イヴxイヴ
未完成ですが、どうしても書く気力がわかなくなってしまったので、未執筆部分はあとがきでソードマスターヤマト状態でお送りします。
ユーフラジー編
地球暦二三七年一〇月一〇日。いわゆるお嬢様学校である私立エレナ女学院高等部二年に在籍する私、ユーフラジー・カナンは修学旅行のため、赤道直下の軌道エレベーターに二年生総勢一五〇名および、各クラス担任・副担任、学年主任、養護教諭とともに乗っていた。ちなみに、先生も全員女性。
軌道エレベーターというのは、地球のはるか上の静止軌道に物を運ぶためのものだと、旅行前に送信された電子しおりに書いてあった。
円筒形のエレベーターは、本来もっと大きなものを運ぶ手段なので、一五〇人が乗ってもすかすかなほど余裕がある。
「上に参ります」というアナウンスとともに、高速エレベーターが動き始めた。最初はゆっくりと、そして徐々にスピードを上げて。しばらくすると耳が変な感じになってきたけれど、つばを飲み込むと楽になった。
やがて、エレベーターは頂上に達した。体がふわつく感じがする。エレベーターの扉が開き、正面と左右に延びる通路が見えた。
「皆さん、ステーションに着きました。無重力ですから、歩行に気をつけてください」と、学年主任の白髪のジュリア・マンデルブロ先生の声がかかった。私たちは、すり足で「3 ウロボロス」と表示されている通路に向かった。ゲート手前に着くと、移動のためのガイドハンドルが運行されていたので、順次それに捕まって進む。ハンドル駆動部以外は透過性の物質で作られていて、頭上には星の海、眼下には衛星写真で見るような地球、奥には筒型の白い巨大な宇宙船という壮大な光景が広がっていた。エレベーターに乗ってから向こう、クリーム色の壁が続いていて少し飽きてきたところに、この光景は目を見張るものがある。
十分以上経っただろうか、ガイドハンドルが終点に着き、奥に続くゲートが姿を現した。さらに、そのゲートの奥では、一人の女性、いや、アンドロイドが待っていた。耳にあたる部分のいかにもメカらしい部品と、そこから伸びるブレードアンテナ、ところどころメタリックなボディがそれを物語っている。人間らしさと機械の融合。計算された造形美がそこにはあった。
全員がゲートの奥にたどり着くと、抑揚のない声でアンドロイドが挨拶を始めた。
「当船ウロボロスへようこそ、私立エレナ女学院の皆様。これから三日間ガイドを務めさせていただきますマキナと申します。よろしくお願いします。それでは、私に続いてください」
マキナと名乗るアンドロイドは、そう言うと、広い通路を進んで行った。私たちも、それにぞろぞろと付いていく。船内は回転の遠心力による疑似重力が働いていて、地球上と同じ感覚で歩くことができた。
マキナが巨大な扉の前にたどり着くと、それを開けてさらに中に進んだ。中に入った私たちが見たものは、想像を絶する光景だった。
そこは、草花や木々が展開する草原。奥には、ちょっとした山も見える。さらには、柵で囲まれた中を牛や羊が草を食んでいた。
上天には幾多の支柱に支えられた人工の太陽が輝き、雲が漂い、さらにその向こうには、ジャングルや川、海など、地球上の環境が再現されていた。吹き抜ける風が、頬を撫でていく。みんなが、驚嘆の声を上げる。私も上げた。
「これが、当船の核となる、『バイオスフィア835』です。他星系への移民を目指す手段として、コールドスリープによる手段を考える一派とは別に、月の半分ほどの大きさを持つ当船に地球環境を再現し、自然に代を重ねることによって永い年月に耐えようというのが、『ウロボロス・プロジェクト』です。来月、一万人を乗せて出港予定となっております。ご質問はございますか?」
マキナが言い終わると同時に、ハイ! ハイ! と元気な声が上がり、あちこちから挙手の手が伸び出る。以下、主な質疑と応答。
「バイオスフィアとは何か?」
「生物圏、ひいては地球のこと」
「バイオスフィア835の835というのはどういう意味か?」
「旧西暦一九九一年に旧アメリカ地区で行われた生物圏再現実験、バイオスフィア2から数えて、八三四代目にあたるバイオスフィアであること。バイオスフィア2の実験失敗以降、百年以上同様の試みが行われなかったが、宇宙移民の機運に乗って、実験が再開された。同様のバイオスフィアは、すでに月や火星でも運用されている」
「動物がいるが、危険はないのか?」
「肉食獣は猫程度のものに限っている」
「では、先ほど牛を見かけたが、増えすぎてしまうのではないのか?」
「人間の食料として放たれているので、適宜屠殺する必要がある。屠殺は機械がやってくれる」
「寝泊まりはどこですればいいのか?」
「この奥に居住区画があるので、そこで」
「ずいぶん広いが、移動が大変だ」
「移動用のカートをこれから用意する」
「ウロボロス自体のメンテナンスはどうしているのか?」
「修理用のボット(マシン)が自動的に定期メンテナンスをしてくれる」
「消耗品などはどうするのか?」
「それも、専用の機械が多数あるので、そこでボットが生産する」
……などなど。みんな好奇心旺盛だ。一通り質疑応答が終わると、ちょうど一台一台がバスぐらいの大きさのある自動運転の移動用カートの群れがこちらにやってくるのが視界に入った。私たちは早速それに乗り、マキナの誘導で居住地区に向かう。
しかし、本当にすごい光景だ。途中、鳥の群れが、森から天へ羽ばたくのを見た。蝶々が優雅に花から花へと渡り、花粉を移す。道々、食料供給用の畑が目に入った。平べったい蜘蛛のような姿をした耕運用ボットが作業をしている。ジャガイモでも育てているのだろうか。
やがて、大きなゲートが見えてきた。その向こうは、再び宇宙船らしい通路になっている。ゲートをくぐると、小さな、人ひとり通れる程度の扉が多数並んでいた。ここが、マキナの言っていた居住区画なのだろう。マキナの手配で、各自部屋が割り当てられる。私は、一〇五号室だった。マキナが手を表札になるモニタにかざすと、ユーフラジー・カナンと表示が出た。さっそく中を覗いて見る。中は想像以上に広く、四〇平米弱はあった。ベッドも四つあり、キッチンや冷蔵庫、ソファにテーブル、コンピューターの端末もある。きっと、四人家族が住まうのを想定して作られているのだろう。
部屋が割り当てられると自由時間となったので、さっそく、担任のシャロン・レーベルト先生のところへ駆けて行った。実をいうと、私とシャロン先生は恋人同士だ。今時同性愛にどうこう言う人は少ないけど、残念ながら、教師と教え子は未だに禁断の関係だ。だから、人前では担任に懐いているだけのいち生徒を演じなければいけない。
「先生! バイオスフィアを散歩しませんか?」
頬が紅潮するのが自分でもわかる。どきどきが止まらない。先生はとっても綺麗だ。形の整った眉、長くて艶のあるブロンドの長い髪。星のように輝く瞳。柔らかな厚みのある唇。スレンダーな体型に高い身長。まるでモデルさんみたいだ。その上、包容力があってとっても優しい。
「いいわよ。行きましょう」
先生が、優しい微笑みを私に返してくれる。手を繋ぎたいのを我慢して、並んで歩く。
「ちょっと、ユーフラジー! もう、さっさと行っちゃうんだもん。私たちと遊びに行こうよ」
友達たちが誘いに来た。
「いや、私先生と一緒に……」
「ユーフラジーの先生好きは本当に度を越してるわね。ほら、行こう行こう」
ああ、先生ごめんなさい。連行されてしまいました。また夜に会いましょう……。私たち、演じられているよね?
