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11 鉄扇子

面白くない。

最近、何をしてもつまらなかった。

原因は解りきっている。

赤毛の女。

九条茜。


鴉間(からすま)マリアは左手でバタフライナイフを広げると掌の上で回転させた。

くるりと半円を描いたそれはマリアの指に収まる前に床に落ちた。


ちくしょう。

ジャックナイフ・マリアとさえ呼ばれた自分が今やまともにナイフを扱うことすら出来ない。

肘から先がなくなった右腕を見つめる度にマリアの憎悪は募った。

次に会った時こそ最後だ。

必ず殺してやる。


「ロン!」


「くっそ!また負けかよ…」


「これで35000円分だな。何ならハーブ1袋と代えてやっても良い」


「ふざけんな。払うよ」


「よっしゃあ!これで今月も何とかやってけるぜぇ!」


「うるせえ!外でやれ!」


隣の雀卓で繰り広げられるいつもの会話ですら今のマリアには煩わしかった。

まったくどいつもこいつもバカばかりだ。

何もかもがマリアの苛立ちを募らせる。


あの転校生が劉傑学園に来てから1ヶ月程度が経過していた。

アイアンメイデンがたったひとりを相手にずいぶん手を焼いているらしいという噂はもう校内中を駆け巡るニュースとなってしまった。


それと言うのも新聞部の連中がこれを良いネタだと思ったのだろう、余計な記事を学内の掲示板に貼って回ったのが大きな原因だった。


あいつら、ちょっと甘くしていたら付け上がりやがって。

おかげでこのところアイアンメイデンの評判はガタ落ちだった。

いや、それだけならただの風評だ。

調子に乗っていた新聞部はすでにヤキを入れてやったからもう新たな記事を作る心配もないし、噂話は広まっても学校内の雑魚どもが態度を変えることもなかった。


だが問題なのは総長の留守を預かっているこのジャックナイフ・マリアの統率力にケチが着いたことだ。

何故だ。

何故よりによって今、どいつもこいつも逆らいやがるんだ。


「あの、そろそろお帰り願えませんでしょうか…」


「あ?」


「いや、もう学校も施錠の時間が近づいておりますので…」


用務員が小声で様子を伺いながら言う。

どことなく挙動も不振だ。

小さい体に小さい声。

おまけに肝も小さいときた。

こんなヤツでもこの町で生きていけているなんて意外と豪翼町も平和なもんだ。


「てめぇ、誰に向かって口聞いてんだよ、おい」


マリアは用務員の少し薄くなった頭髪を掴むと机に叩きつけた。


「あーあー、怒らせちゃった。マリアさんのアレ、始まると長いんだよなぁ」


鼻が変な形に曲がった用務員は呼吸するために何とか空気を集めようと口を歪めた。その動作が再びマリアを苛つかせる。


「クセー息を吐きかけるんじゃねえよ、おっさん。何ならその指、一本一本切り落として口に詰めてやってもいいんだぞ、コラ!」


「あ、あの…すみません。何か…」


卑屈な態度は火に油だ。

マリアはもう一度、用務員の顔面を机に叩きつける。

今度ははっきり骨の砕ける感触が手のひらに伝わった。


「なに謝ってんだよ。何か悪いことでもしたのか?ん?」


「いや…その…」


血に濡れた用務員の顔は既に涙にまみれていた。

情けない。

見るに耐えなかった。


「はっきり喋れよ、オラ!」


マリアは前蹴りの一発を少し突き出た用務員の腹に浴びせるとそのまま部屋の外へ叩き出した。


よろめいた体は部屋のドアの正面に立っていた女の胸元にぶつかって止まった。

慌ててしがみつく先を探したのか用務員の両手は女の豊かな胸をわしづかみにしていた。


「あら?ずいぶん積極的なオジサマ」


女が真っ赤なルージュでつやめく唇を持ち上げて微笑んだ。


「でも私の身体に触れてもいいのは弓っちだけ。ごめんね」


女がスカートのベルトに固定していた鉄扇を広げると用務員の首筋へ向けて一閃する。

鋭利な扇の先に付いた刃が首と銅を瞬時に切り離すと噴き上げた鮮血が女の打ち掛けを赤色へ染めた。


「あーあ。これお気に入りだったのに」


「お疲れさまです、キョーコさん!」


深々と頭を下げたマリアの背を汗がじとりと濡らし始めた。

まさか、今帰ってくるなんて。

この人に今のアイアンメイデンの有り様を見られることだけは避けたかった。

自分の不甲斐なさを見られることだけは。


アイアンメイデン総長・鉄扇子(てっせんし)キョーコ。


メンバー揃いの黒ジャケと違ってこの人の出で立ちだけは奇抜だ。

