終章・|大樹《YggdLapucelle》
「よくぞ無事で戻った! オリヴィエ! その様子ではうまくいったのだな?」
「うん、全部丸く収まったから安心して」
「して……宰相はどちらに?」シャルル王子はハッとして言った。「まさか殺――」
「いくらなんでも飛躍しすぎ! そんなわけないじゃん!」
「わかっているさ。冗談だとも」
「もう。面白くない冗談は冗談じゃないって誰かが言ってたよ」
「む。そ、そうか、いまのは面白くなかったか」
「人の死を軽々しく扱うのはいただけないな」
「今後軽んじることのないよう気をつけよう」
「わかればよろしい」
「ふっ」と小さく笑って言った。「アンジェくんの真似かい?」
「おっ。シャルルもだんだんアンジェの憎たらしさが身に沁みてきたね」
「いや、ただ君らしくないと思っただけさ」
「なーんだ。つまんないの」
『人の悪口を言っておいてつまんないとはなんですか』
「出た! 妖怪盗み聞きおばば!」
『ひどい言い草ですね……』
「――こほん」シャルル王子はわざとらしく咳払いをする。「先ほど『全部丸く収まった』と言っていたが……詳しい話を部屋でお聞かせ願えるかな?」
――「なるほど、そんなことが」
オリヴィエは帝国城で起きたことをシャルル王子に説明した。
「そーそー、うんと大変らったんふぁから」
『口に物を入れたまま喋らない』
オリヴィエは口の中の食べ物をごくんと飲み込んでから言った。
「一仕事終えたあとでお腹ぺこぺこなんだからいまくらい勘弁してよ」
『あなたの場合いまに限った話ではなく、いつものことでしょう』
「――しかし、得体の知れない敵か……」シャルル王子が呟くように言った。「僕の知らないところで、思っていたよりも事態は進んでいたようだね」
「ふふ」オリヴィエは愉快そうに笑う。「宰相様も同じこと言ってた」
「そうなのかい?」
「うん。シャルルと宰相様、気が合うかもね。どことなく喋り方も似てるし……そーそー、宰相様から言伝を頼まれてたんだった。『帝国はもう大丈夫だ。今後ともよろしく頼む』って。あとねー、『迷惑を掛けてすまなかった』とか、『あとで直接謝罪に来る』とかも言ってたかな」
「承知した。あとで父上にも伝えておこう。――しかし、現世外からの侵略者だなんて、いったいどうやって対処をすれば……」
「あはは」オリヴィエは笑って言う。「今度は僕と同じこと言ってる。それはね――」
……「“世界樹の再生と復活”結局、行き着く先はそこになるのか。その方法はいまだ秘匿のままだが……治せる目処はついたのかい?」
『それについては私からご説明しましょう。オリヴィエ、通訳を』
「相変わらず人づかいが荒いなぁ、アンジェは」
『ごちゃごちゃ言っている暇があるなら口を動かしなさい』
「動かしてるじゃん」
『~~~!!』
「なんかいまアンジェが『ムキーッ!』ってしてる姿が浮かんだ」
『してません……。いいから行きますよ』
「あい。えー……と?」
「『先ほどもオリヴィエが話していましたが、先刻の宰相殿との戦いの最中オリヴィエは世界樹に認められ、無事浄化の炎をその身に宿すことができました。これでようやく世界樹を快復させる準備が整ったのです。つきましては、世界樹に立ち入る許可を頂きたく存じます。現在では、何人も立ち入れぬよう、ラフランス王国の管理下に置かれているようですから』」
「ああ、もちろんそれは構わないが……『世界樹に立ち入る』とはどういうことだい? 言葉通りの意味だとしたら……世界樹の中に入れるとでも?」
「『その通りです』」
「まさか! だがそのような話は一度も!」
「『ご存知ないのも無理はありません。儀式の間はここ数百年は使われていなかったようですから』」
「ふーむ。“儀式の間”とは驚いた。何か世界樹に係る祀り事にでも携わっていたのか、我が王国は。それで、世界樹のお膝元に……」
「『いえ、私の記憶が正しければラフランス王国は一度も儀式には関わっていないはずです。太古の昔、もう使うことのないように、と儀式の間に施された封印が解かれることのないよう発足された団体が、そもそものラフランス王国の成り立ちですから』」
「馬鹿な……。そのような話、建国史にも記載されては……」
