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18 捜索

チャイムの音で目が覚めるとクラスメート達は既に帰り支度を始めているところだった。


また1日無駄に過ごしてしまった。

アカネは腫れぼったくなったまぶたを指で擦ると背中の刀の位置を直して鞄を取る。


深呼吸をしようと背筋を伸ばすと反射であくびが出た。

担任の沼田がそれを認めて眉をひそめる。


しょうがないじゃない。

あなたの声って子守唄みたいなんだもの。


ノートを入れ忘れていることに気がついて机の上に手を伸ばした。

窓から吹き込んだ風がぱらぱらとページをめくる。

何も書き込まれていない白紙が視界に飛び込んだ。


タイチ。

いったい、いつまで休むつもりなんだろう。早く戻ってきてよね。

あれから3日も経過していた。

まさかアイツがあんなに噛みついてくるなんて予想外だったけど、それ以上にわざわざ自宅にまで押し掛けて学校に連れ戻そうとした自分のほうが予想外だった。


まったくどうかしてる。

アタシの時間を無駄に使わせるなんていい度胸じゃない。


「九条、ちょっといいか」


「あら、何かしら」


沼田が乱れた髪をぽりぽりと掻きむしりながら言い出しにくそうに視線を泳がせる。


アカネは右手を持ち上げると刀の柄を握って鍔音を鳴らせた。


泳いでいた沼田の視線が焦点を定めアカネの顔を見据えた。


言いたいことはさっさと言う。

無駄なことは嫌いだ。


「これ、こないだの小テストだが…」


真っ赤な答案を差し出す沼田の手は微かに震えている。


0点。


手の震えは恐怖によるものなのか怒りによるものなのか判断がつきかねる。


「なかなか気合いの入った答案ね。誰のかしら?」


「お前だ!」


反射的に鋭いツッコミが帰ってきて思わずアカネも身を引いた。

何と、アタシのか。

少し驚いた。

レ点だらけの答案に溜め息がこぼれる。

我ながらヒドいものだ。

何がヒドいって別に白紙で提出された訳でもないところが恐ろしかった。


だいたい抜き打ちでテストを行うなんて今どき何を考えているのか。

そんなの出来っこない。


ん?

何か言いたそうだけど何かしら?

前にタイチに学年二桁なんて順位は取らないって言ってなかったかって?


そうね。

取ったことないわ。

アタシはいつでも学年で下から数えたほうが早いから。

三桁しか取ったことないの。

しかたないじゃない。

眠気はいつでもノンストップよ。

どこでも寝られる。

それがアタシの取り柄なんだから。


「いくら血生臭い町に越してきたからってちょっとは勉強しろ。これじゃあ進級させられんぞ」


「そうね。生徒を無事に進級させるのは担任の務めなんだからこのままだとあなたの管理能力にケチが着きそうね。何か対策を考えたら?」


「ああ、そうだな…いや、何でお前は他人事なんだ!お前が考えろ!お前が!」


「嫌よ、面倒」


言ってる側から睡魔がアカネを誘い始める。黒板の上にかけられた時計に眼をやると時刻は16時に近づいている。

何よ、もう寝る時間じゃない。


「なぁ九条。桐原にでも勉強教えてもらえよ。お前ら仲良いだろ?

あいつはいつまで休む気なんだ、ちょっと聞いてこい」



そんな面倒をするつもりはないが確かにタイチの事は気にかかる。

いつまでもうじうじ後ろ向きに考えてるなら気に食わない。


始まってしまったらもう後戻りはできないのだ。零れた水はもう盆には帰らない。


豪翼町が人の血を求めていることも、鴻上や間宮が無惨に惨殺された事実も動かない。


それを受け止めなければ人は生きてはいけない。


退屈な日常は命尽きるその日まで我々を掴んで離さない。


何のために生き、何のために死ぬのか。


そんなもの、わからぬままに人は生を終える。


理不尽こそ人の世の本質だった。


抗うことはできない真実。

本当は誰だって逃げ出したいはずだ。


社会の枠組みから。

決められたルールから。


抗えぬなら受け入れるしかない。


全てを。

眼を背けたくなる現実を。



「なぁ、俺はよ。命を守る術なんてもんは教えらんねぇ。この町は何だって自分しだいだ。自分の命は自分で守るしかない。それはあいつだってわかってたはずだろ?」


「かもね」


「だけどあいつは変わったよ。お前と会ってからだ。委員会なんて始めるやつじゃなかったってのによ。あいつは流されて生きてきた事に今、始めて後悔してんじゃねえのか。この町で暗黙の了解とされてきたことに今、始めて疑問を持ち始めてる。側にいてやってくれよ」


