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10/27

10 矜持

クローゼットを開けると古い木の薫りが部屋の中を漂った。

もうずいぶん長い間使わずにいたため、よれて痛んだスーツに袖を通すと鏡の前に立った。


以前よりも少し腹回りがきつくなった気がした。

えんじ色のアスコットタイを首に巻くと往時の感覚が取り戻されてくる。


天龍豪造は深呼吸で気持ちを整えるとデスクの引き出しから鍵のついた小箱を取りだし開いた。


コルトSAAピースメーカー。

天龍がまだ組長と呼ばれていた頃の愛銃。


これを再び使う時が来た。

全てに決着を着ける朝が来た。


思えば長い屈辱の日々だった。

豪翼町は欲望渦巻く暴力の町だ。

だが少なくとも無秩序ではなかった。

アウトローにはアウトローのルールがあった。


それをあの若造は、田所弓彦は何一つわかってはいない。

力で全てを捩じ伏せ、権力を欲しいままにする。


もはや我慢がならなかった。

10年。

10年あれば人も町も変わる。

田所が支配者を名乗って以来、この町は再び腐り始めた。

静かに、だが着実に豪翼町を恐怖と混沌が包んでいった。


捨て置けぬ。

天龍は指を鳴らした。

この身体が動く内にヤツとの決着を。


使い慣れたリボルバーに弾を込めた。

懐かしい動作が次第に天龍の心を若き日の、何物も恐れなかった在りし日へと引き戻していった。


「社長、何事ですか?そんな服を引っ張り出して。カウボーイのコスプレならご自宅でなさってください」


「おー、お蘭。お主はメイドでどうじゃ。ニーハイとスカートの比率は4:1:2.5!絶対領域にはうるさいぞ、わしは!」


いや、違う。

そんな会話をしている場合ではない。

お蘭のヤツ、余計なことを。

今日は大切な日なのだ。

田所と遂に雌雄を決する時だ。

これ以上、この町を好きにはさせない。


「はい、血圧計りますよ。社長、それしまって下さい」


蘭がコルトを取り上げるとくるくると指で銃身を回した。

危ないから止めてくれ。

それにはセーフティは付いていないんだ。


されるがままに天龍は右腕を蘭に差し出し血圧を測る。


「180/90。社長、昨日飲みました?」


「バーボンをちょっと…」


「今日の外出はなしです。はい、それ脱ぎましょうね」


「ほう、お蘭。朝から大胆だのう。お主も」


「セクシャルハラスメントです」


ぴしゃりと蘭は天龍を制止する。

なんじゃ、ノリが悪い。

少しくらい冗談を解してくれてもいいではないか。


いや、そうではない。

そんないつものやり取りをしている時ではない。

今日は大切な日なのだ。

田所との決着。

待ち望んだ日がやっと訪れた。

機は熟した。

建設会社の社長として息を潜めてきたこの10年。

天龍は何もしてこなかった訳ではなかった。

失った勢力を取り戻すため水面下で秘かに力を蓄えてきたのだ。

そして今、ようやく準備は整った。

もう待つ必要はない。

今日、豪翼町は新生する。

かつての誇りを取り戻すのだ。


