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ソフィーの箱庭

作者: 河居
掲載日:2026/05/08

なんで居るのよ……。


学校帰り、友達と遊んで解散した後、私は本屋に向かった。こっそり買って帰るつもりだったのに、相澤が居る。

相澤は暗い印象の奴だった。

休み時間も友達と話す事もなく、机に齧り付いて参考書を開いている。移動教室の時も一人だし、判別行動になればあぶれた奴らの隙間に入っているし、昼ごはんだって1人で食べてる。

私には考えられない人種だった。

相澤がこっちに気づいて無いようだったから、急いでレジに向かった。

なのに、自動ドアのそばで目があってしまった。


しくじったわ……。


私は急いで本屋を出た。

買った本『ソフィーの世界』を抱えて――。




「ちょっと、相澤」

次の日、下校中の相澤を捕まえた。

本屋から帰っても、相澤に見られた事が気になって落ち着かなかった。


口止めしないと……。


そう思って、相澤に声をかけた。相澤は目も合わさずにおどおどしながらついて来た。

あんまり遅いから、逃げるつもりかと思ったけど、その決心もつかないようで遠巻きながらもついて来た。


まぁ、一緒に歩いてるように見えないなら好都合だわ。


そう思いながら、喫茶店に入った。


「ボーイフレンドくんの分は僕がご馳走しましょうね」

マスターの勘違いに癇癪で返して、相澤の前に昨日買った本を出した。

「誰にも言わないで」

要件だけ伝えて、早く出て行って欲しかった。なのに相澤の返事はもごもごとよく聞こえない。

「ああもう焦ったい!ガリ勉だと思われるの嫌なの!本なんて、読んでるなんて知られたくないのよ!」

思わず大きな声が出た。マスターの視線を感じて、居心地が悪い。

わかったと、一言言って出てってくれたらいい。そう思ったのに……。

「何を、読んでるの?」

聞かれたら、口から言葉が飛び出した。

「なんでも。気になったら片っ端から読んでるわ。東野圭吾も京極夏彦も……三島由紀夫も好きよ。あと、柳田國男も。哲学も面白そうだったから、ソフィーの世界を買ったの」

「凄い……でも雑食」

「大きなお世話よ!」

相澤が聞くから、答えた。

東野圭吾は名前聞いた事あるから買ってみた。京極夏彦はあまりにも分厚い文庫本が目についたから……それから――。

気がつけば、たくさん話してた。


「なんで、秘密にしたいの?」

話がひと段落した頃に相澤が聞いてきた。

「言ったでしょ?ガリ勉だと思われるの嫌なの」

「うん、でも、それがなんでかなって」 


なんでかって――。


似たようなものが好きで、一緒に遊べば楽しい友達。

「今が……楽なの」

彼らが居れば、一人になる事は無い。

「みんな、”同じ”だから一緒にいるのよ。本が好きなんて異分子よ……距離取られちゃうわ」

言葉にすると、なんだか惨めで……指先が空のスティックシュガーを弄んだ。

「そしたら、ハブかれちゃうかもしれないじゃない……もうみんなグループ出来てるし、一人になったらどこにも入れてもらえないわ」

言った声は、自分じゃ無いみたいに弱々しかった。


「綾瀬さんて……モルフォ蝶みたいですね」


もる?何?


