25 朝の光と影
久々に、霧の少ない晴れた朝だった。
マッケンジー夫人がいつものようにエドガーの部屋に入ると、暖炉の前で火の番をしている小さな影に気づき、思わず声を上げた。
「まぁっ――!」
その声に驚いて、エドガーが裸足のままベッドから飛び起きる。
「夫人、おはようございます……」
「おはようございますじゃありませんよ! その子は一体?」
エドガーはピップの背後に回り、平静を装いながら彼の両肩を支えた。
「彼は裁定院から預かった子で、しばらく助手として働いてもらうことにしました。よろしくお願いします、夫人」
いつもの穏やかな笑み。ピップも頭を下げて、丁寧に挨拶をする。
「しばらくお世話になります。よろしくお願いします」
貧民街の出だとは思えない、落ち着いた声だった。
「……まぁ、そういうことでしたの。驚かせないでくださいな。簡易ベッドを一つ用意しておきますわ」
エドガーは小さく安堵の息を吐く。
「さすが夫人は頼りになります。彼の分の朝食もお願いできますか?」
「はいはい。お茶を淹れたらすぐにお持ちしますよ」
夫人は手際よく紅茶を入れ、ピップには「あとでミルクを持ってきますね」と優しく言い残して出ていった。
ふぅ、とエドガーが息を吐く。
ピップが見上げて言った。
「俺は助手?」
「そうだよ。頼めるかい?」
「サーの助手ができるなんて光栄だ。頑張るよ」
頬を染めて笑うピップに、エドガーは苦笑する。
「程々でいい。……無理はしないように」
身支度をしようと背を向けるエドガーの袖を、ピップが引っ張った。
「まず、足を拭く布巾を持ってきます。座ってて」
言われて足元を見ると、確かに裸足のままだった。
エドガーは大人しくソファに腰を下ろし、ピップが濡らした布巾で手際よく足を拭いてくれるのを眺めた。
「……いっそ本当にうちの子になるかい?」
ピップは声を上げて笑う。
「あはは! 俺は貧民の子だよ。冗談でしょ?」
暖炉の火がまたパチリと鳴った。
◇◇◇
エドガーが出勤したあとの部屋は、どこか柔らかい温もりに包まれていた。
ピップはマッケンジー夫人にくっついて紅茶の淹れ方を教わったり、パンや新聞を買いに行ったりしていた。
暖炉の火の番、資料の埃払い、部屋の整頓――どれも率先してやる。
その頃ルシアンは、ミストラッツの仲間たちの様子を見に行っていた。
全員無事であることを確認したが、ピップを探す黒い外套の男が目撃されていた。
彼らは話し合いの末、ピップを引き続きエドガーのもとで匿うことに決めた。
◇◇◇
「新聞を四部ちょうだい」
ピップはいつものように下宿を出た。
霧に濡れた石畳が朝の光を受け、きらきらと輝く。
“裁定院の助手”らしく見えるようにと、エドガーが買い与えたウールのコートを着て、ポケットから小銭を取り出し、新聞売りに渡した。
次はパン屋へ――そう思いながら振り返った、その瞬間。
通りの向こうで、黒いコートの男がこちらを見ていた。
ねっとりとした視線。
ピップは反射的に一歩後ずさる。
――カツン、と蹄の音。
目の前を馬車が通り過ぎる。
通りの向こう側は、もう霧に溶けて何もいなかった。
ピップは震える手で新聞を胸に抱きしめた。
朝なのに、背筋が冷える。
額を伝う汗が一筋、頬を滑り落ちた。




