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君の人生をください

作者: もきね

 そのころ僕はもう大人になっていて、世間ではまだ社会に出て十年も経っていない輩のことを若者と言うのかもしれないけど、僕は僕自身のことを歳相応にわきまえていたし、そろそろ自分が歩いている人生のランクのようなものもわかってきていた。お金を自分で稼ぐようになって、お金を一人で使うようになってみるとわかると思うけど、大抵の場合いい物や人気のある物というのは高い。誰もが欲しがる物ってことだから、そんなのは当たり前だ。当たり前じゃないのはたぶんどんな人間がそういういい物を手にしているかだと思う。


 さて、僕は今飛行機に乗っている。安い席だ。一番高い席に乗っているやつはどんなやつだろう。結構高い席に乗っているやつだったら一人知っている。僕の高校時代の友人に大層出世したやつが混ざっていた。名前はそう、白石【しらいし】だ、白石という男がいた。実を言うと彼とはそこまで仲が良かったわけでもないのだが、あいつにまつわるとても印象的な思い出があった。僕らが高校生だった当時、そこには黒崎【くろさき】という女性がいて、白石が黒崎に愛の告白をしたというオセロみたいな話は有名だった。笑える。そして今僕の隣の席に座っているのがまさにその黒崎さんだった。


 彼女はお元気ですかと数年ぶりに会った僕に対して言った。そうか、君があのときの黒崎さんか。正直僕は彼女の顔がどんなだったかなんてよく覚えてはいなかった。一方で彼女は僕が席に座った途端に、もしかして○○高校の、といった具合にすぐに僕に気付いたらしかった。彼女はとても落ち着いた様子で落ち着いた服装をしていた。これから飛行機に乗るというのに天気の話をするのも変かなと思ったので、これからどこに行かれるのですが、と聞いてみると、君と同じ空港ですよと答えてきた。からかわれているのだろうか、そういうことではない。そういうことではない、と言いたかったのだが、その前に彼女が、今日はいい天気ですね、と言ってくるものだから僕は両手を上げるしかなかった。


「最近私、夢を見るんです」

「そうですか」

「どんな夢を見るんですか、と聞いてくれないんですか、君は」

「失礼、あんまり興味がなかったもので」

「君は失礼な人ね」

「あなたも大概ですけどね」


 お教えしましょう、と彼女は胸を張った。僕はどちらかといえば引っ張られた黒いセーターの方に釘付けだった。彼女とは高校以来で、もうほとんど他人と言ってもいいのに、彼女はいやに慣れ慣れしかった。そうだな、いい言葉が中々思いつかないけど、まるで僕の方に気があるかのようだったと言うと、少し自意識過剰だと思われるだろうか。僕は周りの雰囲気にのまれるタイプだから、彼女の気さくな調子につられてしまったようで、それこそ高校時代のような自分の態度をどこか懐かしく思っていた。


「最近私、毎日夢を見るんです」

「それはさっき聞きましたよ」

「さっきは毎日という部分が抜けていました」

「それは何か重要なことなんですか」

「重要です。だってもう百四十四夜ずっと連日夢を見続けているのよ」

「それは普通じゃないね」

「そう、普通は夢を見ない夜もたまにあると思うんです」

「違うよ、普通は百四十四夜ずっと数えたりしないってことだよ」


 僕はどんな表情でこう言ったのだろうか、とにかく彼女は少し目付きをこわばらせた。


「君は頭の中に何人くらいの人の記憶があるのかしら、普通に生きていたら百四十四人よりもずっと多いと思うけど」

「何人くらいだろう……とりあえず、名刺を見たり電話帳を見たりすればその人のことは思い出せると思いますが……」

「そうでしょう。私は百四十四夜分の名刺を持っているんです」

「黒崎さんは夢と名刺交換をするとでも言うのですか」

「厳密に言うと夢で名刺交換をするのです、それを百四十四回繰り返したということです」

「はあ……」

「理解できないのね、無理もないです。だけど……」


 彼女が話している途中でいきなり黙ってしまったので気になって目を向けた。


「例えばっ!!」


 そう思った矢先、彼女はシュピンと右手を天井めがけて高く突き上げた。だけどやっぱり一番気になったのは突き上げられている黒いセーターの方だった。僕が唖然としていると、すぐに機内販売がやって来て、彼女はジンジャーエールを二つ買った。なぜかそのやり取りの最中ずっと彼女は右手を上げ続けていて、機内販売の人の取り繕っているらしい顔が印象的だった。おかしな右手だなと思っていると、はて、その指先には何か小さなカードのような物が握られていた。


