表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/46

6 沈黙の屋敷

 王立裁定院の聴取から数日。

 朝の霧を割りながら、エドガーを乗せた馬車がゆっくりと進む。


 目的地はクロウリー公爵邸。

 二度目の聴取は、裁定院ではなく邸内で行うことになった。公爵という高い地位を考えれば、何度も出向かせるのは忍びない――そういう建前で申し込んだが、意外にもすぐ快諾の返事があった。エドガーとしては、法務官としての面談の裏で、観察者として屋敷を見てみたいという下心もあった。

 受け入れられたことに、ほっと胸を撫で下ろす。


◇◇◇


 邸宅はオルドン西区の高台にあった。重厚な石造りの外壁、黒鉄の門、長く伸びる並木道。冬を越した蔦が絡みつく壁は、手入れが行き届いているにもかかわらずどこか寂しげだ。


 門を抜け、案内役の執事に導かれて長い廊下を進む。

 敷き詰められた深紅の絨毯、両脇の壁に掛けられた穏やかな風景画――湖を囲う森、夕暮れの丘、霧に沈む川辺。英雄と名高い彼だが、武門の貴族の邸宅でよく見られるような、戦場を描いたものは一枚もない。


 廊下の突き当たりに飾られている肖像画に、エドガーは足を止めた。

 若き日のクロウリー卿。

 凛とした眼差しはそのままに、今よりもやや柔らかい印象を受ける。


 ――灰色。

 あの令嬢の紫の瞳とは、まるで異なる。似ていなくても不自然ではないはずだ。だけど、何故か気になる。

 エドガーは小さく息を吐き、その感情を胸の奥に沈めた。


◇◇◇


 応接室では、暖炉の火が静かに揺れていた。クロウリー卿はすでに席に着いており、姿勢を崩さぬまま来訪者を待っていた。初老の身でありながら、その佇まいには疲れよりも“静かな威圧”があった。


「閣下、この度はお時間をいただけて感謝します」

 エドガーが帽子を取り、一礼する。


 老紳士は軽く頷いた。それだけで、室内の空気がさらに重くなる。


 カーテンの隙間から差す光さえ、沈黙を避けているかのように細く、弱い。


「先日の件、補足として幾つか確認を――」

 エドガーが調書を開くと、公爵の灰の瞳が一瞬だけ動いた。

 だがそれだけで、再び静止する。


「……令嬢の意思を尊重すると仰いましたね。しかしご本人は“祖父が間違うはずがない”とおっしゃっていました。それほどまでに信頼されている理由を、お聞かせ願えますか」


 クロウリー卿は答えなかった。

 ペン先を紙に落とす音さえ吸い込まれていく。


 沈黙。

 壁の時計が二度、針を刻む。


「……閣下、私は敵ではありません」

 低く、しかし真摯に。エドガーの声が暖炉の火の揺らぎに溶ける。

「法務官として、真実を正確に記録したいだけです」


 その瞬間、老紳士の瞳が僅かに揺れた。

 けれど答えはない。


「……お分かりいただければ、それで構いません」


 エドガーが立ち上がろうとした時、ようやく公爵が口を開いた。


「法務官殿」


 年齢を感じさせぬ、澄んだ声。エドガーが振り返る。


「貴公は――好奇心が強い」


 短い間。

 老紳士は椅子に深く背を預け、その灰色の瞳でまっすぐにエドガーを見た。


「だが……真実は、好奇心の代償に値しない」


 それだけ言うと、視線を炎に戻した。

 再び沈黙が訪れる。


 エドガーは静かに一礼し、部屋を辞した。


 ――では、なぜ面談を受け入れたのか。


 廊下の先、窓の外に広がる庭園で白薔薇が揺れていた。その花弁は冬の光に凍りついたように、透きとおって見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