31 沈黙の誓い
アルバート・クロウリーは暖炉の前でひとり座っていた。
炎がはぜるたび、かつての盟友――エドワード四世の笑い声が灰の底で揺らぐように聞こえる。
――あれほど熱く、厄介で、そして愛すべき男はいなかった。
◇◇◇
若き日。
王立大学の財政学講義室には、いつも騒がしい男がいた。
金の髪を乱しながら、周囲を巻き込んで議論を始める――
それが、のちのエドワード四世である。
対照的に、アルバート・クロウリーは冷静沈着で成績優秀。
まるで水と火のような二人だったが、奇妙に相性が良く、卒業後も友情は途切れなかった。
――そして幾年後。
王城の財務管理室に、玉座に就いたエドワード四世が現れた。
「アルバート! 力を貸せ!」
国王となってなお、昔と変わらぬ声で――。
クロウリーは驚きながらも立ち上がり、深く頭を下げた。
「命じられれば従います。しかし……なぜ私を?」
「お前の胆力を知っている。大学の頃から、肝の据わった奴だった」
王は笑いながら肩を叩いた。
「戦を終わらせたい。血を流さぬ方法があるなら、見つけてくれ」
こうしてクロウリーは国境紛争――オルデン戦争の和平交渉に赴く。
敵将との密談を重ね、経済封鎖を条件に半年で戦を終わらせた。
功績により財務副長官へ昇進したが、軍部からは
「血を流さぬ卑怯者」と嘲られた。
特に軍務卿家――ハートリー家との溝は深まった。
◇
戦後の荒廃。
財政再建の任を負ったクロウリーは国債制度を導入し、国内経済を立て直した。
激しい反発の中で財務卿にまで上り詰めた日々は、嵐のような時間だった。
――そして、嵐の中心で王と出会ったひとりの女性。
エリス・オルドウィン。
侯爵家の長女にして聡明な侍女。
王より三十も若い娘だった。
王とエリスの関係を知りながら、クロウリーは沈黙を選んだ。
しかし運命は、あまりにも冷酷だった。
王が病に伏せた頃、エリスが王の「寵愛を受けている」ことが宮廷で露見した。
正妃派はたちまち彼女を粛清の対象とし、理由すら告げぬまま修道院へ追放した。
――その時、誰も気づいていなかった。
エリスがすでに命を宿していることを。
それを知っていたのは、王ただひとり。
そして、彼からその真実を託されたクロウリーだけだった。
◇
病床の王は、かつての友の名を呼んだ。
「エリスは私の子を宿している……。
頼む、隠して守ってやってくれ」
クロウリーはその命を胸に、動いた。
エリスをセント・アシュウェル修道院へ密かに移し、オルドウィン家を極秘にノルドレア公国へ亡命させた。
正妃派は「侯爵家が粛清された」と信じ、喝采した。
――だが、彼女は生き延び、静かに娘を産んだ。
その頃、クロウリー自身は娘を事故で失っていた。
修道院で出会った幼子――金の髪、紫の瞳。
よちよち歩きながら笑う姿に、亡き娘とエリスの面影が重なった。
抱き上げた瞬間、胸の奥に何かが込み上げた。
――この子だけは、守らねばならぬ。
それが彼の沈黙のはじまりだった。
◇
やがて正妃派は「王の不義を隠した罪」でクロウリーを告発した。
しかし、エドワード四世は逆に彼へ公爵位を授け、忠義を讃えて罪を帳消しにした。
それが王の最後の采配となった。
遺言にはただ一文。
『娘を守れ。決して、その血を明かすな』
◇◇◇
現王の即位と正妃の死により、宮廷の嵐はようやく静まった。
クロウリーは老いを感じつつ、長年の確執を断つためにハートリー家との婚約を進めた。
リリアンとアドリアン――両家を繋ぐはずの縁。
だがその矢先、ハートリー家は王太子派へ転じる。
もしリリアンの出自が露見すれば、王家そのものが揺らぐ。
彼女は“正統なる王位継承第一位”の血を持つ者なのだから。
誠実なハートリー家が真実を知れば――
必ず動く。止められない。
だからこそ、クロウリーは再び沈黙を選んだ。
エドワード四世の遺志を守るため。
そして、少女の未来を守るために。
◇
老いた指を見つめながら、彼は暖炉に目を戻した。
「エドガー・レイブンズか……」
群青の瞳の青年を思い出し、微かに笑う。
「――彼との出会いもまた、天命なのかもしれんな」