 そう思った瞬間、彼女はそのカードをハラリと手放した。


「失礼ですが、名前をお聞きしてよろしいでしょうか」

「わたくしの名前ですか、わたくしは○○航空の……」

 何の意図があったのかはわからなかったが、僕が拾い上げたその“名刺”には「原田」と書かれていて、同時に耳に入って来た声も「原田」と名乗っていた。


「私最近、毎日見るんです」

「もう三回目ですが、それよりも……」

「そうなんです、もしかすると私が見ているのは夢ではないのかもしれません」

「……詳しく聞かせてください」

「私はこの百四十四日、毎日違う人と会って名刺交換をするんです。そしてそのとき一緒に人生を交換させてもらっているんです」

「まるで夢のような話ですね」

「……」


 彼女が黙って僕の手元を見つめていることに気がついた。そう、手元の名刺を。


「確かに夢のようなのよ、でも名刺はちゃんと残っているんです」

「……不思議だとは思うけど、僕にはわからないな」

「わからないの?」

「そして待って、それよりもさっき人生を交換するとか言っていたと思うけど」

「そうです、私はいろいろな人々と人生を少しだけ交換して体験させてもらいました、そこらへんにいるサラリーマン、アメリカにいる

お医者さん、さっきいた原田さん、他にも有名人さんなんかのも体験しましたのよ」

「例えば?」

「あまり大きな声では言えないけれど……ごにょごにょ……」

「え、大スターじゃないですか、彼の人生はどんな感じだったんですか?」

「イマイチでした。確かに、スターらしく多忙でありながらもそれを帳消しにするような充実感があって、こういう人生を良しとする人々も多いのかもしれません。しかしながら、私の性には合わなかったようです」


 そして彼女はこう続けた。


 私は私自身の人生を、と言ってもまだまだ人生を語れる歳ではないのだけど、少なくとも今の時点ではあまり気に入ってないの。いいえ、気に入っていないというよりは大した感情を抱いていないのよ。だから漠然とだけど、他人の面白そうな人生に前々から興味があったのね、私とは違う生き方をしている人はどんな世界を見ているのかしらってね。でも百人以上もの人々の人生を体験してみてわかったのだけど、どの人生も特別大差は無いのね。大スターになって特別なことを成し遂げる喜びっていうのは実のところ、私が仕事を期限内に済ませることができた喜びとあまり変わらないみたいなのよ。例えばそうね、安い買い物をしようが高い買い物をしようが前後でプラスマイナスゼロでしょう?


 僕は彼女が言いたいことがなんとなくわかった。つまり良い人生を歩くにはそれ相応の辛い生き方が必要で、逆に言えばそれ相応の生き方をした結果が彼の人生にすぎないのだから、当人からしてみれば別に良くも悪くもないのだ。全ての人生は等価値で、プラスマイナスゼロなんだと言いたいのだろう。だけどそんな、道徳の授業で習うようなお話がなんだというのだろう。彼女は僕に道徳を説きたいのか、それとも不思議な夢を毎晩見たことによって何かに目覚めてしまったのだろうか。どちらにせよ僕にとっては暇つぶしくらいにはなる話だった。


「ところで、それ、飲まないんですか?」

「ん、ああ、飲みますよ」

「好きなんですか、ジンジャーエール」

「大好きなの」


 てっきり僕はその二つのジンジャーエールのうちの一つは僕のためのものだと思っていたのだが、彼女は独り占めするらしかった。まあ、僕はジンジャーエールが好きじゃないからくれると言われても嬉しくはなかったけど。


