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1 転校生

 平凡な日常とは不意に何の前触れもなく崩れ去るものだ。

たとえ自分の置かれている環境が他とはちょっと違っていたとしたって、いつも通りの日々が変わらず続くものと人は信じて生きている。


桐原太一(きりはらたいち)もそんな人間のひとりであった。変わらぬ毎日を過ごすために今日も顔を洗い、飯を口に掻き込むと自転車に跨がって学校へ向かう。


彼が一般的な学生と違っていたのはただ一点、学生鞄の中に拳銃を忍ばせていることだけだ。


いや、彼だけではない。

ここ濠翼町(ごうよくちょう)では護身用の武器を持っていることはごくごく普通のことだった。


無法地帯。

その言葉がそのまま当てはまるのがこの地である。

警察など当てにはならない。すべての人間が己の欲望を満たすために何のためらいもなく罪を犯す。

金と暴力だけがこの街のルールだ。

弱き者は生存すら保証されない。


この罪人の町(シンシティ)では強さこそ存在証明(レーゾンデートル)なのだ。


もっとも産まれたときから濠翼町育ちのタイチにとってそんなことは今さら口に出して言うほどのことでもないし、大した意味も持たないことではあるのだが。


劉傑(りゅうけつ)学園高等部。

彼の通う学校はこの濠翼町においてさえ恐れられる超がつくほどの問題校だった。


何かが起きてからでは遅い。

用心に越したことはないのだ。

丸腰で登校などもってのほかだった。


自転車を学校近くのコンビニに止めるとそこからは徒歩で校門へと向かう。

学校の駐輪場に止めるのはリスクが高すぎるからだ。

あそこは恐喝の常習者やクスリの売人の溜まり場だ。

よからぬことには関わらないのが一番。


8時29分。

始業ベルギリギリ。

これも処世術。

人の少ない教室は恐喝の始まり。


中にはもう大半の生徒たちは揃っている。朝から殴り合いに興じる酔狂なスキンヘッドの双子やまるで化粧品の話をするかのようにバタフライナイフのデコレーションについて嬉々として語り合うギャル。


見慣れたいつもの光景。

今日も平和だ。


「おらーっ、お前ら授業だぞー」


8時30分。

始業ギリギリ。

担任の沼田が声を上げる。

ギリギリで教室に入るのはもちろん命の保証のため。

血気盛んな若者たちとはできるだけ過ごす時間を少なくしたいというのが教師たちの本音だ。


「よーし、じゃあ出欠取るぞー。青葉ー」

「うす」

「飯島ー」

「はい」

「宇野ー」


返事はない。


「宇野ーっ。返事をしろ、返事を」

「あ、宇野なら昨日川原で死んでましたよ」

「何だって。まったくウチの生徒ともあろう者が死んで出席できんとは何事か。おい、お前らみんな気を付けろよー。死んでウチの評判傷つけんなよー」


その後も何事も無かったかのように出欠確認は続いていく。

これがまあ当たり前の劉傑学園の朝で、当たり前の濠翼町の姿。


でも当たり前じゃない日常はもうタイチの目前まで迫っていた。


そう扉を隔てたすぐそこに。


「今日はお前らに新しい仲間を紹介する。転入生の九条茜(くじょうあかね)クンだ。九条、入りたまえ」


ガラッと勢いよく扉が開け放たれる。

廊下の向こうから小柄な少女がだるそうに教室へと歩を進めた。


着崩した制服。ボタンを二つはずしたブラウスにだらしなく下がったリボン。

真っ赤な髪に半分閉じた眠たそうな目。

そして何より目を引いたのは背中に背負った大振りの太刀。

柄の先にさくらんぼのストラップを揺らしたそれは嫌でも彼女に注目を集めてしまうほどに存在を主張していた。


不味いな。

タイチは思った。

今のトレンドは武器の携帯はさりげなく。教室で自分の獲物を見せびらかす派手好きもいるにはいるけれどあくまでも持ち運びは鞄にしまって、服のポケットに入れてスマートに。

というのが今風なのだ。

それをこんなにも堂々と背負っていては殺ってくださいと主張しているようなものではないか。


現にクラスの武闘派は一目で彼女に目を付けていた。怪しく笑みを浮かべる不穏な連中にタイチは不安を覚える。


頼むから妙な事には巻き込まないでくれよ。タイチもおよそこの学校には馴染まない転入生に警戒の眼差しを向けた。


「まずは挨拶と自己紹介だ。手短にな」

「九条茜。趣味は寝ること。好きなことは退屈。特技はどこでも寝られること。ヨロシク」


口早に呟くとずかずかと教室の中まで進み、タイチの目の前でアカネは立ち止まった。


「そこ、空いてるから座るわよ」

隣の席をさししめすと許可を得るようにタイチに目配せする。


「ど、どうぞ」


若干、声がひきつった。

我ながら情けないものだ。


「よし、じゃあ桐原。九条の面倒はお前が見てやれ」


そんなバカな。

何で俺がこんな訳のわからない娘の面倒を見なくてはならないのだ。

冗談じゃない。

それでなくても毎日、面倒事に巻き込まれないよう必死になっているというのに。


アカネは重そうに体を動かすとよいしょっと声を出して席に着く。

"お前、いくつだよ"

