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六章・|謁見《Le Fol》

「ん……ふ……うぅ……」

 オリヴィエはベッドの上で寝転んだまま、やをら大きく伸びをした。

『おはようございます、オリヴィエ。よく休めましたか?』

「ふああ……。おはよー、アンジェ」オリヴィエは寝ぼけ眼で答えた。「うん……こんなふかふかのお布団初めてだからおかげでぐっすり……。いまなんじ?」

『いまちょうどお昼を回ったころです。先刻(さきほど)からシャルル王子が外でお待ちですよ』

「ふぇ? そーなの……?」

『ええ。オリヴィエがいつ起き出してくるかわかりませんから、声もお掛けにならず外でずっとお待ちだったのです。今度は王子のほうが待ちくたびれて眠ってしまいそうですよ』

「そっか……それは悪いことしちゃったな……。んっしょっっと……」

 そう言ってオリヴィエはベッドをあとにすると、部屋の扉を開け外に出た。

「お、おはよう。オリヴィエ」

 腕を組んだ状態で壁に凭れかかり、うとうとしていたシャルル王子は、扉が開いた(こと)に気がつくと少し、慌てたように、少し、恥ずかしそうに言った。

「おはよー、シャルル。僕が起きてくるのずっと待ってくれたの?」

「い、いや、そんなことはない。僕もちょうどいま来たところさ」

「えへへ、そんな偶然あるんだねえ」

「そ、そうだな、僕自身とても驚いているよ。せっかく出てきてもらったところ悪いけれど、廊下(ここ)で立ち話というのもなんだから中で座って話そうか」

「うん、わかった」


 ――「そうか、そんなことが」

 オリヴィエは昨晩(ゆうべ)あった出来事、長髪の男の語った内容を、アンジェの手を借りながら事細かに話した。

「うん……したっけ、顔洗ってきてもいーい? 寝癖もなおしたいし……」

「あ、そうだね、ごめん。寝起きに押し掛けてしまって」

「んーん、大丈夫。国の一大事だったんだし。そりゃ、きになるよね」

「爺や! いるんだろう?」

 シャルル王子が声を張り上げると、すぐに老夫が入室してきた。

「はいはい、お呼びですかな」

「『はい』は一回でいい。悪いがオリヴィエを洗面所へ案内してやってくれるか? 僕はその間に父上に謁見予約(アポイントメント)を取り付けてくる」

「畏まりました。仰せのままに」

「ああ、あとついでに朝食も食べさせてやってくれ。まだ起きたばかりだから何か軽い物がいいだろう」シャルル王子はオリヴィエのほうへ向き直る。「……オリヴィエもそれでいいかい?」

「うん、ありがとう」

「さ、それではオリヴィエ様、こちらに」

 そうして二人はそそくさと部屋を出ていった。


 一人残されたシャルル王子は窓のほうへと歩み寄った。窓ガラスに手をつき、窓の外を眺め考え耽る。――そこに見ゆるは雲一つなき晴れ渡る青空。いままさに、ぽつりぽつりと雨が降り出していた。

 〈しかし、帝国はどうしていまになって世界樹の奪取など? 世界樹の恩寵が普く世界に降り注ぐことなどとうの昔に理解しているはず……。数年前から衰弱し始めている世界樹と、それに伴い徐々に失われつつある世界樹の加護。何かに取り憑かれたように人が変わってしまったという帝国宰相と帝国軍兵士。これらが無関係だとはとても思えない……。そして、このタイミングで不吉を告げるかのようににわかに降り出した狐ノ嫁入リ。何かの凶兆(まえぶれ)でないとよいのだが……ええい、いかん。どうも僕は物事を悪いほうへ悪いほうへと考えてしまうきらいがある。得てして悪い予感ほど当たるものだ。できれば考えたくはないものだな。……キルシュ帝国が何か事を起こす前に一度内情を探りたいところだが……オリヴィエを単身敵地に送り込む、というのはあまりにも危険すぎる……。かといって、オリヴィエ以上の適任がいるわけでもなし……。さて、どうしたものか……。――っと、いけないいけない。そろそろ父上のもとへ向かおう。あまりのんびりしていてはオリヴィエが戻ってきてしまうからね〉


