二章・|王子《Charles》
門番の二人に案内され王子の私室へとやってきたオリヴィエは、見たこともない絢爛豪華な調度品の数々にその目を奪われていた。オリヴィエが調度品に負けじ劣らじとその瞳をきらきらと輝かせ、「ほえーっ……」と気の抜けた声を漏らすその様子を、シャルル王子と老夫は立ったまま、あたたかい目で見守っていた。
「……爺、すまないが少し席を外してくれないか。彼女とは二人きりで話がしたい」
「ふむ。年ごろの男女が“密室で二人きり”というのはあまり感心しませんな」
「頭の固い爺にしてはいい諧謔じゃないか」
「ほっほっ。私もまだまだ若い者には負けておれませんからな」そう言うと老夫はオリヴィエのほうへ向き直った。「では、お暇をいただいたことですし、老いぼれめは優雅にティータイムとでも参りましょうかな。オリヴィエさん、どうぞ心ゆくまでご歓談くだされ。なにぶん坊っちゃまには歳の近い話し相手というのがおりませんのでな」
オリヴィエは老夫の話し掛けに反応することなく、間の抜けた顔でぽけーっと調度品を眺めていた。
『オリヴィエ! 話し掛けられていますよ! オリヴィエ!』
「ほっほっ。どうやらオリヴィエ様は調度品に夢中のご様子。では、私めはこれで。お坊っちゃま、くれぐれもお気をつけくださいませ」
「気をつける? 何を?」とオリヴィエが反応した。
立ち去ろうとしていた老夫はオリヴィエの問い掛けに反応を示したが、
「君の機嫌を損ねないようにだよ」とシャルル王子が答えたのを確認すると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「『淑女』? そんなの初めて言われた」オリヴィエは無邪気にくすくすと笑う。「物語の中でしか聞いたことなかった」
『オリヴィエ! 口の効き方!』
「あっ、そっか。えへへ」とだらしなく笑うオリヴィエに、シャルル王子は「どうぞ座って」と手を差し出し、オリヴィエがソファに腰掛けるのを待ってから座った。
「……随分とお熱だったようだけど……何か気に入った物でもあったのかい?」
「んーん」首を小さく横に振る。
『オリヴィエ!』
オリヴィエは少し慌てた様子で「いえ」と言い直し、
「僕――私の村にはない物ばかりだった――でしたので、初めて見る物の数々に思わず見惚れてしまいました」と畏まって言った。
「ふふ」王子は小さく笑って言った。「そうかい」
「あの……」
「なんだい?」
「こんなにキラキラした物ばかりで頭痛くならないの? でしょーか」
王子は堪えきれず、「くっくっ」と笑みを零す。
「まあ、目が疲れることはあるよ。僕の趣味で置いているわけじゃないからね。本当は僕ももっと質素な部屋が好みなんだけど……権威を示すためには致し方ない部分もあるのさ」
「そうなんだ! ですね!」
「ふふ」王子は小さく笑う。「本当に面白い娘だね、君は」
「えへへ。ありがとうございます」
『別に褒められているわけじゃありませんよ』
「そーなの!?」
シャルル王子は、顎にやった手に顔を預けるようにして言った。
「……そう言えば君は兵士に志願しに来たんだったね」
「あ、はい。そうです。お耳に挟んでくださったようで光栄です?」
『そこでなぜ尻上がりになるのです?』
「君はたしかボンワール村出身だと言っていたね」
「はい」こくりと頷く。
「君ほどの実力だ。兵士として名を馳せたいのであれば何も我がラフランス王国に拘る必要などないと思うのだが……ボンワール村からここまでは相当の距離があっただろう? それこそ、隣国のキルシュ大帝国などのほうがよっぽど近いと思うのだが……。何か我が王国を志した理由でもあるのかい?」
「あ、えーと……」予想だにしなかった王子の問い掛けに、オリヴィエはぐるぐると目と頭を回していた。「いまどこまで話してよいものか思案しておりますゆえ! しょーしょーお待ちください!」
「はは」シャルル王子は笑って言う。「何、時間ならたっぷりとある。焦らず落ち着いて話してもらって構わないよ」
「お優しいのですね」
どこか芝居がかった様子でそう言うオリヴィエに、王子は堪えきれず小さく笑った。
「そうだろうか。そうだと嬉しいが」
『――世界樹の声が聞こえること、声に従ってここまでやってきたこと、近々この国がキルシュ帝国に攻め入られること、これらはすべて話してしまってよいでしょう。シャルル王子もすでに私の存在を疑っているようです。オリヴィエ、あなたの明け透けな態度のせいでね』
