24 沈黙の夜
暖炉の火がパチリと鳴った。
橙の光が部屋を照らし、壁に影をゆらめかせる。
ソファには毛布をかけられたピップが、ルシアンの入れたハーブティーを手にしたまま、ぼんやりと火を見つめていた。
ルシアンは肘掛けに腰を下ろし、エドガーは夜着の上からガウンを羽織り、机の椅子に静かに座っている。
「しばらく、ピップは僕が預かる」
机に肘をつき、指を組みながら囁くように言う。
群青の瞳が細められ、火の明かりを反射して一瞬だけ光った。
「そうだな……。頼む」
ルシアンはピップの頭に手を置き、ぽんぽんと優しく叩いた。
「あいつら、俺のメモを欲しがってた……」
ピップの言葉に、エドガーは小さく息を呑む。
立ち上がり、少年の前に膝をついてその顔を覗き込んだ。
かすり傷の残る眉のあたりに、そっと指先が触れる。
「……すまない」
呟くような声に、ルシアンがわずかに眉を上げた。
「話していなかったことがある」
ルシアンは手にした布巾で頬の血を拭いながら、肩をすくめて笑う。
「よくあることだ」
エドガーはふっと息を吐いたが、表情はすぐに翳る。
「修道院からの帰り、黒いコートの男が僕を見ていた。
それから翌晩、“調査をやめろ”と脅してきた」
「つまり、もう目をつけられてたってわけか」
「伝えておくべきだったな……」
「俺もミストラッツも、王立裁定院の犬みたいなもんだ。
相手が貴族なら、危険なんて日常茶飯事だろ」
エドガーがピップの髪を撫でると、「くすぐったいよ」と小さく笑って手をはねのけた。
その無邪気な仕草に、一瞬だけ空気が緩む。
「あれが誰なのか、見当はついているのか?」
「……もしかして、と思う組織はある。
でも、まさか、という気持ちの方がまだ強い」
ルシアンは立ち上がり、服の埃を払った。
そして、いつもの軽い笑みを浮かべて言う。
「俺は貴族が嫌いだが、お前だけは信じる。
お前が戦う限り、俺は一緒に戦う」
その言葉に、エドガーは返す言葉を失った。
ただ静かに頷く。
「今日は帰る。ピップを頼む。また明日、裁定院で」
ルシアンは背を向け、扉を開けて出ていった。
その背中が消えると、部屋には再び暖炉の音だけが残る。
ピップはすでに眠っていた。
ソファにもたれた小さな体を毛布で包み、傾いたカップをそっと取り上げる。
火の光に照らされた横顔は、あどけなく、無防備だった。
「僕が……僕がこんな子どもを巻き込んでしまった」
こぼれた声は、炎の音にかき消されていく。
マントルピースにカップを置き、その手で額を覆った。
「もしあの黒い影が、僕の想像する組織だとしたら……
もう後戻りはできない。
彼らより先に真実に辿り着かなければ、誰かが――」
ぞくりと背を冷たいものが這い上がる。
深く息を吐き、エドガーは立ち上がった。
揺れる火の光が、彼の影を壁に長く伸ばす。
再び、暖炉がパチリと鳴った。
その音が、夜の静寂を締めくくった。