「えと、検索、してみて。そうそれ、青い蝶なんだけど、本当は青く無いの。構造色って言ってね青色の光だけを反射するから青く見えるだけで、ほんとはこんな色」

「え、めっちゃ地味」

「そう!凄いよね。こんなに綺麗に見えるのに」

「……相澤、私の事地味だって言いたいの?」

「あ!ごめ……ごめんね!そう言うわけじゃない……」

「って言うか、蝶の事になった途端めっちゃ喋るじゃない」

「さっき、本の事話す綾瀬さんだって、そうだったよ」

「え……」

全然そんなつもり無かった。

初めて本の事聞いてくれて、話せて……浮き足だっちゃったのかもしれない。

途端に恥ずかしくなって、拳を振り上げて殴るポーズを取れば相澤に笑われてしまった。

頬が、熱い。


「虫、好きなの?」

「虫って言うか、蝶が好きで……」

相澤の話を聞いて、驚いた。

蝶が好きだから、学者になりたい。

だけど、両親にはきっと反対されてしまう。

蝶の専攻がある大学は、私でも名前がわかるくらい偏差値の高い国立大だ。

受験したいって言えば、反対する親なんていないと思う。

だから、合格するために今勉強頑張ってる。

専攻は強行突破すると言い放った。

教室の隅で勉強だけしてる奴だと思ってた。

でも、本当は――。


「なんだ、相澤もモルフォ蝶みたいじゃない」

「僕はただ地味だよ……」

そんな事無い。だって相澤はすごいと思った。

……私は、自分で作った箱庭に閉じこもってるのに。

「違うよ。綺麗な色を出すために今地味なんでしょ?」

そう言えば、相澤はポカンとこちらを見つめた。よだれでも垂らすんじゃ無いかと思う間抜けな顔だった。

私もさっき、こんな顔しちゃったのかな……。

そう思ったら、なんだか相澤と居る時間にくつろいでいる自分に気づいた。


「……ねぇ、ここ、私の秘密の場所なの。だいたい毎週火曜日はここで本読んでる」

「うん?」

「相澤も来なさいよ。私は本を読むから、相澤は蝶の図鑑を眺めるの」

「へ?」

「ここなら邪魔されたりしないわ。図鑑は図書館から借りてくるか……買って置き場所に困るならマスターに匿ってもらえる」

ね?と、マスターの方を見ればグッと親指を上げてくれた。

「ふ、ふふ……」

相澤が笑った。

「じゃあ、綾瀬さんの秘密基地に間借りさせてもらうよ」

相澤のふにゃっとした笑い顔に、つられてしまって……顔がほころんでいくのがわかった。



この喫茶店は私の秘密の場所だった。

誰にも見られずに本を読める場所を探して、見つけたのは中学生の頃だった。

本当はメロンソーダを頼みたかったけど、背伸びして紅茶を頼んだのが懐かしい。

今そこに相澤が居る。

二人それぞれ本を眺めて、時々お互いが何を見てるか話す。相澤が話す蝶の生態や進化は一つの物語みたいで聞いていて飽きなかった。一通り話し終えれば、今度は相澤が私の話を聞いてくれる。