私たちは、さっそくバイオスフィアの原っぱを散歩することにした。
「ねえ、ユーフラジーってどんな男の人がタイプ?」
「ええと……包容力のある人、かな」
いきなりこんな回答に困る質問をしてくるのは、ユシャン・チャン。旧中国地区の生まれで、理知的な切れ長の目に、通った鼻筋、綺麗な黒髪をポニーテールにしている。
「そういうユシャンはどうなの?」
と返すのは、カティア・レアール。お人形さんのように整った顔立ちに、キューティクル輝くブロンドのロングヘア。私たちクラスの中でも、一、二段階上の本物のお嬢様だ。
「うーん、保護欲をそそられるタイプっていうの? そういう子がいいかな、私は」
「奇遇ね、私も頼るより頼られる方がいいわ」
と、ユシャンの返答にカティアが同調する。
「アリスは?」
ユシャンに問いかけられたのは、アリス・フローレ。まだあどけなさの残るつぶらな瞳に、幼さを感じさせる顔のライン。ブロンドのツインテールが可愛らしい。
「アリス? アリスはねえ、そういうのまだ考えたことないなぁ」
「アリスらしいわね」
カティアが溜息をつきながらアリスの頭を撫でる。アリスが嬉しそうにえへへと笑う。アリスは私たちのマスコット的存在だ。
「あの人どうしたんだろう?」
私がふと池の方に目をやると、池のほとりで独りぽつねんと、体育座りでたたずみながら、アヒルの夫婦を眺めてる生徒が目に入った。
「さあ」
ユシャンの気のない返事が返ってくる。
「あの人、誘ってみる!」
「ちょっと、ユーフラジー!」
どうにもその少女が気になった私は、アリスが制止するのも聞かずに、足早に彼女の許へと駆けて行った。
近くに寄ると彼女の容姿がよく見えてくる。彼女は、シルバーブロンドのエアリーショートカットがよく似合う端正な顔立ちをしていた。すらりとした長い脚が美しい。
「ねえ、あなた。私たちと一緒にお話ししない?」
私は気さくに彼女に話しかけた。彼女は顔を上げ、物憂げな碧い瞳で私を見る。
「私は、一人がいい」
彼女は再び顔を逸らして、アヒルの夫婦をぼーっと眺め始めた。
「寂しくないの?」
「……」
無反応。自分の世界に没入してしまったようだ。私は溜め息ひとつをついて、ユシャンたちの許へと戻った。
「振られたみたいね」
ユシャンの呆れた顔が出迎えてくれる。
「うん、振られちゃった」
再び、溜め息をつく。
「そっとしておいて欲しい人もいるのよ」
カティアが私の肩をぽんぽん叩いて慰める。
「ユーフラジー、向う見ずなのやめようよぉ」
アリスが顎の下で両拳を握り、仔犬のような目で私を見上げる。困るなあ、そんな目で私を見られても。こういう性格なんだから仕方ないじゃない。
「あ、見て見て! 今度は眼鏡の人発見! 今どき眼鏡だよ? レアだよレア!」
「あんたって子は~!」
ほいほい近寄ろうとしたところを、三人に羽交い絞めにされて阻止された私であった。
そんなこんなで、バイオスフィアを散策しているうちに楽しい自由時間は終わり、居住区への集合を告げるアナウンスとともに、バイオスフィアの人工太陽が緩やかに輝きを失っていった。黄昏どきの訪れだ。腕時計を見ると一七時。時刻の運行も地球と同じにしてあるなら、夕食にしてはちょっと早すぎるような……?
この船には特に食堂のようなものはなく、各自の個室で食べることになっている。とは言っても、友達同士で集まってはいけないという決まりはないので、ユシャン、カティア、アリスを内線で招いて一緒にご飯を食べることにした。携帯電話が使えないのは少々不便だ。本当はシャロン先生と食事したかったけど、どうせ、先生方は先生方で集まってしまうだろうし、夜まで我慢我慢。
さて、食事を用意しようと思って冷蔵庫を開けてみたけれど、肉や魚、野菜などが転がっているだけだった。宇宙食のようなもの、あるいは電子レンジで温めるお弁当を想像していたところにこれは、予想外で一瞬呆気にとられた。キッチンの引き出しも開けてみると、調理道具一式がそろっていた。
これはあれか。自炊しろという事か。道理で、しおりにエプロン持参と書かれていたわけだ。しかし、こんなことでめげるような私ではない。今までにも、先生のお宅にお邪魔した時、幾度となく手料理を振る舞っている。問題なのは……。
唐突にインタホンが鳴った。モニタで来訪者を見ると、ユシャンたちだった。ドアのロックを外して中に招き入れる。
「ユーフラジー、どうしようこれぇ……」
真っ先に口を開いたのは、ジャガイモとキャベツを持って涙目になっているアリス。そんな折、ちょうどマキナの船内放送がかかった。
「私立エレナ女学院のみなさま、夕食ならびに以降のお食事は各自で自炊していただくこととなっています。冷蔵庫の中の食材をお使いください」
要件を手短に伝えると、放送は切れてしまった。
「どうしよう、どうしよう。お料理なんかしたことないよ、アリス~!」
なんかもう、アリスは今にもわんわん泣き出しそうだ。後ろにいるカティアが溜息をついて首を振っている。この様子だと、カティアも料理はお手上げのようだ。
「ユシャンは料理できるの?」
「簡単なものなら。そう言うユーフラジーは?」
「結構自信ある」
胸を張ってばんと叩く。
「じゃあ、アリスのご飯作ってくれる?」
アリスが、キャベツを抱きしめながら、上目遣いで私に訊いてくる。
「あの、私も……。料理はしたことがなくて」
カティアが、恥ずかしそうにおずおずと言う。
「いいわよ。大して手間が増えるわけじゃないし。ただし、ピーラーで野菜の皮剥くのぐらいは手伝ってね」
「ありがとう! ユーフラジー大好き!」
「ごめんなさいね、ユーフラジー」
アリスが、うるんだ瞳で歓喜の表情を浮かべる。対するカティアは安堵の表情。
「ユーフラジー、私も手伝うわ。エプロン取ってくる」
ユシャンが自室に戻って行った。
「ほら、カティアとアリスも取ってくる」
私に言われると、弾かれたようにカティアとアリスも駆け戻って行った。
「さて、何を作るかだけど」
再び私の部屋に集まった私たちは、何を作るかという相談を始めた。
「人数多い時はカレーが便利だけど、味がしみ込むまで時間がかかるし、第一カレー粉がないのよね、ここ」
戸棚を眺めながら私が言う。
「シチューは?」
ユシャンが意見する。
「あ、うん。ホワイトシチューならできそう」
冷蔵庫に牛乳とバター、小麦粉があるのを確認した私は、ユシャンに相槌を打った。
「じゃあ、手分けして作業をしましょう。カティアとアリスは野菜の皮むき。ユシャンはお肉の下ごしらえと、野菜のカットをお願い。ルーは私が作るわ。ルーが作り終わったら、私も他の作業手伝うから」
かくして、下準備三〇分、ことこと煮込むこと一時間の末に、ホワイトシチューは出来上がった。待っている間の一時間何をしてたかというと、生ごみの掃除とトランプ。今の世の中でもトランプはまだまだポピュラーな娯楽だ。
「早く食べよっ! 早く!」
アリスが今にもよだれを垂らしそうな顔で鍋を見る。
「ほらほら、がっつきなさんな。今よそってあげるから」
私はシチューを全員ぶんよそうと、テーブルに着き、カティア、アリスと共に食前のお祈りを済ませ(ユシャンは無宗派なので、じっと待っていた)、食事を開始した。
「美味しい。ユーフラジー、いいお嫁さんになれるわね」
「いやいや、それほどでも~」
カティアの褒め言葉に、先生との新婚生活を想像してつい顔がにやけてしまった。
「それにしても、この調子だと、明日の食事も今の内に用意しちゃったほうがいいかもね」
「そうね。パン焼き器もあるし、作っちゃいましょうか」
「その前にこれ、お皿洗わないと」
ユシャンの言葉に反応して、いざパンを作ろうとしたが、カティアに止められた。もっともだ。しかし、見渡してみると洗剤らしきものがない。石鹸ならあるけど。戸棚を探しても見当たらないので、マキナに内線で訊いてみることにした。
「マキナ? お皿を洗おうと思ったら、洗剤がないんだけど」
「生活排水はバイオスフィア835へ流出します。地球より規模が小さいバイオスフィア835では、地球よりも排水の影響が大きく出るので、洗剤はご用意していません。お湯、ないし水洗いをお願いします。よろしいでしょうか?」
「わかった。しょうがないね」
私は通話を切った。マキナとのやり取りを、他の三人にも説明した。
「不便ねえ」
ユシャンが溜息をつく。
「まあ、ぼやいててもしょうがないから、ちゃっちゃと洗っちゃいましょう」
私がそう言うと、みんなお皿を洗うために各自の部屋に戻って行った。さて、私も洗って、明日の仕込みをしますか。
そうこうしているうちに、就寝時間のアナウンスが流れた。もう、そんなに経ったのか。時間が経つのが早く感じる。ついに、お待ちかねの先生とのラブラブタイム到来!