「『シャルル王子……王族ですらご存知ないとなると、封印のことを受け継いでいくよりも、いっそのこと闇に葬り、忘れ去られてしまったほうがよいと考えたのでしょう。何かの間違いが起こらないとは言い切れませんから』」
「ううむ……実に信じがたい話だ……。世界樹の中に入ることができ、そこには“儀式の間”と呼ばれる空間がある……。そればかりか、儀式の間の封印を守っていたのが我が王国だ、と……。いままで聞いたこともないような話ばかりだ。つくづく君たちには驚かされてばかりだな」
シャルル王子は少し戯けるように言った。
「“封印”と言ったか……それ自体が口承されていない以上、当然その解き方も伝わっていないわけだが……」
「『それに関しては問題ないと思われます。……私も解き方まで熟知しているわけではありませんが……他ならぬ私(世界樹の精)と、世界樹に認められ覚醒したオリヴィエがいるのですから』」
「ふむ。それもそうか。いや、失敬。要らぬ心配であったな」
「『いえいえ、そのようなことは。お心遣い、誠に痛み入ります』」
「儀式というのはすぐに終わるのか?」
「『ええ、なんの問題もなければ』」
「そうか、では早速参ろう」
「『誠に申し訳ないのですが……いかにシャルル王子といえども、儀式の間の在り処をお教えするわけにはいかないのです。ラフランス王国ではいままで秘匿されてきた事実のようですから。人の世とは常々予想がつかないものです。私の勝手な一存で、その存在を明るみに出さないほうがよろしいでしょう。もちろん、シャルル王子のことは信頼していますが』」
「ふむ……そうだな、情報というのはどこから漏れるかわからない。念には念を入れたほうがよいだろう」
「『お気を遣わせた上に失礼なことを言ってしまい申し訳ございません……』」
「いや、気にすることはない。世界樹を守る者として当然の配慮だろう。弱りゆく世界樹が復活する様をこの目で見たかっただけさ。ほんの興味本位だ。それなら、何も儀式の間まで行かずとも、ここからでも見れるであろう? ただ……オリヴィエの勇姿を見届けられないというのは少し淋しいけれどね」
「シャルル……」
『さ、オリヴィエ。やり残したことはございませんか?』
「? なんでそんなこと聞くの?」
『……いえ、もしかしたら長丁場になるかもしれないですからね。万が一のことを考えてゆっくりできるいまのうちにやりたいことをやっておいたほうがよいと思っただけですよ』
「ふーん……やけに早口だね。まあ、それなら大丈夫だよ。またいつ災厄が襲ってくるかもわからないしこういうのは早いうちに済ませたほうがいいでしょ?」
『それはそうですが……そんなに焦らなくても大丈夫ですよ? オリヴィエがやりたいことをやってからでも遅くはありません』
「今日のアンジェ妙に優しくてなんか怪しいね……」
『そ、そんなことないですよ!』
「慌てちゃって、あやしー」じとーっとした目つきで言った。
『本当の本当にやりたいことはないのですか?』
「くどいね」そう言って少し考え込む素振りを見せる。「……うん。こうしてアンジェやシャルルとたくさんおしゃべりできたし、ご飯も食べれたし満足。さ、世界樹を――いや、世界を救いに行こう?」
――「ほえ~、王国の地下にこんなところがあったんだね~」
『ええ……私も地下に埋もれているとは驚きました』
「え、知らなかったの?」
『私が以前訪れたときは地上でしたから』
「前にも来たことあるんだ?」
『……ええ。一度だけ』
「ふーん」
『さ、儀式の間はこの長い通路を抜ければすぐのようです。目指すは世界樹の袂。あと一息、頑張りましょう』
「『すぐ』って、僕の視力をもってしてもまだまだ先が見えないんだけど……」
『あら? 私には見えていますよ? 世界樹に近づいたことで本来の力が戻りつつあるのでしょうか』
「うへ~、先はまだまだ長そうだ。こんなことならパンの一つでも持ってくるんだったな……。アンジェが話し相手になってくれてるとはいえ、手持ちぶたさんで小腹が空いてしょーがないよ。どーしてやることがないときって、無性に何か食べたくなるんだろうね?」
『……別にそんなことはありませんけど……。それはあなただけでは? というか、「手持ち豚さん」ってなんですか。それを言うなら“手持ち無沙汰”でしょう?』
「あれ、そーだっけ? ……ま、いーじゃない、そんなの。別にどっちでも」
