第一章:深まる闇 1.1 極限の尋問
舞台は、異国の砂漠地帯にある、朽ちかけた石造りの家屋。日本派遣部隊の分隊が、ある男を捕らえ、尋問を行っている。分隊長である弘道曹長は、普段から口数が少ないが、その日の彼は明らかにいらだちと怒りの極地にいた。彼の目は口以上に意思を語り、その殺気に満ちた雰囲気に、腰巾着の須藤も怯え、心配顔でそばに控えている。
捕まった男は、がんとして口を開こうとしない。彼の隣には、恐怖に怯えた表情で、その様子を上目遣いで伺う幼い子供がいる。通訳を担当する富沢は、必死で弘道の言葉を現地語に訳し、男に伝える。富沢は内心、「こいつは本当にただの民間人で何も知らないんじゃないか。実際子供を連れて井戸に水をくみに来ただけだろう。曹長は少しやりすぎだ」と感じている。有里もまた、この殺気立った尋問の様子に恐れを抱いている。
富沢は弘道の言葉を繰り返す。「日本人の部隊はどこにいる。すでにここにいることは分かっている。場所を言いさえすれば、子供と一緒に解放する。そうでなければ命の保障はできない。」富沢は弘道の言葉を必死になって現地語で繰り返す。曹長は本気であり、実際にやりかねないと、分隊の誰もが理解していた。
分隊に与えられた任務は、「部隊の存在の確認と、その居場所の特定」。この人質から一言を絞り出させれば、この危険で不条理な任務から解放される。そのことについては、そこにいる全員が理解していた。だが、その目的のために「どんな手段をとっていいのか」については、混乱と動揺が広がっていた。少なくとも曹長のやり方は強引だと感じているが、誰も自ら口出しをしようとはしない。自ら手を下すことはためらうが、他人がその行為に出ることには直接阻止しない、という暗黙の了解があるかのようだ。というよりも、誰も曹長に逆らうことができないのが現実だった。
弘道の足が、再び男の向こう脛に飛んだ。男は呻き声をこらえながらも、痛みに耐えるためにもがき苦しむ。しかし、その顔には諦めと同時に、確固たる意志が見え隠れしていた。彼は明らかに兵士だった。しかも筋金入りの。このような拷問的尋問に屈することなく耐えるのは、普通の民間人ではありえないことだ。この確信が、弘道をさらに凶暴にさせた。
「俺がいつまでもこの程度の尋問で終わっているとでも思っているのか」弘道はそう言うと、壁際まで行き、立てかけてあった銃を取り、素早く構えた。眉間に向けられた銃口を、その男はぐっと見返し、一寸も引かない構えを見せている。
「やばいぞ」有里が呟いた。須藤も思わず曹長の肩を掴み、後ろに引いた。弘道曹長はその手を肘でガッとほどき、須藤を睨みつけた。猫に睨まれたネズミのごとく、須藤はおびえた表情で口を開けたまま、後ずさりをした。
「やつに言え、3つ数えるうちに言わないと、引き金を引くとな。すぐに訳すんだ」唖然とした表情で事の成り行きを見ていた富沢は我に返って、慌てて現地語で男に伝えた。何度も繰り返し富沢は伝えたが、男は弘道から向けられた銃口を睨みつけたまま身動きしない。
恐ろしい沈黙の中、ついに須藤がカウントダウンを始めた。「いち」長く伸ばすようにファーストカウントを取る。男は動じることなく、鋭い視線を須藤に投げかけている。「に」さらに長めに語尾が引かれる。富沢も同じタイミングで現地語の数字に読み替え、カウントする。二人の声がダブりながら、静まり返った室内に響き渡る。
「さん」短く切られたファイナルカウントを、富沢が男に伝えようと最初の母音を発音しようと口を開けた。
「バーン!」銃声が響き渡った。男は後ろで縛られた状態で後ろに倒れ込んだ。周囲の兵士たちの顔が恐怖で引きつった。男は靴の上から足の甲を銃で撃ち抜かれ、苦悶の表情を浮かべている。ブーツからは黒い染みがみるみるうちに広がっていく。弘道はとっさに銃口を下げ、足を撃ったのだった。
「次は頭だ」弘道は駆け引きに負けたことに動揺し、最後にわずかに残った理性のかけらを失おうとしていた。男は完全に死を覚悟していた。そういう男に再び銃口を向けても無駄だということは、曹長自身が一番よく分かっているはずだった。弘道はついに常軌を逸した手段に出た。
腰から自動拳銃を抜くと、腰巾着の須藤を蹴り飛ばし、彼の横にいた男の子を羽交い締めにし、その眉間に銃口を当てて、自ら野獣のように現地語で叫んだ。「撃つぞ、撃つぞ!」彼は狂っていた。「曹長は狂っている」有里が呆然とした表情で独り言のように言った。
さっと周囲に緊張が走った。人質、しかも子供を殺すということが実際にこの場でおこれば、まさにそれは残虐な殺戮以外の何物でもない。そして、それに関係するということは、任務終了後も軍法会議で長期間にわたって尋問を繰り返されることを意味する。実行者である曹長は銃殺を免れないだろう。
有里は男の体を揺すり、必死で現地語で説得している。男は形相を一変させ、狼狽の表情が隠せない。曹長は泣き叫ぶ男の子の体をその二の腕でがっちりとはさみ、今まさに右手の拳銃の引き金を引かんとした。
「よせ!」男が驚いたことに日本語で叫んだ。曹長は引き絞ろうとした引き金から手を放した。周囲の兵士も皆一瞬驚き、動きを止めた。
「よせ、放せ、すべて話す。日本人の兵士たちはいる。確かにいる。」男は膝をがっくりと折り、突っ伏した。