部屋をそっと抜け出す。私以外にも抜け出し組が結構いて、めいめい目当ての相手の部屋へと忍び足で歩いて行くのが見えた。せっかくの修学旅行だもんね。
先生の部屋の前に着くと、インタホンを鳴らした。
「先生、私です。ユーフラジーです。開けてください」
「ユーフラジー? ちょっと待ってね」
小さい声で私が告げると、先生が応えてくれた。先生も心なしか嬉しそうだ。
ドアが開くと、私はするりと室内に滑り込んだ。
「先生! やっと抱き締められた!」
部屋に入る早々、私は先生に愛のハグをした。
「私もよ、ユーフラジー」
先生も抱き締め返してくる。ああ、なんて幸せな時間なのだろう。
「ねえ先生、キスして……」
甘えた声でキスをおねだりする。先生の唇が、優しく私の唇を塞ぐ。柔らかな唇の感触。とろけそう。先生の舌が、私の中に入ってくる。そのまま、何分ぐらいキスをしていただろうか。じっくり、ねっとりとキスをし終えて、やっと互いの唇を離した。
「先生、相変わらずキス以上はしてくれないんですか?」
「いつも言ってるでしょう。ユーフラジーが大人になってからって」
「早く大人になりたい」
すねて先生にまた抱き着く。
「ふふ、ユーフラジーは甘えんぼさんね。ねえ、コーヒー飲まない?」
「え? この船、コーヒー置いてあったんですか? 私の部屋にはなかったけど……」
「私物として地球から持ってきたのよ」
「そうなんですか。じゃあ、一杯いただきます」
私がそう言うと、先生は手鍋でお湯を沸かし始めた。私は手近なソファに腰かけた。
「そういえば、先生。今日のお昼は何食べました?」
「魚のムニエルとサラダだったわ」
「私は、ユシャンたちとホワイトシチュー作って食べました」
「美味しそうね。ユーフラジーは料理が上手だものね」
先生に褒められて、嬉しくてちょっと頬がかあっと熱くなる。
「先生にもシチュー食べてもらいたかったです」
「今度家に来た時にいただくわね」
「ねえ先生、せっかくだからもう一回キスしませんか? お湯が沸くまでの間」
再びキスのおねだりをする。今日の私は欲求不満のようだ。
「いいわよ」
先生が、唇を重ねてくれる。私たちは、再び濃厚なキスを交わした。
「あ、お湯が沸いたわ。コーヒー淹れるわ」
「はい」
鍋の意地悪……。もうちょっとさせてくれてもいいのに。
「ユーフラジーの好みは、お砂糖小さじ半分とミルクをたっぷり……。はい、どうぞ。インスタントで悪いけど」
「いただきます」
コップに口をつけると、コーヒーのローストされた香りとミルクの甘い香りが立ち上り、鼻をくすぐる。まずは一口ふくむ。おいしい。私の肩に先生の手が回され、抱き寄せてくれる。あまりの心地よさに、うっとりしてしまう。私は、この素敵な時間が少しでも長く続くようにと、コーヒーをちびちびと飲んだ。
こんな平穏な日々がきっとずっと続くのだろうなと思いながら、最後の一口を名残惜しい気持ちで飲み干した時、突如大きな揺れが私たちを襲った。
「ユーフラジー!テーブルの下に隠れて!」
先生に抱きかかえられ、テーブルの下に身を隠す。食器棚の食器が派手にガチャガチャと音を立てる。幸い、家具は突っ張り棒で固定され、食器棚も先生がロックしていたので、食器や家具が飛散するようなことはなかった。
どのぐらいの間、揺れていたのだろう。とても長い時間だった。三〇分、いや、一時間は揺れていたかもしれない。その間、私たちはしっかりと互いを抱きしめ、支え合っていた。
やがて、揺れが収まった。
「ユーフラジー、私が様子を見てくるわ。あなたはここで待っていてちょうだい」
「いえ、私もカティアたちが気になります。一緒に外に出ましょう」
先生は、繋いだ手をぎゅっと握り、私の手を引いてドアまで一緒に歩いて行った。ドアの前で手を離すと、ロックを解除し、ドアを開けて外に出る。すると、ほとんどの生徒が不安な面持ちでうろうろしていた。
「ユシャン! カティア! アリス! 大丈夫!?」
私は、カティアたちの個室がある方へ駆けて行った。
「うええええええええん!」
聞き覚えのある泣き声が聞こえてきた。アリスだ。怪我でもしたのだろうか。私は全速力でアリスの許に駆けて行った。アリスが視界に入ると、ユシャンとカティアがアリスを慰めているのが目に入った。
「アリス、怪我したの? 大丈夫?」
息を切らせながら、アリスに問う。
「アリスは無事なんだけど……」
ユシャンがなんとも困った表情で返す。
「食器全部割れちゃったあああああ!」
アリスの鳴き声が大きくなる。そうか、食器棚をロックし忘れたのか。まあ、大事がなくてよかった。
「私たちの食器分けてあげるから、泣くのはおやめなさいな」
カティアがアリスの頭をぽんぽんと叩く。
「それにしてもユーフラジー、変な方向から走って来たわね。ユーフラジーの部屋、反対側でしょう?」
う。良く見てるなあ、ユシャン。
「ちょっと野暮用があって……。それはそうと、さっきの揺れはなんだったのかな。マキナに訊いてみるね」
私は話の方向を逸らすと、自室の内線でマキナを呼び出す。
「マキナ? さっきの揺れについて訊きたいんだけど」
「カナン様。原因については現在鋭意調査中ですので、結果が出るまでしばらくお待ちください」
どうやら、待つしかないようだ。私は、アリスたちの所へ戻り、アリスの部屋の片づけを手伝って時間をつぶすことにした。
背後の破片もきれいに掃除して、やることがなくなったころに、ちょうどマキナの船内放送が流れた。
「私立エレナ女学院の皆様、先ほどの揺れについて観測結果が出ました。大規模な時空震に当船と軌道エレベーターの一部が巻き込まれました。現在、GPS信号が受信できず、遭難状態にあるものと思われます。現在居住区に向かっておりますので、しばらくお待ちください」
時空震。学校で習ったことがある。旧西暦の終わりごろに観測され始めた現象だ。時空震に飲み込まれた天体は、宇宙のどこかに放り出されてしまう。
生徒、教師たちの間にどよめきが起き、泣きだす者が現れた。家族の名を呼ぶ者、マキナに怨嗟の言葉を吐き捨てる者、様々だった。かくいう私も、茫然自失としてへたり込んでしまった。
「皆様。お待たせしました。お怪我をなされた方がいましたら、メディカルルームにご案内します」
マキナがやって来た。早速、多数の生徒から怒りと嘆きの言葉を浴びせられる。
「事態を想定できなかったことは、お詫びのしようもありません。これから、皆様には二通りの方策を決めていただきたいと思います」
相手は天災だ。マキナを責めるのは酷だろう。しかし、機械の彼女は、罵声に動じず、嗚咽や悲しみを受け止めるのが当然の義務のように整然と言葉を紡いでいく。
「一つ目は、全方位に救難信号を発して、救助を待つ方法。しかし、現在太陽系の電波が受信できない状態ですので、何年かかるか予想できません。二つ目は、思い切って核融合ブースターを起動して、推進してみる方法です。これもやはり、太陽系の方角が分かりませんので、賭けになります」
マキナは罵声、阿鼻叫喚の中、静かに答えを待っていた。
「うわああああん、パパぁ、ママぁ、おじいちゃぁん! お家に帰りたいよぉ!」
アリスが大泣きを始めてしまった。私とユシャンとカティアが頑張って慰めるが、一向に泣き止む気配がない。
「アリス! 辛いのはあなただけではないのよ!」
カティアがついかっとしてアリスを怒鳴ってしまう。しかし、これはアリスの鳴き声をより大きくするだけに終わった。カティアが、しまったという顔をする。
「アリス、お部屋へ行きましょう。ね?」
私は、ユシャンと一緒にびいびい泣くアリスの手を引いて、アリスの部屋に連れて行った。何だろう、私の場合、アリスが大騒ぎしてくれることで、却って冷静でいられる気がする。
「みなさん、落ち着きなさい。今は冷静さを取り戻すことが先決です」
マンデルブロ先生のよく通る声が通路から聞こえてきた。
「マキナさん。ご覧の有様ですから、とりあえず救難信号を出す方向で様子見していただけないかしら」
「承知しました、マンデルブロ様」
方策が決まると、少し落ち着きを取り戻した生徒もいるようで、他の混乱している生徒のサポートに回った。
私たちはというと、相変わらずアリスをあやしている。少し泣き声が収まってきたかな? カティアは、ばつが悪そうに通路に立ったまま、ちらちらとこちらを見ている。
宇宙に取り残された私たちは、これからどうなってしまうのだろうか……。
漂流生活から三か月が経った。着るものが制服とパジャマしかないので、工房で生活必需品を作りながらの生活。結局、究極の二択は遭難時は無闇に動かない方がいいということで、待つ方向で固まった。
この新生活で目立った点といえば、女生徒同士で恋愛する者が目立ってきたこと。キスとかしょっちゅう見かける。そのたびに、頭の固いマンデルブロ先生が怒ったり。
もうひとつ目立ってきたもの、それは陰口。
「ねえ、ユーフラジー。あなた噂になってるわよ」
とある日の夕食時、ユシャンが口を開く。え? まさか先生との恋愛がばれた!?
「レーベルト先生に夜な夜な告げ口してるって」
あ、そういう勘違いをされたのか。却ってほっとした。
「やだなあ、そんなことするわけないじゃない」
「そうよねえ。なんとか誤解が解けるように頑張ってみるわ。でもそうすると、普段先生の所に何しに行ってるの?」
う。そこを追及してきますか。
「勉強よ、勉強。勉強教えてもらってるの。学生の本分は勉強でしょ?」
「マンデルブロ先生みたいなこと言うのね。……こほん。みなさん、学生の本分は勉学です。こういう時だからこそ、学ばなければいけないのです!」
「あはははは、似てる似てる!」
ユシャンの物真似に、私たち三人は涙を流して笑った。何だかんだで順応してきたなあ、と我ながら思う。人は、強い。
「ユーフラジー、お代わりもらうね」
アリスが茶碗にご飯を盛る。あれから、バイオスフィアではお米や香辛料、お茶など、さまざまなものが栽培できた。まさに、私たちの生命線だ。そういえば、実験失敗に終わったバイオスフィア2では、食糧不足の中、コーヒー豆が採れただけで、学者たちが狂喜乱舞したとか。それを思うと、このバイオスフィア835は本当によくできてるんだなあと思う。
アリス編
「ねえアリス。夜に話したいことがあるのだけど、お邪魔していいかしら?」
お代わりしたご飯を黙々と食べていると、ふとカティアが今晩訪ねたいと言ってきた。
「うん、いいよぉ」
アリスは快く応えた。用事って何だろう。楽しいことだといいなぁ、家族に会えなくて寂しいから……。
夕ご飯が終わって、お部屋に戻ってお皿洗いも終わって、コンピューター端末でアーカイブの漫画を読んでいると、カティアがやって来たので、ドアを開けた。なんか、カティアの頬が紅い。風邪でも引いたのかな? なんか、もじもじしていて様子もおかしいし。
「カティア、どうしたの? なんか様子が変だよ?」
「……中に入っていい?」
「うん、いいけど」
カティアを招き入れると、突然背後から抱きつかれた。え? 何、何?
