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1 霧の都の法務官

――新聞記事の見出し


『クロウリー公爵、孫娘の婚約を一方的に破棄』

『かつての英雄、晩節を汚す? 社交界騒然』

『裁定院、前例なき貴族間訴訟を受理』


――街の噂


「見た? 新聞。あのクロウリー公爵が孫娘の婚約を壊したんだって」

「英雄様の老いぼれ癇癪だとか」

「いや、なにか裏があるらしいよ。王家筋が絡んでるって話も――」

「ばか、口が滑るぞ。ここはオルドンだ、霧より耳が多い」


 石畳を濡らす霧の街、オルドン。

 朝の鐘が遠くで鳴る。

 靴音と馬車の軋み、新聞売りの声、煤けた街角に人々の噂が漂っていた。


 その中を、青みを帯びた黒い髪の男が歩いていく。黒革の細い紐で後ろに束ねた髪が、朝の風に揺れた。


 エドガー・レイブンズ。王立裁定院の法務官である。


 新聞売りの少年から新聞を一部買うと、群青の瞳が素早く活字を追い、ひとつだけ小さく頷いた。丁寧に紙を畳み、脇に抱える。磨かれたブーツが石畳を打ち、ダークブルーのコートの裾が霧の中に揺れた。


 花売りの少女と目が合うと、彼は静かに微笑んだ。少女の頬が赤くなる。


 馬車の轍がガラガラと響く。遠くではガス灯がまだ灯っている。

 今日も、オルドンの街は霧に沈んでいた。


 彼は颯爽と、石造りの重厚な王立裁定院へと歩を進めた。


 こうして、今日も法務官エドガー・レイブンズの一日が始まる。


◇◇◇


 聴取室の扉に手をかけたとき、ふと視線を感じて顔を上げると、年若い女性が廊下の椅子から立ち上がった。


 窓からの淡い光に金の髪が透けて輝く。上質なラベンダーのモーニングドレスに、整えられた髪。おそらく――これから面談する人物、クロウリー公爵の孫娘。


「こんにちは。担当させていただくことになりました、法務官のエドガー・レイブンズです。よろしく」


 ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳は、薄紫。真っ直ぐにこちらを見つめていた。


「……はい」

 小さいが、芯のある声。


「お嬢さん、あちらに親族用の待合室もあります。

 ここは冷えますから」


 通りがかった職員に「案内して差し上げて」と声をかけ、エドガーは一度だけ彼女に視線を戻して目礼した。

 リリアン・グレイ――

 名だけを胸に刻み、扉を開ける。


 少女は唇を噛み、静かに頷いた。職員に導かれ、足音も立てず廊下の奥へと消えていった。


◇◇◇


「お待たせしてしまいました。担当することになりました。法務官、エドガー・レイブンズと申します」


 机の上で指を組み、正面の老紳士を見据える。


「ご存じの通り、裁定院では貴族間の契約紛争を裁定・調停いたします。

 証拠と証言を整理させていただきたい。お時間を頂戴しますが――よろしいですね、

 アルバート・クロウリー公閣下」


 淡い金の髪を撫でる風。老紳士はゆっくりと頷いた。


 かつて国を救った英雄。今はその名をもって、世を騒がせる人物。その存在だけで、部屋の空気が一段重くなるようだった。


 エドガーは静かに息を整え、薄く笑んだ。

 これから訪れるであろう嵐を、心のどこかで悟りながら。


――沈黙の公爵を前に、波乱の幕が上がる。


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