「ずいぶんと肩入れするのね」


「真面目なヤツほど早く死ぬ。そんなのこれ以上見てらんねえよ」


「アタシは人殺しよ。それでも頼む?」


「いつだってガキの問題を解決すんのは同じガキだろ?違うか?」


アカネは面倒くさそうにあくびを噛み殺すと眼に浮かんだ雫を払って確かに頷いた。


沼田に言われるまでもない。

あのバカはほっといたらたぶん死ぬ。


どうして構うのかはわからない。

ただいつまでもぽっかりと空いた隣の座席は居心地の悪さを加速させた。



鞄を背負って校舎の外に出るとまだ帰らずにしゃべり込んでいる生徒たちの姿がちらほらと見える。

授業後すぐに下校するようになって3日。

退屈な日常はわずかな心の隙間と共に帰ってきた。


おかしな話だ。

面倒でしかなかった図書委員会に懐かしさを感じている。

少なくとも今までアカネの人生の中で生じたことのない感覚だった。


並木道を抜けた先、校門の外を行ったり来たりしている不審な影が見える。

あからさまに中の様子を伺っている。

忍ぶ気ゼロ。

もう少し気を使ったらどうなのかしら。


「あら、あなたアカネちゃん?」


「どうも」


アカネを認めると不審者、桐原貴子は駆け寄った。

先日会ったときのいかにも主婦といったエプロン姿ではなかった事から一瞬、わからなかったけれど間違いない。

メイクもばっちり。

頬にさしたチークのピンクが眩しい。

化粧っ気の全くないアカネからすると貴子の装いはまるで別次元の人間のように映った。


背中には大きなゴルフバッグ。

足元を露出させたショートパンツに淡いクリーム色のジャケット。

初対面の時よりもずいぶんと若く、いや幼く見えるのは気のせいじゃないはず。


「ねー、タイチ今日は学校来てる?」


「いえ、来てないわよ。あの日からずっと休んでる」


「そう…」


不安そうにまぶたを伏せると貴子はお腹の前で組んだ指をくるくると回した。

ためらいがちにアカネを見つめると切り出す。


「アカネちゃん。あなたがウチに来た日からあの子、家に帰ってこないのよ。どこか心当たりとか知らない?」


「知らないわ。だいたいあなたにわからないことがアタシにわかるとも思えないけど」


「そう、ね…」


次第に貴子の目もとを雫が濡らし始めた。それは顎の先を伝って地面に落ちる。流れる涙をそのままにしながらも貴子は表情だけは変えなかった。

感情を圧し殺そうと歯をくいしばり、それでもこぼれだす物に逆らえずにいる。

見てられない。


「ちょっとした家出でしょ。高校生なんだから不思議なことでも何でもないわ」


「そんなはずない!」


始めて貴子が感情をあらわにした。

優しそうな第一印象が崩れ、意思の強そうな表情が顔を覗かせる。


「あの子はどんな時でも必ず連絡をくれるのよ。私が心配しないように。惣一郎さんが死んじゃった時、私がすごく取り乱したことを、あの子は覚えてるから」



そうか。

タイチの父親は死んでいるのか。

あいつがひとりを好む理由が少しだけわかった気がした。

臆病な理由も。

あいつは死を過剰に恐れている。

命になんて何の価値もないこの町で彼は当たり前のように訪れる死の影にいつも怯えていた。


目の前でさめざめと涙を流す貴子の姿を見れば得心がいく。

幼い日の記憶は残酷だ。

時にその後の人生を決定づける。


ケータイが鞄の中で動くのを感じた。

鞄をまさぐって二つ折りのケータイを引っ張り出すとメールが着信されていた。


タイチからだ。

噂をすればというやつね。

それにしても良いタイミング。

これで貴子も安心するだろう。


メールを開くとそこには驚愕の文面と添付ファイルがあった。


暗い部屋の中で後ろ手に椅子へ縛り付けられたタイチの姿。

うつむく顔にはいくつもの痣が見てとれる。床を濡らす血痕が激しい暴行があったことを示している。

写真ではよく判別できなかったが縛られた手首には有刺鉄線のようなものが巻き付けられていた。


"ハーイ、アカネちゃん!元気かしら?贈り物は気に入ってくれた?あなたのタイチくん、少し預かってるわ。

前よりずっと男前な顔になったでしょ。

会いたい?

会いたいよね!


そして私もあなたに会いたい

どんな顔をしてるの?

どんな声をしてるの?

どんなふうに苦しむの?

どんなふうに私を楽しませてくれるの?