喉元まで出た言葉を飲み込む。


席についてもアカネは背中の刀を下ろそうとはしなかった。

余程大切なものなのだろうか。

そんなものしょってたら座りにくいだろうに。


「よし。じゃあ授業を始める。お前ら暴れるんじゃねーぞ」


沼田が声を上げるとタイチの机に一冊のノートが投げ込まれた。

横を見やると突っ伏したままの姿勢のアカネがタイチをじっと見ている。


「何?」

「アタシのノート」

「うん」

「アンタ、まとめておいて。後で見るから」




それだけ言うと一瞬後には眠り込んだのかアカネはもう言葉を発しなかった。


え?どういうこと。

まさか転校して早々、授業聞かないつもりなのか。

しかもノート写させてとかじゃなくまとめといてだって。


終わった。終わったよ。

平凡な日々が崩れていくのをタイチは感じた。


授業が終わっても休み時間にやることがあるというのは助かる部分もある。

普段、学校での1日をどう乗りきるかにすべてを賭けているタイチにとってノートのまとめであろうとやることがあるのは気をまぎらわすには調度よかったからだ。


正直なところタイチはいまだにこの学校が好きではなかった。

当然、友達と呼べるほどの人間もいなかった。逆に言えばそれはタイチに絡んでくる者も少ないということでもあったが。

時々タイチは思う。

自分はこの血で血を洗う濠翼町という町で生き抜くには臆病すぎるのでないかと。幼稚園や小学生の時に気の合った友達は不思議ともうこの世にはいない。


彼らもタイチと似たような性格だったように記憶している。

血を見るのも嫌いな自分にはこの町の環境は過酷すぎた。


とはいえ、他人のノートをまとめることが不快でないかと問われれば答えはノーだ。なぜ俺がこんなことをしなければならないのか。


今のタイチにとって一番の苛立ちの原因は隣でのんきに眠っているこの女に他ならない。


結局、今日1日分のノートのまとめなど休み時間だけでやり終わるはずもなくタイチは授業後もひとり教室に残りつづけることとなった。


いや、正確にはひとりではなく依然眠り続けるアカネが隣にいたにはいたのだけれども。


そもそも彼女の存在は不思議すぎた。

目立つカラーリングの頭髪に背中の太刀。これで生き残っているのだから彼女にはそれ相応の実力があるということなのだろう。


だがタイチには"九条茜"などという名前を聞いたことは少なくとも知る限りではなかった。


濠翼町において力を持つのは強き者だ。

その強さを示すたび、町中に名は知れわたる。それは町での自分の地位を保証してくれると共に狙われるリスクも増えることを意味する。


アカネがその類いの人間ならタイチやクラスメート達が知らないはずはなかった。つまりアカネは濠翼町の産まれではないのだ。


それが彼女の謎のひとつだった。

濠翼町出身でないのなら何故、彼女は太刀を持ってこの学校へ現れたのか。

どこでこの町のルールを知り得たのか。


のんきそうな寝顔を見ながらタイチは考えに馳せる。


「ま、ただの中二病だろうけどな」

「何の話?」


ひとりごとに反応が返ってきて思わずタイチは腰を浮かしそうになる。


「お、起きてたんだ」

「まあね」

「あ、そうだ。アカネちゃん、だっけ?ノートできたよ」

「ちゃん付けしないで」

「え?」

「ちゃん付けしないでって言ってんのよ。ムカツク」



名前のことだとわかってタイチは慌てて言い直した。


「ごめん、アカネさん。ノートできたよ」


無言で手を差し出す。

渡せと言うことなのだろう。

そういうことは口にしないのかよ。


「何これ」

「何って。まとめてあるだろ、ちゃんと」

「あきれた。アンタこれ黒板写してあるだけじゃない。アタシはまとめろって言ったのよ。まとめるってのは要点をわかりやすく簡潔に書けってこと。何でもかんでも写しゃいいってもんじゃないのよ、バカ。あとテストにはどこが出そうかも書いてあって始めて合格。わかったらやり直しよ、役たたず」


淀みなく流れ出る悪口。

すさまじい。

今朝あったばかりの女の子になぜここまで言われなきゃいけないのか。

俺、なんかしたのかな。

自分なりに苦労してまとめたつもりではいたのだが。

この仕打ちはちょっとあんまりだと思う。


「君さあ、もう少し言い方があるんじゃないのかな」


できるだけ優しく言ってみる。

最低限の抗議。

なんていっても向こうは刀持ちだ。


「甘えんじゃないわよ、タイチ」


自分は呼び捨てでいいのかよ。

気力が萎え始めたタイチは話題を転ずることにした。


「アカネさんってさ、この町の出身じゃないよね」

「どうして?」

「今時、この町の人間は刀なんか背中にしょわないよ」

「あら、そうなんだ」

「どこの産まれなの?」


それには答えは返ってこない。

退屈そうなあくびが返ってきただけだ。


「ここの連中は気が短いヤツばかりだからさ、あんまり目立つ格好はしないほうがいいと思う。護身用の武器ならもっと小さいのもあるんだし」

「余計なお世話よ」

「そんなこと言ったって殺されちゃったらどうすんだよ。気づいてないかもしれないけど君、教室に入ったときから凶暴なヤツらに狙われてたんだからな」


思わず声を荒げるとアカネは少しだけ笑ったのか口を歪めてタイチを見つめた。


「おせっかい」

「ごめん」

「アンタさあ、学校来るのに筆箱持ってこないヤツいる?教科書持ってこないヤツいる?」

「いないね、多分」

「そう、いない。そういうことよ」

「いや、何が」

「アタシの刀」


それは無理があるんじゃないだろうか。

何言ってんだろこの人。

やっぱおかしいのかな。


「と、とにかく忠告はしたよ。明日から気を付けて」


帰ろうと席を立つと制服の袖を掴まれた。


「そんなことよりノート。ちゃんとまとめなさいよ」


またそこに話は戻るのかよ。

呆れてタイチはため息をひとつついた。

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