34 沈黙の頁
王立図書院の扉を押し開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
吹き抜けの円形ホールには、天窓から射す光が埃を金色に照らしている。
靴音だけが響き、紙と革の乾いた匂いが静かに満ちていた。
エドガーは受付で身分証を差し出し、閲覧証を受け取ると、迷うことなく二階の「貴族系譜・地誌部」へ向かった。
革装丁の背表紙がびっしりと並ぶ棚の一角に、『アルストリア王国貴族名鑑・アルデン暦920年版』の金文字が見える。
机に置かれた分厚い書物を開く。
ページをめくる指先に、インクのざらつきが残った。
――オルドウィン侯爵家。
当主ハロルド・オルドウィン、妻マリアンヌ。
長男セドリック、長女エリス。
その名を指先でなぞり、次の年版をめくる。
923年、926年、928年――いずれにも記載はある。
だが、931年版には項目そのものが消えていた。
まるで、家ごと王国の記録から抹消されたかのように。
エドガーは本を閉じ、静かに立ち上がる。
灰色の光が、群青の瞳をかすかに揺らした。
次に彼が向かったのは、閲覧制限区域に隣接する外交文書局翻訳資料棚。
そこには各国の法典や貴族録が無言のまま眠っていた。
手袋越しに背表紙を撫で、一冊を抜き取る。
――『ノルドレア公国貴族録・アルデン暦935年版』。
長机に広げ、あらかじめ会計院から取り寄せておいたクロウリー卿の国外送金記録と照らし合わせる。
送金先の地名、時期、通貨単位……それらを並べて追ううちに、一つの家名が浮かび上がった。
ページをめくる。
指が止まる。
“オルテン侯爵家”。
初代ハロルド・オルテン、妻マリアンヌ。
そしてその欄外に、小さく記された出身地――
“アルストリア王国”。
群青の瞳が静かに細められた。
――それで充分だった。
◇◇◇
夕刻、雪が降り始めた。
石畳を踏みしめ、エドガーは王立教会文書室へ向かう。
外套の肩に白い粒が積もり、灯りがぼんやりと滲んでいる。
教会文書室の扉を押すと、古い羊皮紙と香油の匂いが迎えた。
白衣の司書が無言で彼の身分証を確認し、古い洗礼簿の鍵を渡す。
埃をかぶった棚の最上段から一冊を取り下ろし、机に置く。
ページを一枚、また一枚とめくっていく。
――“Eris Ordwin”。
筆記体で綴られた名が、かすかにインクの滲みを残していた。
その右隣、朱色の印章。
〈閲覧制限〉。
王室案件。
法の名の下でさえ、触れてはならぬ領域。
エドガーはページを閉じ、深く息を吐いた。
静寂の中で、蝋燭の炎がわずかに揺れる。
◇◇◇
修道院で亡くなった女性――エリス・オルドウィン。
かつて王城で「有能な侍女」と呼ばれた人物。
そして、名簿から消えた侯爵家の長女。
点と点が、一つの線になった。
この国が、ここまで徹底して彼女を隠した理由。
身籠ってはいけない人物。
確かな証拠は、どこにもない。
だが、思い当たる人物は――
たった一人。
エドワード四世。
エドガーは雪の降る夜道を歩き出す。
肩に落ちる白が、静かに溶けていった。