『どっちでもはよくないです……。片や退屈、片や豚さんぶーぶー。まったくもって別物です』
――「“いかにも”って感じの荘厳な扉だね~」
そう発したオリヴィエの目の前には、世界樹の絵がでかでかと描かれた石製の巨大な扉がどっしりと構えていた。
ゆうに五メートルは超えるであろう、いったいどうやって造られたのか見当もつかないほどの大きさ。その巨体が、世界樹の幹と同化するように取り込まれていた。
「本当にこれ開くの?」
そう言って、幼子のようにぺたぺたと扉に触れて回る。
――扉の下部、中央部分に描かれた紋様にちょうど手を翳したような形になったその瞬間だった。紋様から放たれた八方に広がる筋状の眩い光が、くるくると回転しながら輝き、オリヴィエの視界を白く染めた。
直後、何か重たい物を引き摺り動かすような音が聞こえ、オリヴィエの視力が回復するころには世界樹がその口をぽっかりと大きく開けていた。
「ふえ~。こんな大きな扉が勝手に開いちゃったよ。すごいねぇ」
『ええ……』
〈こんなもの、到底人間の技術力で造れる代物では……。封印というのはてっきり、人間の手によって施されたものだとばかり思っていましたが、まさか……〉
「――ンジェ! ――ンジェってば!」
『はっ! す、すみません、どうかしました?』
「『どうかしました?』じゃないよ。さっきから何度も呼びかけてたのにさ」
『すみません、少し考え事を……』
「考え事?」
『ええ。このようなオーバーテクノロジー、いったい誰が造りし物かと』
「『おーばーてくのろじー』?」
『人間には過ぎたる物ということですよ』
「それもよくわかんない」
『はぁ……』
「けっこー前から思ってたけど、そのわざとらしくため息つくの傷つくからやめなー」
『……いいですか? 人間には到底造り得ない代物が現にこうして目の前に存在しているわけです』
「無視して話進めやがって」
『――では、いったい誰がこんなものを造りあげたのか? という話です』
「……それなら始めからそー言えばいーのに。自分の知識に託けて変にむつかしく言っちゃってさ」
『別に特段難しく言っている意図はないのですが……。あなたが理解できないだけでしょう?』
「えへへ、バレた? そんなことはあると思う」
『はぁ……』
「――あ! また!」
『ゔっ、ゔん! ……愛嬌ということで堪忍してつかあさい』
「動揺して変な喋り方になってるよ」
『べ、別に動揺など!』
「あやしー……。っていうか、アンジェ封印のことは知ってたのに、この扉のことは知らなかったんだ?」
『ええ……というのも、私が物心ついたときにはすでに封印は施されていましたから、いつ・誰が・どのように施したのかなど、私には知る由もないのです。世界樹はときたま未来予想図を映し出してはくれますが、これまで一度たりとも過去の光景を映し出したことはありませんから』
「へー」
『ですから、“封印”というのも、あくまで遠い昔人づてに見聞きした話であり、このような大扉の形をしていたことは私もついいましがた知ったのです』
「ふ~ん」
『心底どうでもよさそうですね……』
「うん」
『はっきり言いますね……』
「それより早く中に入ろーよ。いつ閉まるともわからないんだし、挟まれたりしたら大変だよ」
『……そうですね、すべてを終わらせに行きましょう――』
――コツ、コツ、コツ。世界樹の洞の中にできた広大な空間に、オリヴィエの靴音だけが響く。まるで、時でも止まってしまっているかのような静寂に包まれ、物音一つ、風音一つ、聞こえやしなかった。
オリヴィエが祭壇の前の階へと足を踏み入れると、ボッ、と炎を点す音が少しの感覚を伴って続け様に上がり、それと同時に、祭壇の周囲に設置されていた篝火に火が順々に灯っていった。
風もないのに揺らめく篝火の妖しく不明瞭な炎が、辺りをぼんやりと、朧げに照らし出すと、苔むし、古ぼけた円形の祭壇が闇に浮かび上がった。その光景は、どこか荒廃的で、どこか幻想的でもあった。
「どーやら歓迎されてるよーだね」
〈……ここへやって来るのもこれで二度目ですか。もう二度と来ることはないだろうと思っていたのですが……。できることなら、来たくはありませんでしたね〉
「――ンジェ! ――ンジェってば!」
『はっ!』
「だいじょーぶ? さっきから考え事ばっかしてるみたいだけど……」