「は、え、えーと……それがしは幼きころよりアンジェ――“世界樹の精”の声が聞こえましたゆえ、それに従って今日まで生きてきた次第でありまする。アンジェ曰く、『セカイのめーうん? は私に懸かっている』と。それと、えーと……」
『“シャルル王子を助けることが世界を救う鍵になる”です』
「『シャルル王子を助けることが世界を救う鍵になる、です』だそうです!」
『はあ、オリヴィエ……』
「ふむ……。あくまでも“僕を助けることが目的だ”と。それはたしかに我が王国でなければ成し遂げられないことだ。……君の武の秘密もその声のおかげなのかい? 正直言ってしまって、君の剣技……いや、身体能力そのものがあまりにも人間離れしている。常人には到底成し得ない境地だ。それは君の天賦の才によるものなのか、それとも特別な鍛錬を受けたのか、あるいは……」
「あ、えーと……」
『世界樹の実を食べたことは告げないほうがよいでしょう。アレは人間には過ぎたる代物です。世界全土を巻き込んだ抗争に発展しかねない。……そうやすやすと手に入れられる物ではありませんが」
「えーと……えーと……」
「いや、『話せない』というのであれば無理に話さずともよい。誰しもが簡単に君のような力を手にできると知れれば、たちまち戦乱の世の中となるだろう。こちらとてそれは避けたい事態なのでね」
「心中お察しくださり、誠に光栄でございます!」
「……ずっと気になっていたのだけれど……その変な喋り方も“世界樹の精”とやらに教わったのかい?」
「はっ。“いつかシャルル王子に仕える日のために”とたくさんよこーえんしゅー? したのであります!」
『致しました』
「致しました! どこか失礼なところなどございましたでしょうか!」
「別に気に障ったわけじゃないんだ。ただ……幼気な君には似つかわしくないと思ってね。僕の前では変に畏まる必要はないよ。君の話しやすいように話してくれて構わない」
「はあー、よかった。正直息が詰まりそうだったんだよね!」
『――いきなり砕けすぎです! 社交辞令を真に受けないでください!」
「『しゃこーじれー』?」
「……嘘ではないよ。本当に僕の前では自然体で構わない」
「それならもっと早く言ってくれればよかったのに」
「すまない。君の話し方が面白くてね。ついつい聴き入ってしまった。ところで……これも一つ気になっていたのだけれど……アンジェくんはいまも君のそばにいるのかい? ときおり誰かと会話をしているようだけれど……」
「うん。アンジェ“くん”というか、“ちゃん”というか。いっつも僕に付き纏ってるんだ。どこにいても声が聞こえるの」
「“付き纏う”か。なんだかその言い方だとまるで悪いモノのようだね?」
「別にそんなことはないんだけど……ちょっと変質者っぽいというか……」
『適当なこと言わないでください! 私は神聖な世界樹の精ですよ!』
「えー、そうかな? いまだに実感ないんだけど」
『そ・ん・な・こ・と・よ・り! 急ぎ、キルシュ帝国のことをシャルル王子に伝えねばなりません。そのために遠路はるばるここまでやってきたのですから』
「そうだった! それでね、シャルル王子にすぐに伝えなきゃいけないことがあるの!」
「この世界を支える世界樹からの“火急の報せ”、か。それはそれは世界を揺るがす一大事なのだろうね。できることならば聞きたくはないなあ……」
「そんなこと言わずに! ね?」
「冗談だよ。それで? 話というのは?」
「近いうちにキルシュ帝国がラフランス王国に攻めてくるんだって! その目的は世界樹のだっしゅ? で、『ラフランス王国は一夜のうちに炎に飲まれ、大勢の人が命を落とすことになる。戦乱の中、内通者の手によってシャルル王子も……』」
「なるほど? それで『僕を助けに来た』、と」
「そーだよ!」
「それも神のお告げかい?」
「神様じゃなくて世界樹だよ!」
「世界樹を帰依するこの国――この世界で世界樹の声が聞こえるというのは神の声が聞こえるということに等しいと思うがね。たしかにそれは神託でも受けないかぎり知り得ない情報だ。……君自身が“帝国の内通者でなければ”ね」
そう言って王子はオリヴィエに鋭い眼光を向ける。
「なんでそーなるの? わけわかんない!」
「ふっ」小さく笑う。「いつだって間者はそうやって皆同じような反応をするのさ。……残念だよ、君とは仲よくなれそうだったのに」
「だから違うってば! アンジェもなんか言ってよ! こーいうときどーすればいーの?」
シャルル王子は立ち上がり、じりじりとオリヴィエににじり寄る。
