壺
「お客さんお客さん。少し見ていきませんか?」
久しぶりに家を出たある日、フリーマーケットが近くでやっているというので行ってみた。
「壺……ですか?」
僕を呼び止めた人は壺を売っていたらしい。
頭にターバンを巻いたインド風の男だった。顔に仮面を被っている。いかにも胡散臭い。
「ええ。興味ありませんか?」
「はは、そういうのはちょっと……」
僕はさっさとその場を離れようとする。
「まぁ待ってください。なら興味が少しでも沸くように、この壺を無料であげますよ」
仮面男は僕に少し大きめの壺を差し出した。
模様がキラキラしてて綺麗な壺だった。
「いいんですか?」
壺に興味を持ったことは一度もないけど、なんだか魅力的な不思議な壺だ。
僕は少し欲しくなってしまった。
「ええ。そのかわり、あまり使いすぎないでくださいね?」
「? どういうことですか?」
仮面男が変なことを言った。
「そのままの意味ですよ」
「?」
「まあそれだけ忘れないでください」
そう言い残すと、仮面男は自分の店の方に戻っていってしまった。
仕方がないので、僕は壺を持ち帰ることにした。
あれから数日たった。
壺は家に飾ってある。
僕は一人暮らしで、家に引きこもる仕事をしている。
あの日以来、家を出てなかった。
仕事が一段落して、僕は伸びをする。
家から全然出れない職業なので、外が恋しくならないようにテレビがうちにない。
そのため、世の中のことは全然知らなかった。
一応パソコンを使うのだが、ニュースを見たりしないように心掛けている。
ピンポーン。
うちに客はほとんど来ない。
なので、来る客は決まっている。
「芹沢さん。待ってました」
芹沢さん。
歳は僕とあまり変わらない二十代の人で、少し太っている男性だ。
僕は家で仕事をするのがメインだが、芹沢さんは外で仕事をするのがメインだった。
僕は作成した書類を渡す。
「ありがとう。ところで少し入ってもいいかい?」
「どうぞ」
芹沢さんを家にあげた。
居間に通すと、飾られていた壺が目についたらしい。
「それは?」
「その壺ですか? 綺麗ですよね。この前外に出たら、近くでフリーマーケットがやってたんですけど、そこにいた壺を売ってる人が無料でくれたんですよ」
「へ、へぇ。色々胡散臭い話だけど、この壺が綺麗なんて、君は少し悪趣味な人だね」
「そ、そうですか? 普通に綺麗だと思うのですが」
何を言ってるんだ、芹沢さんは。
こんな綺麗な壺が悪趣味なんて、どうかしてる。
「ちょっと触ってみてもいいかい?」
「いいですよ」
芹沢さんは壺に近づいて、そして触れる。
すると、中身を覗き込んだ。
「どうしたんですか?」
僕がそう聞くと、芹沢さんは驚いたような顔をして言った。
「中に水をいれたのかい? 地震があったら危ないじゃないか。というか蓋をしないと汚くなるぞ」
「は? 水?」
僕も壺に近づいて、覗き込む。
「ほんとだ……」
中には大量の水があった。
なんでこんなに?
もちろん水なんかいれた覚えなんてない。
どういうことだ……。
「僕……水なんていれた覚えないですよ」
「はぁ? 何を言ってるんだ。壺の中に水が入ってるのを知らないって?」
「ええ」
「じゃあなんだ。君は壺の中から水が沸いたとでも?」
「そういうことに……なりますね」
芹沢さんは心底信じられないという顔をしていた。
僕だって信じられない。
なんでこんなことに……。
「飲んでみますか?」
「冗談。今日は帰るよ」
そう言うと、芹沢さんは帰ってしまった。
冗談のつもりじゃなかったんだけどな……。
ふむ。
少し飲んでみるか。
僕はコップを持ってきて、水をすくう。
透明な水だ。
ガラスのように透き通っている。
一口。
水を一口飲んでみた。
「美味い……!」
なんと表現すればいいのだろうか。
舌を包むような甘味。
飲んだだけで、疲れがとれてしまうような味だった。
続けて、何杯か飲む。
飲み終わったとき、僕はもう水道水を飲めなくなってしまった。
僕は二週間に一回、食材を買いにいく。
あまり食べないし、長持ちするものを買っておけば、全然行かなくてすむ。
この日は三週間くらいもたせるつもりで買い物をした。
最近、外が暑い。
あまり出掛けたくなかったのだ。
大量のものを買って、家に持ち帰る。
「あつーい」
