらべたらカワイイもんだ。
この年にしてこいつの殺してきた人の数は軽く三桁を超えている。
笹垣はちらっとアカネの刀に目を向けると下卑た笑いを顔に張り付けながらアカネの前に立った。
「大層なモン持ってんじゃねえかよ。ちょっとツラ貸しな」
笹垣は鎖鎌を腰から抜くと切っ先でアカネの頬をなぞった。
「遠慮しとく」
「あん?調子に乗ってんじゃねーぞ、転校生。前の学校ではどうだったのか知らねーがここでそんな目立つモン持ちてぇならちゃんと許可がいるんだよ」
「うるさいわね、アタシが何持ってこようとアンタには関係ない」
隣で聞いているタイチのほうが冷や汗で背中をびっしょり濡らしていた。
何でこの娘はこんなにぶしつけなんだ。
怖いものしらずにも程がある。
「 さ、笹垣…まぁ彼女も初日なんだからまだここのルールがよくわかってないんだよ。あとで教えとくからさ、今日はこの辺にしとこうぜ」
慌てて立ち上がるとタイチはくしゃくしゃに丸めた1万円札を笹垣の手のひらに押し込む。
軽く目配せ。
頼む、今日はこれで見逃してくれ。
「ま、桐原チャンがそー言うならそれでもいいけどよ」
満足そうに微笑むと笹垣はヤニ臭い息をタイチの顔に吹き掛けてから教室の外に出た。
助かった。
安堵からかタイチは膝から床に崩れ落ちた。ヤバい、気を抜いたらションベン漏れそうだ。
「アンタ、いつもこんな事してんの?」
「これも生きるためだよ。アカネさんもお金はたくさん持ち歩いてたほうがいいよ」
「バカみたい」
それだけ言うとつまらなさそうにアカネも教室を出た。
まったく何だって言うんだ。
"ありがとう"くらい言うべきだろう、この場合。
あまりにも慌ただしかった1日に疲れたタイチは机に突っ伏せるとそのまま少しだけ眠ることにした。
真っ白な部屋。
四方を囲む高い壁。
その中央に置かれたこれもまた真っ白な棺。
隣にはふたつの花瓶に大きな百合が活けられていた。
花も花瓶もやっぱり白かった。
タイチは導かれるように棺に近づいた。
不思議と歩いていると言うよりも足がひとりでに滑り出しているような感覚。
棺の中には男が眠っていた。
なんだか懐かしいようなそれでいて怖いような。
男の頬に手を伸ばす。
届かない。
棺が遠のいた気がした。
いや、自分が宙に浮いているのか。
わからない、なにがなんだか。
俺はどうしてここにいるんだ?
眼が覚めるとタイチはぼーっとする頭を抱えながらまだ霞む眼をこすった。
妙な夢を見た気がする。
それもこれもみんな今日あった事のせいだ。
くそっ、もうどこにも俺の平穏を保証してくれるものなんてないじゃないか。
タイチは不機嫌に椅子を蹴飛ばすと教室を後にした。
翌朝、寝不足のタイチは欠伸を圧し殺しながらの登校。
相変わらず自転車は近隣のコンビニへ、そこからは猛ダッシュだ。
寝不足の原因は教室で見た夢のせいではない。
アカネのノートである。
まとめてたら深夜になっていたのだから我ながら人が良い話だ。
ていうか何で俺、まじめにノートまとめてるわけ?