それもそのはず。

元々、アイアンメイデンはキョーコが組織したグループではなかったし、今のように暴力的でもなかった。

元のアイアンメイデンは豪翼町の女子高生たちの憧れを一心に集めるダンスグループだったらしい。

今でもグループの象徴である革ジャケットはその頃からのメンバーが着用していた伝統ある一品だ。


そのダンスグループを何故キョーコが率いることになったのか、マリアは詳しいことは知らない。

マリア自身がアイアンメイデンに加わったのはキョーコよりも後。

そもそもキョーコの勧誘だったのだから。


でも一説によれば当時のリーダーとのダンスバトルに勝利したというのが理由のひとつだとかで、ますますもってこの人の存在はよくわからない。


そしてたかが女子高生の集団であるアイアンメイデンが町中から恐れられるようになった最大の理由こそこのキョーコにあった。


金と権力、血と暴力に彩られた豪翼町の支配者・田所弓彦。

鉄扇子キョーコは彼の寵愛を欲しいままにする豪翼町の王女(プリンセス)だった。



「あれ?マリア、右腕どうしちゃったの?」


キョーコが肘から先が空洞になったマリアの袖を引っ張った。

こうなってしまっては全てを話すしかない。

上機嫌な今なら彼女の不興を買うこともないだろう。


それは希望的観測に過ぎなかったが、マリアは九条茜が転入してきてからこれまでの経緯(いきさつ)をキョーコに語った。

マリア自身、もう肩の荷を降ろしたいという気持ちがどこかにあったことも確かだった。

早く楽になりたかった。


新聞部も図書委員も九条も全部キョーコに任せれば一発でカタが着く問題だ。

その点だけは間違いがない。


中学の頃から誰ともつるまず、ひとりでこの暴力の町を生きていくと決めていたマリアがわずらわしい女同士のグループに所属しているのも全ては鉄扇子キョーコという女の存在のためだった。


彼女は圧倒的なまでに強い。

マリアの価値観の全てを覆すほどに強かった。


「ふーん。何だかずいぶん面白いことになってるのね。やっぱりこっち来て正解だったなー。じゃあ明日からはそのアカネちゃんにさっそくちょっかい出しちゃおう!」


良かった。

ずいぶん乗り気だ。

キョーコが率いればアイアンメイデンは無敵だ。

今までの失点は戦いの中で取り戻してやる。九条茜の首を獲るのは私だ。


「でもさ…」


キョーコが閉じたままの鉄扇をマリアの頬に押し当てた。


「私、図書室をダンスホールにするって言ったよね。なんでそれ出来てないの?」


「いや、だから赤毛が…」


言い終わる間もなく鉄扇が頭上から降り下ろされた。

衝撃に体が地を滑る。

今度は顔を叩きつけられたのはマリアの方だった。


「ダメだよー、言い訳しちゃ。だってアカネちゃん、来る前から私言ってるもんね、図書室が欲しいって」


立ち上がろうとしたマリアの顎をさらに鉄扇が横薙ぎに払った。

足がもつれていびつなステップを踏む。

バランスを崩した体は雀卓にぶつかって転げた。


牌が床に散らばると今まで黙って息を殺していたメンバーたちが解放されたようにふたりの間から距離を取り始めた。


「キョーコさん、次は必ずあいつら説得するんで…もう少し時間を」


鉄扇が空を斬って放物線を描いた。

ブーメランのように飛んだそれはマリアの顔の横に突き立って止まった。


「ひっ」


思わず声が出た。


「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」


キョーコが優しく微笑むと鉄扇を壁から引き抜いてマリアの頬に触れた。


「結果を出さなきゃ。言葉だけじゃ誰も信じてくれないよ?」



マリアはもはや全く動くことが出来なかった。怯えが身体中を駆け回って関節のひとつひとつをこわばらせていた。

じとりと汗で濡れる背中も不快とは感じなくなっていた。

死と隣り合わせの感覚がマリアの脳を研ぎ澄ませていく。


「結果の出し方、総長自らみんなに教えちゃうね!」


キョーコがウインクした。

左腕を動かしてみる。

いつもより少しだけ滑らかに指が動いた。


試しにナイフを広げて掌で回した。

くるりと回転したナイフはきっちりとマリアの手の中に収まった。

上々だ。

明日からはパーティだ。

総長・鉄扇子キョーコが戻ってきたのだ。反撃の狼煙は上がった。

これより先、地獄を作るのは私たちアイアンメイデンのほうだ。


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