僕は家につくと喉を潤すために、壺の水を飲んだ。
最近はこの水なしでは生きられなくなった。
最初に飲んだ日から僕は壺の水の虜になってしまい、お風呂も洗濯もこの水で済ませていた。
お風呂に水を入れたとき、体が急に楽になったからだ。
しかもあの壺の水は空にならない。
一度空になるのか試したが、壺の口を下に向けて水をどれだけだしても、切れることはなかった。
無限の水なのだ。
そうしてまた数日がたった。
買い物に行ってから一週間。
僕は家のどこに行くにも壺を持って歩くようになった。
そういえば、今日は芹沢さんが来る日だ。
電話をしてみるか。
ケータイで芹沢さんを呼び出す。
何回かのコール音で、芹沢さんが出た。
『はい……。もしもし芹沢だけど……』
なんだか芹沢さんは元気がないようだ。
「芹沢さん、この前の仕事仕上がりました。それより大丈夫ですか?」
『大丈夫だ。最近暑すぎてな……』
「そうですか。とりあえず取りに来てもらってもいいですか?」
『わかった……。すぐ行く』
一時間ほどで、芹沢さんがやって来た。
「はー暑い暑い」
芹沢さんは僕に断りもなく、家にあがりこむ。
「それにしても、お前のマンションって変だよな。窓ないじゃん。いくつか換気扇あるだけでさ。洗濯物とか部屋に干したら臭くならないの?」
芹沢さんが矢継ぎ早に喋った。
「いえ、そんなことは。この部屋に決めたとき、出来るだけ外の空間と切り離されてるところがよかったので」
「ふーん……」
芹沢さんは部屋の中をじろじろ見ながら言った。
そして、僕を見て不思議そうな顔をする。
「てかさ……」
「はい」
「なんでその壺持ち歩いてんの?」
芹沢さんは壺を指さして言った。
「虜になったんですよ。それよりどうですか? この前は飲みませんでしたけど、一杯飲んでみますか?」
「いやいいよ……。なんか怖いし」
芹沢さんはそれきり余計なことを話さず、書類を受けとるとそそくさと帰ってしまった。
「変なの……」
暑いならもう少しいればいいのに。
二週間が過ぎた。
あのとき頼まれた書類ができたので、芹沢さんに電話する。
コール音はしなかった。
『おかけ……おか……げん……現在……』
そこでケータイがブツンと切れた。
なんだこれ。
おかしくなったのか?
四日ぶりにパソコンに電源を入れる。
仕方ないから、パソコンのメールを使うことにした。
しかし、電源ボタンを何回押しても、電源がつかない。
故障か?
「ん? なんだこれ」
床に砂があった。
それも少量じゃない。
足が埋まるほどの砂だ。
それが部屋中に。
なぜ気づかなかったのだろう。
僕はなんだか喉が渇いて壺の水をすくって飲む。
だが、あまり渇きは満たされなかった。
少し外がどうなってるのか気になって、僕は外に出ることにした。
砂漠だった。
外は砂で埋もれていた。
太陽が空で輝いている。
僕は外を少し歩いた。
どこを歩いても、人の気配がしない。
そのうち、喉がさらに渇いた。
左手に抱えた壺の水を、直に飲む。
喉はそれでも潤わない。
飲む。
潤わない。
飲む。
潤わない。
「なん……で……」
そしてさらに喉が渇いていく。
だが我慢して歩いていくと、人影が見えてきた。
誰だ。
見覚えがある。
近づくと、そいつは仮面男だった。
「使い過ぎたようですね。ちゃんと忠告しのに」
「あんた……あんた……、騙し……たな……」
「騙してません。私はあげるとしか言ってませんよ」
「くそ……、み……水……」
僕は持てなくなってしまった壺を地面において、横にして水をすする。
「おやおや。しかしあなたももうお気づきでしょう? その壺は魔法の壺で、あらゆるところから水を持ってくるんです。そして持ってきた水を美味しくします。だからその壺の水はこの世界の水なので、無限ではありません。有限です。まあ美味しくするために水を大量に消費するのが欠点ですが」
仮面男が途中から何を言ってるのか、僕にはわからなかった。
僕は干からびていく。
壺に僕の水分をとられて。
壺から水が流れ続けている。
そこで僕は意識を失った。
「もう死にましたか。では……持って帰る……と……しま……しょう……か……」
砂漠の中で、仮面をした男がドサッと倒れた。
もう一人、別のところで干からびている男の隣にある壺から、水がピタリと止まった。
もしよければ他のも見てくださいね☆