 ――「ごめん、待たせたかな?」王子は扉を開けながらそう言った。「……って、まだ戻ってきてないのか」

 と、そこへちょうどオリヴィエが扉を開け入ってきた。

「すごいねえ。侍女(メイド)さん? 顔洗うついでに体まで綺麗にしてもらっちゃったよ」

「仮にも王宮だからね。メイドの一人や二人――いや、百人や二百人くらいわけもないさ」

「ほえ~、すごいねえ。シャルルいつも綺麗に(あー)してもらってるの?」

「まさか。それは子供のころの話さ。僕ももういい大人(とし)だからね」

「ふ~ん。“はんこーき”ってやつ?」

『それは“思春期”ではないでしょうか』

「そーだっけ?」

「――オリヴィエ。君は僕に側近として忠誠を誓えるかい?」

「アンジェ、『ちゅうせー』って?」オリヴィエは小声で言った。

『“真心でもってお仕えする”つまるところ裏切らずの誓いを立てるということです。ちなみに「側近」というのは王子のおそばに立って支える者のことです』

「んー……」

『こういうときは素直に一言、「誓います」と言えばそれでよいのです』

「僕はシャルルよりもアンジェのほうを信頼してるし――」

『オリヴィエ!』

「もしもシャルルとアンジェで意見が食い違うときがあれば悪いけどそのときは僕はアンジェの肩を持つよ」

「そうか……それが君の“答え”か」

「うん。それに……もしもシャルルが間違った道に進もうとしてたら、それを止めてあげなきゃ。だってそれが側近(ぼく)の役目でしょ? だから僕は『ちゅうせー』を誓えない」

「ふっ。ははは!」シャルル王子は高らかに笑う。

「何が可笑(おか)しーの?」

「オリヴィエ、その腹心(うらおもて)のないところは君の魅力(いいところ)だよ。やはり君は僕の見込んだ通りだ。僕を(ささえ)る、いや、この国を(ささえ)る最高の側近(ナイト)となるだろう。君のその天衣無縫たる純真さは、やがてこの国の()く末を照らす光とならん」

〈“てんいむほ……”“たるじゅんし……”“やがて”??〉

 オリヴィエは王子の言葉の意味がわからずぽかんとしていた。

「そんな君だから――そんな君だからこそ、世界樹は君を選んだのかもしれないね。……正直ずっと疑問だったんだ。なぜ長年世界樹を(つかさど)ってきた王家の者に世界樹の声が聞こえないのか。どうして僕ではなく、他ならぬ君を選んだのか、と。……君の活躍を耳にするたび、まるで僕の無力さを責め立てられているようで息が苦しくなる」

『それは違いま――』

「それは違うよ! だってアンジェ前に言ってたもん! 『シャルルを助けることが世界を救う鍵になる』って! それってつまり、シャルルにはシャルルにしかできないことがあるってことでしょ?」

『オリヴィエ……』

「……いささか世界樹は僕のことを過剰評価し(かいかぶり)すぎているきらいがあるね。どうしてそこまで高く評価してくださるのか……僕にはとんと見当もつかない。これといって思い当たる節がないからね」

「シャルル……」

「でもいまは、世界樹を……そして、世界樹を信じる君の言葉を信じよう。……たとえそれが仮初の慰みであったとしても」

「自信を持って? シャルル。世界樹がシャルルを助けるように言うってことは、きっと何かできることがあるはず。そんな卑屈にならないで」

「ありがとう」

 王子はそう言って悲しく微笑んだ。


 ――「オリヴィエ、お願いだから父上の前ではおとなしくしておいてくれよ。威圧的な風貌と態度ではあるが、あれでいて豪放磊落(かんよう)な人だ。いちいち君の不躾な言動に腹を立てるなどということはないと思うが――」