焦りながら教室に駆け込むと沼田の怒号が飛んだ。
「遅せーぞ、桐原ァッ」
「す、すんませんっ」
着席。
始業のベルが鳴った。
隣でくすりと笑う声。
「アホ面。来ないのかと思ってた」
やっぱりムカつく。
もう今日はノートまとめるのはヤメだ。
タイチは鞄からアカネのノートを引っ張り出すと机の上に叩きつけた。
どうだ、昨日とは逆だろう。
「これでいいんだろ。もうやらないからな」
ノートに眼を通す目は意外にも真剣なアカネがしばらくして溜め息をついた。
「アンタってさぁ結構バカなほうなの?」
「はぁ?君さあ…」
「成績。上から何番目?」
「え?」
「学年で」
「まぁ二桁には入ってるよ」
これでも勉強はしているのだ。
うちには余裕なんてない。
私立の大学なんか行けないんだから勉強は頑張るしかない。
「二桁…やっぱバカに頼むんじゃなかったわ。わかりにくいのよ、アンタのノート。要点がどこかわかってんの?その小さい脳ミソでよく考えなさいな」
「おい!いい加減頭来たぞ!だいたいそういう君の成績はどうなんだよ。寝てばっかのくせに!」
「少なくとも数字がふたつ並ぶことなんてないわね、アンタと違って」
そんなバカな。
こいつのどこにそんな学力が。
「ま、努力は評価してあげるわ。さ、今日は寝れないから今のうちに寝よーっと」
タイチは腕時計に眼をやった。
8時35分。
1限目まであと5分しかないじゃん。
5分きっかり。
眠そうな眼差しはそのままにむくりと身体を動かすとアカネは黒板を凝視していた。
「だるいわねぇ」
首をぽきりと鳴らす。
「体重い」
大きなアクビ。
そりゃでかい刀しょってたら体も重くなるだろ。
どうでもいいけど一人言多いよな、この娘。
授業も半ばを過ぎ、タイチも少し眠くなってきた頃だった。
突如として静寂は破られた。
大きな音を立てて破られる窓ガラス。
そこから教室内に投げ出された巨体。
顔も手も血だらけだった。
3年甲組・黒岩徹。
元少年相撲の横綱。
対戦相手を入院させるまで試合を止めないイカれた奴。
「いい加減にしろよ、テメー!ぶっ殺すぞ!」
叫びながら教室に乱入してきたのはまたしても3年甲組の先輩だった。
樋口薫子。
時代錯誤のロングスカートにソバージュをかけた痛み放題のロングヘア。
ちんぴら相手に五股掛けたあげくに痴話喧嘩に面倒臭くなってカレシを全員皆殺しにした鬼女。
手にしたスタンガンは小刻みに揺れている。樋口も顔に大きな痣を作っていた。
「逃げんなよ、嬢ちゃん。すぐ楽にしてやっからよー」
のそっと現れたのは癖毛の金髪。
口から覗く犬歯には銀歯。
こいつの説明はもはや要るまい。
劉傑イチの殺し屋、笹垣。
笹垣の下卑たツラを拝んでタイチもようやくこの状況に得心がいった。
朝からこいつが学校に来るなんてそりゃ、人殺しの為に決まってる。
はぁ、これで今日の授業は台無しだな。
「お、おいお前ら授業中だぞー」
注意する沼田の声にも張りがない。
「だから?」
「ほどほどにな…」
沼田はうつむくとそれきり一言も発しなかった。
おいおい、それでいいのかよ。
笹垣が沼田に睨みを利かせている間に黒岩は上体を起こしていた。
手にしたドスに力を込めると大声を上げながら突進する。
「遅せーよ、デブ」
左腕をしならせ手首を返すと鎖鎌から延びた分銅が黒岩の大きなお腹の中央へめり込む。
噴き出すように口から血を撒き散らすと黒岩は巨体を揺らして後方へと吹き飛んだ。
その体はタイチの隣、アカネの席に当たって止まった。
「くそっ、舐めやがって。もう許さねえ」
「うるさい」
黒岩が再びドスを構えるのとアカネが立ち上がるのはほぼ同時だった。
ブレザーの内側に手を入れたアカネがそこから取り出したのは黒光りする、いやメタリックなピンク色に輝く拳銃だった。
わずかに見える銃把には苺の装飾。
シグ・ザウエルP226、40口径。
一目で改造されていることはわかった。
アカネはそれを黒岩の後頭部にためらうことなく押し当てた。
「授業妨害よ。死刑」
乾いた銃声。
黒岩の身体が今度は前のめりに崩れ落ちた。
「な、何なんだよ、テメーよぉっ!」
うろたえた樋口がスタンガンの火花を散らしながらアカネに突っ込む。
ひらりと身をかわすとつんのめった樋口の背中に2発。
樋口も床に沈んだ。
「いいねえ、いいねえ、転校生!そうこなくっちゃあいけねーぜ!」
笹垣。
嬉しそうに笑うコイツがまだ残っていた。びゅんびゅんと勢いに任せて分銅を振り回すとアカネの頭上目掛けて振り降ろす。
左手を上げて刀を背中から持ち上げると鍔を使って鎖を受け止める。
遠心力で前に足を踏み込んだ笹垣の隙をアカネは見逃さなかった。
鎖を巻き取った刀を引き寄せるとそのまま抜刀。
引き摺られた笹垣の首をすれ違い様に斬り落とした。
転がった首には何が起こったか理解していないのか、まだ笑みが張り付いたままだった。
「先生」
「な、なんだねっ」
声裏返ってるよ。
「授業続けて」
「は、はいっ!」
黒岩がガラスを割って教室に入ってきてからここまでわずか5分足らず。
空いた口が塞がらないクラスメートたちを尻目にアカネは変わらず席につく。
「タイチ。アタシ疲れちゃったわ。やっぱノートまとめといて」
はいはい、もう何でもやりますよ。




