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12 娘の記録

 穏やかな陽が差していた。久々に法務官室の窓は開け放たれ、薄いカーテンがさわさわと揺れる。漆黒の髪は光を受けて青を帯び、群青の瞳もやわらかく映えていた。

 エドガー・レイブンズは机に積み上げた書類の束に向かい、長い指で一枚ずつ丁寧に頁をめくっていく。昼の光が紙面に反射し、彼の睫毛の影を白く縁取った。


「確か、リリアン嬢は十八だったな」


 呟く声が静かな部屋に溶けた。

 クロウリー卿の家族に関するあらゆる記録を取り寄せ、机の上には系譜や雇用記録、医師の診断簿までが整然と並んでいる。娘とその夫――二人がどこで生まれ、どんな教育を受け、誰に仕え、いつ王都を離れ、どこで暮らしたのか。

 エドガーは資料の海に潜りながら、欠片のような記録を拾い上げては繋いでいった。


 クロウリー卿の実娘は十七年前に、夫と共に馬車の事故で亡くなっていた。彼女は短い生涯を、クロウリー卿――当時はまだ侯爵――のもとで、王都で過ごしたようだった。


 ――そのはず、だった。


 手が止まる。

 まさか、と思い、頁をめくり返す。

 いくら探しても、“それ”がない。


 彼女はいつ、どこでリリアンを産んだ?


 侯爵家の令嬢の出産記録が、存在しない。

 熱を出した記録さえ残っているのに、出産だけが空白のまま――。


 エドガーは小さく息を呑んだ。


 整然と分類した書類の束を睨み、次の瞬間、引き出しの鍵を捻って中を開く。婚約に関する資料、養育記録、王都での戸籍写し。すべて読み込んだはずなのに、なぜ見落としていたのか。


 リリアンの出生地は――どこだ?

 産婆の名は? 医師の署名は?


 空欄。


 群青の瞳が紙の上で固まる。

 ゆっくりと顔を上げたその時、扉が開いた。


「やぁ、エドガー」

 ルシアンが金髪を掻きながら入ってくる。手には調査書類。

「爺さんの娘の件だけど、王都の外で出産したのかもな。医者を当たってみたが、掴めなかった……って、おい、顔が真っ青じゃないか」


 エドガーは呆然としたまま言葉を紡ぐ。

「……産んでいないのかもしれない。リリアンは、彼女の娘じゃないのかもしれない」


「え?」

 ルシアンの眉が跳ね上がる。


 エドガーの唇が震えた。自分がいま、触れてはいけない扉の取っ手を掴んでしまった気がした。

 風が吹き込み、白いカーテンが波打つ。

 その音は、まるで嘲るように――柔らかく、静かに、部屋を包んだ。

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