「どうしたのカティア?」
「ねえ、こっちを向いてくれる?」
「いいけど、腕を緩めてくれないと」
「そうよね、ごめんなさい」
カティアの腕が緩んだので、カティアの方を向くと、いきなり頬を掴まれてキスをされた!
「!?」
突然のことに驚いて、引き離そうとする。でも、カティアの力が強くてなかなか引き離せない。やっとの思いで引き離すと潤んだ瞳でアリスを見ながらカティアは言った。
「私、その、少し前からアリスのこと、いいなあって思い始めて、なんというか……愛してしまったの! お願い、私の恋人になって!」
「やだ、やだよぉ! カティアおかしいよ! アリスたち友達でしょ!?」
「愛しているの! こんなにも!」
カティアが力づくで再びキスしようとするのを全力で払いのけて、ドアにダッシュした。誰か助けて!
必死に駆けていくと、ユシャンの部屋の前に通りかかった。急いでインタホンを鳴らす。
「ユシャン、助けて! 中に入れて!」
ドアがすぐに開き、アリスは中に踊りこんだ。
「ロック! ロックをかけて、ユシャン!」
アリスのただならぬ様子を察したユシャンが慌ててドアにロックをかける。
「ユシャン開けて! 私よ!」
「駄目! 絶対開けないで! カティアがおかしくなっちゃったの!」
ユシャンはどうしたものか迷っていたようだけど、アリスの言葉を聞き入れてくれた。しばらく息を潜めていると、カティアの声は聞こえなくなった。
「一体何があったの、アリス?」
「あのね、カティアに急にキスされて、それで、愛してるって言われて、恋人になってって言われて……」
しどろもどろで出来事を説明する。心なしか、ユシャンの表情が凍りついたような気がした。
「アリス、キスは初めてだったの?」
「……うん」
カティアの唇の感触がよみがえってくる。不意に寒気を感じて、自分の肩を抱いた。
「……のに」
「え? よく聞こえないよ、ユシャン」
「アリスの初めては、私がもらいたかったのに!」
「え? え? ユシャン、何言ってるの!?」
「私もアリスを愛してるの!」
どうしよう、ユシャンもおかしくなっちゃったよぅ。
「安心して、アリス。私はカティアみたいに無理やりなんて奪わないから。だから、アリスからして。ねっ?」
ねっ? じゃないよぉ! とろんとした目で、頬を赤らめながらアリスをユシャンが見つめて、一歩一歩距離を詰めてくる。じりじりと追い詰められて、気づくと、ドアを背にしていた。外にはまだカティアがいるかも知れない。どうしよう。
ユシャンとの距離があと一歩まで迫った。もう迷ってられない。アリスは、思い切ってドアの外に飛び出した!
幸い、ドアの外にカティアはもういなかった。あと、頼れそうなのはユーフラジーだけだ。アリスのお部屋に戻る手もあったけど、独りになるのは不安で心細かったので、ユーフラジーのお部屋へダッシュする。
「待って! 逃げないで!」
背後を振り返ると、ユシャンが部屋から出てくるのが見えた。
「ユーフラジー、開けて! 助けて! カティアとユシャンがおかしくなっちゃったの!」
インタホンを必死で連打すると、少ししてドアが開いたので、中に踊りこんだ。
「ロックかけて、ロック!」
ユーフラジーは驚いていたけど、言われるままにドアロックをかけてくれた。アリスは、息を切らせながら仰向けにベッドに倒れこむ。
「何があったの、アリス?」
ユーフラージーがコップに水を注いで、持ってきてくれた。アリスは、起き上がって水お受け取り、ごくごくと一気に飲み干した。水を飲んだら、少し落ち着いた気がする。
「あのね、カティアがいきなりキスしてきて、カティアとユシャンがアリスのこと愛してるって迫ってきて……」
「二人はアリスのことを、恋愛的な意味で愛してしまったのね。でも、カティアはやりすぎだわ」
「ねえ、アリスたち友達だよね? 友達同士でこんなのって、おかしいよね!?」
「……ねえ、最近女の子同士で恋愛している人が増えているのは気付いてる?」
ユーフラジーは、少し悲しそうな顔をしてアリスに訊く。アリスは、ふるふると首を横に振った。
「そうなの?」
「うん。もう、遭難して三か月経つでしょう。そして、この先どうなるかまったくめどが立っていない。それでも、みんな恋したい年頃なのよ。いや、こんな時だからこそかな」
「でも、だからって何でアリスなの? 素敵な人ならほかにもっといるよぅ!」
アリスの言葉に、ユーフラジーはうーんとうなりながら、腕組みして考え込み始めたけど、ぽんと手を打って「ああ、あれだ!」と声を上げた。
「アリス、だいぶ前に好みのタイプについてカティアたちと話したの憶えてる?」
「そんなことあったっけ?」
「あったの。で、その時カティアもユシャンも、『頼られ甲斐のあるタイプが好き』っ言ってるのよ」
「それって、ひょっとしてアリスが頼りないっていうこと?」
「うん。ひょっとしなくても、頼りない」
がーん。ユーフラジーの断言に、しゅんとする。でも、その時アリスはとてもいいことを閃いた。
「じゃあさ、じゃあさ。アリスが頼り甲斐があるようになったら、二人とも元に戻ってくれるかな!?」
「うーん。それは分らないけど、アリスが立派に自立することは、とても大事なんじゃないかな」
「よーし、アリス頑張るよー! 頼りがいの:ある女の子になる! ……で、ユーフラジー」
「何?」
「とりあえず、何をしたらいいかなぁ?」
ユーフラジーが、がっくりと肩を落としてため息をついた。あれ、アリス何か変なこと言った?