「お蘭、組の連中を集めてくれ。今夜、田所に会いに行く」


旧天龍組の若衆は組が解散した今も建設会社の社員として自分を支えてくれていた。

いつか立ち上がる時を信じて今日まで堪え忍んできてくれたのだ。

それに報いる時が来た。

戦いの時が来た。

豪翼町に夜明けを。


「皆さん、今日はお休みです。ネズミーランドに行くそうです」


「は?」


「そもそも今日、ウチは定休ですから」


しまった。

忘れていた。

これでは田所を攻める兵力が。

いや、そんなことはどうでもいい。

何が定休だ。

あいつら、今までの恩義を忘れやがって。

火曜日に決起って言ったのに。

ちゃんと伝えたのに。


「呼び戻せ!夜までにガンクビ揃えてここに整列させろ!」


大声を出したら息が上がった。

同時に激しい咳が襲ってくる。

やはり年には勝てん。

今日だ。

今日決着を着けなければ。

蘭が背中をさすりながら湯呑みを差し出す。熱い白湯(さゆ)が身体を芯から温めた。良い気持ちだ。

このまま寝てしまいそうな程に。

蘭がもうひとつ何かを天龍に手渡そうとした。


「蜜柑もどうぞ」


「すまんな」


蘭に皮を向いてもらうと真ん中で割った蜜柑のひとかけらを口に入れる。

甘さが少しだけ喉の奥の気持ち悪さを取り除いた。

良い気持ちだ。

このまま寝てしまいそうな程に。


「肩をお揉みしますね」


「すまんな」


絶妙な力加減で蘭が凝り固まった肩の疲れをほぐしていく。

良い気持ちだ。

このまま寝てしまいそうな程に。


「お蘭」


「はい」


「わしを行かせたくないか」


「はい」


「わしがあんな若造に負けるとでも?」


それには蘭は何も答えなかった。

我ながらバカバカしい事を聞いたものだ。


10年で耄碌(もうろく)してしまったのだろうか。

俺は誰だ。

それを思い出せ。

この豪翼町に一代で勢力を築き、若き日には"鬼"と恐れられた。

誰よりもこの町を知りつくし、この町を愛してきた。

俺は天龍豪造だ。

誰にも負けん。


「ポイズンダガーをここに」


ポイズンダガー・イトーは天龍子飼いの組員ではなかった。

組がほぼ壊滅状態に追い込まれたあの日、天龍は表向きには死を装うことにした。


天龍組組長としての天龍豪造はもういないのだと時間をかけて周囲に刷り込んできた。

だが今日のこの日を、決着を着ける日の事を忘れたことは一度もなかった。


ポイズンダガーは天龍にとって来るべき日の為の切り札なのだ。

裏社会とのコネクションを絶ちきった天龍へ常に最新の事情を通じ、汚い仕事も金さえあれば何でも引き受ける。

彼の存在が天龍の薄皮一枚分のプライドだった。


田所が如何に強力な私兵を組織していようと懐深く飛び込む事が出来ればポイズンダガーの毒牙はヤツを逃しはしないだろう。


「ポイズンダガーは先日死にました」


「何だと?」


蘭が事務的に告げると動揺が走った。

どういうことだ。

この10年、完璧に潜んできた自分が今になって動き出した事を田所は知っていたというのか。

知っていて先回りされた?