「お話の続きいいかしら」

「どんな人の人生もプラスマイナスゼロだっていう話でしたね」

「……だけどね、君の人生だけは違ったんです」

「ん、どういうこと?」

「率直に言うね」


――君の人生を下さい――


「それは……プロポーズですか?」

「え……いや、違いますけど……」


 なんだ、違うのか。窓の外には僕の知らない世界の空が広がっていて、見ていて飽きなかったけど、飛行機のパイロットからしてみたら、僕が会社から自宅まで帰るときに見る風景と同じように見えるのだろうか。それとも……。


 君の人生は私にとって本当に素晴らしいものだったの、と彼女は説明を始めた。とは言え、音楽や食べ物の価値観がなかなか合わないように彼女の述べる「僕の人生の感想」は僕にとってみたら割とどうでもよかった。僕の人生なんて一体何がいいのだろうか、僕は僕の人生を良いと思ったことなどない。そう、彼女がどんなに嬉しそうにジンジャーエールを独り占めしたとしても僕にはどうってことはなかった、おいしいと思わないから。


「そういうわけで、君の人生で起こる一つ一つの出来事は私の目に全て本当に良く映るのよ」

「はいはいそうですか」

「だから、君の人生を下さい」

「欲しい気持ちはいくらか伝わったけど、僕の人生はあげられないよ。なぜなら僕の人生だからね。だいいち、あげ方がわからない」

「私にはわかるわ。君も私の名刺を持っているはずでしょう」

「夢の中で交換したって?」

「君は忘れているの、今日、君はなぜこの飛行機に乗っているのか言える?」

「なぜって、今日は仕事で、人と会わなくてはいけないんだよ」

「誰と会うの?」

「誰って……ええと……」


 誰だったか、確か前に一度会ったことのある女性だから名刺を持っているはずだ……あった、あった……ええと、名前は。


「……黒崎さん……?」

「思い出しましたか、君は今日私に会うためにこの飛行機に乗ったのです」

「……そんなことって」

「君の名刺もちゃんと持っていますよ……」


――白石くん――


 そのころ僕はもう大人になっていて、大層な出世を果たしていて、飛行機の安い席……いや、一般的には結構高い席に座っていた。

「全て無かったことにしようとしたって駄目です、私が覚えていますもの」

「そんなつもりはなかった、本当に忘れていたんだ。でも今は思い出せるよ、僕が黒崎さんに愛の告白をしたことだって覚えているよ」

「いいえ、告白をしたのは私の方だわ」

「あれ、そうだっけか」

「そうよ、あの日、私は君に向かってこう言ったわ」


――君の人生を下さい――


「……それを聞いて僕は……」

「そうよ、君はこう言ったわ、『それは……プロポーズですか?』ってね」

「思い出した……思い出したけど」

「記憶が混乱している?」


 僕は……私は……いや僕は……僕の記憶は一体どうしたというのだろう……。


「君は覚えてないかもしれないけど、私たち一度人生を交換していて元に戻していないのよ」

「そんな……そんなはずないよ、僕は男だ。現に僕は君に欲情した。それは僕が男だからだ」

「私だって女よ」

「だから、だからそう言っているじゃないか」


 僕はいやな汗が止まらなくなっていて、少し声も大きくなっていたが、彼女はひるまずにこんなことを言った。


 私の、この黒崎の身体には誰かと人生を交換する力があるの。どのタイミングで交換するかは私にかかっているから、私は覚えていてもきっと君は覚えていないのね。そう、だって私は迷惑がかからないようにみんなが寝ているときに交換するから、大抵の人は気付かないわ。大抵っていうのは気付く人もいるってことよ。昨日までの自分と今朝の鏡の中にいる自分が連続しているのかどうか、本当に時たまそう疑問に思う人はいるわ。だけど疑問に思ったとしてもみんなはすぐに朝の支度に戻ってしまうわ、朝は時間が無いでしょう。何より私自身でさえ、君と高校生の頃に人生を交換してからしばらくは自覚が無かったもの、しばらくというよりむしろ、ちょうど百四十四日前くらいまではね。人生を交換する夢を……いいえ、夢じゃないのね、そんな夜を毎晩過ごすようになって私は自分自身に気が付いたのよ。私は誰かの人生を探していたの、私が、この黒崎の身体が欲しがった人生をね。そうして思い出した、高校生の頃に交換してしまったあの人生を。つまり白石くんの人生はやっぱりこの黒崎の身体にとってとても魅力的だったのよ。