「ねえ、ほんとに一緒に食べなきゃ駄目?」
「駄目。元の関係に戻りたいんでしょう?」
「そうだけどぉ……」
翌朝、ユーフラジーのお部屋で一晩過ごしたアリスは、アリスから送受話器をふんだくろうと必死だった。今までのように、四人で食事をしようというのだ。でも、正直アリスはカティアとユシャンがまだ怖い。
「お早う、カティア。私の部屋で食事しない? 無理? 無理でも来て。じゃあ」
ああ、カティアを呼んじゃった。ユーフラジーは、華麗な体さばきでアリスに送受話器を掴ませてくれない。
「お早う、ユシャン。私の部屋で食事しましょう。気が向かない? 向かなくても来て。それじゃ」
またたく間に、強引にセッティングされてしまった。もう、どうにでもなーれ。
少しして、チャイムが鳴った。インタホンのモニタに、互いにそっぽを向いているカティアとユシャンが映っている。ユーフラジーは、「はいはーい」と言いながら、ドアを開けに行った。
ドアが開くと、二人の表情がよく分かる。カティアが悲しそうな顔で、ユシャンが仏頂面。二人とも、ユーフラジーのお部屋にすでにアリスがいるのを見て、驚いたようだ。
「アリス、昨日はごめんなさい。私、昨日はどうかしてたの。許して、お願い……」
カティアがすがってくるので、怖くなってつい身を引いてしまった。
「許してアリス! 許してぇ! 心の底から反省してるの!!」
なお、カティアが追いすがって来るので、じりじりと後退する。
「強引にキスして、許されるわけがないでしょう! お金持ちに生まれ育ったから、何でも自分の自由になるように思い込んだんだわ! いい気味よ!」
そんな私たちにユシャンが横やりを入れる。
「ちょっと! アリスになら何言われても仕方ないけど、ユシャンにそこまで言われる義理はないわよ! 家は関係ないでしょう!」
カティアとユシャンが火花を散らす。
「やめてーっ!! アリスは許せないんじゃなくて、二人が怖いの! 元の友達に戻りたいだけなの! こんなのは嫌なの!」
堪らなくなって、大声で叫んだ。自分でもびっくりするぐらいの大声で怒鳴ったので、肩で息をする。二人が、シンと静まり返った。
「えーっと。さて、ご飯にしましょうか。何と、食事はアリスが全部作ってくれたのよ! さあ、さあ。冷めないうちに」
ユーフラジーが強引に事態をまとめに入る。アリスたちは黙って席に着いた。お祈りを済ませて食事を始めたはいいけど、実に食が進まない。こんな気まずい食事は、遭難当初以来だ。
「うん。おいしいよ、アリス! 初めてにしては、上出来上出来!」
ユーフラジーだけは、本当においしそうに食べている。なんというか、この空気でぱくぱくご飯が進むその神経が羨ましい。ちなみに、食事の内容は、トースト、ベーコン、目玉焼き、スティックサラダ、ミルク。支度は全部ユーフラジー先生の指導付き。これでまずく作る方が難しいと思う。
「で、本題なんだけどね。アリスの言うように、アリスのことを普通の友達として見ることできないかな? アリスはやればできる子。人に頼らなくてもやっていけるよ」
「無理よ、もう。アリスのことを考える度、どうにかなってしまいそうなの。ユーフラジーには分からないでしょう、この気持ち」
カティアが潤んだ瞳でアリスを見つめてくる。つい、反射的に視線を逸らしてしまった。
「いやー、分かるよ? 私も好きな女の人いるし」
「えっ!?」
「うそっ!」
「聞いてないよ!?」
三人同時にツっこんだ。がーん。ユーフラジーもそっち側の人だったのか―。ユーフラジーが昨日見せた、悲しそうな顔の理由が、今はっきりと分かった。
「今、初めて言ったもん」
「相手は誰?」
「それはノーコメントで。まあ、その人とはいわゆる相思相愛だから、そういう意味ではカティアとユシャンの悩みは分ってあげられないんだけどね。ユシャンもアリスのことはもう友達として見られない?」
ユシャンの追及をかわし、平常運転で話を続けるユーフラジー。アリスはもう、唖然とするほかなかった。
「うん、私も無理。もし、このまま助けが来なかったら、ううん、助けが来ても、アリスと結婚したい。そのぐらい好き」
「んー……」
ユーフラジーが腕組みして悩む。アリスは、放心状態できゅうりをこりこりかじる。
「アリスさあ、同性愛だから嫌だってわけじゃないんでしょ?」
「え、あ? うん」
「じゃあさ、試しに付き合ってみたらどうかなあ。恋っていいものよ?」
「えー! ユーフラジー、元の関係に戻るの協力してくれるって言ったじゃない!」
「いやー、言ったけどさー。これは無理だわー。いっそ、両手に花のハーレムモードとかどう?」
諦めるの早っ! 他人事だと思って、無茶苦茶言ってる。
「ユーフラジー、真面目にやって! 二股とか嫌よ!」
「私だって、二股とか我慢ならないわ!」
ほら、二人に怒られた。
「やー、ゴメンゴメン。でも、二人にアリスへの恋心を諦めろっていうのは無理だと感じたのは本当。まあ、カティアはやりすぎだけど」
ユーフラジーの言葉に、カティアがしゅんとする。
「アリスもさ、もう一七なんだから、恋の一つぐらい経験しておかないと。ね?」
「うー……。そりゃ、アリスはちょっと遅れてるかも知れないけどさぁ」
やっぱり、もう『ただの友達』には戻れないのかなあ……。
「よし、そうと決まればまずはデートでしょう! アリス、ユシャンとカティアどっちがいい?」
ユーフラジーがぱんと手を打って、例によって強引に話をまとめに入る。どっちって言われても、困る。
ユシャンとカティアが、もっの凄い期待の眼差しでアリスを見つめてくる。ほんと困るなぁ。
「アリスが決めないんなら、私が決めようか?」
「だめだめだめだめ! アリスがきちんと決めるから、そういうのやめて!」
ユーフラジーが強引に話をまとめようとしたので、慌てて止めた。ああもう、アリスが選ぶことになっちゃったよぅ。
「…………じゃあ、まずはユシャンで」
しばらく悩んだ末にそう言うと、ユシャンがそれはもう大喜びで、一方カティアは見るからに激しく落ち込んだ。ああもう、だから嫌だったのに。ユーフラジーの強引さには時々とても困る。
「ねえ、アリス! 何をしましょうか!」
喜々として尋ねてくるユシャン。その時、アリスは何となく違和感を感じた。はて、何だろう?
「えーと、じゃあ、とりあえずバイオスフィア巡り」
「OK、行きましょう」
なんか、語尾に音符が付いてそうな調子で、率先してバイオスフィアへ向かうユシャン。アリスもその後を付いていく。背後からカティアの視線が突き刺さっている気がするけど、気にしないようにしよう、うん。
今のバイオスフィアの季節は真冬。吐く息が白い。でも、こんな季節にも綺麗な花を咲かせている植物がある。
「ジャングルの近くに行きたいね。あそこら辺は冬でもあったかい設定になってるから。カート借りてこようかな」
ユシャンが手をこすり合わせ、息を吐きかけながら言う。
「その前に、牧場に寄ってもいい? 子豚ちゃんたちが気になる」
「いいわよ。行きましょう」
ユシャンと並んで、牧場に向かって歩き出す。あれ? また違和感。しかもこの違和感、今日初めてじゃないような……。
牧場は、草原地帯の多くを占めていて、各種作物の栽培と、牛、豚、羊、鶏が飼育されている。本来一万人ぶんの食料を賄うように作られているので、今のアリスたちには不相応に大きい。
「わあ、ずいぶん大きくなってる! 成長早いねぇ!」
牧場に着くと、まっしぐらに子豚ちゃんのところに駆け寄り、頭をなでなでする。ユシャンは柵にもたれかかってアリスを眺めていた。横では、ボットが寝藁の交換作業をしている。
「でも、成長しきったら精肉されてしまうのよね……」
凍りつく空気。ユシャン、そういうこと言わないでほしいなぁ。そりゃ、今朝ベーコン食べたけどさぁ。
とりあえず気にしないように、子豚ちゃんを撫でていると、ふとずっとユシャンに対して感じていた違和感の正体に思い当った。
「ねえ、ユシャン。アリスたち、もうどれくらい手を繋いだり、抱き合ったりしてない?」
そう、ここしばらくユシャンとスキンシップしてなかったのだ。
「……もう、一か月以上になるかな」
「なんで? アリスのこと好きなんだよね?」
「好きだからこそ逆に、かな。自分をセーブできる自信がなかったの。カティアみたいなやり方は好きじゃない」
「ユシャン、奥ゆかしいんだね」
「ええ、自分でも意外。もっと攻めっ気のあるタイプだって自分では思ってた」
「ユシャン、手を繋ご」
「いいの?」
「うん、アリスは元の関係に戻りたいって言ったでしょ」
アリスは、ユシャンの手を握った。ユシャンも恥ずかしそうに握り返してくる。こうやってユシャンと手を握り合うのは、本当に久しぶりだ。
「何だか照れくさいね。少し前までは、普通に手を繋いでたのに」
「私も。アリスの手って、こんなに温かくて柔らかかったんだね。再発見」
あれ? なんかいいムードなっちゃった?
