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42 外交官用迎賓館の温室

 王都オルドンの雪は、ようやく止んでいた。

 街は白い息を吐くように静まり返り、外交官用迎賓館の温室には、溶けかけた雪の光が満ちていた。


 厚いガラス越しに差す淡い陽。

 枝の間に残る雪片が溶け、ぽたりと音を立てて落ちる。

 火の弱い暖炉が、ときおり“パチ”と鳴った。


 クロウリー公爵は杖を支え、その傍らに立つ黒いコートの男――エドガー・レイブンズを見上げた。

「エドガー。君をこの場に呼んだのは、見届けてもらいたいからだ。

 法務官としてではなく……私の友として」

「承知いたしました、閣下」

 低く頭を下げ、エドガーは壁際に控えた。

 群青の瞳には雪明かりが静かに反射していた。


 やがて扉が二度叩かれた。

 執事が開けると、北国の冷気と共に青年が現れた。

 赤金の髪に、落ち着いた碧の瞳。

 ノルドレア公国より来た、エリアス・ノルデン。


「ようこそ。遠路ご苦労だったな」

 クロウリーの声に、エリアスは丁寧に礼をした。

「ええ、公爵。……貴国の冬は静かで、どこか優しいですね」


 その穏やかな声が、温室の空気にやわらかく広がる。


 リリアンは椅子の前で一歩進み、ドレスの裾をつまんで礼をした。

 深いプラム色のベルベット。

 雪の光を受けて、金の髪が淡く揺れる。


「はじめまして、リリアン嬢。ノルデン家のエリアスと申します」

「お会いできて光栄です」


 クロウリーはふっと息を吐き、「では、私は少し席を外そう」とだけ言って去った。

 扉が閉まると、残されたのは二人と、エドガーと使用人たちだけ。

 リリアン、エリアス、そして見届人として、沈黙を守るエドガー。


 薔薇の枝先から雫が落ちた。

 雪解けの音が、遠くの鐘のように響く。


「この国に来て、春の匂いを感じました」

 エリアスが口を開く。

「あなたの瞳の色が、その理由を思い出させてくれたのです」


 リリアンは静かに息を呑んだ。

 言葉の奥に偽りのない温もりを感じる。

 ――とても穏やかで、優しい人。

 それがわかるほどに、胸が締めつけられた。


「私は、あなたを妻に迎えたい」

 エリアスの声がまっすぐ届く。

「どんな冬が訪れても、あなたを守ると誓います」


 リリアンは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。

 祖父の顔が浮かぶ。

 あの優しい灰色の瞳が、自分の未来を案じていたこと。

 政略であっても、幸せになれる道を選んでくれたこと。


 ――それに、私は公女。

 恋よりも、国を選ぶ立場の娘。


 それでも。

 雪の光の向こうに立つ、黒髪の男が見えた。いつものように沈黙し、ただ見守っている。

 まるで“別れを告げる空”のように、静かな青。


 リリアンはそっと息を吐き、微笑んだ。


「……はい」


 痛みを内に抱いたまま、それでも前へ進む。


 エリアスは微笑み、深く頭を下げた。

 エドガーは二人の様子に穏やかに笑みを浮かべていた。


 暖炉が“コン”と鳴った。

 白い光が差し、温室の薔薇がひとつ、静かにほどけた。

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