7 霧の報告
裁定院に戻ると、ルシアンが机の上に書類束を置き、エドガーの席に当然のように腰を下ろしていた。金の短髪には霧のしずくがわずかに光っている。
エドガーは彼を横目にコートを掛け、髪とウェストコートを整えた。部屋の隅に避けてあった椅子を引き寄せ、机の前に置いて腰を下ろす。
「とりあえず、アルバート・クロウリー公爵の過去についてだ。目新しい情報があるとは思えないが」
ルシアンは小さくため息をつきながら、厚い封筒を指で弾いた。
「三十五年前、隣国レヴァント帝国との国境紛争“オルデン戦争”が勃発。若きクロウリー卿は外交特使として和平交渉に派遣された。王命で敵国の将と密談し、膠着した戦線を“経済封鎖による和平”で終結させた。結果、わずか半年で停戦条約が締結された。
剣ではなく計算で戦を終わらせた男――それがクロウリー卿。あまりにも有名すぎる話だ」
エドガーは書類を手に取り、ページをめくった。若き日の肖像。鋭い目、端正な輪郭、知性を湛えた穏やかな表情。いかにも、沈黙の裏に深い思慮を抱く男の顔だった。
「事前調査でもあった通りだ。今なら新聞にも載っていそうだね」
ルシアンは頷きながらも続ける。
「その後、彼は財務卿として産業革命の基盤を築いた。それから暫くして王から直々に公爵位を賜り、政治の舞台を降りた。
……ただな、少し時期が妙だ。財務卿として目覚ましい活躍をしてすぐに賜ったわけじゃない。数年経ってからの話だ。しかも賜った直後に引退している。
ちょっとやそっとの調査では理由は出てこなかった」
「公爵の地位だ。そう簡単に与えられるものじゃない。数年後というのも、不自然とまでは言えない。引退の時期も、年齢や体調によるものかもしれない」
エドガーは肩を竦め、視線を落とした。確かに引っ掛かりはあるが、断じるには材料が足りない。
ルシアンは椅子に背を預け、腕を組んだ。
「俺もそう思う。
……私的なことでは、彼は財務卿時代に娘を亡くしている。その娘の遺児がリリアン嬢だ。後見として彼女を引き取り、育てた」
「そこも問題があるようには思えないな」
エドガーは書類から視線を上げ、ぼそりと呟いた。
ルシアンが首を傾げる。
「そうだよな」
「でも、変だ」
エドガーの群青の瞳が沈むように細められた。
「変だって?」
ルシアンの眉がぎゅっと寄せられる。
エドガーは書類を閉じ、手の甲で軽く叩いた。
「……彼は何かを隠してる。それだけは分かる」
その声はほとんど独り言のように静かだった。だがルシアンは、その一言に何も言い返さなかった。
窓の外で霧が深まり、街の向こうから汽笛が響いた。それは次の嵐の予兆のように聞こえた。