「それにしても、ウロボロスは遊べる場所が少ないね。アリス、遊園地に行きたいな。半年前、四人で行った時は楽しかったよねぇ」
「そうね。また行きたいわね。地球に帰れるといいわね……」
ユシャンが遠い目をして、最後の方は呟くように言った。どうしよう、今度は空気が暗くなっちゃったよぅ。
「ねえ、ユシャンが最初に提案した、ジャングル付近に行こうよ。寒くなってきちゃった」
「ええ。じゃあ、内線でカートを呼びましょうか」
ほっ。少し空気が変わった。カートは、十分ぐらいでアリスたちのところにやって来た。GPSのモニタを指で操作して、ジャングル付近の適当な場所を設定すると、カートは目的地に向かって走行し始めた。
「あっ! ユシャン、雪だよ!」
前方に、ぱらぱらと、白い雪が降り始めた。道理で寒いわけだ。
「積もるかしらね?」
ユシャンがぎゅっと握る手に力を込める。少しでも、アリスの温もりを守るかのように。
「ねえ、ユシャン。抱きついていい?」
「喜んで」
寒さに対抗するように、二人で抱き合う。なんだ、そんなに怖くないじゃない。普通に接せられるじゃない。本当は怖くないんだ。アリスが怖がりすぎだったんだ。少し前まで、これが普通だったのに。
やがて、ジャングル地帯が見えてくると、降る雪も少なくなって、次第に気温が増してきた。ジャングルの近くに来ると、突き刺すような人工太陽の光が降り注いだ。アリスもユシャンも、暑くなって、制服の上着を脱いでしまった。まだ作られた服が少ないので、公の場に出る場合は今でも制服が多い。
ジャングルは地球を模して造られているが、毒蛇や毒キノコ、ピラニア、ジャガーなど、人に有害な動植物は持ち込まれていない。目の前では、ハチドリが顔を上に向けて羽ばたきながら、おいしそうに花の蜜を吸っていた。
「綺麗な羽根の色だね、ユシャン」
「うん。綺麗だね。ほんと、バイオスフィアは宇宙船の中だって信じられないぐらい」
互いに肩を寄せ合って、ハチドリをぼーっと眺めた。ちょっと暑苦しかったけど、心地が良かった。
「これ、飼っちゃ駄目かなぁ」
「駄目なんじゃない? マキナに訊いてみないと分からないけど。大体、人に懐くかなあ?」
こんな話をしながら、ジャングル付近巡りは終わり、帰途に就いた。
「ただいまー!」
元気よく、ユーフラジーのお部屋に戻る。
「お帰り、アリス。その様子だと、バッチリだったみたいね」
仲良く手を繋いで入って来たアリスたちを見て、ユーフラジーが顔をほころばせる。
「うん、楽しかった!」
「さて、お次はカティアの番だけど」
ユーフラジーの言葉に促されて、カティアがもじもじしながらアリスを見つめてくる。
「うん、いいよ。カティア何する?」
カティアへの恐怖感は、ユシャンとの触れ合いによってかなり軽減されていた。もう、怖くない。アリスの快諾に、カティアの顔がぱあっと明るくなる。
「じゃあ、バイオスフィアの牧場めぐりは? アリス、あそこの子豚がお気に入りだったでしょう」
「あ、ゴメン。さっきユシャンと一緒に行った」
がくりと肩を落とすカティア。
「それじゃあ、ジャングルあたりを巡るのは? あの辺りは今の季節でも温かいし」
「あー、実はそれもさっきユシャンと一緒に」
より一層、肩を落とすカティア。ゴメンってば。
「じゃあ、お部屋でアーカイブの映画を見ましょう! どう?」
「うん、じゃあそれで」
カティアがほっとする。そんなわけで、カティアのお部屋に向かうアリスとカティア。手を繋ごうと差し出してみたけど、カティアは手を繋いでくれなかった。おかしいな、昨日までは必要以上にべたべたしてきたはずなのに。
「ねぇ、カティア。手を繋ごうよ」
「アリス、ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ。これは、私なりのけじめ。昨日、私はアリスにとても酷いことをしてしまったから」
「キスのことだったら、アリスもう気にしてないよ?」
ゴメン、アリス嘘ついた。本当は、かなーり気にしてる。でも、こう言ってあげないと、カティア頭固いから。
「アリスは嘘が下手ね。これは、私がかけた誓いだから。アリスに本当に許してもらえるその日まで、私はアリスに指一本触れないと決めたの」
速攻でばれた。そして、カティアの決意の固さを思い知らされた。困ったなぁ。
そんなやりとりをしているうちに、カティアのお部屋の前に着いた。昨日の出来事が脳裏に蘇ってくる。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて中に入る。
「アリス、どんな映画が見たいかしら?」
カティアがコンピューター端末の画面を操作しながらアリスに訊いてきた。
「えっとね、アニメ! 楽しくてかわいいのがいいな」
「検索かけてみるわね。えーと、これとかどう? 『一〇二匹にゃんちゃん大行列』」
サムネイルを見てみると、可愛らしい猫ちゃんがたくさん描かれていた。
「うん、これよさそう。これ見てみよっ」
アリスがそう言ってソファに座ると、カティアがモニタをソファの方に向け、『にゃんちゃん』のサムネイルをタッチして着席した。アリスとの車間距離が一〇センチは離れている。ほんとに頑固だなぁ。
ともかく、アニメが始まった。どんな内容かというと、一〇二匹の猫ちゃんが行列のできるラーメン屋さんに並んで、延々ジョークまみれの雑談をするというもの。絵柄に反してすごくシュールな内容だ。まぁ、猫ちゃんはかわいいけど。
最後の猫ちゃんがラーメンをすすっているところでエンドロール。割と面白かった。
「なんだか、わけの分からない内容だったわ」
カティアがふーと息をつく。
「アリスは結構面白かったよ」
「アリスが楽しんでくれたならよかったわ。次は私の見たいのでいい?」
「うん、いいよぉ」
アリスの言葉を受けて、カティアが再び端末を操作して戻ってくる。着席の間隔は、やっぱり一〇センチ。つくづく頑固だなぁ。
映画が始まった。内容は一言で言うと、女の子同士の悲恋。愛し合う女の子同士が社会から受け入れられず、泣く泣く別れるという、まだ同性愛が市民権を得ていなかった時代の悲しい物語。横でカティアが、ハンカチで涙を拭いながら見ている。
昨日までのアリスなら「悲しいけれど、ちょっと分かんない内容だなぁ」で済ませていたんだろうけど、今のアリスなら分かる。アリスはカティアかユシャン、あるいは両方にこういう悲しい思いをさせる決断をしなければいけないのだ。そう考えると、アリスも涙がこぼれてきた。
「ねえ、カティアって昔からこういうのが好きだったの?」
映画が終わったので、カティアに素朴な疑問をぶつけてみる。
「いいえ。同性愛に興味を持ったのは、アリスに恋をしてからね。これ以外にも、同性愛に関して色々調べるようになったわ。他の人は、どんな気持ちだったんだろうって」
「そっかー……。アリスも調べてみようかなぁ」
と言うと同時に、お腹がぐうと鳴ってしまった。
「ご飯にしましょうか、アリス。ユーフラジーの部屋に行きましょう」
そう言って、カティアは端末の電源を落とした。そして、アリスと一緒にユーフラジーのお部屋に向かう。
カティアとユシャン。アリスは一体どうすればいいんだろう……。
夜。アリスはレーベルト先生のお部屋にやって来た。
「こんばんは。先生、起きてますか? アリス・フローレです。お話したいことがあります」
「フローレさん? 珍しいわね。今ロックを開けるからちょっと待っててね」
少し間を置いて、レーベルト先生がドアから姿を現した。寝る前だったのか、パジャマ姿だった。
「どうぞ、フローレさん」
中に通され、キッチンテーブルに差し向かいで座る。
「さて、どんなお話かしら」
「その……友達が二人、同時にアリスに恋しちゃったんです。どうしたらいいか分からなくて」
「三角関係、難しい問題ね」
先生は、少し難しい顔をして、考え込んでしまった。そして、しばらく悩んだ末に、言葉を紡ぐ。
「フローレさん、私にはフローレさんが望むような明快な答えはしてあげられないわ。ただし、こういうアドバイスならできる。思いっ切り悩んで、自分で答えを出すの。必死に自分で悩んで出した答えの結末なら、結果がどんなものでも納得ができると思うわ」
「悩む、ですか」
難しいことを言われてしまった。
「ごめんなさいね。こんなアドバイスしかしてあげられなくて」
「いえ、アリスの問題だから、アリスがきちんと考えなくちゃ駄目ですよね」
しばしの沈黙。
「そうだ、フローレさんコーヒー飲む? バイオスフィアで採れたから、豆を挽いてみたんだけど」
「お砂糖とミルク、たくさん入れてもらえますか? 苦いの苦手なんです」
悩もう。そして答えを出そう。時間はかかるかも知れないけど、きっと必ず。
レイナ編
私の名前は、レイナ・ルシャル。今日も、先生方が自主的に開いてくださっている授業に参加していた。といっても、ウロボロスには多くの人間が一度に集まれるスペースはバイオスフィアとメディカルルームぐらいしかないので、各自の部屋のコンピューター端末で授業を受けている。現在の授業は、マンデルブロ先生の受け持ちである数学。
授業が終わった。今日も充実した勉学の時間を送れた。今日の要点をまとめようと思ったその時、ふとした疑問が頭をよぎったので、先生に質問してみることにした。
「先生、質問があります」
「何ですか、ルシャルさん?」
「生徒の授業出席率はどのぐらいですか?」
やや間があって。
「七五パーセントです」
「お答えいただき、ありがとうございました」
