6 沈黙の屋敷
王立裁定院の聴取から数日。
朝の霧を割りながら、エドガーを乗せた馬車がゆっくりと進む。
目的地はクロウリー公爵邸。
二度目の聴取は、裁定院ではなく邸内で行うことになった。公爵という高い地位を考えれば、何度も出向かせるのは忍びない――そういう建前で申し込んだが、意外にもすぐ快諾の返事があった。エドガーとしては、法務官としての面談の裏で、観察者として屋敷を見てみたいという下心もあった。
受け入れられたことに、ほっと胸を撫で下ろす。
◇◇◇
邸宅はオルドン西区の高台にあった。重厚な石造りの外壁、黒鉄の門、長く伸びる並木道。冬を越した蔦が絡みつく壁は、手入れが行き届いているにもかかわらずどこか寂しげだ。
門を抜け、案内役の執事に導かれて長い廊下を進む。
敷き詰められた深紅の絨毯、両脇の壁に掛けられた穏やかな風景画――湖を囲う森、夕暮れの丘、霧に沈む川辺。英雄と名高い彼だが、武門の貴族の邸宅でよく見られるような、戦場を描いたものは一枚もない。
廊下の突き当たりに飾られている肖像画に、エドガーは足を止めた。
若き日のクロウリー卿。
凛とした眼差しはそのままに、今よりもやや柔らかい印象を受ける。
――灰色。
あの令嬢の紫の瞳とは、まるで異なる。似ていなくても不自然ではないはずだ。だけど、何故か気になる。
エドガーは小さく息を吐き、その感情を胸の奥に沈めた。
◇◇◇
応接室では、暖炉の火が静かに揺れていた。クロウリー卿はすでに席に着いており、姿勢を崩さぬまま来訪者を待っていた。初老の身でありながら、その佇まいには疲れよりも“静かな威圧”があった。
「閣下、この度はお時間をいただけて感謝します」
エドガーが帽子を取り、一礼する。
老紳士は軽く頷いた。それだけで、室内の空気がさらに重くなる。
カーテンの隙間から差す光さえ、沈黙を避けているかのように細く、弱い。
「先日の件、補足として幾つか確認を――」
エドガーが調書を開くと、公爵の灰の瞳が一瞬だけ動いた。
だがそれだけで、再び静止する。
「……令嬢の意思を尊重すると仰いましたね。しかしご本人は“祖父が間違うはずがない”とおっしゃっていました。それほどまでに信頼されている理由を、お聞かせ願えますか」
クロウリー卿は答えなかった。
ペン先を紙に落とす音さえ吸い込まれていく。
沈黙。
壁の時計が二度、針を刻む。
「……閣下、私は敵ではありません」
低く、しかし真摯に。エドガーの声が暖炉の火の揺らぎに溶ける。
「法務官として、真実を正確に記録したいだけです」
その瞬間、老紳士の瞳が僅かに揺れた。
けれど答えはない。
「……お分かりいただければ、それで構いません」
エドガーが立ち上がろうとした時、ようやく公爵が口を開いた。
「法務官殿」
年齢を感じさせぬ、澄んだ声。エドガーが振り返る。
「貴公は――好奇心が強い」
短い間。
老紳士は椅子に深く背を預け、その灰色の瞳でまっすぐにエドガーを見た。
「だが……真実は、好奇心の代償に値しない」
それだけ言うと、視線を炎に戻した。
再び沈黙が訪れる。
エドガーは静かに一礼し、部屋を辞した。
――では、なぜ面談を受け入れたのか。
廊下の先、窓の外に広がる庭園で白薔薇が揺れていた。その花弁は冬の光に凍りついたように、透きとおって見えた。




