異なる結末: 3.1 風間との対峙
石造りの家の一番奥の部屋。薄暗い部屋の中では、椰子油の炎がゆらゆらと揺れていた。空気のよどんだ部屋の中は、窓を閉め切っているためサウナのような暑さだった。風間は粗末な机を前にして向こう向きで座っていた。こちらが近づいていくのを知ってか知らずか、まったくピクリとも動かず、何かを読んでいる姿勢のまま、一言も発しない。炎の光によって、風間の姿は影絵のように大きく、彼の机の前の壁にゆらゆらと揺らめきながら映し出されている。彼が気づかないはずはない。
短く刈り込まれた髪はほとんど坊主に近かった。ベドウィンが着るような麻の布を肩からドレープのように垂らしている。そばには銃が無造作に立てかけられているが、弾倉は装填されていない。弾薬切れなのだろうか。
風間は、なぜ自分を解放したのか、その理由を最後に聞きたかったのだ。そしてもう一つは、彼の真意を。もうすぐここは爆撃される。すでに正確な座標は戦術ビーコンの緊急信号装置で司令部に電送済みである。1時間もしないうちに、2000ポンド爆弾が正確なレーザー誘導でこの家の真上に降り注いでくるだろう。武沢が造反した理由、それを風間は知る必要があった。
武沢はゆっくりと口を開いた。「彼らが戦っている場は生活の場だ。彼らは戦いが生活だ。彼らは戦うことが生きる事だ。彼らに勝つことはできない。どんな超大国でも。アメリカでも日本でも。それは同じだ。すでに多くの同胞が死んでいる。悲しみと憎しみが唸りを上げて増殖している。すべてを根絶やしにしない限り、我々の勝利はない。我々とは君たちの立場のことだ。すでに私は我々でもなければ彼らでもない。人は生まれ変われると彼らは信じている。生きることと死ぬことは対極にはない。始まりの終わりであり、終わりの始まりだ。土足で踏み込んでくる人間を殺すことに、誰が文句を言えようか。家族や友人を殺した仇討ちをすることを、誰が咎められようか。この国の歴史は戦いの歴史だ。侵略も防衛も区別はない。国益も国家の威信というのも存在しない。ただ生きるために殺す。それだけだ。君はいままで何人殺してきた?」
彼はそう言って本を閉じると、こちらをゆっくりと振り返った。顔の半分が闇に埋もれ、残りの半分だけが揺れる炎に金色に浮かび上がっている。初めて見た彼の顔だった。ややこけた感じのがっしりとした顎をもつその男は、閉じた本の上に両手を重ねると、伏せていた目を上にあげた。射貫かれるような眼差しだった。深く彫り込まれた鼻梁に、抉られるように鋭い眼孔。濡れたような鳶色の瞳。戦士の目であるというより、敬虔な牧師か位の高い僧侶のそれに近かった。丁寧に剃られた頬には、うっすらと汗が滲んでいる。口は真一文字に結ばれ、無駄な言葉は一言たりとも発しないという精神を感じる。その顔貌にしばし圧倒され、自らが彼に問われていることを忘れてしまっていた。
「忘れてしまったか、それとも数え切れないほどか、さもなくば知らないか。おそらく最後の答えが君の答えだろう」
風間はふと我に返った。何人殺した。知らないのが君の答え。そう、俺は何人の人間を殺したのか。目前の人間が自ら撃った弾丸で倒れていく姿は、記憶の奥底を探してもなかった。銃撃を受ければ応戦する。だが、銃で弾幕を張り、ロケット弾で黙らす。タンクで砲撃を受ければ、最新式の誘導弾の照準器に飛びつき、クロスヘアの中心にそいつを固定し、後はボタンを押す。数秒後にレンズの向こうで白い煙と赤い火柱があがればそれで終わり。目前で人が死んでいく姿は同僚では多く見た。だが、敵兵が自らの弾丸で死んでいったと確信できるものはなかった。
「我々は信じられないほど多くの人間を殺戮してきたが、兵士たちにはその100分の1もその意識はない。だが彼らはそうじゃない。君たちが同胞を殺されたことを痛烈に記憶しているのと同じように、彼らも同胞の死を記憶する。そしてその数は数千、数万という数だ。彼らにとって戦死することは日常的な死とほとんど変わりはない。むしろ光栄な死だ。神は彼らの中の一人一人に絶対の忠誠を要求する。死は神に捧げる忠誠の証だ。恐れる物はない。」
武沢は、現在の戦争がアメリカの国益を守るための戦争であり、それ以上でも以下でもないことを語る。この国の民主化は、お飾りに過ぎない。実際彼らがやっていることは人殺し以外の何物でもない。ナジャリフは今回の電撃作戦の要の街だった。伸び切った補給路を維持するためには、あそこにロジスティクス上の拠点を早急に作らねばならなかった。そうしなければ、最前線で展開する最新の兵器で武装した精鋭部隊はひからびて絶好の標的になるだけだった。5万の地上軍の損害を最小限にするために、一つの街を街ごと破壊する必要がそこにあったのだ。街は、タンクによる無差別攻撃と航空機による絨毯爆撃を敢行した。実際は孤立した軍隊を救援に行くために派遣された戦車や航空機による攻撃といった生やさしいものではなかった。それはあくまで情報リークを前提にした2次工作だったのだ。
精悍な顔つきに、神々しい威厳を備えた表情から淡々と語るその口調は、なんの飾り気もなく、何の気負いもないストレートに風間の心をつらぬく言葉だった。「私は兵士だ。敵を殺すのが仕事だ。だが殺人鬼ではない。命令が下されればどんな作戦でも遂行するというロボット人間でもない。戦いには意味がある。私はこの戦いの意味を見失った。だから戦列から離れた。」
「ここには女子供もいる。もちろん反政府ゲリラもだ。情報部は何と言っているか。おそらく一般市民の存在は否定しているだろう。あの時と同じだ。我々は同じ過ちは繰り返さない。」
「殺される恐怖、苦しみを味わう恐怖、存在が抹殺される恐怖、すべての恐怖を味わった。恐怖は人の精神を崩壊させる。冷静な判断力を失わせる。大地が震えんばかりの砲爆撃、肺の奥まで焼けてしまうかのような熱風、」