授業参加率が八割を切っているのか。私は、マンデルブロ先生の「学生の本分は勉学」という言葉を信奉している。これは、由々しき事態だ。
また、もっと大きな問題として、いじめや諍いの増加が挙げられる。遭難以降、明らかに船内の空気が悪くなっている。昨日も、明らかに大量のシーツを運ばされている生徒と、それを取り巻いて嘲笑っていた生徒たちがいたので、注意したものだ。
何とかしなければいけない。切実にそう思った。そして、私にひとつのアイデアが浮かび上がった。
本日すべての授業が終わると、私は、先生方に是非とも訊いて戴きたいアイデアがあると伝え、また、信頼できる仲間五人にも呼びかける。
私は、マンデルブロ先生の部屋へと向かった。
「それでルシャルさん、お話というのは」
先生方と私たちが部屋に集まったのを見て、マンデルブロ先生が切り出してきた。四人向けの部屋に、一三人が詰め込まれているのは、少し、いや、かなり息苦しい。
「先生方、最近生徒間で、いじめや誹謗中傷などの悪事がはびこっているのはご存じでしょうか?」
「目撃したことはないけど、話には聞いたことがあるわね」
レーベルト先生がとりあえずの肯定をする。
「そうなんですか、レーベルト先生?」
「ええ。私は生徒と話す機会が多いものですから」
社会科のジェニー・ハイネマン先生が、レーベルト先生に訊き、答えに「知りませんでした。お恥ずかしい」と、自嘲とも取れるため息をつく。
「それで、私たちに注意を徹底してほしいということね?」
マンデルブロ先生が、言葉を紡ぐ。
「いいえ、先生方のお手を煩わせるまでもありません。私たち六人に捜査権と懲罰権をください。新生風紀委員として、活動したいと思います」
私の言葉に、先生方がざわつく。
「そういえば、ルシャルさんは風紀委員だったわね。でも、捜査だの、懲罰だのというのは穏やかではないわ」
レーベルト先生が眉をしかめる。
「差し出がましいのは重々承知しています。ですが、注意ひとつで悪事をやめるほど、人間は潔癖な存在ではありません。物理的な介入が必要だと存じます」
再びざわつく先生方。
「すぐには答えが出せそうにありません。私たちにも時間をください」
マンデルブロ先生が、場を締めた。
「分かりました。ただ、こうしている間にも、苦しんでいる生徒がいるということを、どうか忘れないでください。それと、私以外のメンバーの存在は、当面秘密にしておいてください」
私は、一礼をして、部屋を退出した。仲間たちも後に続く。
今、船内に必要なのは、秩序と、それを成す存在だ。私は、唇をきゅっと噛み締めた。
二日後、マンデルブロ先生から、私の提案に対し、議論の結果、多数決により僅差で教師陣の指導の下という条件付きで可決されたという旨の、一通の電子メールが届いた。私は、早速五人の仲間にこのことを知らせ、『骨法』という、私が習っていた格闘技の練習マニュアルを作成し始めた。治安の維持には物理的な力が必要だ。仲間にも、強くなって貰わなければならない。
翌日、またあのいじめグループが、くるくるした巻き毛のいじめ対象に大量の衣類を運ばせているのを目撃した。懲りない連中だ。
「あなたたち、そういうことはやめるように言ったでしょう」
「はい? よく聞こえなかったー。もう一度言ってみてー」
いじめグループが、げらげらと笑う。
「警告はしましたよ」
そう言って、私は一気に距離を詰め、いじめグループの一人の顎に骨法の掌打を叩き込んだ。吹っ飛ぶ相手。いじめグループは一瞬何が起こったのか分からない様だったが、事態を把握すると、悲鳴を上げた。いじめられていた生徒は、混乱でも起こしてしまったのか、ぼーっと突っ立っている。
「他にも、肉体的に言い聞かせてほしい人はいますか?」
私がたんかを切っても、悲鳴は収まらない。というか、一層酷くなった。私はため息をついた。
「そこのあなた」
と、いじめられていた生徒に言葉を投げかけた。
「はイッ!」
彼女は、硬直しながら裏返った声で返事した。
「困ったことがあったら、いつでも私に言ってください」
それだけ告げると、私は再び巡回に戻った。
私の派手な活動は瞬く間に噂になったようで、その日の夜から、色々と密告の電話やメールが相次ぐようになった。
私は、寄せられた情報をまとめながら、分厚い鉄板を左手用のグローブの掌に縫い込む作業をしていた。
そうしていると、電話が鳴った。また密告だろうかと思うと、発信者はマンデルブロ先生だった。
「はい、ルシャルです」
「あなたは何を考えているんですか! いきなり暴力沙汰なんて!」
「お言葉ですが、被害にあっていた生徒から、感謝のメールをもらいました。私は間違ったことをしているとは思いません。以前も申し上げたように、船内には秩序を守るための力が必要なのです」
いきなり叱られてしまったが、私は平然と言葉を返した。受話器から、先生の溜息が聞こえてくる。しばしの間。
「ともかく、あなたたちの扱いについてはもう一度審議します」
それだけ言うと、電話は切れてしまった。私は縫い込み作業を続行することにした。
すると、ややあってまた電話がかかってきた。今度は誰だろうと電話を見ると、発信者はハイネマン先生だった。
「はい、ルシャルです」
「あ、ルシャルさん。ハイネマンです。先ほど、マンデルブロ先生からあなたたちの活動に対して見直したいという連絡がありました」
またお小言だろうか、と耳をそば立てていると、続いたのは意外な言葉だった。
「私は、生徒たちが苦しんでいることに気付いていませんでした。教師失格です。しかし、知ったからと言って、私の立場では注意ぐらいしかできない。そんな中、あなたたちのような存在が必要なのだと痛感しました。明日の審議でも、なるだけあなた方の自由を守るよう働きかけるつもりです。それだけが伝えたかったので、電話しました。おやすみなさい」
「ありがとうございます。おやすみなさい、ハイネマン先生」
先生の中に私の支持者が確実にいる。これは、とても喜ばしいことだ。私は、今度こそゆっくりと縫い物に戻った。
後日、ハイネマン先生の強い後押しがあって、私たちの活動継続が認可されたことをマンデルブロ先生から聞かされた。
私以外のメンバーは、現在(聞こえが悪いが)秘密警察のように情報収集に当たってもらっている。もし、まだ戦闘力のない仲間が逆恨みの攻撃を受けたら、ひとたまりもないからだ。
しかし、事件は起きてしまった。私の仲間が、私と親しくしているという理由で風紀委員であることが疑われ、袋叩きにされた。犯行を行ったのは、いつぞやの掌打を叩き込んだ、あのいじめグループ。
私は、メディカルルームに彼女を見舞いに行った。
メディカルルームは白基調で、ベッドは二〇床ほど。様々な医療器具とボットが多数配置されており、大規模な外科手術にも対応できるらしい。彼女は、ベッドに寝かされていた。
「ごめんなさい、巻き添えにしてしまって」
大事には至らなかったようで一安心したけれど、私は心の底から謝った。
「そんな顔しないで。あなたの方針に付いていくって決めた時から覚悟してたことだから」
私は彼女の手を握った。
「私はあいつらを絶対に許さない。仇は討つわ」
「レイナならやってのけるのでしょうね。無茶しないで……と言っても無駄ね」
彼女は、フフと笑ったが、次の瞬間「痛っ」と呟いた。
「痛むの?」
「レイナの負担にならないように我慢してたんだけど、ちょっとね」
彼女がちょっとという場合、かなり無理をしている。
「無理はしないで。今は大事に」
私は、彼女の手を一層強く握り、メディカルルームを去った。
後日、運良く(・・)私はあの掌打を喰らわせた連中に、通路で囲まれた。連中は、手に手に長い角材を持っている。どうやら、私の仲間を袋叩きにしたことで、意気が上がっているらしい。
「あの時はよくも……。足腰立たないぐらい痛めつけてやる!」
あの時殴った生徒が、怒りを露わにして叫んだ。
「やることが卑怯、為すことが卑怯、卑怯卑怯卑怯! 呆れて物が言えない!」
私は、吐き捨てるように罵った。
連中が躍り掛かってきた。どうやら、仕込んでおいたお守り(・・・)が役に立ちそうだ。私は鉄板入りの左手の掌打で迫りくる角材の一本を真っ二つに叩き砕いた。
これには連中も驚いたようで、目を丸くして、間抜けな顔をしている。私は、続けざまに右の掌打を繰り出して顎を叩き、瞬く間に一人をKOした。
一度士気の低下した連中は実に脆く、立て続けに、二人、三人……と倒していく。
残り人数が二人になると、もはや戦意は喪失したようで、悲鳴を上げて逃げて行った。
しかし、私は逃がさない。こういうのは、一度始めたら徹底的に、もう二度と刃向う気力が起きないぐらいにやるべきだ。半端なことをするのは、仲間がやられた件でもう懲りた。私は逃げる一人の後ろ髪をふん掴まえて、地面に引きずり倒した。逃げるもう一人には、浴びせ蹴りを叩き込む。地面に引きずり倒した奴を絞め技で落としながら、「もう二度とやらないように。もちろん、他の生徒にも」と言い聞かせた。
この、私の無双ぶりはまたしても瞬く間に知れ渡り、恐怖と畏敬の象徴になったようだ。私の姿を見ただけで、こそこそと逃げ隠れする生徒をよく見かけるようになった。同時に、ファンレター(というかラブレター)のメールも貰うようになった。
「私の闘いは、まだ始まったばかりだ」
私はそう独り言を言いながら、自室で筋トレを開始した。
クドリャフカ編
私の名前はクドリャフカ・セレヴリャンスカヤ。今日も私はいじめられていた。
私は顔も地味、スタイルも地味、性格も地味で特徴といえば、このくるくるとした巻き毛くらい。そんな私が、なぜ目をつけられてしまったのだろう。