まさか。

あり得ない。

確かに先日の格闘祭でヤモリに会った。

あれが事実上の宣戦布告になったことは否定しない。

だが。

ポイズンダガーを殺れるほどの使い手を田所は抱えているというのか。


「誰に殺られたのだ?」


「いえ、それが…」


蘭が口ごもった。


「構わん、言え」


「ええ。ポイズンダガーはワライタケを過剰摂取したことによる呼吸困難で昨夜未明息を引き取りました」


「はぁ?」


「ポイズンダガーたるもの全ての毒に打ち勝たねばと仰られ」


「んなアホな話があるか!何でよりによって今そんなチャレンジしてるわけ、アイツ?え?キノコ?キノコで死んだの、アイツ?」


全くあり得ない話だ。

俺はキノコに敗れたというのか。

仕方がない。

ポイズンダガー抜きでやるしかない。

もう決めたことだ。


今夜。

全てが終わる。

全てが変わる。



鉄の門扉(もんぴ)に閉ざされた正門をくぐれば見渡す限り広大な敷地だった。


眼前に(そび)える屋敷の荘厳さはまるで城だ。

瓦屋根の作るいらかの波が電飾のネオンで紫色の輝きを放つ。


田所デイサービスセンター。

どこが気軽な介護施設なのか。

権力指向の悪趣味に天龍は胃もたれがしそうだった。


ピースメーカーを抜いた。

グリップを通して伝わる鉄の感触が冷たい。


月が傘を被っていた。

一雨来そうだ。


「ご来館誠にありがとうございます。申し訳ございませんが本日の営業は終了致しました」


作業着の男が丁寧に応対した。

腰のベルトにはきっちりピストルが刺されている。

田所DSCの職員は介護師であるのと同時に戦闘員でもある。


一様に端正な顔立ちをこちらに向ける職員たちはずらりと肩を並べた天龍組の面々に警戒を強めた。


「社長はおられるのかな?」


「ですから本日の営業は…」


「じゃかましい」


笑顔の職員の額に銃口を押し当てると迷うことなく引き金を弾いた。

男が背中から床に倒れる。


それが合図になった。

組員が一斉にピストルを抜く。

DSCの職員も腰に手をかけたが遅かった。

揃って放たれた発砲音が屋敷の玄関口を血に染めた。


扉を蹴破ると正面には赤絨毯の敷かれた大きな階段。

銃声に気づいた職員たちはすでに武装して待ち構えていた。


一発。

前から迫る男を打ち倒すとそのまま階段へ足を進める。

すぐに組員たちが脇を固めた。

長き戦いの日々が培ってきた連携。

田所DSCの若造どもとは潜ってきた修羅場の数が違うのだ。


「社長、背中は私がお守りします」


蘭も右手にピストルを構えていた。

コルト・ガバメント45口径。

天龍が与えた物だ。

護身用にしては少し大きなこの銃を蘭は実に見事に扱う。


森井蘭との出会いは遡れば今から15年前。当時、10歳の蘭はナイフを片手に天龍の前に現れた。


"あんたが憎い"


そう言った蘭の両親はかつて天龍が殺した悪徳金融業者の社長だった。

小さな手で必死に挑みかかるその姿は狂おしいほどに切なく、天龍の中に今まで抱いたことのない感情を思い起こさせるには充分すぎた。

それは子供のいない天龍が始めて抱いた親心だった。

天龍は蘭に生きる術を叩き込んだ。

この暴力の町でひとりで生きていく為の力を授けた。

13の時、中学に進学した蘭は天龍の元を離れた。

餞別代わりに渡したのがコルト・ガバメントだった。

もう会うこともないだろう。

その時はそう思った。

しかし蘭は再び天龍の前に現れた。

組が壊滅した後のことだった。


"生きてさえいれば何とかなります。それを教えてくれたのはあなたです"