私は今、あなたに夢中

私を探して

私を見つけて


そしたらタイチくんは返してあげる


キョーコ"



舐めたことを。

アカネは唇を噛んだ。

うかつだった。

鴻上たちが殺られた時点で次は自分の番だと予感はしていた。

だがタイチを狙ってくるとは。

どこまでも汚いヤツら。


「アカネちゃん、どうしたの?」


「あなたの予感、どうやら間違ってはいなかったみたいね」


アカネはケータイに送られた画像を貴子に示して見せた。

これ以上ないほどに大きく見開かれた貴子の眼が動揺を色濃く映し出す。



「ずいぶんマニアックな遊びね。お母さんに内緒であの子、何やってるのかしら。心配よ」


「ちょっと、あなた…」


「冗談よ…何これ、許せない」


良かった。

本気で言ってたらあなたの頭が心配だったわ。


「ねえ、何でこんな事になってるの?アカネちゃん何か知ってるの?」


何も言えなかった。

この事態を招いたのは他でもなくアカネ自身だ。

頭が痛くなる。

これは罠だ。

キョーコを探せば自分の命も危うい。

だが放ってはおけない。

アタシの招いた災禍ならアタシが落とし前を着けなくてはならない。


「貴子さん、タイチのこと信じてる?」


「え?」


「アイツは頼りなくて弱っちいヤツだけど…でも優しくて良いヤツよ」


「アカネちゃん…」


「だから…」


「九条茜!」


言葉は酒焼けしたダミ声にかき消された。振り返ると痛みきった髪にパーマを施した不健康そうな女がグループを作ってこちらに近づいてくる。

制服の上には揃いの革ジャケット。

もうお馴染みのその姿にも関わらずアカネにはどいつもこいつも同じ顔にしか見えなかった。


飼い慣らされた家畜の顔。

自分で思考することを忘れた生きる屍。

それならゾンビと変わらない。

ゾンビならアタシに倒されるためだけに存在している。


「まだのこのこ学校に来れるなんてずいぶん面の皮が厚いねぇ。のんきにババアと話なんかしてんじゃねえよ」


「ちょうどよかったわ。あんたらに聞きたいことがあるの」


アカネが刀を抜こうと背中に手を伸ばすより先にゴルフバッグを担いだままの貴子が前に進み出た。


「ババア?今、ババアって言ったのあなた達?」


「あ?だったら何だよ」


「だったら…」


貴子がゴルフバッグを地面に降ろすと勢いよくジッパーを引いて中身を取り出した。


光に反射して黒光りするのは切り詰めた銃身。

単純かつ堅牢な構造美。

レミントンM700。


砲身を握ってグリップ部分をフルスイングしながら貴子は言った。


「ぶっ飛ばす!」


先頭の女が思いきり頭を殴られて昏倒した。


「てめぇ、ざけんな!クソババア!」


後続が一斉に貴子へ向かって獲物を構えた。


「だから…」


レミントンのグリップが唸りを上げる。


「ババアっていうな!」


再び振り下ろされた銃身が迫ってくるひとりの側頭部を打ち抜く。

続けざまにもう一人を打撃で床に沈めると貴子はグリップを握り直してトリガーに指をかけた。


何てめちゃくちゃな人なの。

銃は打撃武器じゃないってのに。


「何なんだよ…何なんだよテメーはよぉっ!」


半狂乱になった最後のひとりが雄叫びをあげて貴子に突っ込む。

直線的な動きに合わせるように貴子は銃を構え直すとためらうことなく引き金を引いた。

くの字に体を折った女は校舎の壁に激しく叩きつけられて地面にうずくまった。


「安心なさい。暴徒鎮圧用のゴム弾よ」


得意気に銃口の煙に息を吹きかけると貴子はアカネに向かって微笑みかけた。


「どう?私もまだまだやるでしょ?」


「そうね。でもまだ気を抜かないほうがいい」


貴子の後ろでひとりが息を吹き返していた。ナイフを握りしめ、目を血走らせた女は間隙を突くように貴子へ駆け寄った。


銃身を返して振り向く貴子。

だがわずかに反応が遅れていた。

アカネは背中の愛刀を引き抜くとナイフを突き入れる女の腕を目掛けて一閃した。


両腕が高々と中を舞った。

それが地面に着くか否かの一瞬にアカネは返す刀で女の首をはね落とした。


黒々と散った飛沫がアカネの右頬を叩く。血に染まった半身が貴子のほうを向いた。


「あ…」


血の海に腰を落とし、貴子が低く声を漏らした。


「奴らは始めから殺る気だった。あなたと違って。あなたやタイチの優しさはこの町では貴重なのかもしれない。でも、それじゃあダメなのよ」


誰にも関わるな。

目立つな。

それがこの町で生きていくための処世術だ。


タイチはそう言った。

でもそんなのアタシの性には合わないわ。


そんなのはただの逃げよ。


「貴子さん、タイチはアタシが絶対あなたの前に連れてくる。だからあなたは家で待ってなさいな。アイツの帰る場所、ちゃんと用意してね」


そう、絶対に助け出してみせる。

あいつがいなくなったら、あいつがいなくなったら。


いったい、誰がアタシのノートをまとめるって言うのよ。



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