あれは、ウロボロスが遭難してから一か月目ぐらいの事だっただろうか。
私は、写真が趣味で、ウロボロスにもカメラを持ち込んでいた。写真を撮るのが日課だった。夢中になってバイオスフィアの花を撮っていた時、いきなりカメラをもぎ取られた。振り返ると、五人組の生徒が私のカメラを持ってにやにやしていた。
「返して……!」
「えー。どおしよっかなぁー」
「返してよ!」
私がカメラを取り返そうと飛び掛かると、彼女たちは次々にパスを回して、私を弄んだ。
「それ、持ってけー!」
パスを受けた生徒が居住区にダッシュする。私も慌てて後を追いかけようとしたが、足を引っかけられて転倒してしまった。残りの四人が、私をそのまま押さえつける。
「返してぇ! カメラ返してよぉーっ!!」
バイオスフィアに、私の絶叫が響き渡った。
その日から、私は彼女たちの奴隷になった。言うことを聞けば、カメラを返してくれるという。そんな気持ちない癖に。でも、私は言うことに従うほかない。言うことを聞かなかったり、誰かに言ってもカメラを壊すというのだから。
なぜ、私がカメラひとつにこんなにこだわるのかというと、お父さんの形見だからだ。
ムツキ編
ウロボロス遭難から半年が経った。
「ムツ姉、いたいた! ムツ姉―!」
麗らかな春の気候の中、草原で寝そべりながら、ただのモニタ付メモリと化した携帯電話でアーカイブからダウンロードした小説を読んでいると、遠くから馴染み深い、ユーノ・クラウドニカの声が聞こえてきた。顔を向けると、小柄で燃えるような赤毛の長髪の、色黒な女の子が駆け寄ってくるのが視界に映る。
私の名前は、ムツキ・マツヤ。ユーノからはムツ姉と呼ばれている。同級生なのだけど、私がギリギリの早生まれで、ユーノがこれまたギリギリの遅生まれ。一歳近く年が離れているせいか、気づけば姉妹関係のようになっていた。
「ふー、ムツ姉すぐどっかに行っちゃうんだもん。探すのに苦労するよ」
ユーノが私の傍らに腰を落とす。
「そういえばムツ姉、前々から疑問だったんだけど」
「なーに?」
再び携帯電話に視線を戻して会話する。
「なんで眼鏡みたいな骨董品使ってるの? 今時、普通レーシックでしょ?」
「ああ。何か頭良さそうに見えるかなーと思って」
「それだけ!?」
「うん、それだけ」
「ムツ姉らしい」
さわやかな風が、私たちの間を吹き抜ける。
「ムツ姉、キスしていい?」
「いいよー」
携帯電話をどけると、ユーノが唇を重ねてきた。柔らかな感触。あ、ユーノ舌入れてきた。負けじと、舌を絡ませる。ユーノと恋人になったのはいつからだろう。少なくとも、ウロボロスの遭難以降だ。
ユーノは満足したのか、やっと唇を離してくれた。ぷはー、長かった。再び携帯電話に目を戻しながら、歌を歌う。まだ世界と、世界の言葉がひとつになっていなかったころの、旧日本地区で歌われていた歌。
『あなたと出逢ったのは 偶然だったね それなのに、行く当てのない私を優しく迎え入れてくれて。
そんな優しいあなたに 寂しい思いをさせてしまった 私は自分の想いから逃げて あなたをなおざりにしてしまった あなたを傷つけてしまった 許して欲しいとは言わない。
ただ できることならもう一度やり直したい。 今度は あなたとの時間を大切にするから』
最初自分の女の子同士に対する恋心が受け入れられず、その子を傷付けてしまったことに対する、謝罪と恋の歌。
うちは骨董品が多くて、CDというはるか時代遅れの代物を再生する環境があったので、子供の頃からよく聴いていた。
ユーノとの間に流れる、緩やかな時間。至福だ。そんな折、ある人物が視界の端に映った。キツイ目元にむっつりへの字口。腰まである長い三つ編み。噂の風紀委員長、レイナ・ルシャルさんじゃないですか。
「やあやあ、ルシャルさん。ちょっとお話ししたいことがあるんですけど」
私は片手を挙げてむくりと起き上がりながら、彼女に話しかけた。
「何でしょう。ええと、あなたは……」
「ああ、自己紹介が済んでなかった。私はムツキ・マツヤ。で、こっちがユーノ・クラウドニカ。よろしくー」
私が右手を差し出すと、彼女は握手に応じてくれた。
「えっとですね。お話というのは他でもない、風紀委員のやり方にちょっと異議がありまして」
そう言うと、彼女の顔が、少し険しくなった。
「ああ、誤解しないでほしいのは、別にあなたたちの存在自体を否定してるってわけじゃないこと。何て言うのかな、飴と鞭ってあるでしょう? その鞭ばかり振るうのはちょっとどうかなーと」
「私たちが、お菓子でも作って問題生徒にばら撒けと?」
「いやいや、そーじゃなくって。文化祭を開こうかなと」
「文化祭?」
「そう、文化祭。それも、できれば三か月に一回ぐらい。私たち、文化祭やる前に宇宙のどこかに飛ばされちゃったでしょ。お祭りごとができなくて、鬱憤溜まってる生徒がたくさんいると思うわけですよ。この船の生活、何かと不便だし」
彼女は「ふむ」というと、腕組みして考え込んでしまった。
「まあ、まずは結果を御覧じろ。お楽しみに~」
そう言って、私は居住区の方に歩を進めた。「待ってよ、ムツ姉!」と言いながら、ユーノが後を追っかけてくる。
私は、ユーノと一緒に自分の部屋に入ると、コンピューターの端末を立ち上げてメールをチェックした。
「お、来てる来てる」
「何が?」
ユーノが作り置きのオレンジジュースを冷蔵庫から取り出して飲みながら、私に訊いてきた。ユーノは、最近自分の部屋に帰らず、私の部屋で寝泊まりすることが多い。
「あ、こら。また勝手に飲んで―。まあ、いいけどさ。マンデルブロ先生からメールが来たのよ、文化祭承認の」
「え? その話もう進めてたの?」
「うん。さーて、告知告知」
私は、喜々として全生徒に文化祭開催準備の告知メールを送った。同時に、運営委員募集とも追記する。開催は一か月後だ。
「さて、宿題でもやるとしますかね。ユーノはどうする?」
両手を組んで、うーんと背伸びしながら、ユーノに訊く。
「ムツ姉と一緒にやるー」
「OK、OK。じゃあやろうか」
私たちは宿題に取り掛かった。私は正直理数はニガテなのだが、ユーノが逆に得意だったりするため、互いの弱点をカバーしながら勉強をするのが習慣になっている。
翌日、朝の日課としてメーラーを開いてみると、文化祭告知は大変な反響を呼んだようで、かなりの数の問い合わせが返ってきていた。そんな中で、運営委員に名乗りを上げたひとりが、あのレイナ・ルシャルさん。うわあ、血の雨が降らなきゃいいけど。
「ムツ姉おはよー。なんか面白いメール来てた?」
ユーノがのそのそと起き上がってきて、冷蔵庫からパンを取り出して電子レンジで温め始めた。本当に、好き勝手やる子だこと。
「文化祭に対する問い合わせが多数。一番の仰天ニュースは、あのレイナ・ルシャル閣下が運営委員に名乗り出たこと」
「うぇっ!? 血の雨が降らなきゃいいけど」
ユーノが私と同じことを考えるもんだから、つい吹き出して大爆笑してしまった。
「どったの、ムツ姉?」
キョトンとするユーノ。
「いやー。私たち、いい姉妹だなあって思って。同じこと考えるんだもん。面白過ぎて涙出てきたわー」
目尻の涙を拭いながら、画面に視線を戻す。
運営委員に名乗り出てくれたのはレイナ・ルシャル他三名。主な問い合わせは、スペースをどうするのかについて。何ぶん、ウロボロスで大人数が入る所というと、バイオスフィアかメディカルルームぐらいしかない。しかし、バイオスフィアはともかく、メディカルルームは万が一の時のために、使ってしまうわけにはいかない。
「やっぱ、空き室を使ってもらうしかないよねえ。マキナっちに都合つけてもらわないと」
何しろ、元々は一万人を乗せて航行する予定だった船だ。空き室は腐るほどある。問題は、各部屋が四○平米ぐらいしかないので、お化け屋敷だとか喫茶店のような大仕掛けがやりにくいことだけど。まあ、これはいくつかの部屋にまたがって使ってもらうしかない。
私は、問い合わせに対して、どのような出し物で、どのぐらいのスペースがほしいのかと、逆に問い合わせる内容のメールを、問い合わせしてきた生徒たちに送った。
「ふー。ある程度形になるまでは、変な混乱を避けるために私一人でやんなきゃなー。めんどくさー」
両手を組んで、うーんと背伸びしながらぼやく。
「言いだしっぺの法則」
パンにバターを塗りたくりながら、ユーノがすかさず突っ込んでくる。いつの間にか、牛乳まで用意している。
「わかってますよー。だからこうして頑張ってるんじゃない。今の船内の空気はぴりぴりしてて、見るに堪えないからねー」
コンピューター端末の電源を落として、キッチンテーブルに座る。気の利くユーノは、私の分のパンと牛乳まで用意してくれていた。
「気が早いけど、お昼は牛丼にしようか」
私も、バターをパンに塗りたくりながら、ユーノに提案した。
「ホント!? ムツ姉の牛丼は絶品だからなー。超楽しみ―」
ユーノが締まりのない顔をする。
「うん。腕を振るうから楽しみに待っとれ」
私は、パンにかじりついた。
クドリャフカはこのあと、レイナに惚れます。
ムツキは、文化祭を成功させ、定例行事へとしていきます。
人付き合いの苦手なバーシムレ・ストルバック(ユーフラジーが初日に話しかけて無視された生徒)は、心を持たないマキナに興味を持ち、恋愛関係(?)になります。
ユーフラジーは、一八歳になったことを理由に先生にプロポーズし、結婚します。iPSという万能細胞によって子供を授かり、未来への希望を示します。
こうして、彼女たちは助けを待ちながら、ウロボロスの中で代を重ねていくことになります。