前よりも無感情に言った蘭の一言はそれでもとても暖かかった。


それから10年。

蘭と二人三脚で作り上げた組織はついに田所の牙城を切り崩すまでに育った。



何度目かの発砲だったろう。

天龍の放った一発が最後の戦闘員の眉間を貫いた。

硝煙の匂いが辺りに立ち込める。

過ぎ去った過去に置いてきたはずの感覚に身を委ね天龍は階段を駆け上った。


階段の先、細い回廊を抜けるとそこは大広間、大理石の敷き詰められたダンスホールだった。


「ずいぶん騒々しいと思ったらMr.テンリューではないですか。これはどういうおつもりなのですかな?」


既に片手に銃を握った執事(バトラー)がそこにはひとりで待ち受けていた。

田所の身の回りの世話からスケジュールの管理、格闘祭のMC、そして屋敷の警備。ヤモリは田所DSCの実務の要だった。


こんなところで出てくるとは。

後続はまだ追い付いていない。

こんなヤツに時間をかけている暇はない。


「貴様に用はない。田所はどこだ?」


「マイマジェスティーはご多用でね。あなたのようにもう終わってしまった人間に割く時間はないのですよ、ご老体」


天龍もピースメーカーを構えるとヤモリの額に正確にポイントした。

応じるようにヤモリが構えた。

膠着。

向き合った状態でふたりの間に言い知れぬ空気が漂った。


「ところでMr.テンリュー。ここまで何発撃ちましたか?残りの弾は残っておいででしょうか?まさか、その骨董品の中身は空っぽということないかと思いますが 」


天龍の頬を一筋の汗が伝った。

ピースメーカーの装弾数は6発。

ここまで天龍が撃った弾の数もまた6発だった。


「どうやらここでジ・エンドのようですね。お帰り頂きましょうか、天に」


「そうじゃのぅ、残念だが。時にヤモリ、最後にひとつ聞かせてくれ」


「何なりと。私にお答えできることであれば」


「その仮面、戦闘には不向きではないか?死角が多すぎるぞ」


「心配無用です。本来、外敵の排除は私の任務の範疇ではないのでね」


ヤモリが引き金に手を掛けた。

指先にわずかに力がこもった。


「そうか。ならば…」


瞬間、天龍は身をかがめた。


「死ぬのはあなたです」


ヤモリの視線の先には黒光りする銃口。

その先端が火花を散らした。

水平に放たれた弾丸が仮面の中央を砕きヤモリの頭蓋に突き立った。

まっすぐに後方へ倒れたヤモリの身体は一度だけ大きく四肢を震わすともう動くことはなかった。


「間一髪じゃな、お蘭」


「あまり先走らないで下さい。背中は私がお守りすると言ったはずです」


「相変わらずじゃのう、お主は」


いつもの様に眼鏡を直す蘭の姿に天龍は苦笑した。


「では行くか」


ホールの奥を指し示す。

事前の情報が正しければここを抜けると田所の社長室まではあと少しだった。

決着の時は刻一刻と近づいている。

後続の若衆が追い付いてきた。


「ここから先は地獄だな」


「社長のためならどこまでも。お蘭は地獄までもお供致します」


不意に一陣の風が吹き抜け、頭上のシャンデリアを揺らした。

眼前を見据える。

扉が開いていた。

全身を金色のスーツと靴に身を包んだ色白の男が手を叩きながら笑みを向ける。


「いやいや、お若いですな、天龍組長。弊社をご利用頂くまでもないのではありますまいか?」


「ふん、若さの秘訣はお主の存在じゃよ、田所弓彦。なかなかに良い施設ではないか、ここは」


ひきつった笑いはそのままに田所が視線を床に落とした。

肩をすくめると困ったように天龍を見つめる。


執事(バトラー)が死んでしまった。ナリは変でも彼は有能でね。どうしてくれるのかな、組長。この借りは高くつきますよ」


どこか楽しんでいるようでもある。

こいつはどんなに組織に貢献してきた人間でも簡単に切り捨てることのできる男だ。


身内の死を何とも感じてなどいないのだろう。こんなヤツに組織のトップに立つ資格はない。町の支配者を名乗る資格はない。


「まあ、いいじゃない、弓っち。これからは私が全部お世話してあげるんだから。身の回りのお世話から、全部、ね」


鮮やかな色打ち掛けを羽織り、長い黒髪をひとつに纏めた女が田所の側に寄り添った。

打ち掛けの中は学生服だろうか。

赤色のリボンとブラウスが着物とはとても不釣り合いだった。

濃いめのメイクが年齢を隠してはいるがその格好からも女子高生であることは間違いがなさそうだった。


女は周りを敵に囲まれている事に気づいてでもいないように田所にまとわりつき股間に手を這わせた。

なるほど、これが噂の愛人か。

まだ10代の学生とは。

世も末だ。

モラルも糞もあったものではない。


「怪訝な表情をするなよ、天龍。あなたの隣のその秘書。お互い似たようなものだろ?」


天龍の頭に血が上った。

ピースメーカーに弾を込め直すと田所へ

突き付ける。

合わせるように組員が一斉に銃口を持ち上げた。