「さよならだよ……オリヴィエくん」
「やだっ!」
「…………なーんてね。冗談だよ」
そう言ってイタズラっぽく笑ってみせるシャルル王子に、オリヴィエは不服そうにぷくーっとほっぺたを膨らませた。
「だいたい、君みたいな性格の娘は間者には向かないよ。……まあ、君のその純真さにつけ込んで、君自身騙された状態で捨て駒として利用する、という手がないわけではないけれど……。君ほどの実力者を捨て駒として扱うメリットがあまりにも薄すぎる。それこそ君が本気を出せば正面からでも我が王国を滅するなど容易いことだろう。余興のためだけに君を使い捨てるというのであればあまりにも酔狂だ」
オリヴィエはなおも頬を膨らませ、何かを訴えかけていた。
「……悪かった。少し君を揶揄っただけなんだ。どうか機嫌を治してくれないか」
オリヴィエは当てつけるようにぷいっとそっぽを向いて言った。
「……アンジェも冗談って気づいてたんでしょ。だから何も言わずに黙ってたんだ。二人して僕をバカにして遊んでたんだね」
「すまない。あまりにも君が愛おしいものだからつい、揶揄いたくなってしまったんだ」
「ふん」とオリヴィエは鼻を鳴らした。
「そうしてご機嫌ナナメで膨れっ面をしているその顔でさえも愛おしいよ」
「ぷっ!」オリヴィエは思わず吹き出した。「あはは! 王子様でも女の子のご機嫌を取るためにそうやっておべっか使うんだね!」
シャルル王子は目を丸くし、状況が飲み込めていない様子だった。
「ほんとに怒ってたわけじゃないよ。ちょっと仕返ししただけ! あはは! おっかしー」
「なんだ、そうだったのか」そう言ってから小声でぼそっと言った。「別にお世辞使ったわけじゃないんだけど」
「? 何か言った?」
「別に」と今度はシャルル王子のほうがそっぽを向いてみせた。
〈ふう。オリヴィエのことですから、一時はどうなるものかと思いましたが……どうやらシャルル王子はお気に召したようですね。ひとまずのところは安心ができそうです。このまま肝胆相照らす仲にまでなってくれればよいのですが……〉
「――さて。君を兵士として登用するという話だけど。前向きに検討するつもりではいるが、立場上、僕の一存で決めるというわけにもいかなくてね」
シャルル王子の“前向きに検討する”と言ったその言葉に、瞳をきらきらと輝かせたオリヴィエであったが、続く王子の言葉に、肩を落とし少し落胆した様子を見せた。
「そうだね……君の言う“帝国の間者”とやらを暴き、見事捕らえた暁には国王陛下に君のことを僕直属の近衛兵として採用するよう進言すると約束しよう」
オリヴィエはだらしなく口を開き、ぽかんとしていた。
「君にとっても悪い話ではないと思うのだけれど……どうろうか。ここは一つこれで手を打ってはくれないだろうか。僕にとってもいま講じられる最大限の譲歩なのだが……」
『オリヴィエ。内通者を見つけ出し、捕まえることができればシャルル王子の側近として雇ってもらえるそうですよ』
「あ、そうなんだ。“あばく”とか“あかつき”とか知らない言葉ばっかり使うから、そっちに気を取られて全然話頭に入ってなかった」
オリヴィエは「えへへ」とあどけなく笑った。
「うん、わかった! すぐに捕まえてくるね!」
そう言ってオリヴィエは挨拶もせずにシャルル王子の部屋を慌ただしく出ていった。
『――あ! オリヴィエ! ……もう、ほんとにあの子は……』
「アンジェくん――いや、アンジェちゃんと言ったかな? 僕の声が聞こえているかい?」
『はい。聞こえています。ですが、こちらの声が――』
「もし聞こえているようであれば彼女に伝えてあげてくれないか。門番の一人が――であると」
『! わかりました! すぐに!』
――オリヴィエがシャルル王子の部屋を出てからしばらくしてからのこと。
「坊っちゃま。あまりオリヴィエ様一人で城内をうろつかれては困りますな。城の者に見つかりはしないか、とひやひやしましたぞ」
「すまない爺や。引き留める間もなく出て行ってしまってね」
「城の者に見つかってしまった際には、『お坊っちゃまのお友達ですゆえ、なにとぞ国王様にはご内密に』と口添えをするつもりでおりましたが、どうやらその心配は杞憂でしたな」
「そうなのかい?」
「ええ、そうですとも。いやはや、彼女の速さはまさに“神速”あっという間に城を出ていってしまわれました。……そのおかげで廊下に飾られていた花瓶がいくつか落ちて割れておりましたが」
「ははは」と王子は笑った。「すまない。あとで僕のほうから謝っておくよ」