32 閑話 休日の朝
「兄貴、おはようございます」
休日の朝。
ルシアンがエドガーの部屋を訪ねると、きっちりと髪を整えたピップが本棚の整理をしていた。
「ずいぶんと働き者じゃないか」
ルシアンが呟く。
彼の手には――廊下でマッケンジー夫人から押し付けられた、朝食の乗った銀のワゴン。
「サーは本当によくしてくれるんです。裁定院の助手として相応しい服までたくさん与えてくれました」
ピップは手を止めず、明るく笑った。
「まぁ、ここを出る時には、こんな綺麗な服で貧民街を歩けないから、売っちゃうつもりですけどね」
朗らかに話す少年を横目に、ルシアンはベッドを覗き込む。
案の定、エドガーはシーツを肩までかぶって寝ていた。
「おい、起きろ」
「兄貴、サーは疲れてるんですよ。寝かせてあげてください」
ピップは湯を沸かしながら振り向く。
「はぁ? ピップ、お前、俺との付き合いの方が長いのに、エドガーの味方か?」
「兄貴はコーヒー派ですよね? マッケンジー夫人から淹れてもらってきますから、お湯見ててください」
そう言って、きびきびと出ていった。
「……えぇー」
ルシアンはワゴンを見下ろし、苦笑した。
「うぅん……? ルシアン、また来たのか」
ベッドの上で、エドガーがのそりと起き上がる。
あくびをひとつして、寝癖のまま目をこすった。
「エドガー、あまりピップを働かせるなよ」
「何もしなくていいとは言ってあるんだが、落ち着かないらしい。だから小遣いをやって、本当に雑用係をしてもらってる」
「……まぁ、本人がそれでいいならな」
エドガーは髪を掻きながら立ち上がり、スリッパを引きずって顔を洗ってから、クローゼットへ向かう。
脚に沿うトラウザーを穿き、白いシャツの襟を立て、クラヴァットを結ぶ。
「このアルストリア王国は、身分の壁が厚い」
「まぁ、そうだな。お前みたいに貴族のくせに、俺やピップと対等に話そうとする奴は珍しい」
「けれど僕は法律家だ。抜け道を探すのは得意でね」
「……つまり?」
「ピップを正式に雇う方法を探してる」
「……本気か。貧民を?」
「まぁ、見ててくれ」
エドガーは微笑むと、ワゴンからトーストがのった盆を取り、机に広げて紅茶を淹れ始めた。
ほどなくして、扉が開く。
「戻りましたー。サー、おはようございます!」
ピップが入ってきた。手には湯気を立てるカップ。
「兄貴、これ、マッケンジー夫人がコーヒー淹れてくれましたよ」
ルシアンはカップを受け取り、一口飲んでからエドガーを見た。
彼はりんごをひとつ手に取り、ピップに差し出している。
「俺はもう朝食いただきましたけど?」
「好きだろ、りんご。もっと食べなさい」
「それでは、お言葉に甘えて……」
りんごを齧るピップの頬がふくらみ、笑みがこぼれる。
エドガーもまた、穏やかな目でその様子を見つめていた。
ルシアンはため息をひとつつき、肩をすくめた。
「……まったく、器用なんだか不器用なんだか分からない奴だな」
暖炉の火が小さく弾け、休日の静かな朝が流れていく。