「貴様と一緒にするな、外道」


「ふふ。やはり老けましたな、あなたも。10年前はもう少し気が長かったように記憶しています」


「バカを言うな。10年だぞ。10年もこの日を待った。気が遠くなるような長さだったよ。だがそれも今日までだ。わしは貴様を殺し、この町を取り戻す」


「ご立派です、天龍組長。その徒労とも言える10年にそろそろ幕を引いて差し上げましょう、私の手でね」


「ほざくな、小僧!」


天龍が合図を出すと正確に田所へとポイントされた組員の銃口が火を噴いた。

それは目の前で薄ら笑いを浮かべるキザな顔を跡形もなく吹き飛ばすはずだった。


「ホーセン!」


田所が叫んだ。

同時にシャンデリアが轟音を立てて床へと落下する。

放たれた銃弾はシャンデリアへと、いやそれを切り落とし地面に降り立った男の身体へと吸い込まれていく。


金色(こんじき)の甲冑。

処刑人・前田奉先忠勝。

前田は刀を鞘に納めると何事も無かったかのように田所の後方へと控えた。

穴の空いた甲冑の隙間からは明らかに多量の出血が認められる。

にも関わらず前田の動きに変わったところはひとつも無かった。

化け物か。

何なんだ、この怪物は。


「惜しかったですな、次はこちらの番です」


田所が指を鳴らすと先ほど天龍たちが入ってきた後方の扉が開いた。

いや、正しくは破られた。

扉を破ってハーレー・ダビットソンの巨大な車体がホールへと躍り込んだ。


銀色の髪。生気の無い眼差し。

真っ黒なロングコートの下には引き締まった素肌が見えていた。

身体中に施された龍の入れ墨が男の狂気をより一層強めているように感じられた。

バイクに跨がったまま男が右腕を持ち上げる。


「逃げろ!」


遅かった。

乾いた音を鳴らしながら男の手に握られたサブマシンガン、イングラムM10が空気を震わせた。

眼前で打ち倒される組の若衆を眺めながら天龍の胸中を絶望が暗雲のように立ちこめ始めた。


10年。

組織の強化に努めてきたのが自分だけだと何故思った?

歯の根が鳴った。


また同じ事を繰り返すのか。


血の海の中へと同胞が横たわっていく。

薬莢が大理石に落ちる音が天龍の絶望を加速させる。


「社長、退いてください。ここは私が引き受けます」


蘭が天龍の前に立ちはだかった。

コルトが田所の心臓をポイントしている。


止せ。

逃げるんだ。


「ヤモリは私の大切な世話役でした。あなたからも大切な物を奪うとしましょうか」


蘭の肩越しにピースメーカーを構える。

田所の顔が射程に入っていた。

だがその顔の隣から何かが弧を描くように飛来した。

天龍の眼前でコルトを握った蘭の右腕が千切れ飛んだ。

飛沫が頬を濡らす。


落ちた蘭の右腕の隣に鉄の扇が刺さっていた。


「お蘭!」


今度も声は届かなかった。

飛びすさった打ち掛けの女が短刀を懐から抜くと一振りで蘭の頸動脈を掻き切った。


返り血が天龍のジャケットへと降りかかる。

倒れた蘭の顔から瞬く間に生色が失われていった。


心臓がかつてない早さで鼓動していた。

わずかな間に深紅に染まったダンスホールの光景に我を失いそうになる。

もはや立っているのは自分しかいなかった。


決着は着いた。

待ち望んだ形ではなかったものの、確かに。


田所弓彦は変わらぬ笑みでこちらを見ていた。勝ち誇っているわけではない。

ただこの状況を楽しんでいる笑みだった。


10年か。

再び天龍は思った。

人が耄碌するには充分すぎる年月だったようだ。

あの日、戦いの日々に、暴力だけが全てだった人生に、終わりを告げることはできたはずだった。

天龍組組長ではなく天龍建設社長としての人生を歩む事もできたはずだった。

余生を穏やかに過ごすことが頭をよぎらなかった訳ではなかった。


だができなかったのだ。

血と暴力にまみれたこの地であろうとも、利権と欲望に囚われた町であろうとも天龍は豪翼町を愛していた。


この町に産まれ、この町に育てられた天龍にとって今の豪翼町を座して見ていることは耐えがたい苦痛だった。

たとえ全てを失うことになろうとも町を取り戻す為の戦いを終えることはできない。それが天龍に残された最後の誇りだった。


「ずいぶん楽しませて頂きましたがあなたとの遊びもこれで終わりです」


田所がジャケットから黄金に輝く銃を取り出すと両手に握った。


「用が済んだらさっさと死ねよ、老害」


ここまでか。 天龍は静かに目を閉じた。

大口径の銃から放たれる耳をつんざく轟音。それが天龍豪造が最後に聞いた音となった。自身が流した血だまりに身を横たえた時の天龍にはもはや意識は残っていなかった。


暴力が支配する町に文化と平和を築こうとした男、天龍豪造はこうして70年に渡る戦いの人生に幕を降ろした。

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