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19 眠れる獅子

“王立裁定院法務官エドガー・レイブンズ

クロウリー公爵家寄付金に関する会計報告照合のため、寄付受領記録・院内会計記録・国庫控記録の閲覧を申請す。”


 ペン先が紙の上を滑る音だけが、静かな法務官室に響いていた。

 さらに一枚、申請書用紙を取り出し、途切れることなく書き続ける。

 いつの間にか部屋に入ってきたルシアンが、手元を覗き込んだ。ふと、影が原稿に落ち、エドガーが顔を上げる。群青と琥珀、二つの色が交差した。


「エドガー、悪い顔してるな」


 エドガーは左手で頬を撫で、穏やかに微笑んだ。

「僕は紳士だと、よく言われるが?」

「みんな表面しか見てないからさ。お前の部屋を見たら、紳士だなんて口が裂けても言えない」

「それはどうかな」


 淡々と返しながら、最後の一枚を書き終える。数枚の書類のうち二枚を封緘し、文具を整え、引き出しの鍵を確かめて立ち上がる。黒髪がふわりと揺れ、陽の光を青く弾いた。


「書類を出してくる。話したいことがあるから、少し待っててくれ」

「待ってる間に、お茶を食堂でもらってくる。お前の分もだ。カップを寄越せ」

「それはありがたい」


 白い陶器のカップをルシアンに手渡し、エドガーは颯爽と部屋を出ていった。


◇◇◇


「お願いします」

 マルコムに差し出した申請書を、上司は両手で受け取る。朝の光が紙面を白く照らしていた。


「出張申請書と、外部調査員遠方同行許可証……ね。一日でいいのか?」

 マルコムの寝癖は今日も見事に立っている。彼はそれを指でいじりながら、机の奥から印章を探り出すと、ドンと音を立てて許可印を押した。


「はい。寄付照合申請と訪問申請は、これから急報便で出します」

 マルコムは押印した書類を“申請箱”と書かれた木箱に入れ、口角を上げた。

「掴めそうなんだね」

「はい」

 エドガーも同じように微笑む。その笑みは柔らかいが、どこか静かな決意を帯びていた。


 その足で裁定院の急報便窓口へ向かい、王立会計院宛に寄付照合申請を、セント・アシュウェル修道院宛に訪問申請を発送する。

 本日中には届くだろう。

 そして夜には、会計院からの許可証がこちらへ戻ってくるはずだ。


◇◇◇


 部屋に戻ると、ルシアンが予備の椅子に腰かけ、足を組んで紅茶を飲んでいた。

「おかえり。順調か?」

 エドガーは金の懐中時計で時刻を確認しながら席に着く。

「うん。明日、早朝に出発だ。君も一緒に」

「……どこに?」

「セント・アシュウェル修道院」

「何を探す?」


 エドガーは紅茶を一口、ゆっくりと口に含んだ。

「クロウリー公閣下の寄付の記録」


 ルシアンは自分のカップを机に置き、腕を組んで天井を見上げる。

 そして、またエドガーを見る。

「……本命は?」


 エドガーは穏やかに目を細め、机の上で指を組んだ。


「みんなが隠したがる、何か」


 背後から射し込む陽光が黒髪を淡く染める。

 群青の瞳の奥には、深海のような静謐と、鋭い光が同時に宿っていた。

 ルシアンは息を呑む。


「見当はついてるんだ。大丈夫。すぐに見つけてみせるよ」


 エドガーの声は穏やかだったが、その微笑みの下に、久しく眠っていた探求の炎が確かに灯っていた。


 ルシアンは目を細め、小さく呟いた。

「……眠れる獅子を、起こしちまったか」


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