二人とも、そんな相手は居なかったから……いつの間にか話してる時間の方が長くなった。



「あ、しまった……」

ある日相澤が図書館で借りた図鑑の返却を忘れていた事があった。

「今日までなんだ……弱ったな」

いい時間まで話し込んでしまって、相澤は塾に行く時間が迫っていた。塾の後だと図書館は閉まってしまう。

「それだったら、私行くよ」

「え!悪いよ!それに……人に見られたら嫌なんじゃない?」

相澤はそう言っているけれど……。

「返却くらいなら大丈夫よ」

本当は図書館に行ってみたかった。



「相澤!」

次の火曜日に、先に喫茶店に来ていた相澤に声をかけた。思ったより大きな声が出て、相澤は少し飛び上がった。

「聞いて!図書館!凄い!!」

「うぇえ!綾瀬さんどうしたの?」

「読みたかったけど、高いから迷ってた本とか本屋に無い本とかいっぱいあるの!」

「そりゃ図書館だから……」

「webでも読めるけどさ、やっぱりこう本で読む方がいいじゃない?」

「あ、それはわかる。モニターで見るより図鑑の方が質感がわかりやすい」

「そうよね!紙を捲るドキドキってあるもの!」

相澤のうっかりのおかげで私の世界は広がった。

その後も、どこか噛み合っていないのに私達のおしゃべりは止まらなかった。




休日の朝イチや友達と解散した後に図書館に行く事が増えた。

「最近よく来られますね」

おばあちゃんみたいな司書さんに話しかけられた。

「若い方はインターネットで本を読むでしょう?紙の本は敬遠されるから……読んでくれて嬉しいわ」

本を読んでくれて嬉しい。そんな言葉、初めて言われた。

なんだか、目の前が明るくなった気がした。

「紙の本、好きなんです。今度オススメを教えて下さい」

「もちろん。……でも」

司書さんが履歴を見て苦笑い。

「あなた……結構雑食ね」

思わず私も笑ってしまった。

「前にも言われました」

私の世界に、一つ目標ができた。



高三になって、二人で課題をやる事もあった。

相澤の教え方が上手くて、スルスルと頭に入った。

解らないところを聞けば、迷いなく教科書のページを教えてくれる。読み込んだ知識を自分の物にしてるから、教え方に無駄がなくて噛み砕かれている。

教科書を一緒に覗き込でくれる相澤の顔を覗き見た。


真剣な顔が……とても綺麗だと思った。


この後塾だから、と出て行った相澤を見送って、もう少し勉強していく事にした。

「頑張ってますね」

マスターがココアを淹れてくれた。

「私からの奢りですよ。勉強には甘い物がいい。今度、相澤くんにもご馳走しないといけませんね」

ココアにはマシュマロが乗っていて、甘い。

「ありがとう。……マスター、私が勉強したら、変?」

「いいえ」

「……こんな格好で読書好きなのは?」

「まさか。読書にドレスコードが必要ですか?」

「ふふ。そう……そうだよね」

一人になるのが怖かった。

ハブかれたらと思うと凝り固まった。

そうやって自分で作った箱庭で満足してた。


でも――。


不意に、フニャっと笑う相澤の顔が浮かんだ。





「私、相澤と同じ大学受けるわ」

受験シーズンもいよいよという頃、喫茶店で勉強しながら、相澤に言った。

「え?……嘘でしょ?」

ココアを飲んでいた相澤が目を丸くしてこちらを見た。

「ほんと。国文科あるでしょ?司書になりたいの」

相澤が目指す学部より入りやすいけど難関大学だ、無理かもしれない。

けど、精一杯頑張りたい。


「司書……凄く合ってると思うよ!」


嬉しかった。

厳しいんじゃないかとか、綾瀬さんが司書?とか……そんなふうに言われたらきっと落ち込んだ。

でも、相澤は勢い込んで全肯定だ。

あの司書さんに会った時みたいに、目の前が明るくなる気がした。


だから、ちょっと、私も興奮しちゃったのかもしれない。

「でしょう?……だからさ、同じ大学受かったら…………一緒に住もうよ」

言って思わず、ブワッと顔が熱くなった。

「うぇえ!!」

案の定相澤は飛び上がった拍子にテーブルに膝が当たって、ティーカップがガチャンと大きな音を立てていた。

「え、えっと!ちょっと待って!」

「あ、ごめんね!いきなりこんな事言ったらびっくりするよね!忘れて!」

何言ってるの私!もっと他に言う事あったはずなのに……!

頭の中が真っ白になって、顔の前で手を振って俯いた。


「そうじゃなくって!!」


相澤の大きな声が響いて、しんと静まり返った。



「僕、綾瀬さんが好きなんだ」



相澤の、ゆっくりした声が聞こえた。

顔を上げたらフニャっと笑った相澤がいて、泣きそうになりながら笑った。

「……良かった。私も、相澤が好きだよ」

声は震えちゃったけど、順番も間違えたけど……ちゃんと伝えられた。




桜を眺めながら、いつかの会話を思い出した。


春休みの終わりに、マスターに匿ってもらった本を引き取りに行った。

「火曜日の夕方。あの席は空けておくから、いつでも訪ねて来てください」

潤んだ目のマスターに礼を言って店を出た。


山のような本を抱えて、相澤と歩く。

春先の空気は少し冷たかったけれど、足取りは軽かった。



箱庭の外は広く、高く、どこまでも明るい気がした――。

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