17 朝
寝覚めの悪い朝だった。
昨晩過ごしすぎたらしい。
頭を軽く2、3度振ると田所弓彦は服も纏わぬままベッドの上から起き上がった。
棚からビタミン剤の瓶を手繰り寄せると掌に開ける。
ぱらぱらと転がった数錠を全て口の中に入れると奥歯で噛み砕いた。
そのままベッド脇に残ったワインをボトルごと喉に流し込む。
頭全体が覚醒したようにはっきりとし始め、酩酊感が遠ざかる。
寝覚めの悪さはすっかりなくなり爽やかな朝がやってくる。
「弓っちはホント、エクスタシー好きだよね。アイアンメイデンのみんなが真似するからやめてよ」
「なに、これはビタミン剤だよ。何度もそう言ってるだろう」
「そうだったね。忘れてた」
キョーコは違法ドラッグが嫌いだ。
クスリに頼って意識を飛ばすのは本当の快楽じゃないと言う。
本当の快楽は暴力の快感だけだと彼女は話す。
だから田所もキョーコと寝る時だけは下卑た欲望を満たすことができた。
キョーコの身体は真新しい痣で青く変色しきっている。
田所が愛を与える度にキョーコは激しく身体をのけ反らせる。
でも顔だけは傷つけたくなかった。
彼女の商品価値を下げるようなことはしたくない。
キョーコとの出会いは2年前だった。
当時のアイアンメイデンはまだしがないダンスグループに過ぎずキョーコ自身も己の内にくすぶる暴力衝動をいつも持て余しぎみのように見えた。
キョーコはCLUB ELIZABETHでのダンスイベントに興じるかたわら、クラブに集まる暴漢や執拗にみかじめを要求する暴力団を駆逐してみせることによって内なる欲求を満たした。
彼女の側にはいつも血と狂気が渦巻いていた。田所にとってそれはとても魅力的に映った。
そんな頃だった。
アイアンメイデン先代の総長が死んだのは。それはキョーコが始めた抗争の果ての死だった。
キョーコは犯人を追い求めた。
連日、夜の街に繰り出してはそれこそ狂ったように血の雨を降らせ続けた。
頭から血を浴びて全身を濡らしたキョーコは繁華街を包むネオンの照り返しで美しく輝いていた。
田所はキョーコに力を貸すことにした。
キョーコが探していたのは当時の新興勢力、龍聖会の若頭だった。
たかだか暴力団のひとつを壊滅させる事など田所の力を持ってすれば造作もないことだった。
だがあえて田所はいちばん美味しいところは残したままにした。
若頭を生かしたまま捕らえるとキョーコの目の前に引きずり出した。
彼女の反応を見たかった。
彼女の暴力が振り切れる瞬間を見たかった。
結果は田所が期待した以上のものだった。鉄扇をまるで自分の身体の一部のように操り、丁寧に時間をかけて彼女は若頭を四分五裂に裂いた。
全てを終えた後の彼女は眼を潤ませながら田所を見据えてきた。
晴れやかな笑顔だった。
その時もやっぱり彼女は全身を血に濡らしていたのだった。
キョーコにとって暴力は愛だ。
それでしか自分を表現できない。
それでしか自分の存在を証明できない。
二人がお互いを求め合うのはある種、必然だった。
暴力という価値観を通してしか田所もキョーコも人と対話することはできなかった。
倒錯した愛だけが二人を結び付けた。
「今日はいつもより機嫌がよさそうだな」
「うん、久しぶりに楽しめそうな獲物を見つけちゃったの」
手首を縛っていた革のベルトを外しながらキョーコは腕を頭上に伸ばすと、田所からワインのボトルをひったくり中身を空けた。
「やっぱり最高ね、コレ」
ブラン・ド・ブラン シャンパーニュ サロン。
幻と呼ばれるワインだった。
ワイン醸造家は通常、複数種類のワインを同時に生産する。
しかしサロンの生産者はサロンただ一つしか造らない。
厳選されたブドウだけをさらにより抜き、品質に見合ないと判断されれば生産すら凍結する圧倒的なこだわり。
今まで世に出されたのは100年の内、36回に過ぎない。
そこにあるのは造り手の狂気だった。
どの世界でも頂点に立ち、栄華を極めるのは内に狂気を宿した者だけだ。
誰に理解されずとも、蔑まれようと己の欲望にだけ従って人は生きるべきなのだ。
それが本来あるべき姿だ。
だからこそ豪翼町は輝く。
一瞬に命を賭けれる者だけがこの町での生を享受できる。
「ねえ、弓っち。こないだ格闘祭の事話してくれたじゃない。その時ね、弓っちを批判した女の子がいたって言ってたでしょ?」
そう言えばそんな話をした気もする。
もうだいぶ前の話だ。
今月も格闘祭の期日が迫っていたがまだメインイベントが決まっていなかった。
今は特にこれといって処分しなければならない人間もいない。
金星に相談して警察から人を出してもらうのもひとつの手だった。
警官殺しは観客の溜飲を下げるにはうってつけだ。
豪翼警察は治安維持装置として全くその機能を果たしてはいない。
地に堕ちた正義。
腐敗した信念。
この町では建前はいらない。
誰もが心の奥底でくすぶっている本当の心に耳を傾ければいい。
本能のままに生きればいい。
格闘祭はそれを確認するための手段に過ぎない。
「実はその女の子、ウチの生徒なのよ」
「ほぅ、それで?」
「ひとりで私たちアイアンメイデンを敵に回して暴れまわってる」
それは実にキョーコが好みそうな話だった。彼女は常に自分の暴力に対等の暴力を返してくれる相手を求めている。
街を駆けまわっていた頃にもそんな相手は現れなかった。
自ら率いる組織の中にもいなかった。
キョーコに応えられるのは今まで俺だけだった。
そのキョーコが眼を輝かせている。
また彼女の暴力が振り切れる瞬間を見られるかもしれない。
それは田所の心を妙に刺激した。
「パーティには招待してくれるのかな?」
「ええ。エサはもう巻いてあるの。後は待つだけ」
期待に満ちたキョーコの眼差しはやはり田所の心の奥底を刺激してやまなかった。