『す、すみません、感傷に浸っていたのです。なにせここへ来るのは数百年ぶりですから』
「それで、僕は何をすればいーの?」
『……祭壇の中央で跪き、祈りを捧げるだけでよいのです。それで……それですべて終わります』
「さっきも気になったんだけど、その言い方なんか不吉じゃない? まるでアンジェが悪者みたい」
『そ、そんなことありませんよ……。むしろ主人公みたいでかっこいいでしょう?』
「うーん……『かっこいい』……僕はあんましそーは思わない……かな?」そう言って首を傾げる。「ま、いーや。祈りを捧げるだけでいーんだね。ちゃちゃっとちゃっちゃと終わらせちゃって、シャルルのもとへ帰ろう」
オリヴィエは祭壇の中央へつかつかと歩み寄る。
『……ごめんなさい……ごめんなさい! オリヴィエ!』
「ちょ、どーしたの? いきなり泣き出して」
『私……私!』
それから、オリヴィエは声も掛けず、ただ、ただ黙って落ち着くのをじっと待っていた。パチパチと爆ぜる火の粉の音が、時を刻みつづけていた。
『ひっ、うっ』
「……少し、落ち着いた?」
『ごべんな゛ざい』
「どーしちゃったの? いきなり。アンジェが声を上げて泣くなんて珍しい」
『私……私、あなたにどうしても何も話せなかった! 本当のこと、伝えなきゃいけなかったのに!』
「『本当のこと』?」
『せ、世界樹を再生するためには、だ、誰かがその身を捧げなければいけないのです。だ、だから私は、あなたを――』
「そっか……。アンジェは……全部、全部知ってたんだね……。始めからこうすることも……」
『……ごめんなさい……ごめんなさい、オリヴィエ。私、私……!! 私には、どうしても世界の理を変えることができなかった! こうなると知りながら、あなたを死の運命に誘うことしか!!』
「アンジェなりにどうにかしようとしてくれてたんだ?」
『ごめんなさい……ごめんなさい。無力な私にはどうすることも……!』
「そんなに謝らないで……? こっちまで悲しくなってくるじゃんか。最後くらい、笑ってお別れしよう?」
『オリヴィエ……オリヴィエ、あなたまさか!』
「だってそれしか方法がなかったんでしょ? 世界樹がこのまま朽ちれば、遅かれ早かれこの世界は崩壊する……。そうなってしまえば、僕だけじゃない、たくさんの命が失われる。シャルルも、爺やも。王国のみんなに……帝国の人たちだって。……ううん。それだけじゃない。まだ僕が会ったこともない他の国の人たちだってそう。……アンジェだって、それをわかってるのにいまさら反対するのはおかしいよ」
『でも、でも……!』
「……ねえ。僕が……僕が世界樹になったら、アンジェはどうなるの?」
『っ……!』
「そっか……」そう言ってオリヴィエは俯く。「なんとなく、わかっちゃった。ここのところアンジェずっと元気なかったし」
その後しばらく口を開かず、静寂だけが辺りを漂っていた。
「……うん、わかった。これで全部おしまいにしよう? 僕とアンジェの関係も、世界樹をめぐる争いも」
『オリヴィエ……』
オリヴィエは祭壇の中央に跪き、目を瞑る。すぐにオリヴィエの体は眩い光に包まれ、徐々に透き通っていく。そのとき、オリヴィエの頬を一筋の涙が伝った。
「あれ……おかしいな、決心したつもりだったんだけどな……。どーして、どーして涙が出るんだろう」
『……』
「えへへ、こんなときになんでシャルルの顔が思い浮かぶんだろう。……もう一度、もう一度シャルルに会いたいよぉ」
『オリヴィエ……ごめんなさい……』
「『ごめんなさい』じゃなくて“ありがとう”でしょ?」
『オリヴィエ……』
「えへへ、世界のためならこのくらいへっちゃらだと思ったけど、アンジェとお別れするのはやっぱり淋しいな」
そう言ってオリヴィエは優しく微笑んだ。
『オリヴィエ!!』
オリヴィエの体は、頭部から光の粒子に変換されていき、宙へ舞い上がっていく。その変換が足元まで進行したとき、宙を舞っていた光の粒子がふっとどこかへ消え去った。
〈――オリヴィエの魂に刻まれた記憶が流れ込んでくる……。ああ……そういうことだったのですね……。ずっと……ずっと、疑問だったのです。始めから人の身で産まれたオリヴィエがなぜ、その身に穢れを宿していたのか。あなたは、あなたは私の――〉