「『かんよー』?」オリヴィエは小声で呟いた。

『おおらかで優しいということですよ』

「ふーん。それじゃシャルル王子が優しいのはおとーさんに似たんだね」オリヴィエはなおも小声で囁いた。

「――君の言動いかんでは“臣下の制御もできん愚かな王子だ”と、俎上に載せられないからね。大丈夫かい?」

(よー)はシャルル王子の顔に泥を塗らないよーに気をつければいーんでしょ!」

「……そんな言い回しをよく知っているね。少し驚いたよ。それよりも……本当に大丈夫かい? 君が自信満々だと不思議と不安に苛まれるのだが……」

「あー! ひどーい! 僕のことを信用してないね!」

「もちろん信用しているともさ。そうでなければ召し抱えるわけがないだろう?」

「それはそうだけど……。うう、なんだかうまくはぐらかされたような……」

「別にはぐらかしてなんかいないさ」

「まあ、僕に任せといてよ! 息を止めるのは得意だからさ!」

「『別に息を止める必要などどこにもないのだが……」ですが……』二人揃ってそう言った。


 ――鷹揚(おうよう)を体現したかのような風貌の大男を前に、オリヴィエは珍しく萎縮していた。

「父上、この者を私の近衛兵に推薦したく存じ、馳せ参じ参りました」※脚注:王子が、自身が謙譲語を使う立場であることを強調するため(王子から国王に対する強調表現)及び、「馳せ参じました」よりも「馳せ参じ参りました」のほうが語感がよいため、あえてこのような表現をした

「聞き分けのよいお前から頼み事を申すなど珍しい」

「この者――」

「話さずともよい。その者の功績、その仔細については一切合切セバスチャンよりすでに聞き及んでいる」

「はっ。さいでございましたか。彼女の聞きしに(たが)わぬその実力、ゆくゆくはこの国を……いえ、ひいてはこの世界をも救う存在であると確信しております」

「ふむ。お前にそう言わしめるだけの根拠はあるのか?」

「いえ……明確な根拠はなく、これはあくまでも私の直感にすぎません」

「“直感”……お前はそんな不確かなものに縋る王に民がついてくると思うのか?」

「……国王といえど所詮は人間。人間たるもの、すべてを理解し、すべてを推察することなど到底叶いません。時として、“己の直感を信ずることも必要である”と、そう愚考いたしております」

「ふっそうか。ははは! よい! それでこそ王たる器よ! いかに有能な家臣を抱えようと、いかに情報を集めようと、最後にそれを信じ、決断を下すことができるのは己のみ。自分を信じることのできない人間に民は導けん。お前の信じる直感を私も信じよう。お前の好きにするとよいだろう。……その者には執事セバスチャンと同等の権限を与える。城の者にもそう触れ回っておこう。安心して過ごすとよい」

「ありがたき幸せ! 父上の温情、痛み入ります」

「……それよりも大丈夫であるか? 先ほどから顔を真っ赤に染め、体を小刻みに震わせておるが……」

「ちょっ! オリヴィエ! ほんとにずっと息を止めていたのかい?」

「……ぷっ! はぁーっ……はぁーっ……」

「はー、ほんとに君というやつはつくづく間抜けだな……」

「ひ、ひどい……。シャルル王子に恥をかかせないよーにいっしょけんめい頑張ってたのに!」

「ふっ、ははは! よき友を持ったな、シャルルよ。“王として”ではなく、しがない一人の“父”として誇らしく思うぞ」

「ち、父上……」

「そなた、名をなんと申す?」

「はっ。それがし名をオリヴィエ・テスタロッサと申しますです! ボンワール村の出自にして――」

「よいよい。何もそこまでは聞いておらぬ。……オリヴィエと申すか、よき家臣として、よき友として、シャルルを支えてくれればそれでよい。おぬしの働きには私も期待しておる。精々励むがよい」

「はっ。精進いたします」

「うむ。それでよい。これからはおぬしの責はシャルルが負うこととなる。おぬしの言動はシャルルの写し鏡でもあるということ。努努忘れるでないぞ」

「肝にめーじておきます!」

 小声で言う。

「アンジェ、写し鏡って何」

『先ほど国王様が仰った通りです。あなたとシャルル王子は鏡で写したように表裏(おもてうら)一体。あなたの起こした言動はすべてシャルル王子のものとして扱われる。だから言動には気をつけなさいということです』