「それじゃあ、僕の人生を返せと……そう言いたいのか」

「そういうことです。君がそれを了解してくれたのならこの飛行機が着陸するまでに交換を済ませてしまいましょう」


 そう言い終えるが早いか、彼女はげっぷをした。できるだけ隠そうとしていたのだろうけど、仕草から僕にはそれがわかった。そりゃそうだ、ジンジャーエールを二つも飲んだんだから。


「例えばさ、僕はビールが好きだけど、君にはビールの良さがわからないとするよ」

「じっさい、私には良さがわからないわ」

「でさ、君はビール屋の娘さんなんだ」

「ビール屋なんてあるの?」

「知らないよ。とにかく僕はビールが好きだから君がとても羨ましくなって、君に交換してくれと頼むんだ」

「ビール屋の子供という立場を?」

「そう。君はビールが好きじゃないから簡単にいいよ、って言うんだけど、ビール屋から抜け出してしばらくたつとだんだんビールが好きになってきて、やっぱり返してほしくなるんだ」

「ビール屋の子供という立場を?」

「そう。一方その頃、僕はビールにまみれたせいで、ビールの良さがわからなくなってしまっていたんだ。だから君にやっぱり返してほしいと頼まれたときに、簡単にいいよって言うんだ」

「最初に戻ったわね」

「そう、最初に戻るだけなんだ」

「私はスタートとゴールが同じになっている話がどうなるか知っているわ」

「そうだよ、ループさ、繰り返してしまうんだよ、何回も、何回もね」

「君が言いたいのはこういうことでしょう。私が今、君の人生を返してもらったとしても、この黒崎の身体にとって君の人生が魅力的なことには変わりが無いから……」

「高校生の頃と同じだよ、また君は僕の人生が欲しくなって僕のところに頼みに来るさ」


 彼女ははっとして、そのあと少し寂しそうに、そうですね、と言って、同じことの繰り返しになっちゃいますね、と困った顔をした。僕は自分がいいやつだとは思わないが、困った顔をした人を見ると困ってしまうタイプだった。例えばもし、僕がジンジャーエール職人の息子で好きでもないのにジンジャーエールをたくさん持っていたとしよう。そんなときに黒崎さんが、ジンジャーエールが足りない、と苦しんでいたなら、彼女に与えることが僕にとっての喜びに、もしかするとなるのかもしれない。そう思ったから僕は少し勇気を出して言ってみることにした。


「こういうのはどうですか」

「どういうのですか」

「僕たちが一生互いの人生を交換し続けなければいけないのなら、一生一緒にいた方が便利だと思うんです」

「はあ……」

「僕たち、結婚しませんか」

「……私の身体が目的ですか」

「……それもありますよ」

「たしかに、私にとっては悪い話じゃありませんね……」

「こほん、それでは改めて言わせてもらいましょう……」


――君の人生を下さい――


「それは……プロポーズですか?」

「無論、そういうことだよ」

「……やむをえないですね」


 彼女は落ち着き払った態度を崩さないままクスリと笑った。


 僕たちはこうして結婚した。面倒な事情がある分、夫婦生活はうまくいっている。僕にはわからないが、あれからもう何度か人生を交換しているのだろう。そのせいか新鮮な気持ちで日々を過ごせている気がする。結婚して良かった。


 他の夫婦のことはよくわからないが、うまくやっている夫婦というのは案外僕たちみたいにときどき人生を交換しているのかもしれない。運命の相手に出会いたいという人は、一度自分が持っている名刺を見返してみてはいかがだろう。  END

2011年の年末小説です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい作品です。 魅力的な人物、興味深い物語、軽妙な筆致が揃っていて、非の打ち所がありません。 [気になる点] 「今」はいつなのか?冒頭の白石でも黒崎でもない「僕」は何者なのか? ・・…
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