※正しくは「ひょうり」だが、アンジェがオリヴィエに伝わりやすいよう気遣いあえて「おもてうら」と発言している。

「ひょえ~。責任じゅーだいじゃん」

『そうですよ? この国にとって忠誠の誓いを立てる、君弟(くんてい)の契りを交わすというのはそういうことです』

※君弟:主君とその直属の配下。造語。

「えー!? アンジェそんなこと教えてくれなかったじゃん!」

『私は“忠誠”という言葉の意味しか聞かれていませんからね』

「それにシャルルだってそんなこと一言も言ってなかったじゃない!」

『それはシャルル王子の覚悟の顕れでしょう。あなたの起こした問題、そのすべての責を負うという。それだけあなたを信頼しているということでもあります』

「そーなんだ……ちょっとうれしーかも」

『絶大な信頼を得ているというのに、“ちょっと”で“かも”なんですね……』

「――すまないが、公務があるので私はこれで失礼するよ。オリヴィエくん、シャルルのことをくれぐれもよしなに頼む」

 そう言ってラフランス国王はイソイソ、イソイソ、と(せわ)しそうに()けていった。

「さ、それじゃ僕たちも部屋へ戻ろうか。いつまでもここにいるというわけにもいかないし」

「うん、わかった。……どーしたの? そんな鳩が豆でっぽーくらったよーな顔をして」

「いや、オリヴィエのことだからどうせ『玉座に着いてみたい』などと言い出すだろうと身構えていたものだから、君のその事のほか聞き分けのいい態度に少し肩透かしを喰らってしまってね」

「ひどーい! いくらなんでも僕だってそれくらい弁えてるよ!」

「すまない。少し君のことを(みくび)りすぎていたようだ」

「もー。シャルルの中の僕の人物像(イメージ)ちゃんとじょうほーしゅうせーしといてよね!」


 ――「さて、これでひとまずは君たちの当初の目的であった僕に(かしず)くという目的は果たされたわけだが……。当面(こんご)の見通しはあるのかい?」

『私が以前目にした予見(ヴィジョン)は王国が火に飲まれ、シャルル王子がその命を落とすところまでだったので、それ以降のことは私にも何もわからないのです。それに、私たちがシャルル王子を救ったことで元の未来からは大きくかけ離れてしまっているでしょうし――いえ、私たちがシャルル王子を救うことも始めから織り込み済みだったのかもしれませんが……』

「んー? なんかいろいろ言ってるけど、この先のことはまだアンジェにもわからないみたい」

「そうか……。であれば、僕からアンジェくんにぜひともご提案……というよりも、ご相談したいことがあるのだが……」

『なんでしょう?』

「『なんでしょう?』だって」

 シャルル王子は「こほん」と咳払いをしてからオリヴィエに向かって言った。

「オリヴィエ。いまから話すことはくれぐれも他言無用で頼むよ」

「『たごんむよー』?」

「絶対に人に話してはならないということだ」

「わかった。安心して? 僕、頭はかたいから」

「……それだと困ったことになってしまうのだがね……。いいかい? これから話すことは王宮関係者でさえ極一部の人間しか知らない最重要機密(トップシークレット)だ。市井に漏れれば無用な混乱を招く恐れがある」

「? よくわかんないけどそれだけ大事なことってことだよね?」

「ああ、そう思っていてくれて構わない」

 〈コトコトコトコト。お鍋のようですね〉

「――それで、アンジェくん……いや、ここはアンジェさんと言うべきか」

『な、なにもそんなに畏まってくださらなくても!』

「『そんなにかしこまらなくてもいー』って」

「む、そうか。では早速本題に入らせてもらおう」

 そう言ってシャルル王子は少し改まった。

「ご相談、というのも他ならぬ世界樹のことでして……当然ご存知だとは思うのですが、近年世界樹はその恩恵(ちから)に翳りを見せていまして……。城に保管されている古の文献も当たってはみたのですが、このようなことは建国史上(ゆうしのかぎり)初めてのことのようで、我々の力だけではにっちもさっちもいかず、考えあぐね、ついには手をこまぬいていたのです……。それで、世界樹の精様ならば何かご存知かと……」

『……オリヴィエ。これから私の話すことを一言一句逃さず伝えていただけますか?』

「うん、わかった」オリヴィエは頷いて言う。

『では行きますよ』

「『まずはわたくしどもの不手際で無用(むよー)なご心配をおかけしたこと、切に(もー)し訳なく思います。そして、ご心配くださったことに謝辞の念を述べたいと思います。誠にありがとうございます。……そんなにご心配に与らなくとも大丈夫でございます。わたくしどもは、世界樹を快復させるためにやってきたのですから。……詳しいことは何一つ話せず誠に申し訳ありませんが、わたくしのほーからはいまはただ、“信じてお待ちください”と、そう告げることしかできないのです。弱りゆく世界樹の復活を果たすためにも、願わくば、どうかこれからもオリヴィエにお力添えをいただけますとこれ幸いです。……以上、僭越ながらわたくしの意見(ことば)を述べさせていただきました』」

「ふむ……。やはりそうか、君たちはそのために……。薄々そんな気はしていたのだけれど……」前屈みになって傾聴していたシャルル王子は、口元に丸めた手を当てやや斜め下を向き、独り言のようにそう呟いた。「……世界樹を快復させることと、そのために君たちが僕を手助けすること。これら二つにいまだなんら関連性も結びつきも感じられないが……」

 シャルル王子はほどなくして(おもて)を上げると、頷きながら、

「わかりました。貴重な話を聞かせてくださり、本当にありがとうございます」と言った。

『……そんなに感謝されるようなことはしていません』

「アンジェが『気にしなくていー』って」

 オリヴィエの言葉にシャルル王子はこくりと頷いてみせた。

「それで、もう一つの(けん)なんですが……実は、キルシュ帝国が何か事を起こす前に一度探りを入れたいと存じているのですが……有効な――いえ、安全な手立てがなく、なにとぞ、世界樹の精様のお知恵かお力をお貸しいただけないかと……」

『そうですね……以前は世界樹を通して世界中どこでも自由に見聞きすることができたのですが、オリヴィエに宿ってからというもの、オリヴィエの周囲のものと世界樹がときたま見せる未来視(ヴィジョン)しか見聞きできなくなってしまいましたから……。世界樹が帝国の現状を映し出してくれればそれが一番手っ取り早いのですが、いまのところその気配(ようす)もなく、これといって私にできることは……』

「……アンジェにもどうすることもできないみたい。アンジェも宿主(ぼく)から離れすぎることはできないから」

「そうか……八方塞がり、というわけか。……現実というのは得てして不如意なものだね」

「それならさーあ? 僕が行こーか?」

「駄目だ!! それはあまりにも危険すぎる!」シャルル王子は声を(あら)らげる。「……昨晩のように王国領内の話ではないんだ。一体全体何が待ち受けているのかわからない」

「“おけつに(はい)らずんばどーたらこーたら”って言うでしょ?」

「“虎穴に()らずんば虎子を得ず”リスクなくして得る物は得られない、か……。そんな難しい言葉をよく知っていたね?」

「んー、いつかアンジェが言ってたよーな気がする」

「アンジェくんはこの世界のことをよくご存知のようだ」

「……シャルルが僕の身を案じてくれてるのは痛いほどよくわかるよ? でもそれは、“王子”として? それとも、“個人(シャルル)”として?」

「っ!」シャルル王子は顔を(しか)める。

「“王子”という立場であるなら、僕一人のことなんかよりも、国のこと第一に考えるべきだと思う。それは、冷酷なんかじゃないよ? それが王子として在るべき姿だと僕は思う」

「オリヴィエ……本当に君という人は……。どうしてそうも……」

「それに……僕を信じて? 僕なら何があってもだいじょーぶ。だって、逃げ足の速さなら誰にだって負けたことないんだよ?」

「その逃げ足の速さはイタズラで培ったのかい?」

 シャルル王子がそう笑いながら問い掛けると、オリヴィエは「ふぇ?」と間の抜けた声を出した。

「すまない。実は君が城門前で門番の二人といざこざを起こしているところから目撃していてね」

「そーだったんだ。シャルル、見てたんだね」

「ああ。君が門兵の股間を痛烈に蹴り上げるその始終、そのすべてをね」

 オリヴィエは「あはは」と声を出して苦笑いをした。

「しかし、我ながらなんと情けないことか。あろうことか、配下の者に王子としての(ありかた)を諭されるとは。早速、君の言っていた通りになってしまったようだ。……ありがとう、オリヴィエ。君のおかげで決断する勇気が持てた」

「僕はただ思ったことを口にしただけで、別に感謝される謂れはないと思うけどな」

「それでも、だよ」

「いまの、もしかして僕の真似(マネ)?」

「さあ? どうだろうね?」

「むー。……でもシャルル少し思い悩んでいたみたいだったから、元気になったよーで安心した」

「そうかい? オリヴィエに心配されるほどわかりやすく心情を表に出してしまうとは、僕もまだまだ至らない(ところ)が多いな」

「むー。なんだか心外だな」

「すまない。別に他意などなかったのだが……」

「いーよ、別に。気にしてないから」

「ものすごく気にしてそうなのだが……」

『仲睦まじいのは大変よろしいことですが、いい加減本題に戻ってはいかがです?』

 オリヴィエは体をビクッとさせ、少し小さな声で言った。

「アンジェがそろそろ痺れを切らしそう……」

「っと、いけない。僕としたことが雑談(よもやまばなし)に花を咲かせすぎてしまったようだ。……昨晩の帝国の襲撃を鑑みるに、帝国の侵攻はあくまでも我が国に対する奇襲作戦にのみ留まり、周辺諸国に対して表立った動きは見せてはいないようだ。だとすれば、帝国側としてはいまはまだなるたけ平静を装いたいはず。このタイミングで目立った動きを見せることは考えにくいだろう。なんの変哲もない観光客を装って帝国を訪れれば、危害を加えられることはないはずだ。幸いなことに君の詳細な特徴までは帝国に知られていないだろうし……っと、ここまで僕の意見(かんがえ)をつらつらと言い連ねてみたのだけれど……君たちはどう思う? 最終的にこの任務を遂行することになるのは君たちなのだから、その当事者の意見(かんがえ)も聴いておきたい」

『シャルル王子の論理(かんがえ)が大きく破綻しているとは思いませんし、妥当性の高い考えであると私は支持します。それに……いざとなればオリヴィエご自慢の逃げ足がありますしね。ですが……最終的にどうするかはあなたに一任します。あなたがどういう決断を下したとしても、私はそれを否定しませんよ。敵国(きけん)に飛び込むのは、他ならぬあなた自身なのですから』

「……うん。僕もアンジェもシャルルの考えに異論はないかな。それに……たとえ反対されたとしても僕は帝国に乗り込むつもりだったし」

「……いくらなんでもさすがにそれはじゃじゃ馬がすぎるな……。最低限(せめて)僕の制止くらいは聞いてくれないと……」

「ち、違うよ! それくらいの覚悟だったってこと! 僕だってそんな暴れ馬じゃないよ」

「……ありがとう。つくづく君には感謝してもしきれないよ」


 ――オリヴィエ出立の(あさ)。王都入り口前にて。

「いいかい? くれぐれも気をつけるんだよ。いまの帝国は、僕にも君たちのもたらした程度(くらい)の情報しか知り得ない未知の領域だ。何があるかわからない。何か異変を察知したらすぐに――いや、異変を感じ取るよりも前に逃げるんだよ」

「あはは。シャルルなんだかおばーちゃんみたい。案外(けっこー)心配性なんだね」

「お、おばあちゃんて……。そんなことはないと思うのだが……」

「ほっほっ」王子の傍に立つ老夫(セバスチャン)が笑った。

「……ってか、『異変を感じ取るよりも前に』って、いったい僕にどうしろって言うのさ! それもう人間のはんちゅーじゃないよねぇ? もしかして僕のこと本能で生きる動物か何かだと思ってる??」

「い、いや、けしてそのようなことは……」

「わかってるよ。からかっただけ。何もそんなに真に受けなくても……。そーやってしどろもどろになるほーがかえって悪印象だ(よくない)よ」

「む、そうか。留意しておこう」

「それじゃ、行ってくるね~」

 そう言って大きく手を振り、勢いよく駆けていったオリヴィエが、つと立ち止まって振り返る。

「そんなに遅くならないうちに帰ってくるから~!!」

 そう言い残したオリヴィエの背中は瞬く間に地平線に吸い込まれていった。

 ……「あっという間に行ってしまわれましたな」老夫が言った。

「ああ」とシャルル王子は頷く。

「まるで台風一過。嵐のように過ぎ去りし様相。されど……濃密な時間をお過ごしになられたのでは?」

「そうだね」とシャルル王子は少し笑いながら言った。「濃密というか強烈というか……いままで味わったことのない新鮮な体験(じかん)だったよ」

「ほほ。オリヴィエ様のことがさぞかしお気に召されたようですな」

「……爺やだって始めはオリヴィエのこと反対していたのに、いまではすっかりオリヴィエにご執心じゃないか」

「はて? わたくしめにはなんのことやらさっぱり」

「惚けるのが下手だね、爺やは。とんだ三文芝居を見せられている気分だよ」

 気持ちのよい朝の陽射しを背に、二人は談笑しながら王宮へ歩いていった――。

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